八咫鏡(やたのかがみ)は、三種の神器の一つです。
三種の神器とは、神話のなかで天照大神(あまてらすおおみかみ)が天孫降臨の際にニニギ(天照大神の孫)にあたえた三種類の宝物を意味します。
神話の世界の八咫鏡
古事記では、八咫鏡は高天原の八百万の神々が天の安河で川上の堅石(かたしは)を金敷に金山の鉄を使って作らせた、と記載されています。
日本書紀によると、天石窟(あめのいわや)の神話のなかで、「サカキ(常緑樹)に鏡を下げて天照大神が天石窟から出てくるように願う」という記述があり、ここで使われた鏡が八咫鏡です。
この鏡はやがて天空から地上の世界へもたらされと伝えられています。
実在する八咫鏡
八咫鏡は、天照大神の御神体として伊勢神宮(三重県)の内宮に奉安されています。
皇居にも伊勢神宮の御神体をかたどったものがあります。しかし両方とも一般には公開されていません。
伊勢神宮の根本経典である「神道五部書(しんとうごぶしょ)」によると、「八咫鏡」について「八頭花崎八葉形也」と記載され、明治天皇が明治初年に天覧したのち、内宮に奉安されたとなっています。
八咫とは大きいとか多いという意味ですが、実際の八咫鏡は、伊勢神宮の内宮の「皇太神宮儀式帳」に、鏡を入れる容器の内径について一尺六寸三(約49㎝)という記述がみられます。
皇居の八咫鏡は、三種の神器を祀る場所である賢所(かしこどころ)に置かれています。
古代人はなぜ鏡に魅力を感じていたのか
鏡は、弥生時代に中国から日本に伝わったとされます。日本各地の遺跡から青銅鏡など多くの鏡が出土しています。
考古学者の意見では、鏡は神へ捧げられた、祭祀に使われた、あるいは墓への副葬品として使用されたといった説があります。
古代人は、鏡に何を感じていたのでしょうか?
光を反射する、あるいは人の姿を映す鏡に神秘的な力を感じていたのかもしれません。
あるいは、邪気を払う力があるとして捉えていたのかもしれません。
いずれにしても、とかく不安が付きまとう現実生活のなかで、鏡は心を静めてくれるような不思議な魅力をあたえてくれる、とても大切な存在だったことは間違いないと思います。
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