邪馬台国は九州と近畿のどちらにあったのか。
この「邪馬台国論争」には正確な決着がついていませんが、九州と近畿にそれぞれのいとなみがあったことは確かなこと。
むしろ結論が出ないこともそれはそれで、ロマンティックなことのようにも思えます。
さて、古人が西から大和盆地に移動してきたとすると、大阪府と奈良県の県境の山々を超えてくることになります。
二上山から葛城山、金剛山といった山々とその間の峠を越えてきたのでしょう。
西からやってきた古人が今の県境あたりから大和盆地を見下ろした時の印象はどうだったのでしょうか。
今は街並みや田園が広がっていますが、その広がりに大きな可能性を感じたのかもしれません。
県境の山の上から見ればよくわかるのですが、そんな大和盆地の中には「大和三山」と呼ばれるものがあります。
万葉集などにも出てくる、香久山、畝傍山、耳成山ですが、そのさらに奥、大和盆地の東端に神々しく鎮座する体裁のいい山があります。
それが三輪山で、大神(おおみわ)神社の御神体となっている山です。
今回はそんな三輪山、大神神社を巡る神話について見ていきます。
大神神社を巡る神話

まずは、大神神社に祀られている大物主神(オオモノヌシ)についてです。
出雲の国で、これからの国造りについて思いを巡らせていた大国主神の元に、1人の神が現れました。
その神は、海の向こうから輝きを放ちながらやってきたのです。
「私があなたの国づくりをお手伝いしましょう。 そのかわりに、私をちゃんと祀ってください」というメッセージを伝えながら。
その神に向かって大国主神は問いかけます。
「どうやって祀ればいいですか」
するとその神は答えたのでした。
「大和の青垣の東に祀ってください」と。
そうして、祀られたのが三輪山で、そこに祀られた神こそ「神羅万象全てのものの上にたつ神『大物主神』」なのです。
いわば、大物主神は大国主神の国づくりのパートナーだったわけですね。
その後、崇神天皇の時、疫病が流行り国が乱れた時には、大物主神が天皇の枕元に現れ、私の子孫である意富多々泥古(おおたたねこ)に私を祀らせよ。」と告げられたそうです。
大神神社にまつわる、ちょっと艶っぽい神話
大神神社では、蛇、それも白い蛇が神様として崇められています。
本殿の脇の大木は、「巳(み)の神杉」と呼ばれ、そこには蛇の好物の卵がお供えされています。
実際、私は、小さいころにそこから顔を出している小さい白蛇を目にしたことがあるのですが、多くの方が手を合わせておられました。
その蛇に関する神話です。
大物主神は、山の麓の娘の元に夜な夜な正体を隠して通っていたのですが、ある時、娘が大物主神に向かっていいました。
「いったい、あなたは誰なのですか? 教えてください」と。
大物主神が、「次の日の朝、私はこの櫛箱の中にいるから、見ても驚かないようにね。」と言ったので、次の日、娘はその箱を開けて中を見てみると、そこには一匹の蛇がとぐろを巻いていました。
それを見た娘は、大変驚いたそうで、約束を破られた大物主神は、空を飛び三輪山へと帰っていったのでした。
ちょっと傷ついたのでしょうか。
もう1つ、大物主神と蛇にまつわる艶っぽい神話を紹介します。
三輪山の麓のある美しい娘(さきほどの娘さんとは、また別です。)の元へ、とてもイケメンな男子が毎晩毎晩通ってきました。
娘はお腹に子供を宿すのですが、相手の正体は誰だかわかりません。
気になった娘の両親が、その男の裾に麻の糸をつけた針をさしておくように言ったのでした。
ある夜、娘が、両親に言われたとおりにすると、その糸は扉の鍵穴と通って、大神神社まで繋がっていたのでした。
そうです、そのイケメンは、大物主神だったのです。
その時に、手元の糸巻きに残った糸の長さが三巻き、当時の表現でいうと三勾(みわ)だけだったので、みわ山、三輪山と呼ばれるようになったという説もあります。
三輪山、大神神社を巡る神話について見てきました。
大神神社は山そのものがご神体となっている珍しい神社で、三輪山への登山も神社に届ければ可能となっています。
そういう意味では、親近感の持てる神様と言っていいかもしれませんね。
また、大物主神を巡る、ちょっと艶っぽい神話は人間味に溢れたもので、これこそ、日本の神といっていいような人間臭さがあります。
大物主神は白蛇ということですが、そういえば、この三輪山がある桜井市周辺の名物に素麺があります。
厳しい寒さといった気候がその製造に適しているのですが、三輪の神糸と呼ばれたりもします。
何となく、白くて細い素麺は白蛇や大物主神に結び付けられた麻糸を連想させます。
そんなことを思いながら、三輪の町で素麺を食べてみるのも、いいかなと思っています。
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