ジョジョの奇妙な冒険の魅力は、王道の少年漫画の要素を含みつつ、独特なキャラ設定と世界観、そして思わず引用したくなる名言の数々にあります。
そしてそこまであからさまではありませんが、この作品には聖書とリンクする要素がいくつか存在しているのです。
今回はその中でも悪役キャラにスポットを当て、聖書に描かれている悪魔(サタン)の本質について考察してみましょう。
Contents
サタンとジョジョの悪役との共通点
「ジョジョ」シリーズは2020年5月時点で第一部から第八部まで刊行されていますが、どの作品においても悪役の強烈なキャラクターに目を奪われます。
それぞれが独自の哲学や嗜好を持っており、能力も異なりますが、実は一貫しているいくつかの性質があるのです。
容姿端麗
作中に登場する悪役は、気持ち悪い姿をしていることはほとんどありません。
第一部と第三部に登場するディオ・ブランドー、第二部に登場する柱の男、第五部のディアボロなどは、むしろ容姿端麗とも言うべき魅力と、人を引き付けるカリスマ性があります。
実はサタンも角が生えた醜く恐ろしい姿ではなく、むしろ美しい存在として描かれているのです。
以下は聖書の中でサタンが最初に登場し、人を誘惑する描写です。
蛇は女に言った。『園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか』(創世記3:1)
この蛇がサタンです。
「サタン」はヘブライ語で「ナハーシュ」ですが、これは元々「光り輝く者」という意味がある言葉です。
ですから、サタンは実に美しい姿をしており、人が簡単に騙されてしまうようなカリスマ性を併せ持っているのです。
高慢
ディオ・ブランドーは「石仮面」という吸血鬼のような生物になれるアイテムを手に入れます。そして、彼は言います。
「俺は人間をやめるぞ! ジョジョ! 俺は人間を超越する!」
実は、サタンは聖書の中で似たような言葉を語っています。
お前は心に思った。『わたしは天に上り、王座を神の星よりも高く据え……雲の頂に登っていと高き者のようになろう』と(イザヤ書14:13、14)
これはサタンに関する描写です。
サタンはかつて天使の一人で、ルシファーという名でした。
ルシファーが犯した罪は、ここに書かれているとおり、「いと高き方」、つまり神のようになろうとしたことです。
天使は天使であり、神ではありません。その天使が思い上がり、神の地位を奪おうとしたのです。
そのためサタンは天から地に落とされました。
ああ、お前は天から落ちた。明けの明星、曙の子(ヘブライ語では「ルシファー」)よ(イザヤ書14:12)
自分の分を超え、天使が神になろうとした罪の罰として、ルシファーは天国にいることができず、サタンとなりました。
人間を超越し、まさに神のような存在になろうとしたディオの姿は、サタンの罪と重なります。
第三部になって、時を止めてその中を動くという能力を身に着けたディオはこう言い放ちます。
「知るがいい。『世界ザ・ワールド』の真の能力は…まさに!『世界を支配する』能力だということを!」
聖書におけるサタンの呼び名の一つに、「この世の神」というものがあります。
本来、世界は神のものですが、サタンは神の権威を軽んじ、自分が世界の神になろうとしたのです。
また、第二部に登場する「柱の男」カーズもまた、あらゆる生物の頂点、つまり神になろうとしました。
彼の唯一の弱点は太陽の光でしたが、「エイジャの赤石」がはめ込まれた石仮面を装着することによって太陽をも克服します。
聖書では神は太陽のような存在として描かれています。
主は太陽(詩編84:12)
つまり、太陽を克服したカーズもまた、神になろうとしたサタンの高慢な姿と重なるのです。
残虐性
第四部に登場する悪役、吉良吉影はいわゆるシリアル・キラー(快楽殺人鬼)です。
シリーズごとに登場する悪役達もみな、簡単に人の命を奪う残虐性を持っており、これもまたサタンの性質です。
あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています(ペトロの手紙Ⅰ5:8)
特に第一部と第二部に登場する石仮面によって生まれたヴァンパイアと柱の男達にとって、人は食糧でしかありません。
「お前は今までに食ったパンの数を覚えているのか?」
と言い切るディオの有名な一言は、人の命を食い尽くそうとするサタンの性質と一致します。
サタンの最期とジョジョの悪役の最期
聖書にはサタンがどのように滅ぼされるかが書かれています。
その描写を見ていきますと、ジョジョの悪役達が倒されていく様子と一致するのです。
「柱の男」カーズ(第二部)と、「ボス」ディアボロの(第五部)の永遠の罰
カーズは火山の爆発によって地球圏外に放り出され、永遠に宇宙をさまよい続けるという哀れな最期を迎えます。
ディアボロもまた、ジョルノ・ジョバーナのスタンド、「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム」の能力により、永遠に死を経験し続けなければならなくなります。
この二人に共通するのは永遠の罰とも言うべきものですが、実はサタンにも永遠の罰が用意されていることがわかります。
そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。……この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる(ヨハネの黙示録20:10)
神に敵対したサタンは、火の池で永遠に苦しみ続けるという罰を受けなければなりません。
これは単純な死刑よりももっと恐ろしい罰と言えます。
死者の中に飲み込まれる吉良吉影(第四部)
吉良吉影は死者の魂が通る「振り向いてはいけない小道」で振り向き、死者達の手によって暗闇に引きずり込まれていきます。
これと似たような聖書の描写があります。
地下では、陰府が騒ぎを起こす。お前が来るのを迎えて。そして、亡霊たちを呼び覚ます……彼らはこぞってお前を迎え、そして言う。『お前も我々のように無力にされた。お前も我々と同じようになった』(イザヤ書14:9、10)
ルシファーが神に逆らって堕落した時、それを歓迎する死者達の様子を描いている言葉です。
これはルシファーに対する神の裁きでした。
吉良吉影の最期を見届けた杉本鈴美はこう告げます。
「裁かれるがいいわ、吉良吉影」
ルシファーの姿を暗示するプッチ神父(第六部)
サタンと悪役達の関係について見てきましたが、第六部に登場するブッチ神父は、実は最もサタンらしいキャラクターです。
彼は上記に引用した聖書の言葉を体現するような能力と思考を持っています。
「神父」という姿
「神父」という立場はまるでサタンと戦う存在のように思えます。
しかし、聖書は面白い事を語っています。
サタンでさえ光の天使を装うのです(コリントの手紙Ⅱ11:14)
サタンの名前が、「光り輝く者」であったことを思い出してください。
他にもサタンは聖書の中で「偽りの父」と呼ばれています。
邪悪な存在であるサタンは、美しい者、正しい者であるかのように振舞います。
教誨師として刑務所にやってくるプッチ神父もまた、罪を犯した人間を回心させる正しい人間という仮面を被っていたのです。
スタンド、「メイド・イン・ヘブン」
サタンは天使ルシファーとして天国で暮らしていました。
ある伝説によると、ルシファーは天使の中でも最上位の存在であり、神の側で音楽を奏でる最高に美しい存在であったとされています。
プッチ神父のスタンド名は「メイド・イン・ヘブン」(天国で造られた)であり、彼が成し遂げたい目的は「天国に行く方法を知りたい」でした。
プッチ神父はまさにサタンを暗喩するキャラクターと言えます。
天国で生まれ、神に反逆して地に落とされたにもかかわらず、再び天国に上っていき、神の地位を脅かすことがサタンの目的だからです。
まとめ
聖書には次のように書かれています。
悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです(ヨハネの手紙Ⅰ3:8)
神の子とはイエス・キリストの事です。
聖書によれば、イエス・キリストは人を罪へと誘うサタンの働きを滅ぼし、最終的にはサタンを火の池に投げ込んで裁くお方です。
人もまた、神に逆らっていますから、サタンと同じように裁かれるべき存在です。
しかし、その人を救うために、イエス・キリストが十字架にかかって死に、復活したと聖書は語ります。
ジョジョの悪役ほどではなくても、人はみんな高慢で残虐な心を持っています。
本来なら裁かれるべき存在である人を愛してくださる、というのが、聖書の中心的メッセージなのです。
ジョジョに限らず、勧善懲悪(善が勝ち、悪が懲らしめられる)のストーリーは、どこか人の心に安心を与えます。
それはこの世界にある悪から逃れたい、救われたいと願う、人が持つ本能的な願いの現れなのかもしれません。
※この考察は「ジョジョの奇妙な冒険」作者の意見ではなく、あくまでもこの記事の作者の解釈であることをご了承ください。
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