【新約聖書のストーリー】イエスを通じて結ばれた神との新たな契約

新約聖書とは何か

新約聖書というのは、ユダヤ教の一派で、ナザレの人イエスが救世主であることを信じる人々によって編纂された書物です。

その内容の核心は、人類はイエスを通じて神と新たなる契約を結んだ、とするものでした。

神との契約はすでにモーセや他の預言者と呼ばれる人たちによって結ばれており、その具体的内容は旧約聖書に記されています。

ユダヤ教の「イエス派」は、イエスによって神と結ばれた契約を、それまでのどの契約よりも重要なものであるとし、ユダヤ教からの独立性を高め、ついには「キリスト教」として単独の宗教となったのです。

『Jesus Christ(イエス・キリスト)』
『Jesus Christ(イエス・キリスト)』(Jean Lenfant、原典

キリスト教と同じ神を信じる宗教には、ユダヤ教とイスラームがあります。

新約聖書は、ユダヤ教徒からは「あんなもん聖書じゃない」と言われています。

しかし、イスラームはイエスを預言者のひとりとして認めているので、新約聖書はコーランより格下ではあるけれど聖なる書物として重んじられています。

新約聖書は旧約聖書同様、成立時期の異なる複数の文書をひとつにまとめたものです。

その内訳はイエスの生涯、というか宗教活動について綴った福音書、パウロを代表する初期の宗教指導者が記した書簡、さらにヨハネが記した最後の審判の模様を描いた黙示録となっています。

福音書は複数存在し、それぞれ筆者とされる人物の名を関して、「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「マタイによる福音書」「ヨハネによる福音書」と呼ばれています。

日本語では、「マルコ伝」「マタイ伝」などのように呼ぶこともあります。

現在正典とされている福音書は、先に挙げた4篇ですが、それ以外にも「外典」と呼ばれ、正式なキリスト教の文書と認められていないものがあります。

「トマスによる福音書」「ユダによる福音書」「マリアによる福音書」などがそうです。

これらはキリスト教の教義が完成する過程で異端の書として排斥されたのですが、1945年にエジプトのナグ・ハマディという土地で再発見されました。

まとめて「ナグ・ハマディ写本」というのですが、いかにもその手の人が喜びそうな中二感漂うネーミングとなっています。

また、「ユダ」はイエスを裏切ったイスカリオテのユダであり、「マリア」はイエスの恋人とも妻ともいわれるマグダラのマリアのことです。

人間としてのイエスに対する愛憎が最も強い二人によって書かれた福音書であるため、聖書研究者だけでなくオカルトマニアやサブカルコンテンツの作者から熱い視線を注がれています。

イエスとその親族たち

『The Birth of the Virgin(処女懐胎)』Francesco Solimena(フランチェスコ・ソリメーナ画)
『The Birth of the Virgin(処女懐胎)』(Francesco Solimena(フランチェスコ・ソリメーナ画)、原典

正統的なキリスト教においては、イエスは神の独り子であり、処女マリアから生まれた、とされています。

マリアには夫ヨセフがいましたが、イエスが神の子であるならイエスから見てヨセフは他人であり、父なる神と母マリア以外には親族は存在しないことになります。

しかし、マタイ伝ではイエスの生涯について語る前にその「父母」の系譜としてマリアだけでなくヨセフの祖先についても記述しているのです。

この系譜によれば、ヨセフの祖先もマリアの祖先も、イスラエルの王であったダビデに行き着きます。

当時ユダヤ教の教えでは、救世主はダビデの家系から生まれる、とされていたので、ユダヤ教の分派であった初期のキリスト教会では、イエスをダビデの子孫として権威付ける必要があったのです。

マタイ伝とマルコ伝は、イエスには多くの兄弟姉妹がいた、と伝えています。

男の兄弟がヤコブ、ヨセフ、シメオン、ユダで、それ以外に妹がふたりいたというのです。

ごく普通に考えれば、イエスを含む七人はすべてヨセフとマリアの子ということになります。

しかしキリスト教において、イエスが神の子であるということは絶対に譲れないことですから、ヤコブ以下の六人は人間であるヨセフとマリアの子で、義人ではあるが神性はないとするのが基本です。

しかし、聖母マリアを特別扱いしようとする宗派(東方正教会とカトリック)においては、マリアはイエス出産後も夫ヨセフと性交渉を持たなかったことにされており、ヤコブたちは実の兄弟ではなく従兄弟であったということになっています。

イエスの時代のヘブライ語では、「兄弟」という単語には「従兄弟」という意味もあったからだそうです。

マリアが処女のままイエスを産んだ、という記述はマタイ伝とルカ伝にのみあり、マルコ伝やヨハネ伝にはありません。

各種福音書が執筆された年代はかなり詳細に研究されており、現在正典とされる四福音書は、マルコ・マタイ・ルカ・ヨハネの順番に書かれたことがほぼわかっています。

これ以外に現在では散逸してしまった「Q資料」と仮に呼ばれるイエスの言行録があり、マタイ・ルカの両福音書は、マルコ伝とQ資料とを参照しながら書かれたのではないか、と言われます。

マルコ伝はイエスの宗教活動に焦点を絞って記述されており、その出生や幼少年期についての記述がありません。

そういう意味では、もっとも「史実的イエス」を忠実に表現した文書であるといえます。

マリアの処女懐胎は、実在の宗教指導者であるイエスが、キリスト教の信仰対象へと変化、つまり神格化されていく過程で書き加えられたものであることがわかります。

『The Birth of the Virgin(処女懐胎)』Carlo Maratti (カルロ・マラッタ画)
『The Birth of the Virgin(処女懐胎)』(Carlo Maratti (カルロ・マラッタ画)、原典

なお、ヘブライ語では「処女」という語は単に「年若い女性」も意味する語であったといわれています。

日本語で言うと「乙女」と同じですね。

「乙女」は元は「弟女」です。

「おと」は男女を問わず年少であることを表す接頭辞でした。

古事記・日本書紀には「エヒメ・オトヒメ」という名で呼ばれる姉妹が頻繁に登場してきます。

この解釈によれば、単純に「ヨセフの嫁さんは若かった」、というのがオリジナルの記述であったのではないかということになります。

30代でイエスが刑死した時母マリアはまだ存命であり、その後マグダラのマリアなどとともに信者集団の指導的役割を果たしたようです。

平均寿命の短かった時代ですから、最初の出産後30年以上生きていたというのは、当時としては長命であったか、初産時の年齢が若かったか、あるいはその両方であったかのいずれかでしょう。

イエス以後にも多数の子を産んだということは、史実としてはほぼ明らかなので、イエスを産んだ時は、単に若い女性という意味での「乙女」であった可能性は高くなります。

母が若くしてイエスを産んだ、ということは、「処女懐胎」というエピソードのひとつのキーにはなります。

しかしそれだけでは神話として成立させるには弱いと言わざるを得ないでしょう。

イエスが生活した地域、あるいはキリスト教が独立した宗教として組み立てられていった地域に、類似した古い伝承があり、それが「若い嫁マリア」の話とくっついて処女懐胎神話ができあがった、と考える方が自然です。

ところが「処女で子を産んだ女神」の話は、中近東の神話にはあまり残っていないのです。

それもそのはずで、メソポタミアでもウガリットでもそもそも「処女」なるものの神聖性はこれっぽっちも重んじられていなかったのです。

これらの地域では「女性は成熟したら男性と性行為を行うのが当たり前」と考えられており、彼らが理想の女性と考えていた女神イナンナ・イシュタル・アスタルトは複数の男性をとっかえひっかえ休み無しに交わっていました。

ギリシアには経歴不詳の処女神としてアルテミスがいました。

ですがこの神は豊穣神であるとともに疫病の神であり、「病で子供を殺す=不妊」のイメージから処女であるとされたものだろうと考えられます。

つまりいい年をしてるのに男性と交わらない女性に対しては、どの地域でもマイナスのイメージしか持っていなかったのです。

否定的なイメージを持たない「処女神」はわずかに一例だけエジプトに存在しました。

オシリスの妻でホルスを産んだイシスがそうです。

豊穣神オシリスは悪神セトの陰謀で殺され、遺体をバラバラにされてナイルに流されます。

イシスはオシリスの体のパーツを拾い集め、アヌビスの助力を得てそれらを亜麻布に包んで復活させます。

これがいわゆるエジプトのミイラの発祥神話ですが、この時イシスが集めたオシリスのパーツは完全ではなく、唯一男根だけが失われていたというのです。

オシリスのミイラ製作と同時に、イシスはセトに対してオシリスの仇を討つものとしてホルスを産むのですが、夫オシリスには肝心要のモノがないので、オシリスの精によらずイシス単体で産んだとされています。

イシスはオシリスの全パーツが揃っていた時からオシリスの妻だったので、現代人の感覚からすればホルスを産んだ時処女であったかどうかは極めて疑わしくなるのですが、神々の世界においては性交渉を持ったらかなりの確率で子が生まれるということになっている(つまり娯楽としての性行為は基本的に行われない)ので、「処女であった」と言い張ることも可能です。

いずれにしろ「処女懐胎」の神話の先行例がイシスとホルスの一件ぐらいしかないということ、そのホルスは「殺される豊穣神」オシリスの息子であったということは注目してよいと思われます。

なぜかというと、神話的存在のイエスもまた「殺される豊穣神」としての性格を強く持つようになるからです。

イエスの本名と誕生日

キリスト教の創始者とされる人物は、「イエス・キリスト」「ナザレのイエス」など、「イエス」を軸にしてさまざまな呼称で呼ばれます。

「キリスト」は「救い主」の意味です。

キリスト教は、イエスという名前の人物をキリストである、と信じる教えなので、「イエス・キリスト」と呼んだ瞬間、その人はイエスを救い主であると認めたことになります。

「ナザレのイエス」は、イエスと呼ばれたほぼ実在に疑いのない人物を、その出身地とペアにして呼んだものです。

当時のヘブライ人にはいわゆる「姓」はなく、名前のバリエーションもあまり多くなかったので同名の人物が極めて多く、出身地名などをつけて区別することが一般的に行われていたのです。

ただここでちょっと問題が生じます。

イエスはベツレヘム生まれなのですが、なぜか「ナザレのイエス」と呼ばれているのです。

聖書に収められた伝説的な説話においては、戸籍調査があったためにイエスの父ヨセフは出身地であるベツレヘムへ身重の妻マリアとともに行き、そこでイエスが生まれた、とされています。

ベツレヘムはダビデ王との関連の深い町で、イエスの系譜をダビデに連なるものとするためには、イエスやその父ヨセフの本籍地をベツレヘムにした方が好都合だったのです。

というわけでイエスはベツレヘムで生まれたけれど、生後すぐにナザレに戻り、そこで成長し、「ナザレのイエス」と呼ばれるようになったようです。

なお、先にヘブライ人の名前のバリエーションはあまり多くない、と書きましたが、それでも「イエス」という名は他に例を見ることがあまりできず、キリストとされたイエスだけの特別な呼称であるようにも思えます(新約聖書をよく読むと他にも「イエス」はいないことはないのですが)。

実はここにもちょっとしたトリックがあります。

新約聖書はギリシア語で書かれているのですが、ここに書かれている「イエス」は、ヘブライ人の一般的な名前「ヨシュア」のギリシア訛りの発音を元にしているのです。

訛っているので、ナザレ出身のひょっとしたらロン毛の人に「イエスさん」と呼びかけても返事はしないでしょう。

振り向かせるためには「ヨシュアさん」と呼ばなければならないのです。

というわけで、本来は「ヨシュア」であったものが、ギリシア語で筆記される際に「イエス」となり、その後キリストとされる人を同名人の少ない呼称で呼ぶのが都合がよいとされたため、「イエス」の名のまま固定された、という次第です。

「史実に忠実」な立場からすれば「ヨシュア」と呼ぶのが正しいのでしょうが、いろいろと紛らわしいので、ここでは「イエス」で通します。

イエスが生まれたのは、一般には12月25日の夜が明ける前とされています。

いわゆる「クリスマス」ですね。

しかしこれは元々はゲルマンの冬至祭りであり、イエスの誕生日とは無関係であることがほぼわかっています。

ルカ伝においては、イエスの誕生を告げられた羊飼いたちがお祝いに来た、と書かれていますが、冬真っ盛りの12月に羊飼いが外をうろつくことはほぼありえません。

『The Adoration of the Shepherds(羊飼いの礼拝)』Andrea Mantegna(アンドレア・マンテーニャ画)
『The Adoration of the Shepherds(羊飼いの礼拝)』(Andrea Mantegna(アンドレア・マンテーニャ画)、原典

第一、どの福音書にもイエスの誕生日は12月25日だとは書かれていないのです。

福音書にはイエスの誕生日は明記されていませんが、イエスが誕生した時に明るい星が輝いた、としています。

この記述とイエス生誕の頃の天体現象を照らし合わせ、「本当の誕生日はこの日だ」とする説がいくつか出ています。

ただ、「明るい星が出た」というのがそもそも客観的な記述なのか、救世主生誕を印象づけるための脚色なのか不明なので、天体現象と結びつけてイエスの誕生日を特定しようというのは、あまり建設的な行為であるとは思われません。

イエスの生誕関連で、もうひとつエピソードを紹介しましょう。

マタイ伝には、イエスが生まれると東方から博士がやってきて、イエスに捧げ物をした、と書かれています。

日本の聖書においては「博士」となっていますが、元はギリシア語「マゴイ」です。

「マゴイ」は複数形で、単数形は「マギ」となります。

『The Adoration of the Magi(マギの礼拝)』Giovanni di Paolo di Grazia(ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア画)
『The Adoration of the Magi(マギの礼拝)』(Giovanni di Paolo di Grazia(ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア画)、原典

これは「メイジ」や「マジック」などの語の元となっています。

「博士」よりは「魔術師」「占星術師」としての意味の方が強い単語なのです。

この「博士」たちが何人だったのか、その名はなんといったのかは福音書には書かれていません。

アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」では、「MAGI」というコンピュータシステムが登場し、その3つに分けられたパートが「メルキオール」「バルタザール」「カスパー」とそれぞれ名付けられています。

「MAGI」は東方の博士たちのことであり、メルキオール以下がその名前だ、ということなのですが、厳密に言えばこれは間違いです。

本当は、これらは「マギ」たちがイエスに献じた贈り物の名前なのです。

「メルキオール」は「黄金」、「バルタザール」は「乳香(香水などの原料になる乳白色の樹脂)」、「カスパー」は「没薬(香や鎮痛剤として用いられる樹脂)」を意味します。

贈り物をそれぞれ一人の「博士」が献じた方が絵になりやすいので、いつしか「博士」は三人で、「贈り物」の名前がそのまま「博士」の名前にスライドした、というのが実際のところです。

イエス時代のヘブライ人国家

古代ヘブライ人は紀元前11世紀にサウル王によって統一されます。

サウルの王国はイスラエル王国と呼ばれ、ダビデ・ソロモンの治世に最盛期を迎えます。

しかし紀元前10世紀にソロモンが亡くなると南北に分裂し、北のイスラエル王国は紀元前8世紀にアッシリアに滅ぼされます。

ヘブライ人12部族のうち、10部族がイスラエル王国を形成していたのですが、アッシリアに滅ぼされた時に彼らは散らされてしまいます。

後に彼らは「失われた10部族」と呼ばれ、さまざまな文学やサブカルコンテンツ、さらにはオカルトにネタを提供しています。

12部族のうち失われなかった2部族によるユダ王国は、紀元前6世紀のはじめまで存続しましたが、最終的には新バビロニアに滅ぼされ、王や貴族たちはバビロニアの首都バビロンに捕虜として連れ去られます。

これが「バビロン捕囚」と呼ばれる事件です。

紀元前6世紀後半になると、アケメネス朝ペルシャのキュロス2世が新バビロニアを征服し、ヘブライ人を解放します。

ヘブライ人はその後アケメネス朝からアレクサンドロス大王のマケドニアの支配を経て、アレクサンドロス死後はその部将であったセレウコスの建設したシリア王国の一部となりました。

紀元前2世紀になるとハスモン家のマタティアという人物が独立運動を開始します。

運動はマタティアからその息子ユダ・ヨナタン・シモンと受け継がれ、ローマの庇護を受けつつシリア王国から事実上独立します。

ハスモン家はイェルサレム神殿の大祭司という肩書でヘブライ人をまとめようとしましたが、本来大祭司の家柄ではないハスモン家に対する反感は根強く、ハスモン朝では内紛が絶えませんでした。

最終的にパルティアに接近したハスモン朝に対し、ローマの支援を取り付けた部将ヘロデが反乱を起こし、ヘロデ朝を建てます。

この王国は名目的にはローマの同盟国でしたが、実質的には属国でした。

このヘロデの治世の末年に、イエスが生まれることになります。

なお、ヘロデの死後、王位は同じくヘロデの名を持つ息子たちによって受け継がれます。

区別するために初代のヘロデをヘロデ大王、その息子の一人でこの後に述べる洗礼者ヨハネを処刑したのをヘロデ・アンティパスと呼びます。

かなり複雑ですが、簡潔にまとめると、イエスの時代のヘブライ人の国家はローマの属国状態で、しかも国土を持たず他の強国に王族などが連れ去られていた時期が長かったので、政治指導者が宗教指導者とほぼ被るという状態になっていた、ということです。

バプテスマのヨハネ

『Saint John the Baptist(洗礼者ヨハネ)』Juan Martinez Montanes(フアン・マルティネス・モンタニェス作)
『Saint John the Baptist(洗礼者ヨハネ)』(Juan Martínez Montañés(フアン・マルティネス・モンタニェス作)、原典

マルコ伝は短い序文に相当する文句の後、バプテスマのヨハネと呼ばれる人物について語り、彼がイエスの洗礼者となった、と続けます。

先に述べたように、福音書は基本的にイエスの宗教活動を通し、彼が神の子であり救世主であったことを証明するために書かれた書物です。

ですから、イエスの宗教活動のきっかけを作ったヨハネから話を始めるのは理にかなっています。

なお「バプテスマ」は「洗礼」という意味で、日本語では彼のことを「洗礼者ヨハネ」ともいいます。

福音書はヨハネの姿やその宗教者としての活動を、かなり具体的に語っています。

その内容は他の地域の神話に類例を見出すことができないので、伝説的要素はあまりなく、史実のヨハネの姿や活動を比較的忠実に伝えているものと考えられます。

マルコ伝1章3節、マタイ伝3章3節、ルカ伝3章4節には「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」という象徴的な文句があります。

この短い文句に、ヨハネの宗教者としての姿勢が端的に語られているのです。

彼の活動の舞台は「荒野」でした。

神殿でもなければ都市でもありません。

洗礼を受け、荒野に逃れて独自の宗教的コミュニティを作って生活することが、その目的であったと考えられます。

マルコ伝1章6節、マタイ伝3章4節、では、ヨハネの姿を「らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた」と描写しています。

ますますもって世捨て人の姿であり、シャバでカタギの人たちとともに生活していこうという人間の姿ではありません。

当時ユダヤ教の主流派は、ファリサイ派と呼ばれる一派でした。

彼らは律法を何よりも重んじ、それを守らない人を厳しく差別しました。

この律法の中には、経済的に裕福でなければ守れないようなものもあったので、律法の遵守を求めることは、貧困者や障害者を差別することにもつながっていたのです。

ヨハネの思想は、こうした流れと対立するものでした。

また、マタイ伝・ルカ伝でヨハネは、世界の終末がすぐにやってくる、ということを民衆に説いてます。

これも為政者にとっては、世に騒乱をもたらす忌々しい思想だと取られたことでしょう。

イエスは洗礼を受けた後しばらくヨハネのもとにいたようですが、ヨハネは先に述べたヘロデ・アンティパスに逮捕されてしまいます。

するとイエスはヨハネの教団を離れ、ガリラヤへ行き布教活動を開始します。

つまり、シャバに戻ったのです。

ヨハネが逮捕されたのは、ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したためでした。

ヘロデは兄弟の妻であったヘロデアを奪って自分の妻にしたのです。

ヨハネはこれを非難しました。

領主であるヘロデはどう考えても「律法を守りたくても守れない人」ではなく、「守れるのに守らない人」だったため、ヨハネの怒りが炸裂しました。

ヘロデはヨハネを逮捕しましたが、すぐに彼を処刑することはできませんでした。

領主としてのヘロデの権力はさほど強くなく、ヨハネを支持する民衆の反対を押し切って処刑を断交することが難しかったためです。

しかし、チャンスはやって来ました。

ヘロデの誕生日の祝宴で、ヘロデアの娘が見事な舞を踊り、ヘロデがその褒美に何を望むかと問うと、「ヨハネの首を」と答えたのです。

誕生日の祝宴にはヘロデが支配するガリラヤ地方の有力者が集まっており、彼らすべての前で交わした約束は、それなりの重みを持ちました。

ヘロデははじめこの要求を断ろうとしましたが、少女がぜひにと言うのでやむを得ず、獄吏を遣わしてヨハネの首を斬り、盆に載せて少女の前に差し出したのだといいます。

この話、ざっと読むだけでも「ヘロデの仕込み疑惑」に満ち溢れていると言えるでしょう。

まず年端もいかない少女がなんで世捨て人に近い宗教団体の指導者の首などを欲しがるのでしょう。

十中八九、ヘロデに「こう申せ」と言われたからではないかと思われます。

居並ぶVIPの面前でした約束は、たとえ相手が小娘とのものであっても守るのだ、という姿を見せれば、ヘロデは領主としての得点を稼ぐことができます。

何より「自分は殺したくなかったんだけどー」という言い訳が作れるではありませんか。

福音書では、ヘロデアの娘の名前を伝えていません。

しかし、他の文献史料から、その名が「サロメ」であっただろうということがわかっています。

『Salome (サロメ)』Henri Regnault(アンリ・ルニョー画)
『Salome (サロメ)』(Henri Regnault(アンリ・ルニョー画)、原典

この話は多くの芸術家によって、作品のモチーフとして採用されました。

特に有名なのは、19世紀末にオスカー・ワイルドによって書かれた戯曲「サロメ」でしょう。

この戯曲においてはサロメはヨカナーン(ヨハネ)に恋をし、ヨカナーンに迫ったものの拒絶され、可愛さ余って憎さ百倍状態になり、踊りの褒美にヨカナーンの首をねだるようになった、というものです。

ヘロデの前で踊るダンスが、身にまとった7つのヴェールを一枚ずつ脱いでいくといういわゆるストリップであったということ、また最後にサロメが、盆に載せられた血のしたたるヨカナーンの首に接吻するということが、ただでさえ刺激的なこのエピソードをさらにエキセントリックなものにしています。

『Salome with the Head of John the Baptist(サロメと洗礼者ヨハネの頭部)』Gustave Moreau(ギュスターヴ・モロー画)
『Salome with the Head of John the Baptist(サロメと洗礼者ヨハネの頭部)』(Gustave Moreau(ギュスターヴ・モロー画)、原典

7枚の服を徐々に脱がされる、という話は、メソポタミア神話の「イシュタル(イナンナ)の冥界下り」にもありますが、サロメの「7つのヴェールの踊り」はワイルドの創作でそれ以前の書物には出てきません。

ワイルドがメソポタミア神話を知っていてそれをベースにしたのか、あるいはイシュタルの話とはまったく関係なしに思いついたのかは不明です。

奇跡の人イエス

話をイエスに戻します。

福音書はイエスがヨハネとたもとを分かった原因について詳しく述べていません。

せいぜい、「ヨハネは自分がイエスの前座露払いであることを自覚していたので、イエスに洗礼を授けた後は宗教指導者としての地位をイエスに譲った」という雰囲気のことを書いているだけです。

しかし、ヨハネの教団が人里を離れる「隠者の教団」であるのに対し、イエスの教団は街に入って活動する「生活者の教団」でした。

基本的立場が異なる両者が、いつまでも同じ教団の中にいられるとは思えません。

イエスは最初ヨハネの教団に入信したが、師のやり方に不満を持ち、幾人かの弟弟子を引き連れて独立したのではないか、と考える方が自然です。

福音書は旧約聖書に登場する預言者たちが残した予言が、イエスの生涯において次々と成就する様を描き、「だからイエスは救世主なのだ」ということを証明しようとしています。

他にも、イエスが数多くの奇跡を起こしたことを述べており、これもまたイエスが救世主であることの証であると語ります。

イエスの奇跡は、食物を増やす、水を葡萄酒に変えるなどといった種類のものと、病気や怪我を治すといったものに大別できます。

イエスの生涯最大の奇跡である「復活」も、後者に含めることができるでしょう。

奇跡の数としては、後者が前者を圧倒しています。

これらのエピソードは、類似のものを他の神話等に見出すことができないので、実際にあったことをベースにして作られた話だと考えられます。

ユダヤ教から分派したばかり(イエス自身は自分が新しい宗教の祖になるとは思っていなかった可能性大です)の新興宗教にとって、信者獲得のためになんらかの手段を使って人集めをする必要がありました。

イエスの教団の場合、その手段として「治療」が行われたのではないかと思われるのです。

イエスが行ったとされる治癒系の奇跡をよく見ると、「悪霊に憑かれたものを癒やす」というものがかなりの数を占めるのがわかります。

これは現代的な言い方で言うと、「カウンセリングによる心理療法」ではなかったかと考えられるのです。

「盲人の目を治す」というのも目立ちます。

これは完全失明状態から目が見えるようにしたというのではなく、低下した視力を一時的にしろ復活させたのではないでしょうか。

心因性のものであるならイエス得意の(?)カウンセリングで回復する可能性がありますし、衛生状態や栄養状態を改善すれば霞んでいた目が以前よりははっきり見えるようになるでしょう。

『Christ Healing the Blind(盲目を治すキリスト)』
『Christ Healing the Blind(盲目を治すキリスト)』El Greco(エル・グレコ)、原典

このように読み替えれば、奇跡は文字通りの奇跡ではなく、合理性のある治療行為であると解釈することができるのです。

幾例かの治療例の中から、特にうまくいったものを「奇跡」として吹聴すれば、同じような症状に悩む人たちがイエスの教団の周りに集まるようになります。

あとは治癒確率を一定以上に維持すれば、教団の人気はさらに高まっていくことになるのです。

主に心理的な原因を取り除き、病気を治すというのは、現代の新興宗教でもよくやっていることです。

ですが、イエスの教団には、現代のありふれた新興宗教の治療行為とは違った性質の行為も含まれているのです。

それは、当時差別されていたハンセン病患者などにも救いの手を差し伸べたということと、ユダヤ教の律法を気にせず安息日にも治療行為を行った、ということです。

このどちらもが、当時の支配階級に対する痛烈な批判となっていました。

ルカ伝17章11節から16節にかけて、イエスがハンセン病患者に対して起こした奇跡の内容が書かれています。

しかしよく読むと、彼らはイエスによって「清められた」のであって、病を完全に治してもらったとは書いてありません。

嫌な顔をせず皮膚病の患者の体を清潔にしてやったのだ、と読み取ることもできます。

もしもその通りだったとすると、これは果たして奇跡と呼べるのでしょうか。

病人を差別しなかったイエスの心そのものが奇跡の産物なのだ、と言えばその通りだと答えるしかないのですが。

そんなわけで、各種の「奇跡」のエピソードを通して見えてくるのは、神話的な存在としてのイエスではなく、真摯に弱者の救済に取り組む人間としてのイエスの姿です。

なお、他の神話における治療系の「奇跡」は、死者の復活とか普通の人間の死すべき部分を焼き捨てて不死にするとか、具体的な治療行為というよりは宗教的な儀式を元にしたのではないかと思われる行為が大部分を占めています。

豊穣神イエス

「奇跡の人イエス」というのは、よく読めば正統派の医療行為が大部分であったように読み取れます。

その性格はあまり神話的ではありません。

しかし、イエスの生涯最大の奇跡である「復活」は非常に神話的な性格を持っています。

この一件で、イエスは他の神話系にもよく見られる「豊穣神」になったとみなせるのです。

「死んで復活する神」は世界中の神話によく見られます。

これらはほぼ例外なしに豊穣神であり、農耕用の植物が秋に収穫されて「死に」、春に播種・発芽という形で「復活」するというサイクルを神話化したものです。

エジプトのオシリスがこのタイプの豊穣神の典型です。

また、ギリシアの場合元々一人だった豊穣神がデーメーテールとペルセフォネーという母娘に分裂し、サイクルを成立させています。

イエスが活動したパレスティナ地方に大きな影響を与えたメソポタミア系の神話にも、同様の話が残されています。

イナンナやイシュタルが冥界に行き、身代わりを置くことによって地上に帰還する、というのは、この手の神話のルーツであったと考えられます。

パレスティナ地方に最も近い、地中海沿岸の都市ウガリットの神話に登場するバアルも、このタイプの豊穣神です。

ウガリット神話におけるイルは天空の神で、「神々の王」とされていました。

しかし、ウガリットの人々の信仰心は、観念的であまり具体的な神話を持たない(「天空」は高いところにただ存在しているだけなので)イルを離れ、バアルに集まります。

バアルは豊穣神なので、豊作を維持するために原始的な水を独占する神や、津波で農地を全滅させようとする海の神などと戦います。

この結果、人々が聞いてワクワクするようなエピソードを数多く持つようになり、イルからどんどん信者を奪っていったのです。

最終的にはバアルが新しい世代の神々の王になり、イルは「バアルに王座を追われた気難しい老人の神」とされるようになったのです。

このイルが、ウガリットの街とも交渉があったヘブライ人に受容され、ヘブライ人の唯一絶対神「ヤハウェ」になります。

ヘブライ人はウガリットの他の神々も一旦は取り込みましたが、ヤハウェの信仰が確立される過程で、そのすべてを悪魔として貶めたのです。

旧約聖書でも、ソロモン王の頃までバアルは複数回登場します。

最初の頃は「異教の神」だったのが徐々に「異端の神」になり、最終的には「悪魔バエル」と呼ばれるようになりました。

バアルが悪魔になると、元イルであったヤハウェとの父子関係もなかったことにされます。

しかし、形の上では一旦悪魔ということで否定されたバアル神の信仰が、イエスとその弟子によって復活したようにも見えるのです。

バアルは単に古代ヘブライ人に、「イル(ヤハウェ)の権威を脅かすもの」として一方的に排斥された存在であり、その教義が悪そのものであったり、信者が悪事を働いていたりしていたわけではありません。

だからイエスの原イメージがバアルだったからと言って、イエスが悪人であったとか、キリスト教団が悪の秘密結社であったとかいうことにもなりません。

善悪関係なしに、一度捨てられた神話的要素が、後になって復活した、というだけのことです。

福音書において、イエスの豊穣神神話の性格が色濃くなっていくのが、「最後の晩餐」からのくだりです。

ここでイエスはパンを自分の肉、葡萄酒を自分の血に例えます。

パンも葡萄酒も「農耕の成果物」です。

それらが血であり肉である、ということは、自分は農耕と深く関わっている豊穣神である、と告白するのとほぼ同じです。

そして「豊穣神であるからやがて死ぬが、その後復活する」となっていくのです。

豊穣神イエスとして復活した神話ですが、キリスト教の教義においてはほとんど意味を持ちません。

イエスが死ぬのは、表面的には人類の罪を担い、旧約聖書に記されている預言を成就し、神と人との間に新しい契約を結ばせるためです。

かなり思想的に高度なものになっていて、「春になったらまた芽を出してくるんだよ」というある意味牧歌的なストーリーの粋を飛び越えてます。

教義的な意味は希薄ですが、多民族への浸透という意味では、豊穣神イエスは大きな意味を持っていたのではないかと考えられます。

天空神イルがヘブライ人の絶対神ヤハウェとなったのは、古代ヘブライ人が本来遊牧民であり、生活習慣や思想が農耕民とはかなり異なっていたからです。

定住していない民を束ねるためには、神は観念的でありかつ絶対的な存在であることが必要でした。

ところがこういう神は、農耕民にとっては非常に理解しにくいものなのです。

唯一絶対神よりも豊穣神の方が、農耕民にとっては受け入れやすくなります。

同じ神を信仰しているはずなのに、ユダヤ教が世界宗教になれずキリスト教がそうなったのは、農耕民に受け入れられる要素がキリスト教の側にあったからではないでしょうか。

典型的な農耕民である日本人は、「いつまで経ってもキリスト教を理解できない民」でもあります。

クリスマスやハロウィンのようにある程度日本の習慣として根付いたものもあるように見えますが、それらの大部分はキリスト教の信仰の中核からはちょっとずれた、農耕民の祭礼を起源に持つものです。

さらに言うと、日本人がイスラームに対してまったくと言っていいほど興味関心を持たないのは、その基礎としている生活習慣が農耕民のそれとはあまりにも違ってしまっており、わずかな接点すら存在していないからだと思われます。

謎の女マグダラのマリア

新約聖書には、聖母マリアの他に、もう一人「マリア」の名を持つ女性が登場します。

マグダラのマリアです。

彼女はまず、「7つの悪霊をイエスによって追い出してもらった」女性として登場します。

これを素直に見れば、幅広く治療活動を行っていたイエス教団の最初期の患者であったのではないか、ということになります。

ちょっと穿った見方をすれば、初期の成功例であったため、その後も「イエス治癒教団」の広告塔として活躍したのではないか、とも想像できます。

他の場面では、磔刑にかけられたイエスを遠くから見守った、とされています。

さらには、復活したイエスに最初に会った人物とも描写されています。

イエスの処刑は安息日の前日に行われました。

その日のうちに息絶えたイエスは洞窟の中にある墓に葬られたのです。

安息日が明けてマリアと他の女性たちが墓に向かうと、途中で大地震が起きます。

これにより墓の入り口を塞いでいた大きな石が外れてしまい、墓の中が見えるようになりました。

マルコ伝によれば、墓の中には真っ白な衣装を着た若者(神の御使)が立っていて「イエスはここにはいない。復活したのだ」とマリアたちに告げます。

その後イエスはマリアのところに出現し、さらに別の女性たちのところにも出現しましたが、「ちがった姿」であったため、男の弟子たちは彼女たちの言うことを信じなかったといいます。

このため、イエスは自分を裏切ったイスカリオテのユダ以外の11人の弟子たちが食事をしている所に現れたといいます。

マタイ伝では、マリアたちが神の御使にイエス復活を告げられ、他の弟子たちのところに報告に行く途中でイエスが出現します。

イエスはマリアたちを通して弟子たちにガリラヤのある山に行くように言い、その山において姿を現します。

ルカ伝では、イエス復活を告げる神の御使が二人に増えています。

イエスはマリアたちのところには出現せず、名前が明記されていない二人の弟子の前に出現し、その後11大弟子のもとに現れます。

弟子たちはイエスの復活を信じないので、イエスは魚を取って食べ、生きていることを証明したといいます。

ヨハネ伝でも、神の御使は二人です。

イエスはマリアのところに出現しますが、その前にイエスの墓が空であることを、ペテロとヨハネ伝にのみ登場する「イエスに愛された弟子」がチェックしています。

この人物は、ヨハネ伝およびヨハネの黙示録の作者であるイエスの弟子ヨハネ(バプテスマのヨハネとは同名の別人)ではないかといわれます。

その日の夕方、イエスは弟子たちのところに出現し、イエス本人であることを示すために、十字架刑で傷を受けた手と腋を見せます。

弟子たちはそれがイエスであるということを信じましたが、その場にいなかった弟子トマスだけは信じません。

そこでイエスは8日後、トマスもいる場に出現し、トマスにも復活を信じさせます。

その後も「テベリヤの海べ」に出現し、ペテロに魚を取らせて食事をし、ペテロを教会の指導者に任じたりしています。

マグダラのマリアの役割は、福音書によって微妙に異なりますが、イエスが復活したことを神の御使に告げられた、という点は一致しています。

ここでまた穿った見方をすれば、「イエスの復活」を最初に触れ回ったのは彼女ではないか、ということになります。

ペテロやトマス、「イエスに愛された弟子」などは、特定の福音書では重要な役割を果たしますが、すべての福音書にその話が収められているわけではありません。

つまり、それぞれの福音書作者の教団内の立場によって、後から挿入された話である可能性が濃厚です。

もうひとつ注目すべきなのは、多くの弟子が、復活したイエスを瞬時にイエスだと認識できなかった、ということです。

マリアでさえわからなかった、という記述もあります。

酷いケースでは、十字架で負った傷を見ないとわからなかった、となっています。

普通、人間はある人がその人かどうかを、顔を見て判断しますが、復活後のイエスは顔を見ただけではわからなかったようです。

そんな中でも、マグダラのマリアは比較的すぐにイエスをその人と認識しているようです。

こうした特別な反応ができるのは、マリアとイエスの関係が、他の弟子たちとイエスよりも深かったから、もっとはっきり言ってしまえば、マリアはイエスの妻だったからだ、と主張する人たちがいます。

19世紀の終わり頃に、「マリアによる福音書」という文書が発見されました。

この「マリア」はマグダラのマリアのことを指すと考えられています。

オリジナルの半分程度しか残っておらず、かつ正統的な教会からは外典扱いされていますが、マリアの重要性は、他のどの福音書よりも大きくなっています。

他の福音書は、イエスの生誕や宗教活動開始の時点から筆を起こしていますが、「マリアによる福音書」はいきなりイエスの復活後の話から始まります。

ペテロはマリアに対し、「あなたが主にとって特別な人だったということを知っている」と言い、どうやら復活後のイエスの言葉は、マリアの口を通して語られたようだということもおぼろげながらわかります。

これらにより、「マグダラのマリアはイエスの妻説」はさらに補強されることになります。

この文章で何度か言及している「ナグ・ハマディ写本」には「フィリポによる福音書」と呼ばれるものがあります。

この文書にははっきりと「マグダラのマリアはイエスの伴侶である」と書かれているのです。

これらの、20世紀になってから発見された初期キリスト教会の文献を元に、イエスはマグダラのマリアと結婚していたのだ、とする設定を取り込んだ各種作品が、20世紀の終わり頃に複数作られました。

もっとも有名なのは映画にもなった推理小説「ダ・ヴィンチ・コード」でしょう。

マグダラのマリアが本当に歴史的存在としてのイエスの妻であったかどうかを、完全に証明することはできません。

イエスが宗教指導者として活動を始めたのは30歳ぐらいからのことで、それまでは「ガリラヤ地方のナザレという街に住む大工ヨセフの息子ヨシュア」として生活していたのです。

結婚して10年前後経過し、子供もいたと考えても不自然ではありません。

ただ、既存のキリスト教会関係者全員が認めざるを得ない決定的な証拠はないのです。

マグダラのマリアは娼婦だったか

西方キリスト教会では、マグダラのマリアは「娼婦の守護聖人」とされます。

これは主にルカ伝に、「罪深い女」という人物が登場し、それがマグダラのマリアと同一視された結果です。

「罪深い女」はイエスに香油を塗り、イエスの足に大量の涙を流し、自分の髪でそれをぬぐった、と書かれています。

つまりそれだけ必死に自分の罪を悔い、イエスに救いを求めたのだというのです。

その結果イエスは「あなたの罪は許された」と女に言います。

伝統的なユダヤ教の立場では、律法は絶対であり、それを犯したものはなかなか許されません。

しかしイエスは、「真摯に悔い改めれば許される」としたのです。

このエピソードは全体的には律法全体主義を否定し、柔軟に対応することによりそれまで差別されていた人々も自分たちの同胞と認めようとするイエスの宗教的姿勢を示したものだ、とされます。

ルカ伝には単に「罪を犯した女」としか書かれていないのですが、この女性こそがマグダラのマリアであり、なおかつその罪というのは売春であった、というのがキリスト教会内部での定説になっていきます。

そうなると、いくつかの矛盾が生じてきます。

マグダラのマリアがイエスの妻だったとする場合、ふたりが結婚したのは、イエスの年齢から見て、宣教開始のかなり前だったのではないかと思われます。

逆にイエスが30近くになってから結婚したとする方が不自然です。

当時の30歳は現在の30歳ではありません。

石器時代の人類の平均寿命は35歳程度でしたし、フランス革命直前の時期の農民の平均寿命はなんと20代半ばでした。

幼児死亡率の高さを割り引いてもかなり低く、人類の歴史の大半の時期において、庶民の30歳は「老人に片足を突っ込みかけた状態」だったと言えるでしょう。

教会の言う通り、イエスが生まれる前から救世主として運命づけられていた、というのならそういうのもありでしょうが、史実のイエスは30近くまでは「ガリラヤ地方のナザレという街に住んでいた大工ヨセフの息子ヨシュア」だったのです。

早ければ10代、遅くても20代のはじめ頃には、結婚していたと考える方がすっきりします。

イエスの母マリアには、10代前半でヨセフと結婚し、イエスを産んだ可能性があるぐらいですから。

イエスがヨシュアとして普通の結婚をしていた(その可能性が最も高い)とすると、マグダラのマリアがイエスの妻となったのも当時としては普通の適齢期であった10代後半だった可能性が大となります。

マグダラのマリアはその通り名の示すように、ガリラヤ地方のマグダラの街出身です。

イエスの住んでいたナザレとは直線で20kmぐらいの距離ですから、ほぼ同郷と言っていいでしょう。

マリアはこのガリラヤからイエスについてきたイエス教団最古参グループの弟子だと福音書には書かれていますから、ますます「普通の年頃に普通の結婚をしていた」可能性が高まります。

だとすると彼女はいったいいつどこで、娼婦となっていたのでしょうか。

無理やり解釈すると「10代前半の時期にナザレで」ということにもなりかねません。

この場合あまり褒められたものではない妄想を膨らますことはできますが、実際にあった可能性はかなり低くなると言わざるを得ないでしょう。

もうひとつの疑問は、マリアがイエスにより「7つの悪霊を追い出してもらった」とされていることです。

「売春」にはさまざまなバリエーションがあり、古代においてもそれは同様でした。

庶民相手に一食分の食料と引き換えに体を開いた女性もいれば、神殿などの権威ある場所近くに小屋を持ち、金持ち相手にさまざまな芸を披露し、知的な会話を交わし、ついでに性的なサービスを提供する高級娼婦もいたのです。

「罪の女」は泣きながらイエスの足に香油を塗っています。

つまり香油を買うことができるほど豊かであったということです。

またこのエピソードの舞台となっているのはファリサイ派の、おそらくは聖職者であった人物の家です。

「罪の女」は娼婦であり、蔑まれてはいたけれどそれなりの名士の家に出入りを許されていたということになります。

これらから考えると、「罪の女」は娼婦としてはかなり高級な部類に属していたようです。

イエスの教えを理解できているので、水準以上の知的能力を有していたということは、ほぼ断定できると言っていいでしょう。

そうなると「7つの悪霊つき」という設定のリアリティがかなり失われてしまうのです。

客と知的な会話をすることが重要な技の一つである高級娼婦が、「悪霊付き」に務まるでしょうか。

体を売ることのストレスによって精神を病み、「悪霊付き」の状態になったという解釈も可能ですが、それはどちらかと言うと中級以下の娼婦によく見られるケースで、自分の芸にプライドを持ち得る高級娼婦においてはやはり可能性は低くなってしまうのです。

心の病ですから、発症の原因はさまざまで、高級娼婦は絶対にそうはならないとも断言はできませんが…。

いずれにせよ「普通に考える」と、イエスの妻となった女性が元悪霊付きの娼婦であった、とするのには無理が多すぎます。

マグダラのマリアがイエスの妻であった可能性はかなり高いと言えますが、そのマリアと「罪の女」が同一人物であった可能性は低く、「悪霊付き」設定を追加するとさらに現実味は薄れてしまいます。

「罪の女」であったことを除外し、「イエスの妻は元悪霊付きだった」ということだけにすれば、その可能性はマリアがイエスの妻であったことと同程度まで跳ね上がります。

つまるところ、「マグダラのマリアは元娼婦」というのは後付設定なのではないか、という疑いが強くなるのです。

ではどうして、「イエスの伴侶」に「娼婦」という属性が結び付けられるようになったのでしょうか。

先に、イエスの復活の物語は、イエスの「父」であるヤハウェと敵対していた(実態はヤハウェ側が一方的に敵視していただけなのですが)豊穣神バアルの神話の焼き直しではないか、と述べました。

バアルのパートナーとなる女神が、アナトとアスタルトです。

彼女たちはふたりともヤハウェの前身であるイルの娘でバアルの妹にして妻、というポジションになります。

アナトとアスタルトも、もとは一人の女神で、その源流はメソポタミアのイナンナ・イシュタルにつながります。

すべて性愛を司る女神であり、神殿娼婦の元締めであったとされています。

「復活」の物語を軸に、イエスに古い神バアルのイメージが取り込まれていくのに従い、そのパートナーであったアナト・アスタルト系の女神のイメージもまた、イエスのパートナーであったマグダラのマリアに投影され、「彼女は娼婦だった」という後付設定が生まれたのだとは考えられないでしょうか。

キリスト教は、そのベースとなったユダヤ教ともども、性的な禁欲についてことさらやかましい宗教です。

このため聖典である新約聖書には、「色っぽい」シーンはまったくなく、性愛に関わる痕跡のようなものはほぼ全部マグダラのマリアに押し付けられています。

実質的にマグダラのマリアは、神話としての新約聖書の中で、愛と性の女神の役割を担っているのです。

ギリシアの秘儀とキリスト教

「ナグ・ハマディ写本」に関する説明にはよく「グノーシス主義」という言葉が登場します。

これは初期のキリスト教に大きな影響を与えたとされる思想です。

ちょっと乱暴ですが、グノーシス主義を一言で説明すると、「極端な善悪二元論」という感じになるでしょう。

この思想においては、宇宙に存在するありとあらゆるものを、善と悪に区分します。

この「善」も「悪」も絶対的なもので、中間はあり得ません。

驚いたことに、グノーシス主義では、宇宙全体も「善」「悪」に区分してしまうのです。

グノーシス主義的思想の多くにおいては、現在の我々の世界を「悪の宇宙」だと規定します。

目に見え、触れることのできるものは基本的に悪に属し、真であり善であるものは霊的であって、感じることはできるが見たり触れたりはできない、とする傾向が強いことも特徴と言えます。

今見えている世界が「悪の宇宙」であるのなら、それを創造した神も「悪の神」となります。

また、「悪の宇宙・悪の神」が存在するということは、「善(真)の宇宙・善の神」もまた存在することになります。

グノーシス諸派は、いつの日か悪の宇宙はそれを創造した悪の神ごと滅ぼされ、善の宇宙・善の神に取って代わられる、と主張するのです。

キリスト教誕生以前から、グノーシス的な思想は存在していました。

その中心となっていたのは、ギリシアのエレウシスという土地です。

エレウシスにおいては、一般の人には公開しない秘密の祭りが長年に渡って行われていました。

その中心となるのは、地母神デーメーテールとその娘ペルセフォネーを主人公とする「死と復活の神話」の再現です。

これによって信者は、世界全体の死と再生を追体験し、いつの日にか自分も「真で善なる世界」に生まれ変わることを信じるようになる、というのです。

世界全体の死と再生が、その世界を象徴する神の死と再生をトリガーにして生起する、というモチーフは、そのまま福音書に持ち込まれました。

イエスが死んで再生したからこそ、この世全体もやがて死に、再生するということになるのです。

新約聖書の終わりには、世界の滅亡と再生の様子を描く「黙示録」が収録されています。

新約聖書を純粋な思想書として解釈する場合には、意味のわからないところも多い黙示録は蛇足のように感じられます。

しかし、上記のような解釈に従えば、黙示録がなければ新約聖書はその存在意義を失ってしまいます。

イエスの死と再生を信じるということは、やがてくる世界全体の死と再生を信じるということと同じなのです。

グノーシス的に考えれば、絶対善はもれなく絶対悪とペアにされます。

なので絶対善としての神やイエスには、絶対悪の神やイエスが必要だということになります。

しかし、「悪の神」を設定すると唯一神を信じるユダヤ教の教義と外れてしまいますので、「悪の神」は神ではなく悪魔と呼ばれるようになります。

かくして「悪の神」は悪魔サタンもしくはルシフェルという立場に整理されます。

また、バアルが「悪の神の子」として再定義され、それとペアになる「善の神の子」としてイエスが配置されるようになったと思われます。

バアルは悪魔バエルとしてその性格を単純化され、元々持っていた豊穣神としての性質はほぼイエスに乗っ取られることになります。

このように初期のキリスト教の世界観を構築する上で大きな役割を果たしたグノーシス主義ですが、2世紀頃から「異端である」とみなされるようになります。

そうなった原因は、グノーシス諸派が、あまりにも極端に善悪を区分しすぎ、その考えに従うと教会組織を効率的に運用できなくなるためだと思われます。

この世を悪の世界とみなすグノーシスの一派は、その支持者に対して極端な禁欲を強制するようになります。

キリスト教やユダヤ教では、婚姻によらない性行為を禁じていますが、きちんと結婚した男女が性交し子を産むことは禁じていません。

しかしグノーシスの影響が強い宗派においてはいかなる性的な行為も禁止されてしまうので、信者のコミュニティは一般的な社会生活を営めなくなります。

「正統派」の教会からすれば、これは実に困ったことなのです。

思想を純化(過激化ともいえます)することにより、現実世界での教勢拡大が難しくなってしまうわけですから。

潜在的に「悪の世界」であるとみなしていようとも、その思想を広めていくためには、現実の世界とどこかで妥協し、共存していかなければなりません。

こうした試行錯誤が2世紀から3世紀ぐらいにかけて行われ、最終的にグノーシス派は異端とされ、グノーシス的な文書の多くが新約聖書の正典から削られました。

しかしグノーシス的な要素は正典とされた文書の中にも断片的に残っており、それが時折極端な善悪二元論に基づく「異端」を生じさせました。

10世紀には、現在のブルガリアを中心に、ボゴミル派と呼ばれる異端が生まれます。

ボゴミル派では、世界を創造した真の神には、ミカエルとサタナエル(サタン)という二人の息子がいた、と説きます。

サタナエルは神に反逆し、神と戦うために地上の世界を作り上げます。

つまり人間(の肉体)も、サタナエルによって創造されたものだ、というのです。

ただし人間の魂は、真の神によって創造されたのだ、ともしています。

真の神がサタナエルに人間の肉体の創造を認めたのは、人間に真の神を崇拝させるとサタナエルが約束したからですが、サタナエルは後になってその約束を反故にし、人類に自分を崇拝させます。

これが旧約聖書のヤハウェなのだ、というのです。

一方、ミカエルは地上に降りてイエス・キリストとなりました。

ボゴミル派は地上のあらゆる物質的なものを否定するため、体制の否定と破壊という活動と容易に結びつきます。

つまりボゴミル派の教団はいとも簡単に危険なテロ集団になってしまうのです。

ボゴミル派はブルガリアを支配していたビザンツ帝国と、数百年に渡って激しく抗争することになります。

ボゴミル派にやや遅れて、フランスにはカタリ派という集団が発生します。

カタリ派はボゴミル派の影響を受けており、ボゴミル派同様世界における物質的なものはすべてサタンによって創造されたとしています。

カタリ派では物質的なものは生殖によって増えると考えたので、あらゆる生殖活動とその成果を否定します。

このため聖職者においては性行為はもちろん、卵や乳製品を含む肉食も禁じられていました。

肉は生殖の結果だから、というのがその理由です。

ただ、魚は生殖をせず海から自然にわいてくると思われたため、魚を食べるのは禁止されていなかったそうです。

カタリ派もまたボゴミル派同様、反権威主義的な過激思想となり、カトリック教会ではこれを撲滅する「十字軍」まで組織される騒ぎとなりました。

『十字軍のコンスタンティノープルへの入城』ウジェーヌ・ドラクロワ(1840)作
『十字軍のコンスタンティノープルへの入城』(ウジェーヌ・ドラクロワ(1840)作 原典

いずれにしろユダヤ教においては唯一絶対であったはずの神が、キリスト教においては必ずしもそうではなく、しばしばサタンと表裏一体のペアを組まされている、ということと、その源流にはデーメーテールとペルセフォネーの死と再生の神話も関与している、ということは覚えておいてもよさそうです。

イエスと十字架刑

イエスが宗教指導者として活動したのは、3年弱だと考えられています。

この短い活動の後、イエスは逮捕され十字架にかけられて処刑されるのです。

イエスが逮捕された潜在的な理由は、彼がユダヤ祭司団の権威を否定したからだとされます。

ユダヤの律法に背いた罪人を勝手に許し、安息日にも活動をするイエスに対して、祭司団が面白くないと思うのは当然でした。

ただいくら古代であっても、「あいつ気に入らねえ」という理由で逮捕・処刑することはできません。

ましてや当時のユダヤはローマの属国状態です。

ユダヤ教祭司団は元はヘブライ人国家の政治指導層でしたが、イエスが活動していた時期にその力は衰え、司法権はローマの総督に移っていたのです。

つまりイエスを逮捕するためには、しかるべき理由をつけてローマの総督に訴えなければなりませんでした。

福音書によれば、イエスがユダヤの王や神の子を自称したことが罪状となっていますが、これは理由としては微妙に弱いと言わざるを得ないでしょう。

当時のユダヤは、自ら犯罪者を処断できる権利もない、弱体化したローマの属国です。

その属国の権威に反抗することが、ただちにローマへの反逆になるとみなされるとは限りません。

イエスの指導する政治勢力が既存のユダヤのものよりマシならば、ローマはイエスの行為を黙認し、教団が拡大したら支援したことでしょう。

これとてイエスの教団が、政治的にユダヤの地を支配することを計画していた、ということが前提になります。

実際にそういうことが企図されていたかどうかは不明です。

イエス逮捕の直接的な理由であるらしい事件については、マルコ伝11章15節、マタイ伝21章12節、ルカ伝19章45節に記述があります。

イエスはイェルサレムの神殿に行き、そこで商売をしていた人たちを残らず追い出したのだそうです。

福音書の記述は比較的あっさりしていますが、例えていうなら浅草の仲見世にある店舗を残らず破壊したようなものです。

逃げも隠れもできない立派な「暴動」でした。

マルコ伝には「器を持って通ることを許さなかった」とも書いてあるので、破壊活動の後すぐ引き上げたのではなく、しばらくの間神殿を占拠していたようです。

神殿には当然護衛の兵士などもいたでしょうから、これらと乱闘騒ぎも起こしたのではないかと思われます。

単なるユダヤ教会への批判ならば、ローマの法で罪として問うことはできません。

しかし、神殿に対する破壊行為ならば、ローマ法で裁いてもらうことが可能になります。

イエスを逮捕する理由は固まりました。

ですが、イエスとその教団は事件後イェルサレムの市内に潜伏していたようで、足取りがつかめません。

そこで弟子のひとりであったイスカリオテのユダを買収し、イエスの居所を突き止め、逮捕に至ったのです。

神殿内部で暴動を起こしたことが相当「ヤバい行為」であったことは弟子たちも認識しており、かなり動揺していたらしいことが、福音書の断片的な記述からも見て取れます。

実際にイエスを売ったユダだけでなく、弟子たちの頭であるペテロも、あれこれと悩んでいたようです。

ユダヤ祭司団も焦っていました。過越の祭が近づいていたからです。

「祭で多くの人が集まるので、そこで騒ぎを起こすのはまずいと考えた」という旨のことが福音書に書いてありますが、ちょっと穿った見方をすれば、祭で多くの人が集まっている時にイエス教団が再び大暴動を起こし、そのままユダヤ祭司団から権力を奪取するのを恐れたのではないかと思えます。

イエスが追い出したイェルサレム神殿の商人たちは、集まってくる信者たちに奉納品などを法外な高値で売りつけていたといいます。

それと結託して甘い汁を吸っていた祭司団ですから、民衆の迷惑などを気にしたとは考えにくいでしょう。

しかし、イエス教団のターゲットが民衆ではなく自分たちだったと思っていたのなら、内通者を使って強引にイエスを逮捕しに行った、としても納得がいきます。

さてイエスを逮捕したものの、ユダヤ祭司団には彼を裁く権利はありません。

そこでイエスの身柄は、ローマのユダヤ総督ピラトゥスのところに送られます。

ピラトゥスは元々ユダヤ祭司団との関係が悪かったので、イエスの裁判についてもあまり積極的ではなく、証拠不十分で釈放しようとします。

しかし祭司団が群衆をピラトの屋敷に引き連れ、「イエスを死刑に!」と叫ばせたため、ピラトは手を洗って自分に責任がないというパフォーマンスを行い、イエスの身柄を兵士たちに引き渡します。

かくしてイエスは、ゴルゴタの丘で十字架にかけられることになります。

十字架刑というのはローマの刑法に実在した刑罰です。

ですから、「紀元30年前後にローマのユダヤ属州において、イエスという人物が処刑された」ということは最低限史実であったろう、と考えられるのです。

十字架刑は、手足を十字架に釘で打ち付け、体幹部を支えられないようにして胴体の筋肉の動きを阻害し、呼吸を困難にしてゆっくりと死に至らしめるという刑罰です。

当時でも残忍であると考えられていたので、ローマ市民権保持者には適用されないことになっていました。

なお、足を折るとさらに体を支えるのが困難になるので、窒息までの時間が短くなるといわれています。

イエスは他の泥棒ふたりと一緒に十字架刑に処せられたのですが、翌日が祭礼なので刑吏はほどほどのところで彼らの足を折り、絶息を早めようとしました。

ところがイエスはその前にすでに事切れていたので、足は折られなかったといいます。

ただ、完全に死んでいるかどうかを確認するために、ひとりの兵士が槍でイエスの脇腹を刺したとも伝えられています。

この兵士の名がロンギヌスで、使用した槍は「ロンギヌスの槍」として聖遺物扱いされるようになります。

さらに流れ落ちる血を盃で受けたともされ、この盃もまた「サングリアル(ホーリー・グレイル)」として聖遺物になります。

黙示録

新約聖書の最後には、「ヨハネの黙示録」と題された文書が付属しています。

作者は、「ヨハネ伝」と同じくイエスの弟子であった聖ヨハネとされていますが、異論も山程あります。

ちなみに「黙示録」は古代ギリシア語(聖書が主に記述された言語です)では「アポカリプス」という、中二病患者が歓喜するような語で呼ばれます。

この文書の最初には、著者がヨハネであることが語られ、ついで各地の教会に対するメッセージが連なります。

続いて、この世の終わりとイエスの再臨について、ヨハネが夢で見たという光景が綴られます。

その書きぶりはかなりおどろおどろしいものです。

新約聖書の多くの部分は、イエスの生涯を通して、信者に「よいことをせよ」と教えることに費やされています。

しかし黙示録には教訓めいたものはほとんど出てきません。

ここで語られるのは主に「この世の終わりの情景」です。

実は「この世の終わり」について語るユダヤ教・キリスト教系の文献は「ヨハネの黙示録」だけではありません。

紀元前2世紀に、旧約聖書系の文献としてはもっとも遅く成立した「ダニエル書」がこの系列であり、それ以後に「黙示文学」の流行があったのです。

「ヨハネの黙示録」はこの流れに沿って書かれたものでした。

新約聖書に収められた黙示文学はこの「ヨハネの黙示録」だけですが、新約聖書外典とされる文書の中には、「ペテロの黙示録」「パウロの黙示録」と題されたものも存在します。

さて、ヨハネの黙示録ですが、第4章から本格的に「この世の終わり」について語られます。

まず天上と思われる場所を幻視したヨハネは、そこに24人の長老と、4つの生き物が周りを取り巻く玉座、さらには玉座の周りを回る7つの灯火を見ます。

玉座には恐らく神が座しているのですが、そのあたりは直接的には描写されていません。

神は右手に巻物を持っていましたが、ヨハネはそれを見ることができません。

しかし「子羊」が登場し、神から巻物を受け取ったのです。

「子羊」は恐らくキリストを意味しているものと考えられますが、7つの角と7つの目を持つ異形の姿とされています。

子羊は7つの封印を順に解いていきます。

最初の4つの封印を解いた直後に、4つの獣が順番に「来たれ」といい、白い馬に乗るもの、赤い馬に乗るもの、黒い馬に乗るもの、青白い馬に乗るものが出現します。

第5の封印が解かれると「殺された人々の霊魂」が出現します。

第6の封印が解かれると、太陽は黒くなり、月は血のように赤くなり、星々が地に落ちます。

さらに、イスラエルの12部族のうち、「印を押されたもの」14万4千人が出現します。

第7の封印が解かれると、神の前に7人の御使が出現し、彼らにラッパが与えられます。

そして御使は、順番にラッパを吹き鳴らしていきます。

こんな調子で、まず複数の御使や獣などが登場し、それらが順番にある行為をすると、それに対応する出来事が発生する、という順番で黙示録は進んでいきます。

その意味するところは非常にわかりにくいのですが、どうやらミカエルが率いる天使たちと竜(サタン)との戦いが起こったようです。

戦いはミカエルの勝利に終わり、竜は地に投げ落とされます。

また、「多くの水の上に座っている大淫婦」に対して裁きが行われます。

この女の額には「大いなるバビロン」とその名前が刻んであります。

これが何のたとえなのかはよくわかりません。

全体的に黙示録の文章は、先に進むごとに分かりづらくなっているのです。

比喩が多く、直接的な表現を取っていないこともその理由のひとつです。

最終的には、神に敵対するものはすべて滅ぼされ、子羊ことイエスによって統治される新しい王国が生まれたであろうことが示唆され、主を褒め称える言葉とともに黙示録は終わります。

まとめ

現在正典とされている新約聖書は古代ギリシア語で書かれています。

ですから成立の過程においてギリシア哲学の影響を受けた思想書と呼んでいい内容を多く含んでいるのですが、それだけではありません。

極端なものへと暴走し、後には異端とされた思想の残滓も含んでいますし、黙示録のようにほぼ幻想文学と言っていいような内容の文書もあります。

キリスト教会にとって本質的な部分は思想書としての聖書なのでしょうが、だからと言ってそれ以外の部分を切り落とせば、聖書は全体的な意味を失い、ほぼ2000年に渡って多くの人に読まれることはなかったでしょう。

現代日本人は、先に述べたように遊牧民的な発想に基づく一神教を受け入れ難い体質になっているようで、生活規範としてのキリスト教はほとんどと言っていいほど日本に根付いていません(イスラームよりはマシですが)。

しかしそれでも、キリスト教の中に残る農耕民の思想の残滓のようなものには反応し、クリスマスを盛大に祝ったりしています。

その一方で日本人は、ちょっと読んだだけでは意味がわからない、オカルト的な解釈を可能とする部分にも強い魅力を感じているようです。

このため、サブカル分野のコンテンツには、キリスト教起源のオカルト的な用語・要素が多量に取り込まれるようになりました。

有名な所では「新世紀エヴァンゲリオン」がありますが、実を言うとあれに含まれているキリスト教的要素は、「単語を拝借しただけ」のレベルで、大部分がデタラメです。

にも関わらず、多くの人が熱狂したのですから、「本物」の魅力がいかに強烈なものであったかこれだけでもわかるでしょう。

なお、福音書に記されているイエスの物語を、現代風に翻案した作品に、ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」があります。

これはイエスの生涯の最後の時期に何があったのかを、その背景も含めてわかりやすく描写している(しかも宗教的な説教臭さはありません)ので、機会があったら見ることをお勧めします。

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