エンターテイメント作品の中には、聖書のストーリーや概念を作中に取り入れたものが多く存在しています。
新世紀エヴァンゲリオンもその一つです。
今回は作中に登場する用語に含まれる聖書的な要素を発見し、元々の聖書での意味と作中で使われている意味を比較してみたいと思います。
「エヴァンゲリオン」の意味
ギリシャ語で「福音」を意味する言葉が「エウアンゲリオン」(ラテン語表記で「エワンゲリウム(EVANGELIUM)」)です。
英語でも福音を伝える伝道者の事を「エバンジェリスト」と言うことがあります。
純粋に「福音」に当たる言葉は英語では「ゴスペル」で、単純に「グッドニュース」と言われることもあります。
聖書によれば、福音はイエス・キリストの救いを意味します。
あなたがたはこの福音によって救われます。……最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは……キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと……
「コリントⅡ15:2~4新共同訳」より引用
キリストを信じる時、罪が赦され、救われるというこの「良い知らせ」が福音なのです。
作中では、エヴァンゲリオンは人類を守る存在として描かれています。
同様に人類を救うために戦うという意味で、エヴァンゲリオンと名付けられたのかもしれません。
使徒
「使徒」はギリシャ語では「アポストロス」で、日本語では「遣わされた者」という意味になります。
聖書ではキリストの弟子の中でも教会のリーダーとして選ばれた人達を指します。
かつて新約聖書が編纂された時、様々な文書の中で使徒が書いたものだけが聖書として認められたという背景があるぐらい、使徒は神に遣わされた者として尊敬されていました。
作中では使徒とエヴァンゲリオンは常に対立しているわけですが、聖書では福音(エヴァンゲリオン)を告げ知らせる人達が使徒です。
つまり本来は対立するものではないのです。
エヴァンゲリオンはあまりに複雑すぎる作品であるため、この矛盾を説明できるエピソードが存在するかどうかもわかりません。
後は作者に直接尋ねるしかない、というレベルの難問と言えるでしょう。
ちなみに使徒それぞれの名前の由来は旧約聖書の「エノク書」である、とする考察も存在します。
しかし、実はエノク書は聖書ではなく偽典とされています。
旧約聖書、新約聖書は66の書から成り立っており、これを「正典」と呼びます。
これに対して、聖書のようなストーリーが描かれているけれども、正典とは一貫性がなかったり、ただの伝説の寄せ集めであったりするものを「偽典」と呼びます。「ダビンチ・コード」で有名になった「ユダの福音書」も偽典です。
その他、偽典ではないにせよ、正典とは呼べないような書を「外典」と呼びます。
ファーストインパクト、セカンドインパクト、サードインパクト
世界の破滅とその後を描いた作品は、アニメ、映画、小説を問わず多く発表されていますが、世の終わりの日が来るという「終末思想」は聖書に原点があります。
聖書は旧約聖書から新約聖書の終わりまで、この世界には必ず終わりの時がやってきて、新しい世界が始まることを予告しているのです。
旧約聖書の創世記には、「ノアの洪水」が描かれています。
この時は箱舟にのって洪水から逃れたノアの八人の家族と一部の動物を除いて、人類は滅びてしまいました。
そして、聖書はもう一度世界が滅びることを語っています。
その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます
「ペトロの手紙Ⅱ3:10新共同訳」より引用
つまり、最初は洪水で、二度目は火で世界が滅びるというのです。
世界の滅亡が起こる理由は人類の罪のために神が表された神の怒りであると聖書は語っています。
エヴァンゲリオンではサードインパクトが登場しますが、聖書ではセカンドインパクト(もちろん、これは聖書の用語ではありません)までです。
人類補完計画
世界が滅亡する中、一部の人類が生き延びるというSF作品の王道ストーリーがエヴァンゲリオンにも登場します。
作中での「人類補完計画」の経緯と方法はあまりにも複雑なので割愛しますが、前述の大洪水を生き延びたノアの家族の話がこのような人類補完計画のモチーフになっているのは間違いないようです。
ノアの大洪水の際には、ノアは神の命令によって大きな箱舟を作り、それに乗って生き延びました。
この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました
「ペトロⅠ3:20新共同訳」より引用
聖書ではこのように滅亡の中を生き延びることも「救われる」と表現しています。
世界の二度目の滅亡から救われる事についても、聖書は語っています。
……それは血と火と立ち上る煙。……太陽は闇に、月は血に変わる。しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる
「使徒2:19~21新改訳」より引用
このように、キリストを呼び求める人は救われる、これが聖書の中心的なメッセージであり、福音(エヴァンゲリオン)なのです。
「生命の実」と「知恵の実」
エヴァンゲリオンの作中では碇シンジの父、ゲンドウが「生命の実」と「知恵の実」を融合させ、神のような存在となろうと目論むエピソードがあります。
作中に登場する「生命の実」と「知恵の実」の概念は非常に複雑ですが、モチーフとなっているのは聖書に出てくるエデンの園ではないかと考えられます。
神が世界を創造し、最初の人間であるアダムとエバを造り、エデンの園という楽園に二人を住まわせました。
この園の中央には特別な二本の木があり、「いのちの木」と「善悪の知識の木」と呼ばれていました。
神はアダムとエバに命じられました。
主なる神は人に命じて言われた。『園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう』
「創世記2:16、17新共同訳」より引用
しかし、二人はこの言葉に逆らい、善悪の知識の木の実を食べてしまいました。すると、神はおっしゃいました。
主なる神は言われた。『人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある』。主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた
「創世記3:22新共同訳」より引用
それまで人間は無垢な存在でした。
善悪を決定するのは本来神の役目でしたが、人は「善悪の知識の実」を食べたことにより、自分で善悪を判断するようになりました。
これは人が神の座に上ろうとする、大きな罪でした。
そして「いのちの木」の実を食べると、永遠に生きる存在になります。罪人のまま永遠に生きるのは恐ろしいことです。
神は二人を愛しているからこそ、二人を守るためにエデンの園から追い出した、というのが聖書のストーリーです。
碇ゲンドウは結局、「生命の実」と「知恵の実」を融合させることはできませんでしたが、聖書のエピソードと照らし合わせれば、それで良かった(?)ことになります。
まとめ
エヴァンゲリオンは聖書の世界観を土台にした作品である、とする考察も存在しますが、実は作品の世界観そのものは聖書とはあまり一致しません。
実際、聖書のエピソードもモチーフとして用いられているだけのようです。
エヴァンゲリオンのストーリーは実に複雑で難解であるため、様々な解釈が可能です。
ですから、あくまでもエンターテイメント作品として楽しむのが一番良いのかもしれません。
そしてその中でストーリーに神秘性を持たせるために使われている聖書のネタを見つけ出すのも、1つの楽しみ方と言えるでしょう。
ギリシャ語で「福音」を意味するのは、「ユアンゲリオン」ではなくて、「エウアンゲリオン(ΕΥΑΓΓΕΛΙΟΝ)、または、エワンゲリオン(ΕΥΑΓΓΕΛΙΟΝ)」です。
ラテン語表記すると「エヴァンゲリオン」ではなくて、「エワンゲリウム(EVANGELIUM)」
(古典語)または、「エヴァンジェリウム(EVANGELIUM)」(教会公用語)となります。
「使徒」はギリシャ語では「アポクリプス」ではなくて、「アポストロス(ΑΠΟΣΤΟΛΟΣ)」です。
ご指摘いただきましてありがとうございます。
ミスがあり申し訳ございません。
修正させていただきましたmm