名画にみる神話の世界:ルーカス・クラーナハの描くヒロイン

『ヴィーナスとキューピッド』(ルーカス・クラーナハ)
『ヴィーナスとキューピッド』(ルーカス・クラーナハ、1525–27年頃、原典

はじめに、ルーカス・クラーナハってどんな画家?

ルーカス・クラーナハ(1472-1553)はルネサンス期のドイツを代表する芸術家で、画家として、そして版画家としても活動しました。

銅版画家としてよく知られているアルブレヒト・デューラー(1471-1528)と同時代の人物でもあります。

クラーナハはドイツの南部クローナハという街に生まれ、1500年初頭にはウィーンで活躍。1505年にザクセン選帝侯フリードリヒに招かれ、ヴィッテンブルグの宮廷画家となります。

経営者としての才能もあったクラーナハは、大きな工房を構え、数多くの作品を受注制作し、成功を収めていきました。

神話や宗教を題材にした作品のほか、肖像画も多く手掛けました。

実は息子も同じ名前で画家であったため、ルーカス・クラーナハ(子)に対して、ルーカス・クラーナハ(父)と表記されることもあります。

クラーナハの名前を聞き、作品をすぐに思い浮かべることができない人も多いかもしれませんが、流れるような優美な曲線で描かれた女性像を見れば、認識できる方も多いのではと思います。

そう、彼の残した作品の中で最も特徴的なのは、なんと言っても女性の姿を描いた作品なのです。

本記事ではクラーナハの描いた神話や宗教を扱った作品を取り上げ、描かれたヒロインたちの放つ魅力に迫っていきたいと思います。

ルーカス・クラーナハの生きた時代

クラナーハが画家として活躍していたのは、ドイツにもイタリアのルネサンス芸術の影響がもたらされた時代。

アルブレヒト・デューラーもイタリアに旅し、ドイツに新しい芸術様式を持ち帰りました。

クラーナハも、それまでの「ゴシック様式」と呼ばれる芸術様式を発展させ、ルネサンス芸術を取り入れ、ヴィーナスをはじめ官能的な女性像を生み出していきます。

また、クラーナハは宗教改革を推し進めたマルティン・ルター(1483-1546)と友人であったことから、ルターとその家族の肖像画を多く手掛け、絵画制作を通して宗教改革に関わりました。

クラーナハの代表作

それでは、クラーナハは神話や宗教の物語のヒロインたちをどのように描いたのか、代表的な作品を見ていきましょう。

フォーンとその家族、殺されたライオン

『フォーンとその家族、殺されたライオン』(ルーカス・クラーナハ)
『フォーンとその家族、殺されたライオン』(ルーカス・クラーナハ、1526年、原典

ギリシャ神話に登場するフォーンは、半人半獣の牧神ファウヌスの子孫にあたります。

本作では森の中で暮らすフォーンとその家族の姿が描かれています。

尖った耳を持つフォーンは岩の上に腰かけ、傍らには仕留めたライオンの姿が見えます。

画面右側には、二人の子供を連れ、穏やかな表情を浮かべる妻の姿が描かれています。

女性の身体を見てみると、上半身はほっそりとし、胸は小さめで腰のくびれが特徴的です。

また長くウェーブした髪が腰のあたりに巻きついており、美しい身体の曲線が強調されているように感じられます。

ヴィーナス

クラーナハが多く手掛けたテーマの一つに、ギリシャ神話の女神、ヴィーナス像があります。

『ヴィーナスとキューピッド』(ルーカス・クラーナハ)
『ヴィーナスとキューピッド』(ルーカス・クラーナハ、1525–27年頃、原典

こちらの作品では、ヴィーナスは裸身をあらわにしていますが、一方で大きな飾りのついた華やかな帽子をかぶっており、この対比によって裸体が強調されています。

波打った豊かな髪が官能的な美しさを高めており、透明なヴェールを弄ぶようにする仕草や、こちらに向けられた眼差しも人々を誘惑するようで、妖艶な魅力に溢れています。

矢を失ったキューピッドは、ヴィーナスの前に立ち尽くし、母親の前では無力であることを暗示しています。

裸体の描写では、本作でも腰のくびれが強調され、独特なプロポーションが目を引きます。

クラーナハによる女性たちの描写においては、解剖学的に正確に骨格を描くというよりは、曲線の美しさが追求されていることがわかります。

パリスの審判

『パリスの審判』(ルーカス・クラーナハ)
『パリスの審判』(ルーカス・クラーナハ、1528年頃、原典

本作では、神話のエピソードの中でもよく知られている「パリスの審判」の場面が描かれています。

この審判は、アテナ、へーラー、ヴィーナスの三美神のうち、誰が最も美しいかを決めるというもの。

美しさを競い激しく対立する3人の仲裁に入ったゼウスは、パリスという羊飼いの若者に審判を任せることにしました。

彼女たちはそれぞれパリスに賄賂を申し出て、買収しようと画策します。

最終的にはヴィーナスが選ばれるのですが、彼女が選ばれた場合の褒美は「この世で最も美しい女を妻として与える」ことでした。

最も美しい女とは、スパルタ王メネラオスの妻ヘレネーという女性。妻を奪われ憤るメネラオスにより、トロイア戦争が引き起こされることになります。

さて画面に目を向けてみましょう。

右側には三美神の姿が描かれ、三者三様のポーズで自らの美しさを伝えようとしているかのようです。

ここでも三美神は、それぞれネックレスや帽子などの豪華な装飾品を身にまとっています。

さらに指先や足の指の一本一本までが独特の曲線によって丁寧に描写され、彼女たちの性的な魅力が十分に引き出されています。

左上には矢を射るキューピッドが見え、ヴィーナスに狙いを定めています。

左側に描かれたパリスはここでは鎧をまとい、どこか虚ろな表情をしています。

中央に描かれたヘルメスが手にしているのは透明なガラス球です。

『パリスの審判』を題材にした絵画では、3人の美女が欲して止まない金のりんごが描かれることも多いですが、ここではガラスの球に置き換えられています。

旧約聖書のヒロインたち

サムソンとデリラ

『サムソンとデリラ』(ルーカス・クラーナハ)
『サムソンとデリラ』(ルーカス・クラーナハ、1528-30年頃、原典

サムソンとデリラは旧約聖書『士師記』に登場する人物。

サムソンは古代イスラエルの士師で、怪力の持ち主としても知られます。イスラエルの人々を苦しめていたペリシテ人を次々と殺していました。

デリラはサムソンが愛するペリシテ人の女性です。

では作品を見ていきましょう。

一見すると、りんごの木の麓で、デリラの膝に顔を埋めるサムソンと、彼を愛おしそうに見つめているデリラの姿のように見えますが、実はデリラはサムソンの秘密を握っていたのです。

微笑を浮かべるデリラの手元をよく見てみるとハサミのような刃物が確認できます。

実はサムソンの弱点は頭を剃られること。

復讐を企てるペリシテ人たちは、サムソンの愛するデリラを利用して弱点を聞き出そうとしていました。

本作ではデリラの手により頭を剃られたサムソンが、その超人的な力を失っていく様子が描かれているのです。

サムソンの右足の隣にある顎の骨は、彼がペリシテ人を殺害するための武器として使ってきたものでした。

策略にはまったサムソンと、微笑を浮かべるデリラ、そして茂みの奥には二人の姿を注意深く見つめ、彼らに迫ろうとするペリシテ人の一軍が見えます。

サムソン、デリラ、ペリシテ人たちの表情のコントラストが画面に緊張感を生み出しています。

本作における最大の見どころはデリラの表情でしょう。

美しい衣服をまとい、サムソンを見つめる彼女の微笑みのなかに、女性の賢さと恐ろしさを見ることができます。

クラーナハの生きた時代、聖書の物語は時として、教訓を織り込んだ寓話として語られることもありました。

本作には、誰かを愛することで生じる落とし穴や女性の企みについて、男性たちに対して警告する狙いもあったようです。

ユディトとホロフェルネスの首

『ユディトとホロフェルネスの首』(ルーカス・クラーナハ)
『ユディトとホロフェルネスの首』(ルーカス・クラーナハ、1530年頃、原典

男性の生首と女性の姿といえばサロメを連想しますが、こちらの作品では、旧約聖書の『ユディト記』に登場する冷徹な美女ユディトと、ホロフェルネスの無残な姿が描かれています。

ユディトはヘブライ人の裕福な未亡人。

街を取り囲もうとする敵将ホロフェルネスを油断させて近づこうとします。

ホロフェルネスは美しいユディトに気を許し、酒宴に招くのですが泥酔し眠りについてしまいます。

ユディトはホロフェルネスの首を切り落とし、殺害に至るのです。

本作では、不気味なホロフェルネスの姿と、美しく着飾り涼しい表情を浮かべるユディトの存在は対照的で、ユディトの勝利が圧倒的なものであることを印象付けています。

ユディトの華やかな衣服や装飾品には血の一滴もついていません。

この「ユディトとホロフェルネスの首」はクラーナハとその工房が力を入れたテーマであったようで、同時期にこの題材を描いた同様の構図の作品が複数存在します。

ルーカス・クラーナハの作品まとめ

時には男性を誘惑し、ある時には冷たい眼差しを放つ女性たち。

神話や宗教の物語に登場する、蠱惑的でしたたかに生きる彼女たちの姿は、クラナーハにとっても、魅力が尽きることのない存在だったのではないでしょうか。

クラーナハは後世にも大きな影響を与え、のちに現代美術のはじまりを作ったマルセル・デュシャン(1887-1968)も、クラーナハ作品をベースに自身の作品を制作しています。

約500年前に描かれた数々の絵画は現在も多くの人々を魅了し、2016年から2017年にかけて日本国内でも大規模な回顧展が開催されました。

本記事で取り上げたクラナーハの作品を通じ、神話や聖書のヒロインたちの持つ奥深い魅力について、少しでも興味を持っていただければ幸いです。

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