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名画にみる神話の世界「銅版画に刻まれた神話 ヘンドリック・ホルツィウス」

『イクシオン』(ヘンドリック・ホルツィウス、1588年)
『イクシオン』(ヘンドリック・ホルツィウス、1588年、原典

はじめに

ギリシャ神話の神々や英雄の姿は、これまで巨匠たちの手によって数えきれないほどの芸術作品のなかに表現されてきました。

テンペラ画や油絵、彫刻、工芸…..あらゆる表現手段によって、神話のエピソードは形を与えられてきたと言えます。

今回はなかでも、細密な版画作品に焦点を当て、描かれた神話の物語や登場人物たちについて触れていきたいと思います。

宗教的な画題を手掛けた版画家といえば、ドイツ人のアルブレヒト・デューラー(1471-1528)がもっとも有名です。

「アダムとイヴ」(アルブレヒト・デューラー、1504年)
『アダムとイヴ』(アルブレヒト・デューラー、1504年、原典

しかし本記事では日本ではあまり知られていない、ヘンドリック・ホルツィウス(1558-1617)のギリシャ神話を主題にした名作をご紹介していきます。

ヘンドリック・ホルツィウスとは、どんな画家?

『ヘンドリック・ホルツィウスの肖像』(ジャン・ミュラー、1617年頃)
『ヘンドリック・ホルツィウスの肖像』(ジャン・ミュラー、1617年頃、原典

ヘンドリック・ホルツィウスは、16世紀後半から17世紀にかけて活躍したオランダの画家です。

彼が多くの作品を残したのは、デューラーが活躍した少し後の時代。

1558年に生まれたホルツィウスの右手は、子どもの頃にやけどを負ったせいで変形していました。

じつはこの手は、版画制作にあたりビュランという彫刻刀を握るのに適していたと言われています。

ホルツィウスは、版画家だけではなく製図技師、画家としての面も持っていましたが、父からガラス彩色を、またD・V・コールンヘルトからは銅版画を学び、技術を身に付けました。

1577年19歳の時にハールレムに移住、1578年頃には独立して自らの工房を構えるようになります。

1580年代後半には後述する代表作を生み出し、1590年までにはヨーロッパ中で大きな成功をおさめました。

一方私生活では、若い頃に年の離れた未亡人と結婚、夫婦間の関係がもとで健康を害するようになるなど、恵まれない時代もあったようです。

代表作「The Four Disgracers」

神に背く行為や傲慢は「ヒュブリス」という言葉で表されます。

ヒュブリスにより罰が与えられた人物を描いたのがこの「The Four Disgracers」シリーズ。

円形の中に人物を配した斬新な構図が魅力の本作では、イカロス、イクシオン、パエートン、タンタロスの4人の姿が描写されています。

1. イカロス

「イカロスの翼」のエピソードは耳にしたことのある方も多いかと思います。

イカロスとその父ダイダロスは、閉じ込められた高い塔から脱出するため、翼を作り空を飛ぶアイディアを思いつきます。

これは芸術作品をはじめ、宮殿や機械などあらゆるものを作り出す才能のあった職人ダイダロスならではの策でした。

しかし二人の翼は、鳥の羽根が蝋で固められていたため、熱に弱いという弱点があったのです。

イカロスは空を飛ぶという新しい体験に夢中になり、父の忠告にもかかわらず太陽に近づき過ぎてしまいます。

ついには熱で翼の蝋が溶け出し、墜落死をとげました。

ここで、ホルツィウスの描いたイカロスの姿に注目してみましょう。

『イカロス』(ヘンドリック・ホルツィウス、1588年)
『イカロス』(ヘンドリック・ホルツィウス、1588年、原典

太陽のほうに目をやり、口が半開きとなり茫然としているようです。

遠くに見える景色や太陽との距離から、イカロスが天高い場所から今まさに落下しようとしている、その一瞬を捉えたことがわかります。

翼は熱によってすでに失われたのか、画面には描かれていません。

重大な過ちに気づいたときにはすでに遅く、焦りや後悔の滲んだイカロスの表情が見事に表現されています。

2.イクシオン

イクシオンはテッサリアのラピテス族の王です。

ディアと婚約することになり、ディアの父親エイオネウスに婚資を支払うことを約束。

しかし大金を払いたくなかったイクシオンは、結婚式当日にエイオネウスに罠を仕掛けることを思いつきます。

落とし穴を掘り、そこに燃える石炭を詰め込んだのです。

身勝手な理由による蛮行は、許し難い行為として厳しく非難されますが、寛容なゼウスはイクシオンの罪を浄め、さらに食事にまで招きます。

しかし反省しないイクシオンは信じられない行動に出ました。ゼウスの妻へーラーを誘惑しようとしたのです。

これらの行いにより、イクシオンは罰を受けることになったのです。

与えられた罰は、火のついた車輪に身体を縛りつけられ永遠に回転させられるというもの。

『イクシオン』(ヘンドリック・ホルツィウス、1588年)
『イクシオン』(ヘンドリック・ホルツィウス、1588年、原典

本作では車輪は描かれていませんが、燃え盛る炎のなか苦悶の表情を浮かべている様子が伝わってきます。

円の中心に人物を配置した構図は閉塞感を生み出し、逃げ場のない環境で与えられた刑の過酷さが効果的に表現されています。

3.パエートン

『パエートン』(ヘンドリック・ホルツィウス、1588年)
『パエートン』(ヘンドリック・ホルツィウス、1588年、原典

パエトーンはアポロンの息子。

自身が太陽神の息子であることを証明するため、太陽神の戦車を操るも暴走させてしまいます。

暴走を止めるためにゼウスが放った雷によって、パエトーンは墜落、死を迎えたとされます。

「パエートンの墜落」という主題は、のちにピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)によっても描かれています。

4.タンタロス

タンタロスはリュディアの王たちの一人で、ゼウスとプルトの間に生まれた子です。

タンタロスが犯した罪については諸説あり、ゼウスの秘密を口外した、または神々の食べ物を盗んだとも言われています。

もっとも残酷な罪は、オリュンポスの神々を宴会に招いたとき、息子ペロプスを殺しその身体を刻みシチューとして振る舞おうとしたこと。

神々を欺くこの行為は、当然彼らの怒りを買うことになり、タンタロスは奈落に閉じ込められ、永遠の飢えと渇きに苦しむこととなりました。

『タンタロス』(ヘンドリック・ホルツィウス、1588年)
『タンタロス』(ヘンドリック・ホルツィウス、1588年、原典

ここまで取り上げたホルツィウスによる連作は、ギリシャ神話の中でも、過ちを犯してしまった人物を取り上げたユニークな作品。

それぞれのエピソードは、欲望に目がくらんだ人間の愚かさや傲慢さを示唆するようで、現代の私たちに教訓を与えてくれるようにも思えます。

また、いずれの人物も宙に浮いているという非現実的でダイナミックな場面描写は、神話の世界を描いた作品ならではの魅力。

細かい筆致で描きこまれた肉体描写も、観るものを引き付ける迫力にあふれています。

さらに続く次の作品では、強調された筋肉の量感にご注目ください。

描かれた2つのヘラクレス

ギリシャの偉大な英雄ヘラクレス。

ホルツィウスは、作品のなかのヘラクレスに生身の人間のようなリアリティを与えるのではなく、筋肉をより誇張し、人間を超える存在として描きました。

『ヘラクレス』(ヘンドリック・ホルツィウス、1589年)
『ヘラクレス』(ヘンドリック・ホルツィウス、1589年、原典

本作では、半神半人、そして怪力の持ち主であるヘラクレスの堂々とした存在感が画面にあふれています。

その後、ホルツィウスはヘラクレスを題材にして別の作品を仕上げました。

「ファルネーゼのヘラクレス」は、ホルツィウスがイタリアに滞在していた1591年の翌年に描かれた作品。

イタリアへ旅立ったのは健康状態が悪化したことも理由だったようですが、古代の彫刻に学び技術を磨くことが本来の目的でした。

右手のやけどを隠し、お忍びで訪れたと伝えられています。

画中のヘラクレス立像は、1546年に、ローマにあるカラカラ帝の浴場跡から発掘されファルネーゼ家のコレクションに加わった彫刻作品。

当時、学者や芸術家たちがローマを訪れる際のお目当てだったとのことで、ホルツィウスも一目見てみたいと長年願っていたことでしょう。

本作では、ヘラクレス像の存在が背面から大きく捉えられています。

さらに像を見上げている右下の二人の人物との対比により、像の大きさが強調されています。

『ファルネーゼのヘラクレス』(ヘンドリック・ホルツィウス、1592年)
『ファルネーゼのヘラクレス』(ヘンドリック・ホルツィウス、1592年、原典
『ファルネーゼのヘラクレス』部分画像(ヘンドリック・ホルツィウス、1592年)
『ファルネーゼのヘラクレス』(ヘンドリック・ホルツィウス、1592年、原典

描かれたのは、すでに立体化された彫刻が独自の視点で平面に置き換られたヘラクレス像ですが、今にも動き出しそうな生々しい肉体が画面を覆うかのようです。

ホルツィウスの描いた女神たち

ホルツィウスが得意としたのは、迫力あふれる筋肉の描写だけではありません。

文芸を司る9人の女神ムーサたちを描いた作品からは、彼の描写力の幅広さを感じることができます。

ムーサたちは、ゼウスとムネモシュネの間に生まれた9人の娘です。

  • カリオペ(詩作)
  • クレイオ(歴史)
  • エラト(叙事詩)
  • エウテルペ(器楽)
  • メルポメネ(悲劇)
  • ポリュムニア(ハーモニー)
  • テルプシコラ(踊りと合唱)
  • タレイア(喜劇)
  • ウラニア(学問もしくは天文学)

このように、学芸全般の分野をそれぞれ分担して司っています。

ホルツィウスの描いたカリオペの姿を見てみると、ぷっくりとした唇やシルクのような艶やかな衣服の質感が見事に表現されています。

「9人の女神たち」から「カリオペ」(ヘンドリック・ホルツィウス、1592年)
「9人の女神たち」から「カリオペ」(ヘンドリック・ホルツィウス、1592年、原典

一番上の長姉であるカリオペは9人の中でも最も賢かったとも言われますが、凛とした顔立ちに彼女の知性が垣間見えるようです。

ホルツィウスの描いた版画作品についてのまとめ

果てしない数の線が銅版に刻まれ、惜しみない労力と才能が注ぎ込まれたホルツィウスの作品。

細部の隅々まで描きこまれた画面は、見れば見るほど、登場人物たちが生き生きとした表情を見せ、神話の世界と私たちが生きる現実とをつないでくれるかのように感じられます。

400年以上も前に描かれた名作は時を超え、今もなお私たちに新鮮な驚きを与えてくれます。

今回ご紹介したホルツィウスの作品を通し、神話の物語に親しむ手がかりを見つけていただければ幸いです。

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