前回は『ヨハネの黙示録』に登場する謎めいた象徴の代表格として、以下の4つを紹介しました。
- サタンの化身と思われる「7つの頭をもった赤い龍」
- 海から現れ、にせキリストとして振る舞うとされる「第一の獣」
- 地中から現れ、人々を暴力で脅すことでにせキリストへの服従を迫るとされる「第二の獣」
- 第二の獣が人々に刻印するという「666」という数字
それぞれが不気味さに溢れたイメージであり、過去の絵画や映画、アニメや小説で何度も引用され使われてきたものですが、その正体を理解しようとするとかなり頭をひねってしまいます。
それゆえに、「『黙示録』というだけあって、著者のヨハネが見た一種の幻覚の世界でのビジョンを描いているのに違いないから、出てくるバケモノや謎めいた記号には意味など求めても仕方ないのだ」という説もあり、これも一理あります。
ところが、このあたりの象徴については、聖書学の世界ではかなり細かい検証が進んでおり、少なくとも上記の4つについては、意外にシンブルなモトネタがすでに特定されています。
今回はその説を紹介しましょう!
いわば『ヨハネの黙示録』の、謎解きのパートです!(※なお、今回の記事の黙示録解釈は、L・ファン・ハルティンクスフェルト著『ヨハネの黙示録』(教文館)を参考にしています)
Contents
最初の謎解き:赤い龍の正体

赤い龍がサタンの化身として描かれているのはその通りですが、「7つの冠をかぶった7つの頭をもち、それぞれの頭には神を冒涜する名前がついていた」などといった細かい記述は、いったい何を示しているのでしょうか。
実はこの謎を解くカギは、旧約聖書の中の『ダニエル書』にあります。
『ダニエル書』では、当時のイスラエルを攻撃したセレウコス帝国の皇帝のことを「獣」と呼んで罵り、『ヨハネの黙示録』における赤い龍の扱いとそっくりな描写をしています。
ヨハネもまた、旧約聖書の『ダニエル書』における記述を参考に、この赤い龍の場面を「幻視」したのでしょう。
となると、赤い龍というのは、ヨハネが生きていた時代にイスラエルならびにキリスト教徒を迫害していた帝国のことの隠喩です。
つまり、これは「古代ローマ帝国のこと」と読めるのです。
そうすると、謎めいた描写もぴったりと符号してきます。
「7つの冠をかぶった7つの頭をもち、それぞれの頭には神を冒涜する名前がついていた」という描写は、ヨハネの黙示録が書かれた時代までの古代ローマ帝国には7代の皇帝が登場していたことと符号します。
「7代続いている皇帝をかかげた帝国であって、しかも神を冒涜することに、7人の皇帝はそれぞれ神にも匹敵する権力者であると増長していた」と読めます。
第二の謎解き:海から現れた獣の正体

このパターンで、残りの謎も解いていきましょう!
赤い龍から権力を受け取る「海から現れた獣」というのは、細かい描写によると、「7つの頭を持つ獣だった」とあります。
はい、またしても7つの頭、です!
そしてそのうちのひとつの頭が大けがをしていたが、「赤い龍と合流したことで、その頭も蘇生した」という、また謎めいたことが書いてあります。

これも赤い龍の話と同じで、頭の数は7代目までのローマ皇帝を示している、つまりローマ帝国のことです。
海から現れて赤い龍(サタンのイメージ)から力を継承したというのは、「過去にイスラエルやキリスト教を迫害した様々な帝国(バビロニア帝国やセレウコス帝国)の後継が、(ヨハネの黙示録が書かれた時代の)ローマ帝国なのだ、というメッセージであり、それが「海から現れた」というのは、「海を支配している=世界を支配することが可能なほどの帝国であるから、今までイスラエルやキリスト教を弾圧してきた様々な権力よりもさらに強敵だぞ」ということをあらわしています。
ちなみに、謎めいた「ひとつだけケガをしていた頭の蘇生」ですが、L・ファン・ハルティンクスフェルト氏は「五代目のローマ皇帝、暴君ネロが暗殺されたことを示しているのでは?」と解釈しています。
最もキリスト教徒を残虐に弾圧したネロ皇帝は、暗殺されて死にましたが、その遺志はローマ帝国の中に継承されているので、その弾圧のパワーはまだ猛威を振るっている(暗殺されてもネロの執念は蘇生して生きている!)と言いたいのだ、となります。
ヨハネの時代の少し前、「あの暴君ネロが暗殺されたことでローマ帝国は弱体化するのではないか」という希望的観測があったのですが、むしろその後、ローマ帝国は強力になっていきます。
そのことに対する恐怖感が、「頭がひとつつぶれたのに蘇生した獣」「赤い龍から力を受け継いでさらに強大になった獣」といった隠喩に現れている、ということです。
第三の謎解き:地中から現れた獣の正体
地中から現れた獣は、どう見ても、「海から現れた獣」の下位の身分と考えられます。
そして人々に「海から現れた獣のことを信仰せよ」と強要します。
どう見ても、祭司の役回りですよね。
実際、ローマ帝国では、国家公務員としての神官たちが初代皇帝アウグスティヌスの像を礼拝するようローマ市民に強制していました。
ということは、「地中から現れた第二の獣」の正体は、どうやらローマ帝国の僧侶階級のことを指している、と言えそうです。
第四の謎解き:666の数字

いよいよ、666の数字に取り掛かりましょう。
残念ながら(あるいは嬉しいことに、というべきでしょうか!)、この666については、様々な異説が飛び交っていて、赤い龍と二匹の獣のようなきれいな決着はできていない現状のようです。
ですが、L・ファン・ハルティンクスフェルト氏が、かなり有力そうな解決案を出しているので、それを紹介しておきましょう。
- ヨハネの黙示録自体の中に、「666に注意せよ、これはある人間の名でもある」という謎めいた箇所がある
- ということは、これはそのまま、誰かの人名なのだ、と仮定してみる
- さらにこれはA=1、B=2、C=3のように、アルファベットと数字を対照させた暗号なのだと解釈する
- これを加算したり乗算したりして、ヨハネの黙示録と同時代にいる有名人で666と符合する人名を探す
- ひとつある。ちょうどヨハネの黙示録執筆当時に在位していたローマ皇帝「ドミティアヌス帝」である
- 666が、黙示録の著者と同時代に存命中だったローマ皇帝の実名の暗号だとすると、赤い龍や二匹の獣の解釈とも一致する
- そういえば第二の獣は「666をあがめて、その印を体に刻まれないと、市場で買い物もできないほど村八分になるよ」という恐怖で人を支配していた。当時の貨幣には皇帝の名前が刻まれていたから、666の印といっているのは実は「お金」のことなのでは?
第三回のまとめ:つまり黙示録は「弾圧に苦しむ信徒たちへの励ましの暗号文」だった!

この解釈が有力なのは、『ヨハネの黙示録』が書かれた時代の背景を考えると、とても収まりがよいからです。
当時、キリスト教徒たちはローマ帝国の弾圧に苦しんでいました。
たび重なる仲間の逮捕や、拷問、処刑のニュースに、各地のキリスト教徒たちは恐れおののいていたことでしょう。
『ヨハネの黙示録』はおそらく、そうした各地に散らばるキリスト教徒たちに、下記のようなメッセージを込めていたのです。
ローマ帝国は強大だが、弾圧に負けるな!
たしかに暴君ネロが暗殺されてもけっきょく蘇生する、バケモノのように強い帝国だが、教えによれば世界の終わりの際に裁きを受けるのは、ドミティアヌス帝の名前を神のようにあがめているローマ市民たちのほうなのだ。
世界の終わりの際にローマ帝国は滅ぼされ、キリスト教徒たちは生き残るだろう。
だから、弾圧に負けず、がんばれ!
当然、この文書はローマ帝国側の市民が読んでもわけがわからないように暗号化されている必要があり、「旧約聖書の世界観に親しんでいるキリスト教徒ならわかる」赤い龍とか、海からの獣とか、地中からの獣とかいった象徴を使って、巧みにローマ帝国滅亡の予言を織り込んだものと思われます。
そう考えると、「おぞましいビジョン」と思えた世界滅亡の描写も、日々弾圧されている弱者側が、時の一大帝国がいつか滅ぶ日のことを夢見て空想が過激化していると解釈でき、かなり見方も変わってくるのではないでしょうか?
ともあれ、実際の歴史では、とうのローマ帝国が後にあっけなくキリスト教を採用して、むしろキリスト教の庇護者という役回りに転じてしまうのは、皮肉なことですが。
このように聖書学の世界では、かなり現実の歴史に即した納得感のある解釈が進んでいるのですが、残念ながらそういった正確な研究をよそに、現代でもこの『ヨハネの黙示録』はすさまじい誤読や誤解を引き起こすトリガーとして機能してしまっているようです。
次回では、現代社会になお強く残る『ヨハネの黙示録』の影響力について紹介しましょう。
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