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キリスト教正教の文化に登場する「イコン」って何?ビザンチン帝国の宗教美術に触れてみよう!

フレスコ画イコン『主の復活』
フレスコ画イコン『主の復活』(原典

キリスト教の正教で使われる「イコン」をご存知でしょうか?

ロシアやギリシャの文化を紹介する本や映像によく出てくると思います。

正教の信者が教会や家に飾っている、のっぺりとした平面にイエス・キリストや聖母マリアなどの肖像が描かれているものです。

異国の事情を知らない人からは「遠近法がなっとらん」などという失礼な発言も飛び出すことがありますが、実はあの平坦ぶりは、「わざと」です。

正教のイコンには「立体的に描いてはいけない」という明確な理由があるのです。

ビザンチン帝国で苦難の歴史を辿った「イコン」の伝統

イコン『Portable Icon with the Virgin Eleousa(憐れみの聖母)』
イコン『Portable Icon with the Virgin Eleousa(憐れみの聖母)』(原典

世界史の教科書でも出てくる通り、いわゆる「ゲルマン民族大移動」の影響でローマ帝国は滅亡し、コンスタンティノープルを首都とする「東ローマ帝国」のほうが生き残りました。

キリスト教もこの時に、ローマ教皇が統括するカソリックと、東ローマ帝国(またはビザンチン帝国)に引き継がれた正教(オーソドックス)との二流派に分裂します。

イコンというのは、この東ローマ帝国側の正教(オーソドックス)派に継承されていった伝統です。

東ローマ帝国は後にトルコによって滅ぼされますが、正教の伝統は東ヨーロッパやロシアに残り、これらの地域では私たちが「キリスト教」と聞くと連想しがちなカソリックの雰囲気とは、また異なる宗教文化が今日でも生きています。

いわゆるカソリックの宗教画とはまったく異なる発想からやってきた「イコン」

自印聖像の逸話が書かれたイコン
自印聖像の逸話が書かれたイコン(原典

日本人がイコンを見た時の違和感の原因は、私たちが「キリスト教の絵画」ときくと、どうしてもルネサンスやバロックの豪奢な絵画のことを想像してしまうからでしょう。

それだけ日本での「キリスト教」のイメージはカソリックの影響が強く、ロシアや東ヨーロッパの正教はなかなか伝わってこない、という事情があります。

ただしこの正教という世界の文化、調べれば調べるほど、修業において瞑想を重視するところとか、徳を積んだ僧侶を長老(高僧)として敬愛する文化とか、どこか東洋の宗教に似ているところが感じられ、日本人であれば親近感を覚える発想も多いのではないでしょうか。

そもそも「イコン」というもの、絵画として鑑賞するためのものではなく、これを使って瞑想したり祈祷をしたりすることで、そこに描かれているキリストや聖者たちのことを「想う」という、観想のための道具なのです。

『Icon with Christ Pantokrator(パントクラトールのキリスト)』
『Icon with Christ Pantokrator(パントクラトールのキリスト)』(原典

これも東洋の宗教に似ているものがありますね、たとえば曼荼羅です。

密教の世界では、曼荼羅という絵画を修業の際に重用しますが、これも瞑想の時に目の前に置くことで、言語を超えた宗教的な真理に目覚めるためのツールとして考えられています。

楽しく鑑賞するためのものではありません。

絵画として描かれたツールを修業の道具として使い、自らの精神性を高めるという発想は、これまたなんとなく東洋人の考える「宗教的修業」と親近感がある発想で、面白いところです。

教文館から出ている『正教のイコン』(C.カヴァルノス)という本では、以下のように説明されています。

  • 「イコンは尊敬の念を呼び起こし、心の目を覚ましてくれる」
  • 「(たとえば)キリストの十字架のイコンを見れば、キリストの救いの苦しみを私たちは思い出す」
  • 「(イコンを前に瞑想をすることで)私たちは一時だけでも高度なところに招き入れられる」

イコンが極端に平面な理由は、「3Dっぽく描いてはいけない」という明確な伝統ゆえ

フレスコ画イコン『主の復活』
フレスコ画イコン『主の復活』(原典

ところで、キリスト教の歴史にある程度詳しい方なら、当然、イコンを見てひとつの疑問を持つことでしょう。

「これって、キリスト教で禁止されている偶像崇拝にあたるのではないか?」と。

実際、この問題は正教の歴史においても複雑な経緯をたどりました。

西欧のカソリックが正教を攻撃する時には、「イコンという偶像崇拝をやっているけしからん流派だ」という言い分になります。

当の東ローマ帝国の皇帝ですら、一時期はその批判におされ、「イコンは偶像崇拝に抵触する悪しき伝統だから、やめよう」と号令を出し、大規模なイコン廃棄運動が起こったこともありました。

ただし長い年月を経て、正教の世界ではイコンは「重要な宗教伝統」としてついに正式に認められました。

あくまでも「それを通じて聖なるものに近づくためのツール」であって、これは偶像崇拝ではない、ということですね。

尊敬する先生や、恋人の肖像画をアクセサリに入れて大事に携帯している人のように、「肖像画そのものを愛しているのではなく、それを通じて、遠く離れたところにいる御方への尊敬の念を示す」という正しい使い方をするならOKということです。

前掲の『正教のイコン』では、こう説明されています。

「イコンへの崇拝は、印象、あるいは象徴表現であり、象徴されているものそのものへと導いてくれるので、絶対に崇拝ではない。偶像にはそうした聖像表現の力はない」

つまり、ここがややこしいところですが、この「イコンそのもの」が「崇拝対象」になってはいけません。

そこで、イコンの描画方法は、できるだけ「写実的な表現とは離れた描き方」をされるべし、となりました。

『Triptych with the Mandylion(自印聖像の祭壇画)』
『Triptych with the Mandylion(自印聖像の祭壇画)』(The Kremlin Armory Workshops、原典

極力、肉感を排除した、のっぺりとした二次元の「像」として描くという伝統です。

3Dっぽくリアルな肉体として描くなどもってのほか!という事情ですね。

これこそ傑作!『ウラジーミルの聖母』があまりにも現代的な洗練度!

トレチャコフ美術館聖堂(左手に『ウラジーミルの生神女』
トレチャコフ美術館聖堂(左手に『ウラジーミルの生神女』、原典

ともあれ、「のっぺり2D」にこだわるイコンの伝統が、決して美術的に停滞したわけではありません。

イコンの作家たちは時代ごとに洗練をきわめ、さまざまな傑作を生みだしてきました。

伝統の制約の中で、それぞれの時代の表現を極めていく、というのも日本の職人の発想に似ていて、なんとなく親近感が湧きますね。

私が特に傑作と思うのは、モスクワのトレチャコフ美術館に保管されている、『ウラジーミルの聖母』というイコンです。

イコン『ウラジーミルの生神女』
イコン『ウラジーミルの生神女』(原典

このイコンを運んでいた馬がウラジーミルで立ち止まり動かなくなったことから、ウラジーミルに教会を建ててそこに安置することになったという不思議な伝説を持つイコンです。

12世紀に描画されたものとされているのですが、ここで赤子を抱く聖母マリアは現代の基準からみても、言い知れぬ神秘性をもった美女として描かれており、その微妙な表情は、かのレオナルド・ダビンチの「モナリザ」にも劣らない魅力を放っていると思うのですが、いかがでしょうか?

モスクワとなると、そう簡単に行ける距離でもありませんが、ぜひ一度は、この有名なイコンの実物を拝んでみたいもの、と思っています。

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