もののけ姫に登場する神々の正体とは?

ミスペディア

世界中から高い評価を受けているジブリ映画。

その中でも1997年に公開された「もののけ姫」は興行収入193億円を記録し、当時の日本の歴代興行収入記録を塗り替えるメガヒットとなりました。

それまでのジブリ作品と比べて明らかに大人向けの作品となっており、生々しい描写も多いことからアメリカではR13指定の作品となっています。

森の主である神々と、人間の対立を描いた作品ですが、日本の歴史と絡めた内容となっていることもあり様々な考察がなされている作品です。

今回はそんなもののけ姫についての考察を一つご紹介します。

その考察とは、「もののけ姫は縄文文化と弥生文化の最後の決戦を描いた作品だ」という説です。

さっそく?マークになってしまった方もいらっしゃると思いますが、少しだけお付き合い頂けると嬉しいです。

物語の中心テーマとなっている「神殺し」とは何を意味するのか?

巨大な生物達は何者なのか?

誰もが知るもののけ姫の、隠れた謎に迫ってみたいと思います。

物語の背景について

まずは時代背景についてです。

もののけ姫の舞台は室町時代中頃の日本と言われています。

野武士や侍たちが登場し、しかもかなり治安が乱れている様子が描かれています。

野武士の集団が人を襲い、エボシ達のたたら場にも「アサノ公方」と呼ばれる勢力の配下の侍が鉄を要求しにやってくる描写があります。

そして重要なのが映画の冒頭、アシタカの故郷であるエミシの村の長老ヒイ様のセリフです。

「大和との戦に敗れこの地に潜んでから五百有余年、今や大和の王の力はなく将軍どもの牙も折れたと聞く。」

「大和の王の力はなく」という言葉から、当時朝廷の権威が失墜していたことが伺えます。

応仁の乱で京都は荒廃し、守護大名の台頭で戦国時代へ突入していきます。朝廷、幕府といった中央権力の存在感が薄くなっていた時代と言えます。

では次に、アシタカの出自についてです。

そもそもエミシとは、大和政権に服属しなかった人たちのことを意味します。大和朝廷と蝦夷の戦いは長きに渡って続きますが、蝦夷の敗戦が決定的となったのは阿弖流為(アテルイ)が坂上田村麻呂に降伏した巣伏の戦い(789年)と言われます。

ヒイ様のセリフ「大和との戦に敗れこの地に潜んでから五百有余年」の部分から、アテルイ達の降伏の後、さらに追討を受けた集団の一つが東北方面の奥地や、東国の山奥に潜んだと思われます。

そして村の様子です。たたら場や、アシタカが旅の途中に立ち寄った町の様子と比べると異質な印象をうけます。石や動物の骨を使った不思議な占いをし、巨石の前に祭壇を置いて崇めている様子が描かれます。

たたら場や町の人達とは別の文化を受け継ぎながら、ひっそりと隠れ暮らしていたことがわかります。

蝦夷と呼ばれた人々は、弥生人より先に日本列島に住んでいた縄文人と思われます。遺骨の調査から、弥生人は縄文人から派生したのではなく、別々のルーツを持つ異なる人種だということがわかっています。

室町時代はアシタカ達、縄文人がかろうじて存在した最後の時代だったのかもしれません。

神殺しとは

もののけ姫には、祟り神として登場するナゴの守、乙事主や山犬のモロなど巨大な生物が登場します。

時代背景をふまえリアルに作りこまれている映画の作中で、際立って異質な存在です。彼らは一体何者なのでしょうか?

乙事主のセリフに、その答えがありそうです。

人間との無謀な戦いを止めようとする山犬モロに対し、乙事主は以下のように答えます。

「わしの一族を見ろ。みんな小さくバカになりつつある。このままではわしらはただの肉として人間に狩られるようになるだろう。」

動物は食物連鎖において人間よりも下であり、食肉として狩られることもあります。現代の私たちにとっては当然のことです。

しかし乙事主は、昔はそうではなかったと言っています。そうではないということは、逆に人間から恐れられていたという事です。

古代の日本では、自然は征服の対象ではなく畏敬の対象でした。どの文化にも自然に対する畏敬の精神は存在しますが、縄文時代の日本では特にそれが色濃かったのです。

実は縄文文化というのは、世界的に見ても特殊です。定住を前提とした農耕文化、移動を前提とする狩猟採集文化、どちらにも属さないのです。

縄文人は狩猟採集を基盤としつつ、定住生活をしていました。これは温暖湿潤で豊かな自然環境に恵まれた日本列島だからこそ可能だったと考えられています。

農耕をしないため人口は少数で安定し、農地や居住空間のために領地を広げる必要がありませんでした。定住することで活動範囲も限定的となりました。

そんな超コンパクト社会で培われた精神性が、神道を代表とする日本人的なアニミズムだったのです。未知に対する恐怖を受け入れつつ、少人数の仲間と共に必要最低限の資源を確保して生活しました。

恐ろしくも恵みの源である大自然は、まさしく神のような存在だったでしょう。縄文人の消滅は、その文化を象徴する神々の消滅も意味していたのかも知れません。

今も残る痕跡

今でも猪神や狼(真神)信仰の痕跡を確認することができます。

猪神として登場する乙事主、ナゴの守。どちらも重要なキャラクターですが、特に白い大猪の姿をした乙事主は気高い姿が印象的です。

白い猪神は古事記にも登場し、日本武尊を殺してしまう伊吹山の神として描かれています。

古事記での言及は簡単にまとめると以下の内容です。

日本武尊は伊吹山の神を討とうと伊吹山に登った時、山のふもとで白い猪に遭遇します。

日本武尊は「この白猪は神の使者だろう。帰る時にでも殺してやる。」と宣言し素通りします。

しかしその猪こそが伊吹山の神であり、怒った神は大雹の雨を降らし日本武尊に大けがを負わせます。

日本武尊はなんとか山を降り、弱った体で大和へ帰ろうとしますが途中で力尽きて亡くなってしまいます。

このように日本武尊を返り討ちにして殺してしまった、強くて恐ろしい神様です。

また猪は必ずしも人間に仇なす神ではなく、人間を助けたことで祀られている例もあります。

京都にある護王神社では、奈良時代の貴族である和気清麻呂を、猪が刺客から救ったという言い伝えから、和気清麻呂と共に猪神が祀られています。

次に狼(真神)信仰についてです。

山犬は、犬という字がついていますが一般的に狼(ニホンオオカミ)のことです。

神格化された狼は真神と呼ばれます。縄文時代の遺跡から、加工されたニホンオオカミの頭骨や牙が出土しており、儀式の道具やお守りのように使用されていたと推測されています。

このことから狼信仰のルーツはかなり古いことがわかります。

またその後も狼信仰は関東を中心に続いたようで、狼を神や神の使いとして祀る神社が数多く存在します。

また日本書紀には、信濃の山中で道に迷った日本武尊を道案内する白い狼が登場します。

日本武尊を手助けした狼と、殺してしまった猪神。非常に対照的なエピソードが神話の中で語られています。

人間を憎悪する乙事主に対し、人間のサンを育て、明らかに人工遺物である石の神殿を住処とするモロの一族。

人間への愛着を捨てきれないモロ達の姿は、こういった背景も参考に描かれているのかもしれません。

今回はもののけ姫に関する考察の一つを紹介しました。

比較的有名な考察ですので、気になる方は自分でさらに深く調べてみるのも面白いと思います。

神話や歴史にさらに興味を持つきっかけになるかもしれませんね。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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