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Contents
ケルト人とは?
ヨーロッパは、ユーラシア大陸の西方に突き出した巨大な半島です。
現生人類の祖先はアフリカから中東を経由し、インドから中央アジアにかけて広がりました。これがはるかな昔から何度も半島部、つまりヨーロッパに向かって移動を繰り返したのです。
そのためヨーロッパ、特にその西方部の歴史は、旧住民が何度も西からやってきた別の民族に侵略され、支配されることの繰り返しとなります。
ケルト人は紀元前1500年頃までに中央アジアからヨーロッパに移住してきた民族で、馬に引かせた戦車を使う、という特徴がありました。
紀元前1200年頃にはフランス南部からドイツにかけての地域に居住し、ハルシュタット文化の担い手になりました。
紀元前500年よりも後になると、彼らはヨーロッパ全土に広がり、海を渡ってブリテン島・アイルランド島にも住み着くようになります。

主としてアルプスの北側に居住していたケルト人は、ローマ人から「ガリア人」と呼ばれました。
ローマ人はガリア人の居住地に支配領域を広げていきます。
ガリア人はローマに抵抗しますが、やがてその支配を受け入れ、一部はローマの傭兵として活動するようになります。
ローマ帝国の末期になると、東方から次の移民の群れが押し寄せます。ゲルマン人です。
ガリア人、つまりヨーロッパの大陸部に居住していたケルト人の大部分はゲルマン人に駆逐され、残った人々はゲルマン人に同化され、現在のフランス人の原型を形作るようになりました。
ブリテン島にもゲルマン人の一派であるアングル人・サクソン人などが押し寄せました。
ローマ人の守備隊の末裔らしき人物が、ケルト人とともにサクソン人を一度撃退しましたが、西部(ウェールズ)・北部(スコットランド)・南西部(コーンウォール)を除くブリテン島の大部分は、アングル人・サクソン人の居住地となります。

やがてアングル人・サクソン人はコーンウォールのケルト人を圧迫し、ケルト人たちはまた海を渡ってブルターニュ半島へと移住します。
紀元前後頃、ヨーロッパ全体に広がっていたケルト人は、中世にはアイルランド・スコットランド・ウェールズ・ブルターニュといったごく限られた地域にだけ居住するようになっていました。
ケルト神話の特徴
先に述べたように、ケルト民族は長い歴史を持ち、中央アジアからヨーロッパにまたがる非常に広い範囲に居住していました。
「民族」という人間の集団の定義には、さまざまな説があるのですが、その柱になるのは「言語」と「神話」であろう、というのは異論の少ない有力なものとなっています。
つまり、ケルト人というのは、ケルト系の言語とケルト系の神話を共有していた集団であろう、ということになるのです。
ケルト神話は、共有されていた範囲・時間ともに膨大です。
いわゆるドーリア人が侵入した後、ギリシアという狭い範囲で成立したギリシア神話などより、ずっとスケールが大きいのです。
ただ、ケルト神話はギリシア神話などより、文字で書き留められる機会がずっと少なかったため、現在伝えられているお話の量は他の神話よりも少なめで、しかも断片的なものを多く含んでいます。
記録を行った人々がキリスト教の修道士であったことが多いので、そのストーリーにはキリスト教の価値観に基づいたバイアスがかかっています。
さらに、アイルランドなどに押し込められた後の実在の人物の活動が神話化されたお話も追加されています。
その結果、お話が実に多種多様に分かれ過ぎており、ひとつのまとまったストーリーとして読むことが難しくなっています。
最古層の神々
現在知られているケルト神話の最古層を形成するのが、おそらくはケルト人が大陸にいた時代から信仰していたのではないかと思われる神々です。
ただしこれらの神々の説話は、いわゆる「神話」の形でまとめられているわけではありません。
カエサルの『ガリア戦記』、タキトゥスの『ゲルマーニア』などといったギリシア・ローマの書物に、「◯◯人は△△という神を信仰している」なとどいった形で紹介されていたり、「△△ニア」などといった地名の形で神名が残されていたから現代の人が知ることができた、というのがほとんどです。
そのため、名前と、漠然とどのような自然現象の神格化であったか、という程度以上のことはわかりません。
これらの神々の名は、ルゴス・タラニス・エススなどといいます。

なんとなくケルトっぽくないような語感ですが、そう感じてしまうのは、これらの神の名を記録したのがローマ人などの他民族だったからです。
「島のケルト」の神話
現在一般に「ケルト神話」として知られているのは、アイルランドやウェールズ・スコットランドの神話です。
これらの地域には、現在でもケルト系の人たちが居住しています。
これらの伝承は、最初はドルイド僧などの口伝によって継承されていたと思われますが、中世になってからいくつかのテキストにまとめられました。

つまりオリジナルの物語が発生してから記録されるまでかなりの時間があったということで、その間にさまざまな「ノイズ」が混入したものと考えられています。
「ノイズ」というのは、実際に起った事件やその登場人物が、神話に埋め込まれていった、ということです。
実際、アイルランド神話のテキストは、日本の古事記や日本書紀のように、最初は神話として始まりますが、やがて実在の人間たちの歴史が綴られるようになっており、その境界があいまいです。
また、これらのテキストは主にキリスト教の聖職者によって記録されたため、キリスト教的な要素も「ノイズ」として含まれているのです。
なお、「島のケルト」と「大陸のケルト」は果たして同じ民族だったのか、という疑問が、古くから一部の学者によって唱えられていました。
比較的古い「定説」は最初に紹介した通りで、大陸にいたケルトがゲルマン人に押し出される格好でアイルランド・ウェールズ・スコットランドなどに移住した、とされているのですが、最近ではどうやらこれらに民族的なつながりがあるとは言えないのではないか、という説が主流になってきています。
その場合いわゆる「ケルト神話」はローマ人等の記録に神名だけ残っている存在となり、アイルランドなどに残っている神話は、それとは違う何かだ、ということになります。
スコットランドの「オシァン」
スコットランドの神話は、「オシァン作品集」と呼ばれる著作にまとめられてる、とされています。
ただ、これが純粋な神話と言えるかどうかには議論がありますし、本当にスコットランドのものなのかも疑問です。
というのは、「オシァン作品集」が成立したのはなんと18世紀になってからだったからです。
タイトルにある「オシァン」は、スコットランド古代の伝説的な詩人です。

この人物が古代のケルトの言葉であるゲール語で残した詩を、18世紀の作家ジェイムズ・マクファーソンが英語に翻訳し、まとめたのが「オシァン作品集」だというのです。
18世紀当時、ゲール語を読める人は非常に数が少なく、なおかつマクファーソンが収集した詩の原典を確認することが難しかったため、多くの人が「これはマクファーソンが作ったフィクションなのではないか?」とか、「マクファーソンが自分の小説的な作品に、収集したゲール語の説話を取り込んだものではないか?」などと異論を述べたのです。
マクファーソンはどちらかというと「ゲール語がある程度できた小説家」であり、歴史学者でも言語学者でもありませんでした。
そのため元の詩の収集方法は必ずしも学術的とは言えず、また英語への翻訳も、原典に忠実ではなくマクファーソンの自身の創作をかなり混ぜていたようです。
収集した口承それぞれに矛盾がある場合も多く、それらを一つの作品としてまとめる場合には、矛盾点を消すなどの編集作業が必要になります。
マクファーソンは当然そうした編集作業を行いました。
ですから現在から見れば「神話をモチーフとしたオリジナル作品」とするのが適当であろうと思われます。
とはいえ、スコットランド・ハイランド地方に伝わる口承詩などを実際に収集し、それを作品の素材としていますので、神話に全く基づかない個人の創造物である、とも言えません。
ただ、マクファーソンが収集した話は、そのすべてがスコットランド起源の説話ではなく、アイルランドに起源を持つ説話が、スコットランドに流れてきて口承されたのではないかと思われるものを多く含む、ということが次第に明らかになってきました。
しかし、だからといってスコットランド的な要素が皆無である、と断じることもできないのです。
これは元々中国の話であった「西遊記」を、日本人が子供に語り聴かせて続けていった結果、日本的要素が濃厚な「そんごくうの話」になっていったのと同じことでしょう。
「ドラゴンボール」などはその延長上にありますが、ここまで来ると起源が西遊記であったことはもはやほとんど意味をなさなくなっています。
前置きはこのあたりにして、マクファーソンの「オシァン」の内容を紹介していきましょう。
ローディンの戦い
「オシァン」の第一篇「ローディンの戦い」は、詩人オシァンがその父であるフィンガル王の若き日の冒険を語るところから始まります。
フィンガルは、船が難破してロホラン国にたどり着きます。
ロホラン国は実在する国ではありませんが、スカンディナヴィアのどこかである、という感じに描写されています。
ロホランの王スタルノは、フィンガルを宴に招こうとしますが、かつて騙されたことがあったのを思い出したフィンガルはこれを断ります。
それを根に持ったスタルノの襲撃を警戒して、見張りをしていたフィンガルは、スタルノ王に囚われていた美姫・オーイ・ヴァーンと出会いました。
彼女はスタルノの息子スワランを慕っていました。
スワランは権謀術数が服を着て歩いているような父とは違い、清廉潔白な武人だったのです。
そのスワランとフィンガルは出会い、戦いになりますが、スワランの人となりを認めたフィンガルはスワランを殺さず、その盾を奪って持ち帰りました。
ところがそれを見たオーイ・ヴァーンはスワランが殺されたものと思い、絶望して死んでしまいます。
その後フィンガルとスタルノの戦いは激化し、スタルノは息子スワランを呼んで、自分がかつて敵対した相手をどのように騙し討ちにしたかをドヤ顔で語ります。
語り終わると「お前もこのようにフィンガルを騙し討ちにしてこい」と言って息子を送り出すのですが、スワランは「かつて父上の騙し討ちを諌めて殺された妹の霊がやめろと言っている」と父に言い放ちます。
スタルノは息子を殺そうとしましたがかろうじて思いとどまり、「息子が行かないのなら自分で」と、のこのこフィンガルの陣中に行き、捕虜になります。
しかしフィンガルはスタルノを殺さず、解き放ちました。
「オシァン」では終始一貫してこのフィンガル王が主人公となり、その子である盲目の詩人が偉大な王の事績を語る、という形式になっています。
「ローディンの戦い」の後、いくつかフィンガル王の若き日の物語が語られ、メインとなる「フィンガル」へと続きます。
フィンガル
「フィンガル」の冒頭は、エリンの英雄クフーリンと、ロホランの王になったスワランとの戦いのシーンになります。
クフーリンは、アイルランドのクー・フーリンその人です。
ただしアイルランドの神話とは微妙に設定が異なっており、こちらではエリン王の臣下ということになっています。
当初の予定では、エリンの軍勢はフィンガル率いる援軍の到着を待つはずだったのですが、クフーリンは独断で攻撃を決定し、スワランに大敗します。
夜になり、クフーリンは宴を催してスワランを招こうとしましたが、スワランに拒否されました。
どうやら、「オシァン」の世界においては、戦闘行為は昼間だけの限定で、夜になったら敵軍の将を招いて饗宴を行う、という風習が存在したようです。
ただ、饗宴に招いた敵将を騙し討ちにして殺す、というのも、珍しくはなかったように描かれています。
翌日もエリン軍は劣勢で、スワラン王はクフーリンに「お前の妻と猟犬をよこせば軍を引く」と要求しますが、クフーリンは拒絶します。
エリン軍は敗走寸前になり、クフーリンもすっかり気落ちしてしまいますが、そこにフィンガル王が到着し、戦況は逆転します。
フィンガル王の配下は敵を蹴散らし、フィンガルは特に目覚ましい活躍をした孫オスカル(オシァンの子)を褒めちぎります。
そして息子たちに敵の様子を見てくるように言い、配下の主将格にあたるガルは、自分たちが活躍する場がなくなるので、明日は王は後方で戦いを見ていてくれ、と進言します。
微妙にフラグを立ててしまった感じです。
案の定ガルは窮地に陥り、フィンガル王は出撃します。
激闘の末、フィンガルはスワランを捕虜にします。
しかしここでもフィンガル王は敵に情けをかけ、スワラン王をいたわってスカンディナヴィアに送り返します。
さらに、負け戦で落ち込んでいたクフーリンを慰める宴を催し、「フィンガル」は終幕となります。
「フィンガル」においてはクフーリンは終始フィンガル王の強さを引き立てるための「かませ犬」的な役割を演じています。
アイルランド人には「オシァン」の物語全体を偽作だと決めつける人が多いのですが、その理由の一端はこういうところにあるのかも知れません。
タイモーラ
後日譚となる「タイモーラ」においては、クフーリンはすでに亡き人となっています。
クフーリンの仕えていたコルマク王が、カラバルに謀殺されるところから、物語が始まります。
なお、クフーリンの配下の将にも、カラバルという人物はいましたが、ここで出てくるカラバルと同一人物なのかどうかはわかりません。
同盟関係にあるエリンの王が殺されたという報を聞いたフィンガル王は、ただちに出撃します。
すでに彼は老いており、心中密かに「これが最後の戦いだ」と思っていたようです。
恐らくは、「フィンガル」の物語で大功を挙げた孫オスカルを後継者に据えよう、と考えていたようです。
オスカルはこの戦いでも華々しい活躍をしました。
戦いに勝てないと思ったカラバルは、戦いの後の饗宴にオスカルを招きます。
そしてその場で「槍をよこせ」と迫ります。
この槍は「タイモーラの槍」と呼ばれるもので、コルマク王からオスカルに伝えられていたものでした。
エリンの王権の象徴のようなものだったのかも知れません。
オスカルはカラバルの申し出を拒絶し、怒ったカラバルはその場でオスカルとの一騎打ちを始めます。
その結果、カラバルとオスカルとは相討ちになって倒れてしまうのです。
王位簒奪者であるカラバルが死んだので、これで戦いは終わり、と思われたのですが、詩人がフィンガル王に「カラバルの弟がやってきて戦いを続けるだろう」と告げます。
その通りにカラバルの弟カーモールが軍勢を率いて駆けつけ、フィンガル王との戦いを継続しました。
迎え撃つフィンガル軍ですが、王はすでに老齢であるため、息子オシァンが主に指揮をとります。
戦いは激しさを増し、フィンガル王配下の歴戦の勇士たちがひとりまたひとりと倒れていきます。
死んだカラバルがカーモールの夢枕に立ち「お前も死ぬ」と予言をします。
どこまでも迷惑な兄ですが、「死にたくなければ逃げろ」と警告したつもりだったのでしょう。
しかし、カーモールは卑劣な兄と違い清廉な性格だったため、たとえ死すべき運命だったとしても、最後まで戦おうと決意します。
そして、次の戦いにおいてはフィンガル王の息子フィランと一騎打ちをし、これを討ち果たします。
息子の死に打撃を受けたフィンガル王ですが、明日は自分が出撃する、と決意しました。
最後の決戦が行われます。
フィンガルの軍もエリンの軍も大量の犠牲者を出し、戦いはフィンガル王が剣(ルーノの子と呼ばれる宝剣)でカーモールを討ち果たして決着がつきました。
元々の物語は、ある人物が登場するとその人やその人の縁者の物語が詩人の歌の形で語られ、終わると次のシーンに移る、という繰り返しになります。
おそらくこの語られる詩の部分だけが独立した口伝として残っていて、物語のかなりの部分は、マクファーソンによって編集されたものではないかと思われます。
推定になってしまうのは、マクファーソン自身が、「ここからここまでは自分の加筆だ」と明確にしていないからです。
ゲール語の文献が残っている部分は、「原典あり」とみなすことができますが、口伝に基づいている場合、伝承者が死んでしまうと「原典」が失われることになるので、マクファーソンの創作なのかそうでないのかわからなくなってしまうのです。
ただ、これだけ壮大な物語をひとりの小説家がゼロから考え出すのは不可能だと思われます。
ですから「オシァン」は広い意味ではケルト神話のカテゴリの中に含んでよい文献だと言えるでしょう。
なお、「オシァン」はそれが創作か神話かの論争を別として、18世紀当時のヨーロッパのさまざまな人物に影響を与えています。
かのナポレオン・ボナパルトも「オシァン」の愛読者であったと言われていますし、ゲーテも「若きウェルテルの悩み」の中に「オシァン」の一節を引用しています。
さらに作曲家メンデルスゾーンは、「オシァン」にインスパイアされる形で序曲「フィンガルの洞窟」を作曲しているのです。
ウェールズの「マビノギオン」
ウェールズの神話は、19世紀の人物であるシャーロット・ゲストが出版した「マビノギオン」と呼ばれる書物によって世に知られるようになりました。
ゲストはマクファーソンのようにフィールドワークを行って口伝を収集したのではなく、14世紀の写本をその当時の英語に翻訳するという形で「マビノギオン」をまとめました。
翻訳元の写本は現存しているので、マクファーソンのように「偽作だ」と非難されることはありませんでした。
ただ、何の欠点もないかというと決してそうではありません。
タイトルの「マビノギオン」そのものが誤訳だ、という指摘がなされているのです。
「マビノギオン」という語は確かにオリジナルのテキストにも存在するのですが、これは一箇所だけで、他は全部「マビノギ」となっています。
このため、写本を書き写した人が犯したミスを、ゲストが気づかずに本全体のタイトルとしてしまった、というのが現在の定説です。
このことを知っている人は、ウェールズの伝承群のことを「マビノギ」と呼んでいます。
さてこの「マビノギ」ですが、単語としての意味ははっきりしません。
それぞれの説話の最後に「マビノギのこの枝の話はこれでおしまい」と書いてあるので、説話全体を指す名称としても使われているのです。
語源的には、ウェールズ語の「少年」を意味する「mab」から来ているのではないかと言われています。
「マビノギのこの枝の話はこれでおしまい」というフレーズがある説話は全部で四篇あり、まとめて「マビノギ四枝(しし)」と呼ばれています。
しかし、「マビノギオン」にはこれとは異なる説話も七話(「カムリに伝わる四つの物語」と「アルスル王宮廷のロマンス」という副題でまとめられています)収められており、読者を混乱させます。
なお、「マビノギオン」所収のお話のうち五篇は、アーサー王伝説と関連するものとなっています。
「アルスル王宮廷のロマンス」に出てくる三話は、すべてアーサー王関連のものです。
もちろん「アルスル王」というのは「アーサー王」のことです。
「アルスル王宮廷のロマンス」の一篇「エヴラウクの息子ペレドゥルの物語」の主人公ペレドゥルというのは、円卓の騎士パーシヴァルです。

「マビノギオン」所収のエピソードの中で最も長いこのお話は、いわゆる聖杯伝説の原型をなしています。
現在伝えられているアーサー王物語は、フランスの騎士道物語の影響をかなり受け、オリジナルから改変されたものとなっています。
しかし、このお話にはフランス騎士道物語の影響が全くなく、より原型に近いものと考えられています。
フランス説話群の影響がないため、この話にはランスロットもガウェインも登場しません。
ただしガウェインはかなり「いい役」を割り当てられています。
キルッフとオルウェン
「カムリに伝わる四つの物語」の一篇、「キルッフとオルウェン」もアーサー王関連のお話ですが、これもかなり一般的なアーサー王物語のイメージとは異なるので、簡単に紹介します。
主人公キルッフは、アーサー王の従兄弟にあたります。
キルッフというのは「豚の囲い」という意味で、母が豚小屋の前を通りかかった時に産気づきそこで出産したため、そう名付けられたのだと言います。
日本の聖徳太子(厩戸皇子:うまやどのみこ)と同じパターンですが、多少当人に対し酷ではないかと思えなくもありません。
キルッフの母親は、豚小屋の前で息子を出産して程なく亡くなってしまいます。
そこで父は後添えを娶り、キルッフには継母ができたのですが、この継母が実は魔女でした。
この継母、多くの物語に登場する「魔女の継母」のパターン通りに継子であるキルッフを憎んでおり、彼に対して呪いをかけます。
それは「見ず知らずの娘に恋をさせ、その娘をモノにせずにはいられなくする」というものでした。
この設定、現代のラブコメ漫画でもそのまま使えるかも知れません。
キルッフは継母の呪い通りにある娘に恋をしてしまうのですが、その相手・オルウェンというのが巨人族の王イスバザデンの娘だったのです。
普通にアタックしたのでは親の承諾が得られそうもないので、キルッフは従兄弟のアーサーに相談に行きます。
キルッフはアーサーから髪を櫛でけずってもらう儀式を受けます。
これはなにやら呪術的な意味があるようです。
日本神話でも、櫛はたびたび呪力のあるアイテムとして登場しています。
儀式の後、キルッフはアーサーから「なんでも一つ望むものをやる。ただし俺の剣カレドヴルフ(エクスカリバー)や嫁グィネヴィアは除外」と告げられます。
キルッフは「嫁を取りに行くので腕利きの騎士を貸してください」と言いました。
アーサーは約束通りケイ・ベディヴィア・ガウェインら6人を助っ人につけました。
フランス系のキャラが混じらない状態では、ほぼ「円卓最強衆」と言える六人です。
普通なら「戦争でも始める気か」と誤解されかねません。
ちなみに、ケイは魔法が使えて身長を山より高くできるし、その他にも姿を透明にできたり動物の言葉が喋れるメンバーがいたりで、円卓の騎士というよりはファンタスティック・フォーみたいなノリの集団でした。
助っ人とともに巨人王の所に乗り込んだキルッフは、「娘を嫁によこせ」と迫ります。
イスバザデンは「娘を嫁にしたければ婚礼道具を全部揃えろ」と言い返します。
その婚礼道具というのが、非常に入手が困難なものばかりでした。
このあたり「竹取物語」と似た部分があります。
キルッフはそうなることをある程度予想していました。
なぜならあらかじめ、オルウェンから「父は簡単に私をあなたの妻に与えないでしょう。私を与えてしまうと死んでしまう運命だからです」と聞いていましたから。
キルッフは婚礼道具を集める冒険を始めます。
この収集活動には、六人衆だけではなくアーサーとその軍勢、さらにはイスバザデンに恨みを持つ人々がわらわらと集まってきて協力してくれました。
よほどみんな巨人に死んでほしかったものと見えます。
すべての難題を解決し、婚礼道具を揃えたキルッフは見事オルウェンを妻にします。
イスバザデンはどうなったのかというと、アーサーの配下に討ち取られてしまいました。
巨人王からすれば酷い話ですが、当時の読者とキルッフからすれば、めでたしめでたしの大団円です。
マビノギ四枝
ゲストの「マビノギオン」の最初の四篇「マビノギ四枝」は、ウェールズの神話ではありますが、アーサー王伝説とは直接関係ない話となっています。
この四つのお話には、「プレデリ」という人物が共通のキャラクターとして登場します。
ただ、「オシァン」のフィンガル王のように、全編を通じての主人公というわけではありません。
この「マビノギ四枝」そのものが、プレデリの一代記という形で作られたものか、元は別個の話だったものを、話を繋ぐプレデリというキャラクターを作ることによってつなぎ合わせたのか不明です。
ただ、「マビノギオン」の元になった写本の時点では、四つのお話は一人の人物によってまとめられ、記録されています。
第一枝「ダヴェドの王子プイス」
第一枝は、「ダヴェドの王子プイス」というお話です。
ウェールズ南部のダヴェドという土地の王子(あるいは大公。どちらも英語では「プリンス」です)に、プイスという人物がいました。
ある時彼は猟犬を連れて狩りに出ます。
同じ頃、死者の国の王アラウンも狩りに出ていて、複数の猟犬が鹿を追い立てているのを見つけました。
プイスはその猟犬を追い払い、自分の猟犬に鹿を追わせます。
するとアラウンが現れ、「酷いことをする」とプイスにクレームを入れました。
プイスは素直に謝り、どうやって償えばいいかとアラウンに聞きます。
二人は相談し、アラウンの魔法で一年間姿と領地を交換する、ということで話をまとめました。
じつはアラウンにはハヴガンという宿敵がおり、姿と領地を交換する、ということはそのハヴガンとの戦いの方も代行する、ということでもありました。
プイスは一年の間にハヴガンとしっかりと戦い、これを討ち果たします。
ついでに一年間アラウンの妻に手を出さなかったので、戻ってきたアラウンの深い信頼を得ることができました。
その後ダヴェドに戻ったプイスは、脚の速い馬に乗ったリアンノンという乙女と出会います。

一目惚れしたプイスは彼女と婚約しますが、その時リアンノンの前の婚約者グワウルが出現し、リアンノンをさらってしまいます。
しかしプイスはリアンノンの授けた策略を使い、グワウルを魔法の袋に閉じ込め(西遊記?)、リアンノンと結婚します。
やがてリアンノンはプイスの子を産みますが、ある日子供は行方不明になってしまいます。
周囲の人々は、リアンノンが子供を殺したのだと決めつけ、彼女に贖罪を強要します。
しかし、子供はリアンノンに殺されたのではなく、怪物にさらわれ、他の人物に拾われて養われていたのでした。
子供は成長してプイスと顔立ちが似てくると、養父の元からプイスの元に返されます。
母の贖罪は終わり、子供は改めて「プレデリ」と名付けられます。
第ニ枝「スィールの娘ブランウェン」
第ニ枝は、ウェールズとアイルランドの間に発生した、壊滅的な戦争を描いたお話です。
このお話では、ウェールズは「強き者の島」と呼ばれていました。
アイルランド王マソルーフは、その武威を慕ってよしみを結ぼうとし、ウェールズにやってきて王ベンディゲイドヴランの妹ブランウェンに求婚します。
ウェールズ王はこれを認め、婚礼の準備を整えましたが、王の異父弟エヴニシエンは「聞いてねぇよ!」と立腹します。
キレたエヴニシエンはアイルランド王一行の馬を殺して侮辱します。
この異父弟、勇猛な武人ではありますがかなりキレやすい困った人、として以後もトラブルの原因になります。
ベンディゲイドヴランは異父弟と違って温和な人物であったらしく、マソルーフに馬のお詫びとして「死者を蘇らせることのできる大釜」というマジックアイテムを与え、妹と結婚させてアイルランドに帰します。
とりあえずこの場はこれで済んだのですが、帰国してからアイルランド人は馬の件をネチネチと蒸し返し、ついには王の妻ブランウェンを台所に閉じ込めて毎日打擲する、というDV行為を働くようになりました。
ブランウェンはムクドリを手なづけ、自分が酷い目に遭っているという手紙を添えて兄の元に送りました。

慎重ではあったけれどやる時はやる性格だったウェールズ王ベンディゲイドヴランは、弟(同父)であるマナヴィダンを筆頭とする戦士団を招集し、海を渡ってアイルランドに攻め込みます。
アイルランド側はそれに恐れをなし、ウェールズ軍に対して和議を乞い、ウェールズ王をもてなすための大きな家を建てる、と言ってきました。
ところがこれが罠でした。
家の中には小麦粉を入れていると称して大きな袋がいくつも天井から吊り下げられていたのでしたが、実はこの中には戦士たちが隠れていたのです。
なんとなく「トロイの木馬」っぽいですね。
その策略に、トラブルメーカーのエヴニシエンが気づきます。
彼は一計を案じてその家の中に潜入すると、袋の中に潜んでいた戦士の頭を砕いて皆殺しにしてしまったのです。
相手の謀略を防ぐにしても、もう少しやりようがあるとは思うのですが…。
ともかく、エヴニシエンのこの凄まじい行為に恐れをなしたアイルランド側は、最初の約束どおりにウェールズ側をもてなします。
ですが、その宴でアイルランドのもてなしに不備があったと怒りだしたエヴニシエンは、アイルランドの幼い王子を鍋の中に投げ込んでしまいます。
この王子というのはウェールズから嫁いだ王女ブランウェンの子で、エヴニシエンから見ても甥にあたります。
キレると見境なしですねこの人。
かくして戦いが再び始まります。
個々人の戦闘力はウェールズがアイルランドを圧倒しているのですが、敵をどんなに倒しても減る気配がありません。
それもそのはず、アイルランド側には「死者を蘇らせることのできる大釜」があり、戦死者を片っ端から釜に投げ込んで再生していたのです。
それを見抜いたエヴニシエンは、死体のフリをして大釜に投げ込んでもらい、釜を破壊します。

この結果戦いはウェールズ側有利になりましたが、エヴニシエンは死んでしまいました。
どこまでも直情径行な人です。
血で血を洗う殲滅戦の結果、ウェールズ側は王ベンディゲイドヴラン、実弟マナヴィダン、プレデリなど七人しか生き残れませんでした。
王妹ブランウェンは悲しみのあまり自殺してしまいました。
王は敵の槍の毒で瀕死状態です。
王は自分の首を切ってウェールズに持ち帰るように命じました。
魔法の力で首だけになっても故郷の食べ物を食べれば生き延びられるのだそうです。
首だけになった王は、その後数年生き続けました。
一方、アイルランドですが、生き残ったのは五人の妊婦だけ、という悲惨極まりない状態でした。
この五人の産んだ子たち(いずれも男)、やがてたった五人だけの女性、つまりおのおのの母親たちを妻とし、人口を増やしていったのだ、とされています。
第三枝「スィールの子マナヴィダン」
第三枝は、第ニ枝で生き残り帰還したマナヴィダンとプレデリの話です。
帰国後マナヴィダンはリアンノン(プレデリの母)を娶り、プレデリもキグヴァという妻を得ます。
リアンノンは美人と描写されていたが、その子が嫁をもらえるほど育ってるならもうかなりのお年じゃない?と思った方もいるでしょう。
しかしこのリアンノン、どうやら普通の人間ではなく妖精の一種らしいのです。
妖精ならば年は取っても外見は若いまま、ということになりそうです。

首だけになった王ベンディゲイドヴランはおしゃべりで、帰国後もひっきりなしにしゃべっていましたが、やがて沈黙します。どうやら死んだようです。
マナヴィダンとプレデリは王の首を葬り、プレデリの故郷であるダヴェドに戻ります。
しかし、ダヴィドは魔法の霧に覆われ、四人は家臣や家畜から引き離されてしまいました。
やむを得ず四人はイングランドに渡って放浪します。
しかしイングランドでは迫害されたらしく、しばらく後再びダヴェドに戻り、狩りをして暮らしていました。
しかし、ある時不思議な事件が起き、プレデリ・リアンノンが次々と消えてしまったのです。
残されたマナヴィダンとキグヴァはまたイングランドに渡る→迫害されて戻るを繰り返し、ダヴェドに三つの畑を作って、小麦を植えました。
ところがある日ひとつ目の畑が荒らされ、翌日もうひとつの畑が荒らされます。
マナヴィダンは最後の畑を守るために徹夜の見張りを敢行し、畑を荒らしていたのは鼠の群れだったことを突き止めます。
マナヴィダンはそのうちの一匹を捕まえ、翌日殺すことに決めました。
すると、学者・司祭・司教の三人組が現れ、鼠を返して欲しいとマナヴィダンに言いました。
マナヴィダンは「返してほしければプレデリとリアンノンを返し、ダヴェドにかけられた魔法を解け」と要求します。
じつは捕らえた鼠の本当の姿は司教の妻だったのです。三人はマナヴィダンの言う通りにします。
その後、「どうしてこんなことをしたのか」とマナヴィダンが問うと、「自分たちはグワウルの友人で、彼に与えられた侮辱に対して報復したのだ」と答えました。
グワウルというのは、第一枝に出てきたリアンノンの元婚約者です。
偉く気長な復讐もあったものだなあ(まあでも妖精とか出てくる話ですし)、という感想を読んでいる人に残し、第三枝は終わります。
第四枝「マソヌウイの息子マース」
マソヌウイの息子マースは、プレデリがダウェドを統治していた頃、ウェールズ北部のグウィネッズを支配していた王でした。
優れた魔法使いでもありましたが、戦いの時以外は、常に乙女に脚を支えさせるという変わった習性を持っていました。
ある時彼はゴエウィンという乙女に脚を支えさせていたのですが、この乙女にマースの甥・ギルヴァエスウィが横恋慕します。
彼の弟グウィディオンはゴエウィンを兄のものにするために、マースを騙して自分と一緒にダヴェドに攻め込ませます。
この戦いでプレデリはグウィディオンに殺されてしまいました。

王が留守をしたすきにギルヴァエスウィはゴエウィンを陵辱してしまうのですが、乙女は彼になびかず、しかも凱旋してきた王に計略がバレてしまいます。
王は事態の責任を取ってゴエウィンを妻にするとともに、ギルヴァエスウィ・グウィディオンの兄弟に罰を与えます。
王は魔法の杖で兄を牝鹿に、弟を牡鹿に変えます。
そして一年その姿で過ごし、交わって子を産め、と命じたのです。
一年がすぎると兄弟は今度は兄を雄豚に、弟を雌豚に変えて同じことを命じました。
さらにその翌年は、兄を雌狼に、弟を雄狼に変え、足掛け三年に渡って罰を与え続けたのです。
罰から兄弟を解放した後、マースは彼の脚を支える処女を紹介せよ、と命じました。
兄弟は自分たちの妹であるアリアンロッドを推薦します。
しかし先の罪は許したものの、兄弟を信じていないマースは、アリアンロッドが処女かどうかを確かめるために、魔法の杖をまたがせます。
杖をまたいだ彼女は、その場で二人の子を産み落としてしまいました。
この子たちの父はグウィディオンとも、マースともされます。
アリアンロッドは女神として信仰されており、それよりも強い魔力を持つマースもまた神だと考えられるからです。
人間と同様の交わりを持たずにマジックアイテムで女神を懐妊させたとしても、不思議はありません。
なお、アリアンロッドは二人の子を産み落とした後、恥辱を感じてそのまま走って逃げたといいます。
さて、アリアンロッドが産み落とした二人の子のうちひとりはディランと名付けられましたが、生後すぐに海へと去ってしまいました。
アリアンロッドはマースに恥をかかされたと感じ、その結果である二人の子も憎んでいたため、残された子に「母以外にこの子に名前をつけ、武器を持たせることはできない」、「どんな人種の妻も持たせることはできない」という呪いをかけました。
グウィディオンはこの甥を深く愛しており、知恵と魔法をフル活用して、アリアンロッドに「スェウ・スァウ・ゲフェス」という名を付けさせ、さらに武器も持たせます。
ですが最後の「どの人種も妻にできない」は解決できませんでした。
グウィディオンはスェウとともにマースの元に行きます。
マースはグウィディオンと一緒に魔法で花から乙女を作り、ブロダイウェズと名付けてスェウの妻とします。
元が花だからどの人種でもなく、アリアンロッドの呪いは通じないのです。
花が元だっただけにブロダイウェズは美人だったのですが、ひどく浮気性でもありました。
やがて彼女はグロヌウという狩人と不倫してしまいます。
不倫相手とくっつくために夫を殺してしまおう、というのは古今東西の不倫妻(不倫夫)が考える短絡的な結論です。
ブロダイウェズとグロヌウもその線で話し合います。
しかしスェウは神の一族ですから、そう簡単には殺せません。
ブロダイウェズは策略を使い、スェウが「川辺りの茅葺きの湯屋で、風呂釜の縁と山羊に足を載せている時、安息日に鍛えた槍で刺されると死ぬ」という弱点を持つことを聞き出します。えらく複雑な死亡フラグです。
殺す方法がわかれば後は実行あるのみです。
条件をばっちり整えた上で、安息日に鍛えた槍を持って、グロヌウはスェウを襲撃します。
間一髪のところでスェウは気づき、鷲に姿を変えて飛び去りますが、槍は彼の身体を貫き、彼は瀕死状態になります。
グウィディオンは甥が行方不明になったので、半狂乱になって探し回ります。
そして、スェウが半ば腐乱した状態でオークの木に引っかかっているのを見つけます。
腐乱していたのですから、やっぱり死んでいたのでしょうか?
いずれにしろグウィディオンはスェウを回収し、各地から名医を集めて一年間の治療を施し、甥を健康体に戻します。
健康を取り戻したスェウは、不貞を働いた妻をフクロウの姿に変え、伯父とともにグロヌウの領地に攻め込みます。
戦いに敗北したグロヌウは領地と財産すべてを差し出すので、命だけは助けてくれ、とスェウに頼みます。
しかしスェウは、自分の望みはグロヌウがかつての自分と同様に槍で貫かれることだけだ、と冷たく言います。
グロヌウはそれなら岩を盾とすることを許してくれ、と頼み込みますが、スェウの槍は、岩ごとグロヌウの身体を貫通した、といいます。
アイルランド神話
いわゆる「ケルト神話」の中で、最も豊富なテキストが残っているのがアイルランド神話です。
登場する神や英雄の名も今日ではかなりメジャーなものとなっています。
これらの膨大なテキストは、大きく分けて「神話物語群」「アルスターサイクル」「フェニアンサイクル」「歴史物語群」の4グループに分類されます。
前に行くほど「古い時代」について書かれているとされますが、成立した時代はどれも似たようなもので、古い時代について書いたものが古い時代に書かれたとは限りません。
実際、神話物語群に属するテキストを読むと、ノアの方舟がどうたらという話がいきなり出てきます。
これはつまり、アイルランドにキリスト教が普及した後に作られた話だ、ということを意味します。
このようなキリスト教による内容の「歪曲」は古い時代のこととされている話ほど激しくなっています。
一応、「神話物語群」はノアの大洪水以降、「アルスター物語群」はキリストの生涯と同時期(つまり西暦紀元前後)、「フェニアンサイクル」は4世紀頃、「歴史物語群」は5世紀から10世紀のこととされています。
そして、現存する各種テキストの筆写が行われたのは、11世紀後半より後、だとされています。
つまるところ、記録された説話と、その元になったと思われる史実(あったとすれば)の時間的な差は、日本の「古事記」「日本書紀」と同程度であろう、と推定されるのです。
「歴史物語群」の「史実度」は、古事記・日本書紀が各天皇について語っているあたりと大きな差はないだろう、と考えてよいでしょう。
神話物語群
「神話物語群」と呼ばれる一連のテキストは、後にアイルランドと呼ばれる島に、どういう人たちがいつやって来て、先住民と戦い、あるいは勝ちあるいは負けていったか、ということについて述べています。
「神話物語群」の各種テキストによれば、アイルランドにはノアの大洪水以前にも人が住み着いていたということです。
ですが彼らは、洪水前に疫病その他で全滅するか、大洪水に飲み込まれて絶滅しています。
大洪水の後、アイルランドに住み着いたのはフォモール族という半人半神の一族だったと言います。
しかし、大洪水の300年後に、パルホーロンという人物に率いられた一族がやってきます。
彼らはアイルランドの地に始めて家を作り、エールを醸造するなどして定住を試みますが、疫病によって全滅した、とされます。
続いてスキュティア(いわゆる「スキタイ人」の故地)からネヴェズ族がやって来ました。
その後フィル・ヴォルグ族が移住し、さらにその後トゥアハ・デ・ダナーン族がアイルランドを支配します。
各種テキストではこの一族は移民してきた人間、ということになっていますが、元々はアイルランドで信仰されていた神々であったろう、と推測されています。
トゥアハ・デ・ダナーンとは、女神ダーナを祖先に持つ一族、という意味です。
祖神ダヌは、東ヨーロッパにあるドニエストル・ドナウ・ドニエプル・ドンなどといった大河にその名の痕跡を残しているとされ、「大陸のケルト」に起源を持つ神だと考えられていました。
ただ、現在では「大陸のケルト」と「島のケルト」の関連性が疑われるようになったので、本当に女神ダヌがこれらの地名と関係を持っていたのかは怪しくなってきています。
ちなみに、「ダヌ」という名前を持つ女神はインド神話にも登場しています。
彼女は「ダーナヴァ」と呼ばれる一族の先祖で、またインドラと戦った悪竜ヴリトラの母であったともされます。
こちらがアイルランドのダヌと同根かどうかはわかりませんが、少なくとも東ヨーロッパの各種河川名と関係はあるのではないかと思われます。
ダヌの息子には、ダグザ、ディアン・ケヒト、ヌアザなどがいます。
ダグザはトゥアハ・デ・ダナーンの族長、つまり神々の王と考えられています。
その姿は、「太っちょのおっさん」で、みっともないつんつるてんの上着を着ていたと言われます。
しかし見かけとは裏腹に器が大きく、心も清く正しいので、女神にはモテたとのことです。
他には「粥が大好き」という特徴があり、粥を食べていて大事な用件に遅刻した、という逸話もいくつか持っていました。
ダグザの娘にブリギッドがいますが、これは「マビノギオン」に登場したアリアンロッドと同じ女神だと言われます。
もっとも、ブリギッドは処女神であり、マースの杖を跨いでいきなり出産したアリアンロッドとは、起源はともかく中身においてはちょっと違っているようですが。
「神の属性」は人間のそれと比べると極端に設定されるので、ある説話で処女神だとされたものが、別の説話では設定が180度入れ替わり、多数の子供を持つ豊穣神とされることは珍しくありません。
ダグザの別の息子オェングスは妖精の王、ダグザの兄弟のディアン・ケヒトは医療の神、そしてディアン・ケヒトの孫にあたるルーは光の神とされました。
さてトゥアハ・デ・ダナーンがアイルランドに上陸した時、アイルランドにはフィル・ヴォルグ族とフォモール族が住んでいました。
先住民族(神族?)の中ではフィル・ヴォルグ族の方が優勢だったようです。
そこでトゥアハ・デ・ダナーンはフォモール族と同盟を結んで戦い、フィル・ヴォルグ族を倒します。
この時トゥアハ・デ・ダナーンを率いていたのはダグザの兄弟ヌアザでした。
ヌアザは見事トゥアハ・デ・ダナーンを勝利に導くのですが、フィル・ヴォルグ族の戦士との一騎打ちで右腕を切り落とされてしまいます。
トゥアハ・デ・ダナーンの掟には、「五体満足でなければ王になれない」というものがあったため、戦いの後ヌアザは王に即位することができなくなってしまいました。
そのため王位はフォモール族の父とトゥアハ・デ・ダナーンの母を持つブレスに譲られます。
同君連合の形になったトゥアハ・デ・ダナーンとフォモールは、友好の印としてヌアザの兄弟ディアン・ケヒトの息子キアンと、フォモールの「邪眼バロール」の娘エスリンを結婚させます。
二人の間に生まれるのが光の神ルーです。
やがてディアン・ケヒトが銀づくりの義手をヌアザのために作ります(ディアン・ケヒトの息子ミアハが、さらに完全な手を作った、とする文献もあります)。
これによりヌアザは王位に復し、ブレスは玉座を追われます。
ブレスは美男子でしたが横暴だったので、これが理由のひとつとなったのでしょう。
ブレスは王座を譲ることを認めず、フォモール族を率いてトゥアハ・デ・ダナーンに戦いを挑みます。
同盟は決裂したのです。
トゥアハ・デ・ダナーンは戦いに敗れ、フォモール族の奴隷状態になってしまいました。
ここでルーがトゥアハ・デ・ダナーンの所に現れます。
彼はこれまでフィル・ヴォルグ族によって育てられていたのです。
見事な青年となったルーを見たヌアザは、トゥアハ・デ・ダナーンの王位をルーに譲ります。
そして、フォモール族からトゥアハ・デ・ダナーンを解放して欲しい、と頼み込んだのです。
かくして「マグ・トゥレドの戦い(第二次。第一次はフィル・ヴォルグ族とトゥアハ・デ・ダナーン・フォモールの連合軍との戦い)」という決戦が行われます。
この戦いでトゥアハ・デ・ダナーン側はヌアザを失いますが、新しいリーダー・ルーは祖父にあたる邪眼バロールの眼に投石機の石を命中させ、これを倒しました。
かくして、アイルランド島の覇権はトゥアハ・デ・ダナーンに移ったのです。
トゥアハ・デ・ダナーンの神々は、後の「アルスターサイクル」や「フェニアンサイクル」に登場する英雄たちの親、とされます。
彼らが人間であれば、何百年も後の英雄たちの親になることはできませんので、やっぱり神だった、ということになります。
ちなみに、先に「神々の王」として紹介したダグザは、ルーの次の王だったということです。
大叔父が跡継ぎになるとかちょっと変ですが、そこは神話なので気にしてはいけないのでしょう。
アルスターサイクル
「アルスターサイクル」は「アルスター地方」を主な舞台とする物語で、有名な「クー・フーリン」が主人公となります。
アイルランドは、大まかに四つの地方に分かれます。
南部にあるのがマンスター、東部がレンスター、西部がコナハト(コノート)、そして北部がアルスターです。
アルスターサイクルの中心になるのは、「クーリーの牛争い」という話です。
この話は、アルスターとコナハトの戦争を描いたものですが、その発端を作ったのは、コナハトの女王メイヴ(クイーン・マブ)でした。
ある時彼女は夫アリルと財産比べをします。
二人の財産はほぼ同じようなものでしたが、アリルは巨大な牛を持っており、その分だけ妻よりも豊かだとされていました。
メイヴは悔しがり、同じような巨大な牛を求めます。
探し回った結果、アルスターのクーリーという町で見事な牛を見つけました。
メイヴは牛の持ち主と交渉して、一年間牛を借り受ける寸前まで行きました。
ところがメイヴの伝令がうっかり「借りられなかったら強奪するつもりだった」というメイヴの本音をバラしてしまったため、交渉は決裂。
メイヴは実力で牛を奪いにきたのです。
この時コナハト側には、フェルグス・マック・ロイなど、アルスター出身の戦士も属していました。
対するアルスター側はというと、女神ヴァハの呪いを原因とする奇病にかかって戦士たちはみんな立つことができない状態だったのです。
元気なのはただ一人。17歳の少年クー・フーリンだけでした。
彼はフェルグス・マック・ロイの甥であり剣の弟子でもありました。
さてクー・フーリンですが、かなりの女好きであったようで、戦いの最中にちょいちょい女の子とデートに抜け出していたとのことです。
その結果コナハト軍に攻め込まれ、アルスターは危機的状態に陥ります。
クー・フーリンはゲリラ戦を展開しました。
なりふり構わない彼の攻撃によって、コナハト側は一日に百人もの犠牲者を出したのです。

クー・フーリンは、「殺す価値あるものだけを殺す」というポリシーの元に戦っていたのですが、これは裏を返せば「殺す価値があれば非戦闘員でも殺す」ということです。
被害はメイヴの侍女やペットにまで及ぶようになり、コナハト側は「このキリングマシーンをなんとかしなければならない」と思うようになります。
ここでフェルグスがひとつの提案をします。
「コナハト側では毎日一人の戦士を出し、これとクー・フーリンを戦わせよう」と。
これならコナハト側の被害は、一日最大一人で済みます。
クー・フーリンはこれを了承し、以後はコナハトが送り出す勇士と一日一度一騎打ちをすることになりました。
もちろん、結果はクー・フーリンの全勝です。
このように力戦するクー・フーリンに興味を覚えたのか、戦いの女神モリガンが現れます。
モリガンはまず美女の姿となってクー・フーリンに求愛しました。
ところがクー・フーリンは「今は戦いの時で、愛を語る時ではない」とモリガンの求愛を突っぱねてしまいました。
女の子とデートしてアルスターを危機に陥れたことを反省したのでしょうか。
それとも単にモリガンが好みではなかったのでしょうか。
モリガンはなおも、「それならあなたの戦いをお手伝いしましょう」と提案しますが、クー・フーリンは「女の手助けはいらぬ」とこれも拒絶してしまいます。
モリガンはキレました。
彼女はこれから、あの手この手でクー・フーリンの邪魔をするようになります。
が、クー・フーリンを憎みきれなかったのか、後には徐々に彼の手助けをするようになりました。
ちなみに、このモリガンは、アーサー王伝説に登場するアーサーの義理の姉モルガン・ル・フェイと同じ起源を持つ、と言われています。
一人でメイヴの手勢と戦い抜いたクー・フーリンは、次第に傷ついていきます。
そんな彼の元に光の神ルーが現れました。
ルーは言います。「アイムユアファーザー」と。
クー・フーリンはルーの息子だったのです。
ルーはクー・フーリンを三日に渡って眠らせ、傷を癒やしたのですが、三日後クー・フーリンはなぜかバーサーカーモードになってしまい、敵味方問わずに大殺戮を演じてしまいました。
やっぱり「私はお前の父だ」と言う奴にロクなのはいませんね。
バーサーカーモードが収まった後、クー・フーリンはまたメイブの配下と一騎打ちを続けます。
送り出した戦士がすべて負けてしまうので、メイヴはついにフェルグスを送り出しました。
フェルグスと命のやり取りをする気がなかったクー・フーリンは、「次会った時はフェルグスに降伏してもらう」という条件でフェルグスに降伏します。
メイヴはさらにクー・フーリンの親友フェル・ディアドをけしかけます。
彼の皮膚はたこのように固くなっており、通常の刃物で彼を傷つけることはできないだろう、と思われていました。
「可能性があるとすれば、それはクー・フーリンの槍ゲイ・ボルグだけであろう」とも。
「ゲイ・ボルグ」は怪海獣クリードの骨から作られた槍で、形状は槍というより銛に近かったようです。
投げれば三十の鏃(ぞく)となって敵に降り注ぎ、突けば三十の棘となって爆裂すると言われています。
どうやら二本で一セットだったようです。
クー・フーリンはこの槍を足で投げたといいます。
さて先に述べたように、フェル・ディアドは全身の皮膚がたこのように硬化していたのですが、人間の身体にはどんなに鍛えても硬化しない場所があります。
クー・フーリンは、その場所を狙います。
その結果魔槍ゲイ・ボルグはフェル・ディアドの肛門を貫き、その体内で爆裂したのです。
これではいくら皮膚が固くてもなんの意味もありません。
哀れフェル・ディアドはものを言わぬ屍となってしまいました。
その後、奇病で倒れていたアルスターの戦士がひとりまたひとりと回復し、アルスター軍は大攻勢に出ます。
クー・フーリンはこの段階になると、自らは戦場に出ず、傷を癒やしていました。
恐ろしいクー・フーリンがいない隙を狙ってフェルグスはアルスター軍を攻め、遺恨のある(女性問題が原因です)アルスター王コンフォヴァルを殺そうとしましたが果たせず、八つ当たりで自らの剣カラドボルグで三つの丘の山頂部を切り飛ばします。
甥が甥なら叔父も叔父です。
やがてクー・フーリンが出撃しますが、ここでフェルグスは以前の約束を守り、クー・フーリンに降伏しました。
最強の勇者が降伏してしまったので、コナハト軍は総崩れになります。
メイヴは敗軍のどさくさに紛れてクーリーの牛を奪取し、コナハトに連れ帰ります。
そこでクーリーの牛は、メイヴの夫の牛と戦うのですが、勝利したものの深く傷つき、アイルランド中をさまよいながらアルスターに帰り、そこで死んだということです。
以上が「クーリーの牛争い」のメインのお話ですが、このお話にはいくつもの外伝的説話が付属しています。
それは「牛争い」が発生する前の主要登場人物の行動であったり、「牛争い」の後日譚だったりします。
英雄クー・フーリンは「牛争い」からさほど経過していない時期に、短い生涯を終えますが、これも外伝的エピソードで語られているのです。
フィニアンサイクル
「フィニアンサイクル」は、フィアナ騎士団の長フィン・マックールを主人公とする説話群です。
フィンは、スコットランド神話で解説したフィンガルと同一人物であるとされます。
コーマク・マックアート王は、アイルランド防衛のためにフィアナ騎士団を創設します。
騎士団の長はクールという男でしたが、やがてモーン族のゴルに殺され、クールの妻マーナ(戦神ヌアザの孫娘)は逃亡して息子ディムナを産みます。
ディムナを産んだ後、自分がいたら息子に危害が及ぶから、と言ってマーナはどこかへと去ってしまいました。
ディムナはマーナの侍女であった女戦士と女ドルイド僧によって育てられます。
神の血を引くディムナは優れた狩人に成長します。
ある日、近所の子どもたちがハーリングという球技で遊んでいるのを見たディムナは仲間にしてくれと頼み込み、たちまちすべての子供を負かしてしまいます。
ディムナは名を名乗りませんでしたが、人々は彼を「フィン(金髪)」と呼ぶようになります。
不思議な少年・フィンの噂は騎士団長ゴルの耳にも届きます。
ゴルはフィンが自分の殺した前団長クールの息子ではないかと疑い、フィンを捕らえるために配下の騎士を派遣します。
これをフィンの育ての親である女ドルイド僧が魔法で探知し、災難を避けるために旅に出るようにとフィンに勧めました。
かくしてフィンは武者修行の旅に出ます。
やがてフィンはドルイド僧・フィネガスの弟子になります。
七年間の修行を積んだ後、フィネガスはフィンに、食べたものに知識を与えるという「知恵の鮭」の料理を命じました。
フィンが鮭を焼いていると、熱い油が飛び、フィンの手の親指に当たります。
フィンは思わずやけどをした親指を口で吸いました。
これによりフィンは、親指を吸うと知恵が湧く、という力と、手ですくった水であらゆる病人・怪我人を治すことができる力とを手にいれたのです。
成人したフィンはコーマク王の宮廷に行き、近衛の騎士の一員に加えて欲しいと頼みます。
騎士としてはフィアナ騎士団所属の方が羽振りがいいのですが、フィアナ騎士団に加入するためには、父の敵であるゴルに忠誠を誓わなければならなかったのです。
やがてフィンは、「アイレン」という怪物を退治せよとの命令を王から受けます。
フィンは怪物を退治できたらフィアナの騎士団長に任じて欲しい、と条件を出し、見事怪物を退治しました。
かくしてフィンはフィアナ騎士団長に就任し、前騎士団長であったゴルとも和解して、フィアナ騎士団の黄金時代を築いたのです。
フィンは三度結婚しました。
一人目の妻は妖精で、フィンは妻と深く愛し合っていましたが、ある時悪いドルイド僧によって妻は鹿の姿に変えられ、さらわれてしまいます。
フィンは七年間も妻を探しましたが見つけることはできませんでした。
ある時フィンの前にひとりの少年が現れ、自分がフィンと妖精の妻の子であり、妖精の妻は二度とフィンに姿を現さないだろう、と告げました。
フィンは少年にアシーンと名付け、引き取って育てることにしました。
妖精の妻を失ったフィンは二度目の結婚をします。
この妻との生活も幸せなものでしたが、フィンが老年に差し掛かった頃に先立たれてしまいます。
一人になったフィンは、最初の妻のことを思い出し、なんとも言えない気持ちになってしまいました。
それを見ていた息子アシーンは、新たな妻を娶るようにと、父に勧めます。
アシーンは父の新しい妻候補として王の娘グラニアの名をあげ、フィンの許可を得て縁談をまとめはじめます。
王は二人の結婚を認めたのですが、当のグラニアがもはや老人となったフィンの妻となることを嫌がり、婚礼の席で一目惚れしたフィンの部下ディルムッドと駆け落ちしてしまったのです。
フィンは怒り、ディルムッドを殺そうと配下の騎士を差し向けます。
しかし、人望のあったディルムッドを積極的に殺そうとする騎士はおらず、追跡は中途半端になってしまいます。
人間ではディルムッドを捕らえることはできない、と思ったフィンは、育ての親である女ドルイド僧にディルムッド殺害を依頼しますが、彼女は逆にディルムッドに殺されてしまいました。
ここに至り、フィンはディルムッド殺害がムダであることを悟り、一旦ディルムッドと和解します。
ただ、それでもフィンの胸中には、割り切れない思いがありました。
和解をしたフィンとディルムッドの前に、凶暴な猪が現れ、ディルムッドは猪の牙にかかって重傷を追います。
フィンの孫で、ディルムッドの親友であったオスカルは、フィンが手にすくった水でディルムッドの傷を癒やすようにと頼みます。
しかしまだ完全にディルムッドへの恨みが捨てきれなかったフィンは、二度まで手にすくった水をこぼしてしまいます。
三度目になってやっと、フィンはディルムッドの口元まで水を持っていくことができましたが、ディルムッドはすでに息を引き取っていました。
ディルムッドが死んだので、フィンは再びグラニアを妻としましたが、妻との間がうまくいかないどころか、配下の騎士たちとの関係まで怪しくなってきました。
そんな中、王が死に、新しい王が即位します。
新王はフィンを恐れており、騎士団に宣戦を布告します。
騎士団側では王に寝返るものが続出し、王軍との激しい戦いが続きます。
フィンの孫オスカルは王と戦い、相討ちになって倒れます。
瀕死のオスカルの横で老いたフィンは嘆き悲しみますが、オスカルは「フィンが瀕死となっても自分はフィンのためには泣かない」と冷たく言い放って死んでいきます。
孫に見捨てられたフィンは何か吹っ切れた状態になり、最前線で敵と戦い、多くの勇士を倒します。
しかし、最後に五人の敵兵に囲まれ、すべてが終わったと悟ったフィンは、突き出された槍の前で胸を張り、その生を終えたのです。
先にフィンは、スコットランドのフィンガルに相当すると書きました。
この話に出てくるアシーンはフィンガルの息子オシァンに相当し、さらにその息子オスカルは同名の人物に相当します。
ただしその物語の中での行動は、かなり違っています。
歴史物語群
この後、アイルランドの説話は、「歴史物語群」と呼ばれるテキストに移っていきます。
この説話は、「古事記」で言えば下巻に相当し、特に古い部分で史実であったかどうか疑わしくはありますが、もう神話ではなくなったお話が記録されています。
歴史物語群のテキストの最後は、完全に歴史上の人物であることが確認されているブライアン・ボル王関連のものとなります。
以後、アイルランドは完全に歴史時代に入るのです。
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