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Contents
旧約聖書の空白期間
「旧約聖書」には、ヤハウェという「偉大な神」を戴くイスラエルの民の歴史を綴った書物という側面があります。
歯にものがはさまったような言い方をしなければならないのは、「歴史書」とは言い難い預言者たちが幻視した未来の出来事を含んだ「預言書」や、この世の終わりについて延々と綴った「黙示録」が何篇も含まれているからです。
この歴史、いくつもの書物に分かれてはいますが、ヤハウェによる天地創造から切れ目なしに延々と綴られていました。
ところが、北イスラエル王国とユダ王国が滅亡し、イスラエルの民の指導層がバビロンに連れ去られた後、しばらくこの歴史記述が断絶してしまうのです。
国家が滅亡し、王がいなくなったわけですから、王を主人公とした歴史は書けません。そのあたりの事情は理解できます。
しかし、イスラエルの民はサウル王によって統一される前の分裂状態の歴史も、「士師記」にしっかりと記録していました。
バビロンに捕らえられていた間にも、宗教的指導者はいたはずなのですが、彼らが何をしたかについてはあまり詳しい記録がないのです。
歴史書の代わりになっているのが、宗教的指導者たちの「預言」をまとめた書物ですが、こちらは具体的な記述に乏しいので、イスラエルの民の全体的な動向について知ることはできません。
バビロニア王朝の支配者たちに睨まれるので、うかつなことは書けなかったのかも知れませんが、民族の恥辱であるこの時期の歴史を意図的に残さなかった可能性もあります。
というわけで、今回は歴史的な記述が復活するバビロン捕囚の終わりまでについて、聖書以外の視点から説明し、それが済んだらまた「旧約聖書」の一書に基づいたお話に戻りたいと思います。
バビロンとバビロニアを巡る謎
サウルによってイスラエルの民は統一され、ダヴィデ・ソロモンの治世に最盛期を迎えました。
しかしソロモンが亡くなると、王国は北のイスラエルと南のユダに分裂します。
統一イスラエルを構成していた部族は全部で12あったのですが、分裂時にユダ王国にユダ族とベニヤミン族が、北のイスラエル王国に残りの部族が分かれます。
やがて北イスラエル王国は滅亡し、この国を形成していた10部族が行方不明になります。これがオカルトのネタに好んで取り上げられる「失われた10部族」です。
イスラエルの民はヤハウェという特殊な神を信仰することを民族のアイデンティティとしていました。
ですからヤハウェへの信仰を捨て、周囲の民族の神を受け入れると消えてしまったように見えるのです。
紀元前6世紀、残っていたユダ王国もバビロニアによって滅亡し、貴族や祭司団などはバビロンに連行されました。これが「バビロン捕囚」です。
紀元前6世紀、という時期であることを聞いて、不思議に思った方はおられないでしょうか。
「バビロニア」という地域名は、世界史の教科書の最初の部分に出てきます。ティグリス・ユーフラテスの下流域を指すこの土地には、紀元前3000年期には都市国家が建設され、文明を発達させていました。「バビロン捕囚」の時期からは、2000年近く前のことです。
ちなみに、メソポタミアの南東部のバビロンがあった地域のことを、カルデアとも言います。「Fate/Grand Order」に出てくる「人理継続保障機関フィニス・カルデア」の名前の元です。
最初にこの地域に都市国家を起こしたのはシュメール人です。この頃は個々の都市国家は統一されておらず、ウル・ウルクといった都市名が国家名として用いられています。
有名な「ギルガメッシュ」はウルク第一王朝の実在の王だったと言われています。Fateシリーズで他の時代からやっかいなサーヴァントたちが押しかけてきた(とされている)のはこの時期で、紀元前2900年ぐらいのことです。
やがてこの地域の覇権はシュメール人からアッカド人の手に移ります。
アッカド人の王であったサルゴンによって、バビロンという都市が建設されます。
紀元前2100年頃に、ウル・ナンムという人が都市国家ウルを根拠地にして「ウル第三王朝」を建国します。
この時から、バビロンを中心として成立したバビロン第一王朝が滅亡する頃(紀元前1590年頃)までを「古バビロニア」と総称するのです。
「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ王が君臨し、ギルガメッシュの物語が叙事詩として成立したのもこの古バビロニアにおいてです。
しかし、繁栄を誇ったバビロニアは、やがて内紛に悩まされるようになり、最終的には北方の民族ヒッタイトに滅ぼされます。
ただヒッタイトはバビロニアをそのまま支配することはありませんでした。バビロンを破壊して略奪を行うと、北方に引き揚げたのです。
しばらくするとバビロンは復興し、名目だけ残っていた北方の支配に対し叛乱を起こし独立します。
さらにまたしばらくすると北方の民族に攻められてバビロンを破壊される、というのを繰り返したのです。
「旧約聖書」の「列王記」「歴代誌」に記されている最後の頃は、「北方の支配者」はアッシリアでした。
それがやがて衰え、バビロニアが独立を回復し、支配地を広げていったのです。
この時期のバビロニア王国のことを「新バビロニア」と呼びます。ユダ王国を滅ぼしたのはこの新バビロニアでした。
やがてシュメール人の神々の信仰はメソポタミア地域だけでなく地中海地域まで広がっていき、ヤハウェの信仰にも影響を与えます。
ちなみに、「新約聖書」には「サルゴン」という王様も登場します。これはバビロンの建設者であるサルゴン王のことではなく、この王の名にあやかった後世のアッシリア王サルゴン2世のことです。
つまるところ、バビロンと呼ばれる都市は数千年の長きに渡って盛衰を繰り返しつつ存在し続けていたということです。
微妙に場所は変わりますが、この都市はアレクサンダー大王の時代の後にはセレウキア、パルティア王国とサーサーン朝の時代にはクテシフォン、さらにイスラーム帝国の時代からはバグダードと呼ばれ、現在に続いています。
預言者エレミヤ
バビロニアの脅威にさらされるようになったユダ王国の末期に、エレミヤという預言者が登場しました。
エレミヤは主に、「このままヤハウェを軽んじた生活を送っていると、ユダ王国は滅びますぞ」ということを民衆に触れて回りました。当然、当時のユダ王国の住民からは煙たがられたようです。
もともとヤハウェは自分のことを「ねたむ神」であると言い、自分だけを絶対的に崇拝することを信者に強要していました。
さらに、細かな「律法」を守ることも迫っており、信者に対して「土地」を約束してはくれましたが、それ以外の楽しいことを一切提供してはくれなかったのです。
しかしバアルやアスタルテといった「異教」の神々は、祭礼を通して人々に喜びを与えます。
ヤハウェに仕える祭司層が必死になって引き締めを図らないと、どんどん異教に人々がなびいていってしまうのです。
そういう状況下で、エレミヤは「ヤハウェを軽んじるとひどい目にあうぞ」と唱えたわけです。人々が彼を敬遠するのも当たり前だと言えます。
やがてユダ王国は、エレミヤの預言の通りにバビロニアのネブカドネザル二世によって攻撃され、占領されます。
ネブカドネザルはユダ王国を占領した後、ユダ王国の指導層をある程度捕虜にし、バビロンに連行しました。
しかし、ユダ王国を完全に滅ぼすまではしなかったのです。
エレミヤは、「これでわかっただろう。さあ悔い改めて万軍の主であるヤハウェを崇めるのだ」と説きます。
しかし、バビロニア軍が去って当面の脅威がなくなったユダ王国の国民は、またバビロニア到来以前の生活に戻ってしまいました。
エレミヤは「万軍の主」と言いますが、建前上ヤハウェを戴いていたユダ王国がバビロニアにボロ負けしたわけですから、権威も何もあったものではありません。人々がエレミヤの言うことを聞かなかったのはある意味当然とも言えます。
そのことに気づいたのか、エレミヤは人々に呼ばわる内容を微妙に変えていきます。
ヤハウェがユダ王国の守護神であるなら、ネブカドネザルはヤハウェの敵になるはずなのですが、エレミヤはネブカドネザルを「ヤハウェのしもべ」と言い始めたのです。
つまり、あまりにもユダ王国の民がヤハウェ(およびエレミヤ)の言うことを聞かないので、ヤハウェはしもべであるネブカドネザルを遣わしてユダ王国の民を罰するのだ、という理屈をひねり出したということです。
そんな話になっているとはネブカドネザル当人は夢にも思わなかったでしょう。
さてエレミヤですが、この理屈を考えだした後は、「悔い改めてヤハウェを崇めないとまたネブカドネザルが来るぞ」と主張するようになります。
上から目線で不吉なことを言う人々が嫌われるようになるのは、大昔のパレスティナでも現代の日本でも同じです。
昔の人の方が気が荒かったので、エレミヤは命を狙われたこともあったようです。
それでもエレミヤは懲りずに「いい子にしてないとまたネブカドネザルが来るぞ」と言い続けます。
実際、ネブカドネザルはまた来ました。今度はユダ王国を完全に滅ぼしてしまい、王とその一族や貴族層・神官層をまとめてバビロンに連れていきます。
ただ、エレミヤは拉致を免れ(重要人物だと思われなかった?)、その後もイェルサレムで活動したようです。
さらに後になると、イェルサレムはもうダメだと思った人々によってエジプトに連れ去られます。
そこで仲間であったはずのユダヤ人によって処刑されてしまった、という話も伝えられています。
エレミヤは「列王記」および「エレミヤ書」以外にも、ネブカドネザルによって破壊されたイェルサレムの運命を嘆く「哀歌」の作者であるともされています。
また、ユダ王国が滅びる少し前、「旧約聖書」の「申命記」にあたる部分が発見されました。
一部のユダヤ教信者はこれを「神の言葉が書いてある書」であると固く信じ、イスラエルの民にその書に書かれている律法通りに生きるのだ、と説きます。
それは長い歴史を経て獲得した当時の祭司層の既得権を否定するものでもありました。両者は激しく反発します。
エレミヤはどちらかというと改革派に同情的な立場だったようですが、そのために守旧派から憎まれ、命を狙われたことがあったそうです。
預言者イザヤ
エレミヤとほぼ同時期に活動した預言者にイザヤがいます。
彼は「イザヤ書」の著者であると言われ、その生涯についてはイザヤ書に書かれていることになっています。
ただし、この書を読んでもイザヤの生涯にいつどのような事件が起こったか、などということはさっぱりわかりません。
なにやら神が怒ってよからぬことが起きる、ということが繰り返し書かれているのですが、それが過去のことなのか近い未来に起こることなのか、区別できないのです。
「イザヤ書」は先に説明した、具体的に何が言いたいのかよくわからない「預言書」のジャンルに属します。
その内容は、ずっと後に書かれたノストラダムスの予言書に似ています。
読み取る人によってなんとでも解釈できるような中身になっているのです。
ノストラダムスの書に似ているというよりは、ノストラダムスの方が「イザヤ書」や「エレミヤ書」などのような預言書に似せて書かれた、と言った方がいいでしょう。
「イザヤ書」の42章には、どうやら神がイスラエルの民に指導者を送り込んでくれるらしいということが書かれています。
この指導者と思われる人物については、49~50章、52~53章でも言及が見られます。
名前を挙げていないので正確には誰のことだかわかりませんが、おそらく同一人物であるようです。
後のキリスト教徒は、この人物をイエス・キリストであると主張するようになります。
ざっと読んだところでは、それは単にイスラエルの民を解放して、バビロンからイェルサレムに連れて行ってくれる指導者のように見えなくもないのですが、イエスの人物像とどことなく被っているようにも見えます。
もっともそれは、後の福音書作者などが、「イザヤ書」のこの部分を意識し、「みろイエスはイザヤ書に書いてある通りのことをしたぞ」と話を盛った結果であるかも知れないのですが。
預言者エゼキエル
エゼキエルはネブカドネザルによる最初のイェルサレム攻撃の際に捕虜になり、バビロンに連れていかれたユダヤ教の司祭です。
ネブカドネザルの恐怖を身を以て体験しているので、当然ながら彼もエレミヤと同じく「ネブカドネザルは神の使いであり、堕落したイスラエルの民に懲らしめを与えるのだ」と主張しました。
エレミヤとちょっと異なっているのは、エレミヤの言うことには「まだネブカドネザルがやって来ないという可能性が少しないわけでもないから、悔改めよ」というニュアンスが残っているのですが、エゼキエルの言うことは「イスラエルの民はネブカドネザルによって滅ぼされた」という事実がスタート地点になっており、「ヤハウェから与えられる新しい王国が欲しければ悔い改めるのだ」となってきている点です。
エゼキエルが書き残したとされる預言書「エゼキエル書」は、預言書の一書であるため何が書いてあるのか具体的に理解しにくいのですが、それでもエレミヤやイザヤのものよりは何となく意味がわかるようになっています。
その中では、イスラエルは悪であり、悪であったから滅ぼされた、という意味の文句が繰り返し述べられています。
これは一体、どういうことを意味するでしょう?
つまるところ、民族が滅亡し人々が捕虜になったという現実を、当然のこととして認めてしまっている、ということなのです。
預言者たちにそのつもりがあったかどうかは不明ですが、バビロンの王がイスラエルの遺民を弾圧しても、すべて「当たり前のことだ」として肯定してしまうのです。
支配されているということを肯定してしまうと、その民族は自分の力で軛(くびき)を破壊して自由を勝ち取ることができなくなってしまいます。
預言者たちは「独立が欲しければ悔い改めろ」と言いますが、それは実際には「バビロンの支配者がどんな無茶な要求をしても反抗などせずじっと耐えろ」という意味だと受け取られてしまいます。
そうなるとイスラエルの人々は、かつてモーセに率いられてエジプトを脱出したように、自分たちの力で故国に戻ろう、と考えなくなり、棚からぼたもち式に誰かによって解放される日を夢見るようになります。
多少なりとも自分でなんとかしようという人々は、バビロニアの支配層に接近し、バビロニア市民としての出世を考えるようになるのです。
エゼキエルは破滅的な未来ばかりを予言したのではなく、いつかイスラエルの民は救済され、故国のあった土地に戻り、そこに新しい神殿を建設する、ということを詳しく説いています。
ただそれは先に述べたように自力でなんとかするものではなく、神が遣わした何者かによってなされることだ、とされています。
というわけで人々は、いつかやってくる何者かをひたすら待ち焦がれ、その一方で気まぐれにヤハウェが自分たちに下すかも知れない審判をひたすら恐れる、という日々を送るようになりました。
もちろんそんな重すぎるストレスに耐えきれなくなった人たちは、より「楽しい」異教を選択し、イスラエルの民であることを捨ててしまったのですが。
不吉なことばかり書かれた「黙示文学」成立の背景とは?
「黙示録」というと、大抵の人は「ヨハネの黙示録」を想像するのではないでしょうか。
「ヨハネの黙示録」は「新約聖書」に含まれている一書です。
使徒ヨハネが見たこの世の終わりとキリストの支配する新しい王国の到来について書かれていると言われます。
この文書は日本語訳もされているので比較的簡単に閲覧することができます。
ビジネスホテルに泊まれば引き出しの中に入っていることもありますし、そこまでしなくてもパソコンやスマホで「ヨハネの黙示録 日本語訳」で検索をかければすぐに見つかります。
というわけで簡単に読めるのですが、読んだ人の大部分が「何が書いてあるんだこれは」という感想を持つことになります。実際、わけがわからないのです。
まず多くの登場人物の名前が直接書かれておらず、その姿がどうであったとか間接的な形で表現されています。
またどうやら一つの出来事を、別の視点から繰り返し書いているようなのです。名前が直接書いてないことと相まって、読者はさらに混乱することになります。
じつは「ヨハネの黙示録」と同じ形式で書かれた書物は、他にも数多くあるのです。それらはまとめて「黙示文学」と呼ばれています。
「新約聖書」に収めれられている黙示文学は「ヨハネの黙示録」だけですが、「旧約聖書」の方には後で紹介する「ダニエル書」が代表的な黙示文学だと言われています。
しかし、それ以前のことについて書かれているイザヤ書やエレミア書も、かなり黙示文学的表現に満ちているのです。
黙示文学や、それに近い書物はだいたいその書物の著者が、神の御使いに連れられて夢またはそれに近い世界において、これから先に起こることやこの世の終わりを見せられる、という設定で進みます。
「見たこと」をその著者なりに忠実に描写していくので、目が七つある怪物がいたとか、神のしもべたちがラッパを吹いたとか、そんなシーンばかりが続いていきます。
ですが、七つ目の怪物の名前が何であるとか、ラッパを吹いたのは誰であるとかについては一切書かれません。
「見たこと」であって「聞いたこと」ではないから当たり前だ、ということになります。
この異常にわかりづらい表現ですが、じつは著者が生きていた時代に存在した何者かを批評する目的で行われたのだ、と言われることがあります。
ある権力者を批判する場合、その名前をモロに書いてしまうと権力者に処刑されてしまう恐れがでてきます。
ですからできるだけ分かりづらいように、間接的な表現で一種の悪口を書き綴ったというのです。
黙示録の作者たちが批判した権力者というのは、多くの場合彼らが言うヤハウェの教えに従わなかった人々です。
黙示録作者たちは、「そういう悪を行っている権力者には、やがてヤハウェの罰が下るのだ」ということを伝えたかったようです。
彼らによればヤハウェの罰というのは、バビロン捕囚が最後のものでも最大のものでもなく、今後も人がヤハウェの言うことを聞かなければ何度でも下されるものだということになります。
ですから今の権力者がヤハウェの掟を守らずネブカドネザルに倒されてしまうように、将来ヤハウェの言うことを聞かなくなったものが出ればまた別の災厄によって破滅する、ということを多重的に物語っていくのです。
史実に合わない幻想文学「ダニエル書」
ダニエルはバビロン捕囚の際に捕らわれ、バビロンに連れてこられたイスラエルの民です。
ユダ王国を滅ぼしたネブカドネザル(2世)王は、バビロンに連れてきたイスラエルの民の中から優秀な少年を選び、バビロニアの言葉であるカルデア語を学ばせます。ダニエルとその仲間たちはそうした少年たちの中で特に優秀でした。
やがてダニエルはネブカドネザル王が見た夢の意味を解き明かします。
これによりネブカドネザルはダニエルを取り立ててバビロン全州の長官に任命されたといいます。
なんだか話が出来すぎています。征服された土地で頭角を現して出世する、というパターンは、モーセやヨセフの二番煎じ・三番煎じであるように思われます。
イスラエルの民は、自分たちこそがこの世の主役、ヤハウェは全世界を支配する神、と思っていました。
しかし新バビロニアに滅ぼされたユダ王国は当時の中東の国際関係にほとんど影響力を持たない小国でしたし、ヤハウェは偏狭な一地方の神でしかありません。
そういうところの住民が、都合よく征服者に取り立てられて出世できるものでしょうか。多分に「だったらいいな」というイスラエルの民の妄想の産物であるように思えます。
無論、「旧約聖書」以外に、ダニエルという人物について言及した記録は存在しません。
この少し後の時代になると、ギリシアの大歴史家ヘロドトスがさまざまな記録を残すのですが、そちらにはダニエルやそのモデルらしき人物の影は見当たらないのです。
「旧約聖書」のダニエルはさらにネブカドネザルの子であるベルシャザル(バルタザール)にも仕えたといいます。
ある時、ベルシャザルがイェルサレムから略奪した宝物を並べて、大宴会を催しました。
その最中に人間の手の指が出現し、壁になにやら文字を書いていきました。
その文字を読めるものがいなかったため、ベルシャザルはダニエルを呼び出して謎の文字を読み解かせます。
ダニエルはこう言います。
「ヤハウェはあなたの父ネブカドネザルに権勢と栄光を与えた。しかし父王は尊大でありかつ横暴だったので、王位を追われた。父王は最後にヤハウェの偉大さを知ったのだが、あなたは父のこの末路を見てもヤハウェに従わなかった。それゆえヤハウェは壁に文字を書かせたのだ。文字の意味は『お前の時代は終わった。お前は秤にかけられ、不足であると判定された。お前の王国は分割される』というものだ」
その夜のうちにベルシャザルは殺され、バビロニア王国は滅亡しました。
その後ダニエルは、征服者であるペルシアのダレイオスにも仕えるようになった、と言います。
この話、史実とは符合しない部分が多々あります。
まずベルシャザルはネブカドネザルの子ではありませんし、バビロニアの王でもありません。
新バビロニア王朝最後の王はナボニドスという人物で、彼はその息子のベルシャザルとともにクーデターを起こし、王位に就きました。
ナボニドスの前の王はネブカドネザルの子孫ではありますが、娘婿の子であり男系の直系ではありません。
ナボニドスは息子ベルシャザルをバビロン市の総督のような地位につけていたようです。
ですからバビロンで最も権威を持つ人物ではあったようですが、「王」ではありませんでした。
また、ナボニドス王の統治するバビロニアを滅ぼしたのはペルシアのキュロス王でしたが、「ダニエル書」ではダレイオス王がやったことになっています。
ダレイオスはキュロスの子孫ではなく、キュロスの属するアカイメネス家の傍流の出身でした。
要するにバビロニアもペルシアも、「ダニエル書」に書かれている王たちの間に数代挟まっているのです。
何より怪しいのは、実在のバビロニア王に対してヤハウェへの信仰を説いて回る、というあたりです。
バビロニアの王たちが主に信じていたのは太陽神マルドゥクです。
多くの王が、せっせとマルドゥク神殿の改修・拡張を行っています。
非征服地のローカルな神であるヤハウェを重んじる理由がないのです。
「ダニエル書」の前半部は、この実在がかなり疑わしいダニエルという人物の生涯について綴っていますが、後半ではダニエルが神の使いに見せられた幻について書いています。いわゆる「黙示文学」です。
その内容は極めてわかりにくく、かつ他の黙示文学と大差のないものとなっているので、ここでは紹介しません。
なお、「ダニエル書」には「補遺(ほい)」と呼ばれる文書が別に存在します。
そのうち「スザンナ」と呼ばれる部分はお話として面白いので、紹介することにします。
スザンナは美しく聡明な人妻でした。
ある時水浴びをしていると、巡回裁判官に任じられた長老たちにその美しい裸身を覗き見られてしまいます。
興奮した長老たちは、スザンナに「ワシらの女になれ」と迫りますが、スザンナは拒否しました。
そこで長老たちは、スザンナがある青年と浮気をしていた、という話をでっち上げ、裁判で有罪にしようとします。とんでもない裁判官です。
そこにダニエルが現れ、当事者の話を聞きます。その結果、長老たちの話に矛盾があることを指摘し、スザンナの無罪を宣言するのです。
ダニエルがドヤ顔するのがちょっと鼻につきますが、このお話は「世界最古の推理小説」だと言われています。
解放者キュロス
先に少し触れましたが、バビロンで囚われの身となってしまったイスラエルの民を解放したのは「キュロス」という王様でした。
王様というからには国があるわけです。その名は「アケメネス朝ペルシア」と言います。
高校で世界史を選択した人は、ここで「ああ」と思うことでしょう。また、映画マニアも「あれかあ」と言うかもしれませんね。
映画「300(スリーハンドレッド)」は、アケメネス朝ペルシアと古代ギリシアに存在した都市国家スパルタの王レオニダスの戦いを描いた作品です。
あの映画の仇役になった見た目が露出過多の変態っぽいペルシア王は、その名をクセルクセスと言います。
クセルクセス王の父がダレイオス(1世)、その父がキュロスです。
ちなみに「300」は、アメリカのコミックを原作とした映画で、ビジュアル設定はその漫画のものを踏襲しており、必ずしも史実に準拠していません。
スパルタ兵は、パンツ一枚にマントを羽織っただけの姿で戦ったりしません。
「300」はあまりにイメージ優先で好き勝手やりすぎたので、「わが祖先を侮辱するな」とイラン(別名ペルシア)の政府から抗議されたと言います。
ですから実在のクセルクセス王はあんな変態っぽい人ではなく、当然その祖父であるキュロス王も見た目はまともな人でした。
ユダ王国・北イスラエル王国を北から圧迫していたのはアッシリア帝国です。
アッシリアが衰えると、その支配地は新バビロニア・リュディア・エジプト・メディアの四つに分裂します。
このうちのメディアに服属していた小部族に、キュロスが生まれました。
キュロスはやがてハルパゴスというメディアの将軍の助力を得て、メディア王を打倒し、自分の帝国を築きます。
このハルパゴスという将軍は、漫画「ヒストリエ」に「ば~~~っかじゃねえの!?」という名セリフを引っさげて登場しています。
メディアをわがものとしたキュロスは続いてリュディアを併合し、新バビロニアを征服します。
この時、バビロンに捕らえられていたイスラエルの民たちも、キュロスの支配下に入ったのです。
じつを言うとバビロンには、イスラエルの民以外にもさまざまな非征服民族の王族・貴族が捕らわれていました。
キュロスは彼らを解放し、おのおのの祖国に帰ってよい、としたのです。
このキュロスの命令により、イスラエルの民の「バビロン捕囚」は終わりを告げます。
ちなみに、キュロスは別にイスラエルの民に情けをかけて「帰っていい」と言ったのではありません。
キュロスが滅ぼした新バビロニアの最後の王ナボニドスは、征服した各地から神像を奪い、バビロンに集めていたのです。
これは征服地にそれらの神の加護を受けさせない、という意味を持ちました。非征服地の人々がこれに不満を持ったのは、言うまでもありません。
キュロスはバビロンの住民の支持を集めるために、ナボニドスの集めた神像を元あった場所に戻しました。
バビロンにいた非征服地の住民に帰還の許可を出したのは、この政策の延長に過ぎません。
解放されたイスラエルの民はカナンの地に戻り、新しいヤハウェの神殿を建設します。
ただ、イスラエルの民のすべてがカナンに戻ったわけではないようです。
むしろ戻ったのはほんの一部で、大部分はバビロンに定着したり、新しい権力者の本拠地であるペルシアの都スーサに移住したようなのです。
彼らの中には、ペルシアの役人として出世するものも出てきます。
「旧約聖書」では聖人君子として描かれているクセルクセス
「旧約聖書」には「エステル記」という一書があります。
普通、聖書の「なんとか記」は、「なんとか」の部分がカナ表記であれば、「なんとかさん」が主人公であったり「なんとかさん」が書いたとされる書物とされます。
中には「ヨシュア記」のように、主人公がヨシュアで記録者もヨシュア、というものもあります。
そういうわけですから「エステル記」は、エステルさんが書いたかエステルさんを主人公とした一編ではないか、と思われます。正解は後者で、エステルさんを主人公としたお話です。
「旧約聖書」は語るのも男、活動するのも男ばかりというある意味マッチョな物語ですが、女性が主人公になっている話が2つだけあります。「エステル記」はそのうちの一つなのです。
ちなみにもう片方は、ダヴィデの祖先であった女性のお話である「ルツ記」です。
「エステル記」の舞台となるのはバビロンでもカナンの地でもなく、ペルシアの首都スーサです。
当時のペルシアはアハシュエロスという王様に治められていた、と「エステル記」には書いてあります。
このアハシュエロスというのは、先に紹介した変態王クセルクセスのことです。クセルクセスの方が一般的に知られているため、以後クセルクセスで統一します。
さて、クセルクセス王は王位に就いてから三年めに、延々180日にも及ぶ大酒宴を催しました。
クセルクセスの父王ダレイオスは、その治世中に何度かギリシア侵攻を企画して、失敗を重ねていました。
紀元前490年には大艦隊を派遣してギリシア征服を試みたのですが、マラトンの戦いでアテナイ・プラタイアの連合軍に敗北しています。
マラトンの戦勝を伝えるために選ばれた使者が、アテナイまで力走し市民に勝利を伝えて息絶えた、という故事が、陸上競技のマラソンの起源となっています。
クセルクセスは父王の遺志を継ぐ形でギリシア再遠征を考えていただろうと思われます。
そうした事情から考えると、即位三年めの大宴会というのは、近い将来行われる大遠征に備え、人心をひとつにし、将軍や大臣の忠誠心を高めておく目的で行われた、と考えられます。
一般的な暴君が、享楽を極めるために行った宴会とは、ちょっと違うようです。
180日宴会の後、クセルクセス王は今度は首都スーサの一般住民のために、7日の宴会を催します。それと同時に、王妃ワシュティも女性相手に別の宴会を催していました。
クセルクセス王は自分の宴会の最終日に、王妃ワシュティを呼び寄せようとします。
美しい王妃に豪華な衣装を着せ、民衆に見せびらかすつもりだったのです。
しかし、王妃ワシュティは王の要求を拒みます。クセルクセスは怒りました。
ただ「エステル記」のクセルクセス王は、非常に思慮深く何でも法に則って行動しようとする名君です。
嫁さんがちょっと自分に逆らって逆上したからといって、すぐに王妃の首をはねたりはしません。
左右に侍る法学者でもある重臣たちに「法に則ってどうすればよかろう」と諮ります。
重臣たちは「王妃が国王を侮ると、臣下の妻たちもその夫を侮るようになり国家の治安が脅かされかねない。ですから王妃を追放しましょう」と進言します。
そこでクセルクセス王はおもむろに王の命令書を書き、「法に従って」王妃を追放します。
クセルクセス王によって追放された王妃ワシュティは、夫の命令に従わず自分の意志を貫き通した女性として、フェミニズム運動のシンボルとして扱われたことがあります。
ただし、彼女が本当に「女性の解放」や「男女同権」という考えを持っていたかどうかは、「エステル記」の記述からはわかりません。
イスラエルの民からプリンセスになったエステル
王妃を追放して独身に戻ったクセルクセス王は、「今後どうしたらよかろう」とまた重臣に諮ります。
重臣たちは「国中から美しい乙女を集め、その中から新しいお妃を選ぶとよろしいでしょう」と提案します。
そこで国中から美しい乙女が集められました。
イスラエルの民であるモルデカイは、キュロス王によってバビロン捕囚が終わった後、カナンの地に戻らずにスーサに移住していました。
彼は従姉妹のエステルがその両親を失っていたので、エステルを自分の養女とし、一緒に生活していたのです。
クセルクセス王の布告で、全国から王妃候補の美女が集められる、という話を聞いたモルデカイは、エステルをこれに応募させようと考えます。
「エステル記」ではエステルは大量の美女軍団の中から選ばれて、見事クセルクセス王の王妃になった、と書かれています。
しかし、なにか変な感じなのです。
まず、クセルクセス王は新しい王妃を選ぶまで、非常に長い時間をかけています。
集められた美女たちはスーサの宮殿に部屋を与えられ、王が順番にその部屋を回って王妃にするべき女性を決めた、というのですが、王がエステルの所に来たのは美女たちが集められてから7年めだったというのです。
場所がペルシアでもあることですし 、この状態はいわゆる「ハーレム」ではないでしょうか。
時代が違っているので全く同じものであるとは言えませんが、後世のハーレムの場合、そこに住んで王に奉仕している女性は基本的に奴隷身分です。
中国の後宮なども加えると、ハーレムの女奴隷とは別に有力貴族や他国の君主の娘を正妃として迎えている王・皇帝は結構います。
エステルの場合、こうしたハーレムのメンバーであり、正妃ではなかったと思われるのです。
こういう疑問は出てくるのですが、しばらく「エステル記」の記述に従って解説を進めます。
王妃になったエステルですが、自分とモルデカイとの関係を隠していました。
つまり、自分はイスラエルの民の出身だとクセルクセス王に告げなかったのです。
さて、ここで唐突に、王の家臣二人が王を暗殺する密談をしているのをモルデカイが聞きつけ、そのことをエステル経由で王に知らせ、二人を処刑させるというエピソードが挟まれます。
イスラエルの民に対する陰謀を阻止するエステル
ここでハマンという男が登場します。
この人物の出自においては、マケドニア人であるとする説もありますが、ヘブライ語版の「エステル記」には、アガグ人とされています。
このアガグ人がどういう民族なのかはよくわかりませんが、「サムエル記」にサウル王に敵対した人物として「アガグ」が登場しているので、その子孫である可能性がわずかに存在します。
その後を読み進めていくと、イスラエルの民に深い恨みを抱いているような表現がありますので、サウル王のライバルの子孫という設定には説得力があるようにも思えます。
ハマンはクセルクセス王に重用され、宰相のような地位につきます。王に次ぐ地位を手に入れたことでハマンは増長します。
彼は王の家臣たちに対し、自分にひざまずくように命じましたが、モルデカイは無視しました。
ハマンはモルデカイに対して深い恨みを抱きました。そしてモルデカイ一人にとどまらず、モルデカイの一族も皆殺しにしてやろうと思いついたのです。
ハマンは機会を見て王に耳打ちします。
「ペルシア領内にばらばらに分かれて住み、王の法律を聞かない民族がいます。彼らは有害なので皆殺しにしましょう」。
クセルクセス王はその提案を命令文書にまとめ、帝国の各州の知事に向かって布告します。
こうした陰謀が進行していることを知ったモルデカイは、エステルを通じて王に命令を撤回させようとします。
ですが、エステルは「それは難しい」というのです。
エステルが言うには、「何人たりとも、王の許可がなければ王のところに行ってものを言うことはできない」のだそうです。
エステルは王の妃だったはずですが、その妃ですら御召を得ないと王の前に行けないと。
ここで先程説明した「エステルは王妃じゃなく単なるハーレムの女性だったのではないか」説が再浮上します。
エステルは直近30日の間、王に呼ばれたことがなかったと言います。果たして王妃でそういう状況になるでしょうか?
やがてエステルは、殺されるかも知れないと思いつつ、許可なく王のところに行きます。
幸い王は面会を許可してくれたので、エステルは処刑されることを免れ、ハマンを同席させて酒宴を設けることを進言します。
これを聞いてハマンは喜びました。「王と王妃だけのプライベートな酒宴に、自分も招かれた」と思ったからです。
王妃エステルは酒宴が終わると、「明日もまた三人でやりましょう」と言いました。
得意満面になったハマンがその妻に誇らしげに一部始終を語ると、妻は「ついでだからその場であのモルデカイを死刑にするように王様に言っちゃいなさいよ」と言いました。
ハマンはなるほどと思って、モルデカイを吊るすための木を用意させます。
一方クセルクセス王。エステルと明日酒宴をする、ということで興奮したのかその夜眠れなくなります。
そこで廷臣に国内のさまざまなことについての記録書を持ってこさせ、それを読みふけり始めました。
ここで王は、かつてモルデカイが国王暗殺計画を阻止したことを知ります。
クセルクセスは「この件についてモルデカイに褒美を与えたか」と廷臣に問います。
廷臣は「与えた記録はありません」と答えました。
ここにハマンが、明日モルデカイを吊るしてやろうと思っている木を持ってやって来ました。
王はハマンを招き寄せ、「ある人間を表彰してやろうと思うのだが、どうしたらいいか?」と尋ねます。
ハマンは自分が表彰されると思ったので、「王の衣装を持って来、王冠を載せた馬を呼び、国で一番身分の高い人間に馬を引かせてその人の元に行き、王の衣装を着せて馬に乗せ、『王がこの人を表彰したぞ』と呼ばわりながら街を練り歩くといいでしょう」と言いました。
クセルクセス王はうなずき「ならば準備を整えてモルデカイの所に行き、あなたが言った通りにしなさい」と命じます。
ハマンはよくわからないけれど非常に不吉な感情を覚え、モルデカイを馬に乗せて街を回った後、青い顔をして家に戻ります。
翌日、酒宴の場でエステルは、自分がイスラエルの民であることを告げ、ハマンの陰謀を暴露します。王は激怒して、ハマンに詰め寄りました。
ちょうどその時、「ハマンの家に、ハマンがモルデカイを吊るそうとした木がありますよ」と告げるものがあり、王は「ちょうどいい。ハマンをそれに掛けてしまえ」と命じました。
かくして陰謀を企んだ悪人ハマンは成敗され、モルデカイはハマンに代わってペルシア帝国の宰相に任じられたというのです。
ハマンの財産はすべて没収され、イスラエルの民に分け与えられました。
後世のヨーロッパでは、主に金融業などに携わっていたユダヤ人は、財産に関して非常に目ざといとみなされました。
他の民族の話だったら「悪は滅びた」で終わるのですが、こういう文句を挿入するあたり、いかにもユダヤ人的だと言えます。
その後さらに蛇足のように、イスラエルの民が王の権威を背景に、自分たちを迫害した民族を虐殺していったことが書かれています。
首都スーサで合計800人以上、ペルシア帝国全体で7万5千人以上を殺したそうです。
「旧約聖書」の一篇なのに、神の名前が全く出てこない!
「エステル記」は「旧約聖書」の一書ながら、地名としてのイスラエルが全く出てきません。
また、イスラエルの民の神であるはずのヤハウェの名前も、一切出てこないのです。
イスラエルの民、すなわちユダヤ人を保護し、その敵に罰を与える存在は登場しますが、それは神ではなく生身の王・クセルクセスです。
これをユダヤ人の信仰の書と呼んでいいものかどうか、微妙なところでしょう。
「エステル記」に登場するクセルクセス王は、ほぼ完璧な聖人君子で、理想的な王として描かれています。
要するに完全にヤハウェの代理とみなされているのです。
ただ、史実のクセルクセス王は、「エステル記」に書かれているイメージとかなり異なります。
「エステル記」ではそこはかとなくクセルクセス王がヤハウェを信仰していたかのように匂わせていますが、実際に王が信じていたのはゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーでした。
また、史実上のクセルクセス王は、エステルが王妃になったとされる三年ほど前に、ギリシアに侵攻してテルモピュライでスパルタ王レオニダスと戦っています。先に紹介した映画「300」の元ネタになった戦闘です。
クセルクセスはこの戦いに勝利したものの、スパルタ軍によって兄弟二人を討ち取られました。
ギリシア側は敗北したものの、たった300人でペルシアの大軍に立ち向かったスパルタの勇気に士気が盛り上がり、翌年プラタイアの陸戦とサラミスの海戦でペルシア軍に大勝利を収めます。
これによりクセルクセスはギリシア征服の野望を捨てざるを得ませんでした。
外征に失敗したクセルクセスは、その後スーサを始めとする帝国各地に大規模な建築物を建て、自分の権威を高めようとします。
しかし、こういう場合のパターン通りに、重い負担に苦しむ国民の反感を買い、最後には側近に暗殺されてしまいました。
「エステル記」の問題点はまだあります。このお話そのものが完全なフィクションなのです。
「エステル記」に書かれている聖人君子とは程遠い(かと言って映画「300」に出てくる変態でもない)ですが、クセルクセス王は実在の人物でした。
しかし、その王妃がエステルであり、しかもイスラエルの民の出身だったというのは、「エステル記」以外の書物に一切書かれていないのです。
この当時のことについて比較的信用できる記録であるヘロドトスの「歴史」では、クセルクセスの妻はアメストリスといい、クセルクセスの父ダレイオスの即位に貢献した人物の娘だと言います。
この時の功績でこの人物はペルシア王族と通婚する権利を獲得し、ダレイオスに自分の娘を嫁がせ、自分はダレイオスの姉妹を娶ってアメストリスをもうけた、とされています。
つまりクセルクセスとは従姉妹にあたり、イスラエルの民との血縁関係はありそうにないのです。
ヘロドトスはさらにこの王妃について、「なにかというと人を生き埋めにしたがる」と悪口を書いています。
ヘロドトスのこういった記事については、あまり信用することはできないのですが、まったくの事実無根ということもないでしょう。
悪評の元になるようなことを、なにかしていたと思われます。
アケメネス朝ペルシア初代の王のキュロスは、宗教的には宥和政策を取っていました。
これはキュロス自身の権力がまだ弱く、征服した各地の民族にある程度配慮しなければならなかったためだと考えられます。
しかし代を重ねると王権は次第に強力になり、ダレイオスの時代になると領国民にアフラ・マズダーの信仰を強要するようになります。
クセルクセスもその政策を踏襲したことは、先に書いた通りです。ヤハウェの立場からすれば、「敵」に他なりません。
それでもイスラエルの民は、クセルクセスを神の代わりとして讃えざるを得ませんでした。
イェルサレムの神殿を再建したものの、新しいイスラエルは周囲の異民族に常に脅かされる小国でしかありません。
ユダヤ人であっても、この国を見限り、より強大なペルシアなどにすり寄った方が得、と思う人が大量にいたのです。
結局ユダヤ人は、「去っていくマジョリティ」と、「残って思想的に先鋭化するマイノリティ」に分かれていき、混乱しつつイエス・キリストの到来を待つことになります。
「旧約聖書」中最大の「ついてない君」・ヨブの物語
長期に渡って続けてきた「旧約聖書」の諸書の内容紹介も、このあたりでほぼおしまい、ということになります。
じつは今まで解説してきたもの以外にも文書はあるのですが、ごく一部の宗派でのみ聖典とされていたり、量が膨大である割に内容を解説しにくい詩篇であったり、さらに何を書いているのか熟練者でなければわからない「ダニエル書」のような黙示文学であったりするのです。
ただひとつだけ、「旧約聖書」の他の書とは独立していて、なおかつお話として面白いものが残されています。それが「ヨブ記」です。
ヨブは義人でした。その高潔さは完璧を通り越していました。
ある時ヤハウェが天使やサタンを呼び集めて言いました。
「ヨブほど高潔な人間がいようか」と。
それに対してサタンは、「ヨブはあなたに祝福されて多くの財産を得たからあなたに忠実なのです。財産を失ったらきっとあなたを呪うでしょう」と言います。
「では試してみよ。ただし、ヨブの命を危険に晒すな」とヤハウェは言います。
素直にヨブの信仰を受け入れていればいいものに、ちょっと挑発されるとこんな余計なことを言ってしまうのがヤハウェという神様です。
サタンはヤハウェの許可を得たので、せっせとヨブから財産を奪います。
これによって、ヨブはシバ人に牛とロバを殺され、「神の火」で羊を殺され、カルデア人にらくだを殺され、大風によって家を潰され子どもたちを圧死させられます。
ヨブは嘆き悲しみましたが、やがて「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」と言います。
サタンが期待したように、ヤハウェに対する恨みを口にしなかったのです。
サタンがまたヤハウェのところに行くと、ヤハウェは「お前はヨブに、わたしに対する恨みの言葉を吐かせよう言ったが、できなかったではないか」と余計なことを言います。
サタンは売り言葉に買い言葉で「いや確かに失敗しましたけどね、いかにヨブでも体を痛めつければあなたを呪いますよ」。
「ではやってみるがいい。ただし命は奪うな」。
こんな勝手な会話がどこかでなされているとは、ヨブは露ほども思いません。
ですがサタンが神との約束(?)を忠実に実行したため、ひどい皮膚病にかかってしまいました。
当時の社会では、皮膚病はもっとも忌まわしい、呪われた病だとされています。
変わり果てた夫の姿を見て、ヨブの妻は「そんな体になってもまだヤハウェ様を拝むのかね。呪って死んだらどうだい?」と言い放ちます。
理由もないのにバチを当ててくる疫病神の信仰なんて捨てて、毒を吐いてストレス発散して楽になってくれ、という、彼女なりのヨブへの愛情がほんのり読み取れるように思えるのですが、気のせいでしょうか。
しかしヨブは、「お前は馬鹿な女だ」と言って、ヤハウェに対してなおも誠実であろうとしました。
具体的には、ヤハウェの定めた律法を守り、日々礼拝を捧げていたのでしょう。
やがてヨブは自分のみじめな状態に耐えきれなくなり、呪いの言葉を口にします。
しかし、それはヤハウェに対してのものではありません。「自分、何で生まれてしまったんだろう」と、自分がこの世に出現したことをただ呪ったのです。
「なんで母親の胎内から生まれ落ちた時に死ななかったろう」とか、「どうして目の前に出された母の乳房を吸ってしまったんだろう」などと言い出しているので、かなりネガティブになっていることがわかります。
なおも苦しみ続けるヨブのもとに、彼の三人の友人がやってきます。
誰もヨブに声をかけることができず、ヨブの側に座って7日間黙ったままだったのですが、やがてヨブとの問答を始めます。
友人たちは代わる代わる「そんな姿になってしまったのは、ヨブが何か罪を犯したからだろう。その罪について悔い改め、神と和解せよ」と言います。
しかしヨブは、「自分はこれまで何一つ罪を犯したことはない。よって悔い改める必要はない」と主張し続けます。
友人たちは入れ代わり立ち代わりヨブの言葉が誤っていると言い続けます。
「神は完全な存在でありあなたは不完全だ。だからあなたはあなたが知り得ないところで何か罪を犯しているのだ」とも言われますが、ヨブは屈しません。
「わたしが知り得ない範囲で犯した罪を理由にわたしを罰するのは不当だ」と。
ヨブと友人たちが一歩も歩み寄らず、険悪な雰囲気になった時、ヤハウェが登場します。
そしてヨブに、自分がこの世を創造した目的を人間は知ることはできない、なぜなら自分は人間をこの世の主人公として作らなかったからだ、と述べます。
要するに人間は個人レベルで完結しておらず、より大きな何ものかの一端を担っているに過ぎない。だから何も悪いことをした覚えがないのに不幸にあったり、その逆もありえるのだ、ということです。
故に人間が想像もできない大きな事業に取り組んでいるヤハウェを信じよ、と。
ヨブは自分がこの世界の主役ではなく、自分の肉体や運命は自分の力で得たものでもなく、神から与えられたものだ、ということに気づき、運も不運も神から与えられたものだから素直に受け取って、やがて神に返せばいいのだ、と思い至るようになります。
ヤハウェは「自分は罪を犯していない」と主張し続けたヨブは間違っていなかった、と言い、そのヨブに侮辱に近い言葉を投げた友人たちに対し、ヨブに謝罪するようにと命じます。
また、自分の運命は個人レベルのせせこましい範囲にとどまらず、より大きな世界の一部なのだ、ということに気づいたヨブを祝福し、皮膚病を治し、財産を倍にして返してやりました。
その後ヨブは140年生きてすべてをヤハウェに返し、塵に戻ったと述べて、「ヨブ記」は終わります。
「ヨブ記」の内容はかなり後のキリスト教で説かれている神や人間観に近いものとなっています。言葉はよく吟味されており、非常に哲学的です。
日本人には、ユダヤ教やキリスト教は、よく理解されているとは言えません。
それは「ヨブ記」に典型的に現れている「受け身の世界観 」がよくわからないからでしょう。
自分はあくまでもこの世の脇役に過ぎず、より大きな物事の動きに巻き込まれて不幸を味わうことがある。
だからより大きな物事の主催者であるヤハウェを信じ、幸も不幸もヤハウェの思し召しだと考えて受け入れよう、という考え方です。
このため彼らは、何かあった場合、自分で物事を解決しようとせず、それを解決してくれる何者かをヤハウェが遣わしてくれるのを待つ、という非常に消極的な態度を取ることになります。
ヨーロッパ近代は、この「受け身の世界観」を克服し、「人間がこの世の主人公だ」と考えるところから出発しています。
ただし、「受け身の世界観」は完全に消え去ったわけではなく、今でも欧米の人々の中に残っています。
何しろこの世界観の象徴的な人物であるヨブが、いまだに教会で「義人」として教えられているのですから。
日本人はこの「近代的な」感覚だけを学び取り、素直に実践してきたことになります。理解できないのは、このあたりに原因があると考えられます。
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