三国志・関羽の神話|死後いかにして万能神になったのか

関羽と言えば三国志を知っている方ならみな御存知だと思います。

美髯を蓄えた稀代の猛将にして、三国志を代表する英傑の1人。

日本では、横浜の中華街などにある関帝廟でその雄姿を拝見できます。

関羽は三国志の軍神!とか三国志の武神!などと呼ばれることが多いですね。

しかし、このような呼称はあくまでキャッチコピーのようなもので、多くの方は関羽をあくまで人間として捉えているのではないでしょうか。

「武神」「軍神」と呼ぶのは、かつての名プロレスラー「アンドレ・ザ・ジャイアント」のことを「人間山脈」と言っているようなもの。

「人間の範囲内」を超えてはいないのです。

では関羽が神様だと認識されていないのはなぜなのか。

それは関羽の「神話」があまり認知されていないからでしょう。

この記事では、関羽が死後に神として祀られてから、いかにして天下無双の万能神になったのかを順番に解説していきます。

関羽には人間としての生を終えた没後、神として転生した後に、ドラマティックな「神話」がたくさん生まれているのです。

仏教のガードマン

関羽は西暦219頃に戦死したとされていますが、神として祀られたのはそれから約350年後になります。

湖北省当陽県の城西30里にある「玉泉寺(ぎょくせんじ)」という寺で仏法守護のためのガードマン、すなわち伽藍神(がらんしん)として祀られます。

これは日本の寺院における「天部」に相当する存在。

関羽神格化の動きは仏教の方が早く、関羽は道教の神になるよりも早く仏教の伽藍神となっていたのです。

唐時代の関羽の神としての法力

関羽の神としての法力は西暦802年、中国では唐の時代にも発揮されています。

同802年に董挺という人物が残した玉泉寺に残る最古の文献「重修玉泉寺関廟記(じゅうしゅうぎょくせんじかんびょうき)」によれば、関羽は国土の荒廃や作物の生成を左右できるほどの法力を持っていたとされています。

生前の猛将っぷりからすれば意外かもしれませんが、初期の神・関羽は農耕の神と仏教の守り神になっていた、ということですね。

武神VS武神 古代兵主神との闘い

時代は進み宋~元の時代には、関羽には武神としての輝かしい神話が存在します。

それが「関雲長大破蚩尤(かんうんちょうだいはしゆう)」というお話です。

あらすじから言えば、武神の交代劇。

関羽に倒される蚩尤(しゆう)という邪神は中国古代神話の神なのです。

蚩尤(しゆう)とは?

中国における伝説上の帝王、黄帝。

三皇五帝の一人で姓は公孫、名は軒轅 (けんえん) 。

この偉大な帝王に挑戦し、天下を狙った者が蚩尤です。

蚩尤は炎帝「神農(しんのう)」氏の子孫であり、銅の頭、鉄の額、人の体と牛の蹄、目が4個、手が6本(8本の腕、8本の足という説もあり)という姿をしています。

牛頭人身の神農の子孫というところから、頭も牛のようでした。

食物も常人と異なり、砂や石を食します。

蚩尤には72人とも、81人とも言われる同じ姿をした兄弟がおり、みな蚩尤と同じく砂や石を食物としていました。

戦えば必ず勝つ軍神として名高く、武器の発明者でもあります。

彼の発明は剣、鎧、矛、戟、戈、弩と実に多彩。

『史記』「封禅書」では、蚩尤は八神のうちの「兵主神」に当たり戦の神と考えられています。

(「封禅書」に説かれている八神は、天主神・地主神・兵主神・陰主神・陽主神・月主神・日主神・四時主神)

蚩尤
蚩尤(原典

この神に関羽が挑戦する。それが「関雲長大破蚩尤」という関羽の武神としての神話です。

関雲長大破蚩尤

前置きが長くなりますがしばしのお付き合いを。

宋の大中祥符奈(たいちゅうしょうふ、宋時代の年号)7年(1014年)、解州の塩池は涸れ始め、塩税の収入が少なくなっていました。

皇帝が視察に使者を派遣したところ、使者は城隍神(じょうこうしん、土地神のこと) と名乗る老人と出会い、「塩池の害は、かつて黄帝に敗れた蚩尤神が起こしている」と教えられました。

そこで皇帝が近臣の呂夷簡(りょ いかん)を解州に派遣すると、夢に蚩尤神が現れ、「上帝(天帝)が自分にこの塩池の主宰をさせているのに、皇帝が自分の仇敵である軒轅(黄帝)の祠を池のほとりに建てたので、水を涸らすのだ」と告げます。

この報告を聞いた侍臣の王欽若(おう きんじゃく)は、「蚩尤は邪神であり、信州竜虎山の張天師(道教の教主)に命じてこれを平定させるべきです」と上奏しました。

召し出された張天師は「死後、神となった忠烈の士の中でも、蜀将関羽は忠勇を兼備しています」と薦めて、いよいよ関羽の登場です。

まもなく美髯の武人が天空より現れ、勅命を受けて消え去ると、ある日、解州の塩池の上を黒雲が覆い、強雨猛風が吹きすさび轟雷が鳴り、空中に戦の狂騒が響き渡ります。

やがて雲が散り、晴天となってから人々が見にゆくと、池の水は元のように満々とたたえられていました。

(関帝録古記『関雲長 大いに蚩尤を破る』より)

結果は関羽の圧勝でした。

この邪神蚩尤はかつて古代に黄帝と争いになった時には、黄帝が様々な神の加護、神獣の助けをかりてなんとか倒したような強敵でした。

関羽はそれを単独であっさりと倒してしまったのだから、なんとも凄まじい限りです。

ちなみにこの時の関羽の立場は「小土地神」という土地神に過ぎなかったのですが、中国神話世界のおける土地神の例外という話にもなってしまっていたのです。

道教学者、窪徳忠氏も同著『道教の神々』P.257において土地神を「まことに微力な神」と論じています。

事実、西遊記などにも登場する土地神も実にひ弱で妖怪の妖力に負けて、主人公の孫悟空に助けを求める有様。

古代の聖帝、黄帝のライバルだった蚩尤と戦うには荷が重すぎるように思えるのですが……。

関羽(関帝)とは時代が下れば下り、現代に近づくほどにパワーアップしてゆく進化する神であるが故にこのようなことも起きるのでしょう。

武神の欠点? 弱点も多い武神

続く明~清の時代には、関羽は信仰史の世界では国家守護神として国からも敬われるほどの偉大な存在となっていきますが、神話史の中でも、個性的な活躍を見せます。

個人的にその代表例として『北遊記(ほくゆうき)』を上げたいと思います。

北遊記とは、中国の明代に成立した四つの神怪小説の一つで、道教の高位神であり今なお人気の神様「玄天上帝」を主役とした妖怪退治物です。

『四遊記』とは、サルの神様で有名な孫悟空が大活躍する神怪小説『西遊記』が大ヒットした後に、明代~清代にかけての中国仏教(日本とは違い中国固有の佛尊もいる。)、道教に関わる民間伝承と神話伝説をミックスして『東遊記』・『南遊記』・『北遊記』と立て続けに創り上げたものです。

道教の主要な神の1人である玄天上帝を主役にした妖怪退治の物語が『北遊記』です。

ここで言う神怪小説とは分かりやすく言えば道教秘事や仙術などを祀られている神仙が使いこなして、妖怪退治などを行う中華バトルファンタジーもの。

言わば、中国中世期の神話集ですね。

その中で躍動する関羽も、同時期に大ヒットした歴史小説「三国演義」に勝るとも劣らない良さがあると、私は思います。

本題の北遊記に登場する関羽ですが、武という点においては、この玄天上帝をも上回るほどの力を持っているのです。

玄天上帝も妖怪退治の武神としてはトップレベルの力を持っていて、道教上においては最高神である元始天尊、もしくは玉皇上帝の化身とすら言われるほどです。

その神の得意分野で関羽がそれ以上の力を誇っている神話があるとは、関羽は人間時代から比べ物にならないほどの力を持つ存在になったということが分かります。

しかし、問題はその後です。

関羽と玄天上帝などが組んだら、もはや向かうところ敵なし!と思われたのですが、お互いに武神故の弱点も存在しました。

つまり、武を発揮できない「異能」 の存在への対処が全くできなったのです。

補足:異能とは

異能とは火、水、雷といった自然現象を操る力に長けた存在や、相手を動けなくするような呪い、敵を本や釣鐘の中に閉じ込めて無力化させ相手の体力を吸い取るような能力を指します。

上記のように北遊記では、関羽は武神としてこそ突出していますが、他の異能の敵との闘いにおいては、相性負けしている場面も少なくなく、まだまだ修行期と思われる場面が多くあります。

それらを羅列すると下記の通りです。

  • 謝仕栄の火(関羽は火神も兼任するが及ばず)
  • 田乖(でんけい)の綴本(本の中に吸い込こまれる)
  • 十三太保の呪力(全身を痣だらけにされ激痛が走る)

その他、大将である真武大将軍が倒れると、朱彦夫の毒には三清(さんせい)の力を、康席(こうせき)の銅鐘に閉じ込められ呪文の力で亡くなると妙楽天尊の力を借りることになります。

その後、雷公の雷でやられると妙楽天尊の助言を得て、雷天君の鄧成に助力を求めることになりました。

天下の武神とは言え、これらの能力のスペシャリスト相手では持ち味を生かせずにただただ負けてしまうのでした。

つまり、中国神話における「武神」とは、同じ土俵で武芸の力比べに応じてくれないと、搦め手を使われてあっさり負けてしまうことも少なくないということです。

現代において、関羽(関帝)は万能の神として君臨していますが武は得意分野の一つでしかなかった、ということでしょう。

経験を経て、弱点を埋め万能の存在へ

万能の神になるということは、あらゆる部分に隙と弱点を作らないこと。

中国には五行説というものがあります。

森羅万象におけるすべてのものは、火、水、木、金、土の五つより生まれてそのいずれか一つの宿命を背負っていると考えます。

それらが互いに相関わり合い循環することによってその生滅をも成り立っていると考える説です。

その相関図は以下の通り。

  • 五行相生(〇〇は〇〇を生む 土生金 金生水 水生木 木生火 火生土)
  • 五行相克(〇〇は〇〇に克つ 土剋水 水剋火 火剋金 金剋木 木剋土)

創造が五行相生を司り、破壊を五行相克が司るというわけですね。

即ち、これらの徳を収めれば、天下無敵というわけです。

補足:徳とは

例えば火徳であれば、火を司るすべての事象を表します。

位が高くなれば、火を司る担当官にも「命令」が可能なため、関帝のような高位の神は火で焼かれなくなります。

五大十国の時代は火を司る能力こそありましたが、神としての位が低かったため同業の火神などが敵対者だった場合、その火力の猛威にさらされることにもなります。

進化する神である関羽の最大の魅力はここにあります。

関羽はほぼすべての特性を備えることになるのです。それらをご紹介いたしましょう。

火徳を収めし関羽

これはもとより関羽の領域内です。

関羽は五代十国時代から強力な雷法によって使役される元帥神となっており、五行において南方は火を司る属性なのです。

何百年も勤め上げた経験がありますが、北遊記では謝仕栄(しゃしえい)の火力に敗北しました。

すなわち、関羽は火徳においてはそれ以上の存在がいて、五行一徳しか備えていなければ、より強力な火神には勝てない、ということになります。

ここでポイントになるのが、次項でご紹介する水徳を収めた関羽です。

水徳を収めし関羽

ここでは北遊記時代との強い絆で結ばれている玄天上帝との関係性を見てみましょう。

北遊記の終わりに、関羽も随伴した36人の武臣の1人として天界から祝福される場面があります。

あくまで私の仮説ですが、道中で真武大将軍に付き従い水徳の道を習い会得したとも考えられないでしょうか?

関羽研究学者の伊藤晋太郎氏の著作「関帝文献」の研究によれば、関帝を描いた顔には七つの痣(ほくろ)があり、これが北斗七星との関連があると説いています。

北斗七星を刻んだ七星剣は真武上帝の宝剣であるから、関羽も真武大将軍から水徳の奥義を会得した、とも考えられるのです。

ここまでの話で陰界(冥界のこと)での水徳との関係性は玄天上帝との妖怪退治に付き従ったことによる、いわば間接的なものですが、次に紹介する民間伝承では更に直接的な水徳との繋がりがあります。

水神そのものになりその職能も備えたのです。

水神関羽

関羽が神格化される過程で、関羽の生誕日に生誕祭が行われるようになりましたが、それは一般の旧暦の5月13日とされています。

この日は中国南方で梅雨入りの季節にあたっており、雨がよく降り、そこで、この日にふる雨は関羽が青龍偃月刀を水で洗い、磨くためであり、これを「磨刀雨」もしくは「洗刀雨」という風習が南方各地に伝わっているのです。

この風習が伝わることによって、関羽は水神としても扱われています。

こうして関羽は水神としての職能も手にしたことより、確実に水徳も会得していることも証明できました。

水徳の獲得は、関羽にとっては弱点ともなる根本属性の火徳の補完のみならず、更なる高みとなる玉帝になるために先輩筋にあたる真武上帝との関係性もポイントですね。

真武上帝は玉帝の化身ともされる存在であるためです。

水徳の神秘性は一段上と考えてもいいでしょう。

これによって、「水剋火」すなわち火神には水神の力で打ち勝つことが出来るのです。

木徳を収めし関羽

木は火を創造し、土に強い。

元の徳性で火徳の属性が強い関羽にとっては、是非にも会得したい徳です。

これに値するものが青龍偃月刀でしょう。

五行四聖獣の中で「青龍」は木をつかさどり、陰界において青龍偃月刀が関羽の愛刀となっていることは実に有名です。

あくまで私の考えですが、これによって関羽は木徳も会得し、火を生む木の徳性も手にしたことになると言えるのではないでしょうか。

青龍偃月刀は明代の三国演義成立以前よりも前、五代十国~宋の時代の元帥神になった時代から揃っている神・関羽のためのキーアイテムです。

青龍偃月刀とは、神・関羽の正史から創作物の世界へ輸入されたものだったのですね。

金徳を収めし関羽

元より火徳にて打ち勝てる相性になるのですが、金徳は木に強く、水を生む。

しかも、これも関羽のより強い木徳、水徳の結びつきにより薄れます。

関羽にとってはないよりはマシ。といった徳性になるでしょうが、金徳=白(白は金徳のシンボルカラー)と関羽を結びつける民間伝承も存在するため、そちらも挙げておきます。

決して、無関係な特性でもないのです。

白い顔の関羽

世界中の中国人のいる所には、たいてい関帝廟とよばれる関羽の廟が建っています。

その関羽の塑像の顔はまず全部が赤く彩られているのですが、山西省の馬蹄湾(ばていわん)村にある小さな関帝廟の関羽の顔だけは白い。

それにはこんな話があります。

まだ関羽が人間だった頃に馬蹄湾村という村を通りがかった折、村に一番近い山中に一匹の大蟒蛇(おおうわばみ)がいて、たびたび村を襲っていました。

みんなが大変に困っているという話を耳にし、そこで関羽はさっそく大蟒蛇を退治しようと決心して、山に分け入ります。

そして大蟒蛇と出くわし、それを退治することに。

大蟒蛇の身の丈は一丈八尺、両目は不気味に光り、口を開くと血の盆のように大きく関羽は宝剣をさっと引き抜き、大蟒蛇に挑み、戦うこと百回にも及んで、やっと大蟒蛇をしとめました。

さすがの関羽も疲労困憊で、しかも空腹。

顔まで白くなっていました。

ちょうどその時、一人の猟師がやってきて、ことの子細を村人たちに知らせ関羽はそのまま涿県へ赴きます。

馬蹄湾村の村人たちは関羽に心から感謝して、小さい廟を造り、そして白い顔の関羽の塑像をそこへ置いたのでした。

人間時代の奮闘の有様がそのままの形で塑像となって残ってしまったわけですね。

直接的な関連性は薄いだけにエピソードにも薄味なところは感じてしまうところです。

 

こうして火、水、木、金を収めし、関羽。

火は金に克ち、金は木に克ち、木は土に克つ。

水を収め、火に弱点なし。

金は水を、水は木を生み、木も収めて火の前に立たせず。

四徳を納めた関羽にはもはや弱点がありません。

残すは玉帝戴冠の土徳をその身に収めるだけになったのです。

補足:玉帝戴冠の土徳とは

玉帝とは「玉皇上帝」の略称で、道教の最高神です。

最高神である玉皇上帝の五行のシンボルカラーが黄であり、土徳は五行の中央に位置する徳性です。

他の四徳と比べると一段上の帝王の象徴のような徳性でもあります。

更なる補完へ、命数を司る関羽

上記の属性補完で物質世界では弱点を克服しましたが、精神世界に対してはまだ無防備な関羽。

しかし、それをも克服するのです。

これは神話ではなく、神・関羽からの予言となりますが、そこにはこんな話があります。

命数(運命)を司る関羽

明末清初の時代にかけて関羽は人々の命数を掌る、すなわち運命の神としての職能も濃くなっていきます。

関帝霊籖(れいせん)というおみくじが関帝廟で大人気。

特に関帝のお告げはよく当たると人気を博していました。

以下にその実例を挙げておきます。

古代から亀甲占いや筮竹(ぜいちく)による易占いなど多様な占いが行われてきましたが、みな手間のかかるものでした。

しかし、神祠のおみくじは、一本引くだけですぐに占いができて簡単です。

おみくじはどの神祠にも備え付けられていますが、関帝のおみくじが一番霊験あらたかなのです。

なかでも、北京城正陽門わきの『関帝霊籤』がとりわけ霊験があり、ほぼ一年中、元旦から除夜にかけて、朝暗いうちから夕方まで、籤筒(くじつつ)を振る音がからから響いていたそうです。

籤筒は一組では足りなくて、数組も取り付けられていましたが、それでも混雑して、押し合いへし合いで、籤詩 を検討する暇もなければ、じっくり考えこんでいる暇もない。

万能の神様でも、忙しくて対応できないのではないかと思われました。

それなのに引いたおみくじが面談しているかのごとく霊験があるのはなぜでしょうか、と。

(清 紀昀(きいん)(1724~1805)『閲微草堂筆記』卷6「灤陽消夏録」より。)

このように、関羽はすでに人々の運命さえも左右できるほどの強大な霊力を誇る神へと進化していたことがよく分かりますね。

つまり、運命を掌握する力をも得て、精神の領域をも手中に収めたことになります。

明の万暦帝(ばんれきてい)の時代に衰退し、崇禎帝(すうていてい)の時に清の南進が始まり、李自成(りじせい)の乱によって明は滅亡します。

清が興ることになった明対清の戦いにおいても、関羽は明、清どちらからも厚い戦勝祈願を受けていたことが、布教のため明を訪れていたイエスズ会の宣教師の対話をまとめた『口鐸日抄(こうたくにつしょう)』にも書かれていました。

国家、民衆問わずにこの時代の関羽は運命の全てを掌握していたことになりますね。

冥府の神 関羽

関羽には冥府の神、すなわち閻魔大王のような神格も元末明初に成立したとされる道書「道法会元」に載せられています。

神兵を率いて邪鬼を駆除する「鄷都馘魔関元帥」(ほうとかくまかんげんすい)と呼ばれ、道教の冥府にあたる鄷都(ほうと)の長官も兼任し、政務にいそしんでいました。

北宋は王則の反乱を描いた神怪小説『平妖伝』の中でも清廉な皇太子を誘惑しようとした邪狐を一刀のもとに斬り捨てる場面があります。

冥府の神すらもやってのけているのですから、呪いの呪力などこの時代の関羽には効き目などないでしょう。何せ、冥界の長なのですから。

以上のことから、ここまでの関羽は北遊記の武神時代の穴はほぼ埋まったと考えていいでしょう。

しかし、五行説には「土王説」なる水、火、木、金より土は格上に当たるものもあります。

即ち、万能の神となるためにはあと一歩必要な要素があるのです。

三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君(さんかいふくまたいていしんいえんしんてんそんかんせいていくん)

この号は明の熹宗(きそう)の天啓年間1614年に、王朝より関羽に贈られたものですが、これは関羽の霊威の高まりを示していると私は考えます。

補足:号とは

称号としての尊称。関羽ならば性は関、名は羽、字は雲長でしかないはずですが、敬意を込めた尊称として「関聖帝君」と呼ばれます。

諡号(しごう)と言って、故人に対して何世紀も後の時の皇帝が敬意をもって授ける尊称でもあります。

三界とは天界、地界、水界のことで中国では古来より自然を天、地、水の三界に分けていました。

伏魔大帝とは魔を伏す大いなる帝の意味となり、即ちここまでの「三界伏魔大帝」で自然界全ての妖怪退治の神となります。

大帝とは高位の神の称号です。

続く「神威遠震」で、関羽の妖怪退治の神としての威力は三界(天、地、水)を震わし、遥か遠くまで伝わる、となります。

天尊は大帝、上帝と並ぶ道教の神の最高位の称号です。

最後の関聖帝君の四文字が略称となって、今も呼ばれている関羽の神としての称号名です。

帝君とは天尊、大帝、上帝と比べてランクが二段くらい低くなるのですが、三界伏魔「大帝」神威遠震「天尊」関聖帝君とあるように、例えるならば大相撲でもはや横綱(天尊)とも大関(大帝)ともいえるような実力を持っている小結(帝君)といっているようなものです。

三界にはすなわち人間に害をなす魔が存在することになり、その領域も実に広大でありますが、それを伏す者が関羽です。

そして、その神威は遥か遠くの天地水の三界の隅々にまで広く轟き震わせて、その姿は最上位に君臨する大帝、または天尊をも感じさせるほどの存在ですが、神の順序から言えば「帝君」号を得ることが筋にあたるのです。

実力から言えば、すでに大帝、天尊級であるが神の筋を通す義を示しているのでしょう。

これが、私の考える「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君」です。

事実、明末を抜け清王朝時代の「関帝」は万能の存在であり、皆々関帝に伏し、そのご利益にあやかろうとします。

この時代の関羽の姿は天命の神であり、自然的な現象のすべてを統括し、人間のありようも人々に伝えようと励んでいます。

その姿が「清 袁枚」(えんばい、1716~1798)著の『子不語(しふご) 』にも関帝神話として語られています。

次にこの子不語での関帝の姿を見てゆき、私の考察論を述べていきたいと思います。

子不語の中の関羽

子不語は清代の文言小説集であり、書名は論語の「子不語怪力乱神」(子、怪力乱神を語らず)に由来しています。

孔子が語らなかった怪異の話をあえて集めたとの意であり、清代の関帝の神話集としても重宝できる逸品です。

子不語の関帝神話には大別して下記があり、個性豊かな神・関羽の姿を垣間見ることが出来ます。

  • 伏魔大帝(妖怪退治)
  • 天命神(天の規律を人々に守らせ、違反者には天罰を与える未来を予知して信奉者達を自然災害などから守る)
  • 威を借るもの(関帝の威に乗じ、世間を騒がす者たち)
  • その他(関帝の人間時の陽界での因縁など)

伏魔大帝とは先の『三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君』の名における本意である、魔を伏す大帝のこと。

天命神とは後述になりますが、「8:玉皇上帝期」における主となる神格。

威を借るものはその時代(清)での関帝の陽界での威光が如何に圧倒的で凄まじいものであったか、の象徴。

その他はいわば生前の腐れ縁など。

三国時代の呂蒙との確執を書き手の方が引き摺っている模様。

それでは、この4種を順に子不語の中から抜粋し、考察していくことにします。

伏魔大帝

妖邪駆除の話。

個人的には分かりやすい話で、面白味を感じる最たる話が多いと思います。

過去の話もあり、生前の名パートナー張飛とタッグを組んで戦う話などもあります。

巻1 1:身代わり志願

この話では関帝信奉者の老僕(ろうぼく)を救います。

関羽は老僕に「お前は顔中に妖気が漂っている。大きな災いがあるからわしが救ってやる。」と自身の霊威がこもった包み紙を渡します。

その後老僕を襲ってきた妖道士と使役された鬼から、老僕をその包み紙の中にある五つの爪(金色の龍となって老僕を安全な所へ退避させる)で守り、妖道士は斬罪で処罰し、鬼は神雷一閃で蹴散らします。

巻1 25:張飛の助成

この話は面白く、関雲長大破蚩尤(しゆう)の別バージョンとも言えます。

関羽と張飛のタッグマッチのような話であり、蚩尤は関羽が倒しますが、蚩尤の妻「梟(きょう)」はより凶悪な邪神で張飛でなければ制することができないといいます。

そこで益州に人をやり張飛を呼び、その妻を張飛が倒すというものです。

関羽の土地神時代の話でもあり、三国志ファンでも楽しめる話になっています。

巻2 31:蝶々の化け物

困ったときの関羽様と言わんばかりの妖怪退治の話。

妖怪に謀られて、妖怪と床を共にしてしまった関羽の信奉者が妖怪に襲われそうになった時に「伏魔大帝様、いずこにおわすか」と叫ぶと、すかさず関羽参上。

巨刃を手に梁をつたわって降りてくると、見る間に妖怪に一撃を食らわせ、妖怪は巨大な蝴蝶(ぐちょう)の姿を現す。

双方旋回することしばし、霹靂一震。

蝴蝶と関羽の姿は消えてしまった。

その後、蝴蝶の元身の人間が血を流して倒れていた。

信者ならば呼べば助けてもらえる、関帝様(関羽)が人気の神になるワケですね。

巻10 244:宿怨

この話は関帝の神としての位の高さと、それに伴う絶対的な法力の高さが示されています。

娘にとりついた妖怪を退治しようとした親が城隍神と関帝に牒文(神への訴状)を書き、それぞれ城隍廟と関帝廟に投じました。

しかし妖怪も手練れの精強。

城隍神の呼び出しには全く応じることもなく、関帝と温元帥の降臨となります。

妖怪の正体は妖猿であり、温元帥の警告に対しては顔面甚だふてぶてしく、両目からは雷光を射出し、爪を逆立て前方に襲い掛かり温元帥にむかって一挙に打ち倒そうと襲い掛かってきます。

そこへ空中に大音声が轟き関帝登場。

「伏魔大帝の命令だぞ! 妖猿服さずんば、即ちその首を斬れ!」

屋上に刀剣が騒がしく相打つ音。

これに妖猿も怖気づいて頭に地をつけて罪を認めたのです。

温元帥に対しては言い分を聞かないばかりか、襲い掛かってこようとする妖怪も関帝の霊威の前では無力である、という関帝の神としての法力の凄さが理解できる話になっています。

天命神

ここでは天命の意を伝える話、それに反するものへと処罰などが語られています。

巻1 7:知県、冥府に行く

この話は関帝への失言の結果どうなる……というものです。

冥府に赴いた県令(現代の県知事にあたる役職)と幕客(県令に雇われた秘書のような存在)の話です。

冥府には閻魔として中国で名高い名判官の「包拯(ほうじょう)」がおり、その上司として関帝が降臨しています。

しかし幕客の一言の質問が失言に当たってしまい、その後に幕客は関帝より神雷を頂戴し鬼籍(鬼の籍に入る、すなわち「あの世」のこと)に入ってしまうのです。

その失言とは「玄徳公はいずこにおいででござるか」というもの。

これには包拯も青ざめてその非を責めたがどうしようもなかった、と書かれています。

しかし、字で呼ぶことは非礼に価したでしょうか?私は軽々に読んではいけないのは名ではなかったかな、と。

いずれにしても「関帝の個人的な天命」に反してしまったのでしょう。

巻12 281:伏魔大帝の助命

この話は井の中の蛙とも言える中途半端な道士に対する関帝の戒めです。

主人公は様々な術を習得した道士であり、人に害をなす妖怪退治もこなしていました。

しかし妖怪にも大小様々な物がいて、道士はもうすぐに神道が成就するとなった時に妖怪に連れ去られてしまいます。

監禁時に妖怪に痛めつけられましたが、平生服気で鍛えた術のおかげで凍えたり、飢えたりすることなく生き延びます。

その後、紅雲が一路その道士の元へとやってきて道士は救出されます。関帝が西南からやってきたのです。

そこで道士は妖怪達の悪行を訴えますが、関帝は「祟りをなす悪魔どもはまこと憎むべし。なれど、汝も、天地陰陽、自生自滅の理をわきまえず、みだりに大仰な出過ぎた振る舞いをなし、不死を謀ろうとしているのはもってのほかじゃ。」と一喝。

侍神の周倉に命じて道士を彼の自宅の高い樹のてっぺんに引っ掛けて行ってしまいました。

もう、得道神仙は天にはいらない(定員十分)ということなのでしょうかね。

補足:得道神仙とは

道(仙人になる修行)を得て、人間が仙人になって天界にやってくること。

仙人は人間が生きながらに不死になって永遠の命を手に入れ、天界と下界(人間の世界)を自由に行き来できるものと信じられていました。

巻20 533:関神下降す

この話は扶乩(ふけい:こっくりさんに似た占い)で関帝が信者に天災を告知し、その難から逃れる術を伝えた話です。

親孝行の信者が母の年寿を関帝に尋ねると、その高潔さを褒められて「今年の7月24日、山陰は大災に見舞われるので母と共に逃げよ」と告げられます。

しかし信者は人の家に居候しているため避けるべきところはないと答え、更にそれが天命なら致し方ないと悟ったため、

「なかなか達観したものじゃ」

と乩盤(神の告知を伝えた平たい盤)に文字が現れます。

やがて7月になるころ、信者はそんな話など忘れてしまっていましたが、果たしてその通りに山陰は未曽有の大嵐に見舞われ、信者は母親を亡くしてしまいました。

この年、沿岸地方の居住民の死者は数万にも達したそうな。

お告げの通りに行動していれば助かったであろうという話であり、関帝はもっとも霊験のある神でもあり、霊籤のご利益もあらたかなのです。

関帝は絶対の運命も掌る神ということでしょう。

威を借るもの達

関羽は清の時代では、妖怪魔王退治の代表的な神でもあったため、その名にあやかった、いわばその威を借り世を渡ろうとする者たちも居たのです。

巻14 348:霊験

この話は関帝の霊験に乗じた悪党たちの金もうけの話です。

その結果は神罰一撃!……とはならず、自然の成り行きで自壊する無常を語っているとなっています。

杭州(こうしゅう)の道士が銭を募って関帝廟を立てると、そこへふらりと一人の無頼漢(ぶらいかん)が現れ、関帝廟の傍らに坐し、関帝の像を指してこれを侮り罵りました。

衆人達がこれをやめさせようとしましたが、道士は「やらせておけばよい」とその後の顛末を予言するかのように平然としています。

案の定、無頼漢は地に倒れ、腹痛を訴え、転げまわった末に死んでしまいました。

口、鼻、目、耳からはおびただしい血が流れ、これが関帝様の神威かと群衆はその威光に感じ入り、以来、参詣するものが後を絶たず道士は儲けに儲けました。

ところが翌年になると、道士の仲間の間で金の分け方が不公平だと悶着が起こり、仕掛けたことのすべてをその仲間の一人が官に暴露。

道士と無頼漢はグルであり、道士は無頼漢に賄賂をおくり仕向けたことでした。

無頼漢が死んだのは道士があらかじめ無頼漢に知られないように毒酒を飲ませていたからであり、道士は官につかまり処刑されてしまいました。

以後、この関帝廟も急速にさびれていったということです。

関帝の威を利用した金儲けの話で自業自得を説いていますね。

道士も無頼漢も鬼籍に入り、霊威なき廟は存在価値も失い、なにもかも跡形もなくなってしまいました。

いつの時代にでも罰当たりは居る、ということでしょうかね。

巻18 489:うなされる孫

この話は孔子と関帝、清の時代の文武二聖の有名を利用して、孫が祖父を騙すように仕向けた一匹のイタズラ妖怪の話です。

安徽省の進士の金棕亭(きんそうてい)は揚州の玲瓏(れいろう)山館に居候していたことがあり、その孫の某 (それがし)は当時17で文学に秀でており、祖父と一緒に読書の生活を送っていました。

二人は隣り合わせの部屋で寝ていましたが、ある夜を境に孫が狂騒に駆り立てられ騒ぎ出すので棕亭が叱りつけると、孫は「家に帰って母さんに会いたい」といいます。

家が恋しくなったと思い、棕亭は孫を家に送り届けると、今度は孫が突然に「私はこれから登仙します。」と言い出す始末。

精神状態が落ち着くと、孫は棕亭の耳元で「実を言うと、一匹の小狐にとり憑かれただけなんですよ。」そういうとまたしても錯乱状態に陥ります。

しばらくの間、どうにもこうにも孫の狂乱状態は収まらず、天師の護符もそれを見るなり一口の冷気を浴びせかけて吹き飛ばしてしまい使い物にならなくなってしまいました。

棕亭はやむなく城隍廟や関帝廟などに祈りに行きます。

すると、数日して突然に孫が叫ぶとイタコのように病人の体に関帝と孔子が立て続けに降臨し、議論を重ねるのですが、言葉は孫の口から出ていて互いに山西と山東の方言をしゃべり、会話が進まない。

永いこと家中のものが哀願して立ち上がるものがいなかったので誰もが足が腫れあがってしまい、これを見た孫が突然に激しく叫び、妖怪どもはもう始末したので帰るぞと言い出します。(降臨していた関帝と孔子)

この言い訳を怪しんだ棕亭が孫の「嘘」を見破り叱責しますが、孫は得意げに笑っている始末。

1か月あまりそんな狂態が続いたが、あるとき林道士というものがやってきて、北斗を拝すれば妖怪を追い払うことが出来ると助言されます。(ここでいう北斗とは、北斗七星の守護神である玄天上帝のことをいいます)

棕亭はさっそく彼に頼んで祭壇を設け熱心に祈り、毎日お経を読んでもらいました。

これを7日続けると、孫の精神状態はようやく完治しました。

関羽と孔子は清代より武聖、文聖と武と文の聖人の言わば代表として語られています。

その影響力の高さがわかる話ですね。

巻22 646:関帝になったならず者

この話は『子不語 巻2 49:事の軽重』にある生前正直であったものが各村々の関帝を代行する「職業:関帝」になった者の中で、未熟だったものの話です。

(清代には約4万もの関帝廟があったといわれ、本物の関帝は玉皇上帝の左に立ち、左玉皇と呼ばれていました。)

秋試(秋に行われる試験)を受けるため京師にやってきた一人の秀才が、そこで偶然に鬼(幽霊)と出会うが、この鬼は盗掘罪で生前に処刑されていました。

鬼が生前に処刑人へ500金の賄賂を贈って減刑を求めたが実行されず、とうとう処刑されてしまいます。

「冥界の住人となった今、お礼参りに行き借金を取り返すのだ 」といいます。

その復讐相手が自分の親戚だったものだから、秀才は慌てて鬼を止めようとします。

鬼の罪に親戚の不義、どちらも正すと言い聞かせ、借金も取り戻すと説得します。

冥界の住人の鬼も妻子が現世にいるため、そのために金は必要らしく、その義心に感じ入った秀才は鬼とともに親戚のもとへ向かいます。

鬼は一足先に秀才の親戚宅で、処刑人にとり憑き重病に罹らせていましたが、秀才が親戚に鬼へ金を返すように説得し、親戚がそれに従うと病気はけろりと治りました。

再度、試験を受けるために上京してきた秀才に、鬼は「試験に受からない」と予言すると果たしてそのとおりになってしまいます。

秀才はうなだれながらも即日、鬼と船に乗って帰ることになりました。

村がある停泊所についたとき、鬼が「某村で芝居をやっている、一緒に見に行こう」と誘うと、数幕みたことに鬼はいなくなって、砂や石が乱れ飛ぶ音が聞こえるばかり聞こえます。

秀才は船に戻って、鬼が帰ってくるのを待ちました。

暗くなるころに鬼が立派な服を着て戻ってくるなり「俺は帰らないことした。ここで関帝になるんだ。」といいます。

秀才は驚いて、詳細を訪ねます。

「世の観音や関帝は皆、鬼が成り上がったもの。きのうの村の芝居は関帝に対する願ほどきの催しだったのだ。その関帝というのがどうにもいい加減な奴で俺と比べても数段劣る。それで俺は怒って奴と決戦して追っ払ってやった。その時の砂石の音を君だけが聞かなかったなんてことはあるまい。」

鬼はそういうと秀才に感謝して立ち去ります。

秀才は鬼に代わって500金を現世いる鬼の妻子のもとに届けたのでした。

義の美談ですね。

「職業:関帝」の威を借るいい加減な誇りのない者を追い出して、自分が「関帝職」に就く、と決意する鬼の遅咲きの春。

関帝の名を持つものは相応の法力を有していなければならない、ということでしょう。

秀才の行動もお見事。

その他

生前からの宿縁というものもあります。

関羽は生前、蜀という国の武将で荊州という土地を巡って、呉という国の呂蒙という武将と争っていました。

生前に関羽は呂蒙に敗れましたが、関羽の死後に呂蒙は後を追うように亡くなったためそれが関羽の呪いとも言われたのです。

神となった時代からではなんとも人間臭いものを感じます。

巻3 86:試験場の関帝、巻8 205:宿敵

生前からの宿縁、関羽と呉と名将呂蒙の小話です。

(生前の関羽は蜀という国の名将で、呂蒙とは係争地を巡って争っていました。)

試験場の関帝では、試験を受けにきた秀才の前世が呂蒙だったため、関帝が自らやってきてその秀才を叱責する話です。

宿敵では卜占(占いのこと)を商売にしているものがその土地神廟の中で宿をとりますが、そこの土地神が呂蒙であったため関帝信者だった卜者(占い師)が夜に大嵐に出会う話。

お互い様ということですね。

しかし、宿敵の話の呂蒙の蛮行は呂蒙に極めて不利なのです。

なぜなら、関帝は土地神や城隍神を決定することが出来る職能をも持ち合わせているからです。

それとも、我が威に媚びぬ気勢、その意気や由。と関帝がお気に召し、生前と同じような立場で言い争ったのかもしれませんね。

以上が、筆者が抜粋した子不語の関帝神話です。

中国神怪小説の研究家で有名な二階堂義弘先生も中国妖怪伝(平凡社新書)P.160の中でもおっしゃっておられましたが、清代の妖怪退治物は圧倒的に多いのは関帝であるそうです。

玄霊高上帝 至高の神へ

進化の潮流に乗り、ついに現代の姿である「玉皇上帝」にまで昇りつめた関帝。

現世の多様な職種の職能に通じた万能神でもあり、天命を森羅万象あらゆる者に授ける運命を左右する神でもあります。

ここでは、その至高の神の姿を見ていきましょう。

『重増捜神記』にはこのように書いてあります。

昔、光厳妙楽国に、浄楽王と宝月妃という国王夫妻がいました。

王は老年になっても跡継ぎの王子が生まれないのを苦にし、多くの道士に命じて盛大な祈祷をさせることにします。

その祈祷が半年に及んだある晩、宝月妃は赤ん坊を抱いて空を飛んできた太上老君に懇願して、その赤ん坊をもらいうけたと思ったら、夢からさめ、妊娠していました。

それから1年。丙午の年の1月9日に誕生したが、その時には宮殿中に光が満ち満ちた。これが玉皇上帝でした。

彼は成長するにつれて慈悲深い人となり、宮中の倉庫の宝物などはみな貧乏な人々にやってしまい、父王が死んだのち、しばらくは政治をとりましたが、まもなく位を大臣にゆずり、自分は山中に籠って修行に打ち込こみます。

800劫をへて道の奥義を悟ってからは、薬を与えて病人を治したり、大勢の人々を救ったりしたが、ついに亡くなったと記されています。

得道神仙として天に上る前から、宇宙の生滅が800回も繰り返される間、道の奥義を極めるための修行に打ち込んだ姿はまさに生きながらの神です。

しかも、位に固執しない清廉な性格の持ち主でもあり、神仙となり玉帝を関帝に譲った時、同様に生前も国王の位を大臣に譲っています。

先代玉皇上帝、すなわち光厳妙楽国の王子も関帝と同じく元は人間であり、800劫(1劫=43憶2000万年)もの間、善行を積み重ねた結果、偉大な神々の王に就任したという歴史を誇っているのです。

玉皇上帝も関帝と同じく、中華民国に入り道教が国教から廃止されても儒仏道の巨大民間信仰の中心的な神仙の1柱として君臨し現在に至ります。

庶民上がりの神は時代の潮流をも超えられる臨機応変な「現場上がり」の強さがあるのでしょう。

万能神となった関帝が玉帝を継ぐことも実に納得できることです。

玉皇上帝とは?

万能の神と言われても、どういう能力を持っているのか?

何故、玉皇上帝が二人も居るの?など思われる方もいらっしゃるでしょうから、その部分の説明を致します。

「玉皇上帝」とは清代までの道教時代は固定の神格を指すものでしたが、中華民国成立期に道教が解体されると、関帝の威を尊重するような形での「位」へと変わりました。

即ち、「先代」の玉皇上帝が17代目の光厳妙楽国 (こうげんみょうらくこく)の王子で、関羽は中華民国初年(1911年)に第18代玉皇上帝へ就任したのです。

ちなみに 第17代玉皇上帝は「玄穹高上帝 (げんきゅうこうじょうてい)」、第18代の関羽は「玄霊高上帝 (げんれいこうじょうてい)」 と呼ばれます。

ただし、この説はまだまだ成立の若いものなので、中華圏全ての民間信仰圏(儒教、中国仏教、道教の三教融合の神仏、仙人信仰)に伝わっているかは不明です。

玉皇上帝は全ての神仙を統括し、全ての人間の行為を観察して運命をコントロールすると言われている神です。

関羽は先代の禅譲 (ぜんじょう)によってこの位に就任することになりました。

補足:禅譲とは

徳を失った皇帝が、次に皇帝に相応しいと感じた人物へ自分の位を譲る行為のことです。

次に現世でのその万能具合が分かるような関羽の最高神としての職能を説明いたします(一般参拝は除きます)。

行業神

行業神とは特定職種の職能集団、いわば職人達から崇敬を受けるその業界の守護神です。

関羽(関帝)はこの行業神兼務のトップであり、我々から現世の人間からすればまさに万能の神と言えるでしょう。

職種、業界ごとに特定されていましたが、一業界に一行業神とは限らず、同一業界に複数の行業神が居たり、同じ神が複数の業界を兼務することもあったりしたのです。

万能神と呼ばれるだけあって、関帝の行業神兼務は圧倒的で22業界にも上り、黄帝、麻姑の各15業界、伏羲(ふっき)の12業界を大きく上回るものとなっています。

(以下、李喬『中国行業神崇拝』(中国華僑出版公司)より)

関帝の行業神兼務

  • 描金業(金泥塗装業)
  • 皮箱業(トランク製造業)
  • 烟業(たばこ組合)
  • 香燭業(線香蝋燭組合)
  • 綢緞商(絹織物商)
  • 成衣業(仕立屋)
  • 厨業(調理師、飲食業)、
  • 塩業、醤園(味噌醤油業)
  • 豆腐業
  • 屠宰業(屠殺業)
  • 肉舗(肉屋)
  • 糕点業(餅菓子屋)
  • 乾果業(乾し果実屋)
  • 理髪業
  • 銀銭業(金融業)
  • 典芸業(質屋)
  • 軍人
  • 武師(武芸者)
  • 教育業
  • 命相(占い師)
  • 皮革業

飲食、生活全般に加え、軍隊に占い師までもが関帝の行業神となり、そのすべての人達から、崇敬と加護を祈願されています。

関帝はまさに現世利益の万能神と言えるでしょう。

神格としての万能

人間の希求に答える万能神としての関帝は説明しましたので、今度は神としての神格の高さから、全ての神仙を統べる万能神関帝、すなわち玉皇上帝としての万能を紹介、考察してゆきます。

黄帝=玉帝

玉皇上帝、略称:玉帝は道教における至上神であり、宋代よりそれまでの元始天尊に代わって最高神とみなされるようになりました。

代を重ね、現在は第17代、関帝は第18代ということになることは上記で説明した通りです。

古代において邪神蚩尤と帝位を争った黄帝と玉帝(第17代)は同一視されることもあり、ここに関帝との繋がりも読み取ることができます。

五行を収めし黄帝、玉帝の系譜

史記:五帝本紀第一 黄帝 の項に黄帝は木、火、土、金、水の五行の気を治めて春、夏、秋、冬の四時を整え、五穀を実らせ、万民を愛撫して、四方の民の安定をはかった。とあります。

すなわち、道教成立以前の古代の聖帝である黄帝と、現代の儒仏道の三教合一の民間信仰から誕生した関帝の万能性は五行を治めし者として合致します。

関帝の万能性(本項4:経験を経て、弱点を埋め万能の存在へ)、つまり神仙の頂点に立ち、森羅万象、宇宙天地の支配者たる玉帝の有資格者として十分と言える素質を得、最後のピースだった土徳を玉帝戴冠時についに得ることとなり、これによって関羽は現代における天下無双の万能神へと昇華することになったのでしょう。

おわりに

玉皇上帝とは、道教における最高神であり、万物の生育全てをコントロールし、運命をつかさどる究極の神格です。

関帝はその18代目に中華民国初年に就任し、現在に至ります。

この説は台湾、台北の行天宮にも広まりました。

台湾の道教では関羽は玄天上帝、鍾馗と並び「斬鬼三真君(ざんきさんしんくん)」と呼ばれるほどの斬妖徐魔のスペシャリストとしても名を馳せています。

宗教の役職、神話の勇者として万能の活躍から、今の関帝は玉帝就任にも相応しいという流れになったのではないでしょうか?

玄霊高上帝(げんれいこうじょうてい)、それが関帝の玉帝としての名。

一般世間的には関聖帝君の名が浸透していますが、現在の関帝のご利益は多岐に渡り、勿論、行業神も兼任しているので、現世の全ての運命を司る存在と言えると私は考えています。

これにて私の話を終わらせていただこうと思います。

この文章に目を通してくださった方々、長々とお付き合いありがとうございました。

これを機に人間関羽のみならず、神話を通じた神・関羽にも大きな興味を持っていただければ書き手として幸いです。

中国 湖北省荊州 関公義園 巨大関羽像
中国 湖北省荊州 関公義園 巨大関羽像

参考文献

日本書籍

  • 関羽 神になった「三国志」の英雄 著 渡邊 義弘 筑摩書房
  • 中国妖怪・鬼神図譜 著 相田 洋 集広社
  • 明清のおみくじ社会
  • 関帝霊籤の全訳 著 小川洋一 研文出版
  • 三国志 中国伝説のなかの英傑 編著 殷占堂 画 施勝辰 岩崎美術社
  • 中国の伝統武器 編著 伯仲 訳 中川友 マール社
  • 道教の神々 著 窪 徳忠 平河出版社
  • 関帝文献の研究 著 伊藤 晋太郎 汲古書院
  • 中国の英雄豪傑を読む
  • 「三国志演義」から武侠小説まで 編 鈴木 陽一 大修館書店
  • 図説 中国の神々 学研
  • 幻想世界の住人達Ⅲ<中国編>著 篠田 耕一 新紀元社
  • 道教 タオの神々 著 真野 隆也 新紀元社
  • 東遊記 訳 竹下 ひろみ エリート出版社
  • 北遊記 訳 竹下 ひろみ エリート出版社
  • 中国妖怪伝 怪しきものたちの系譜 著 二階堂 義弘 平凡社新書
  • 子不語1~5 著 袁枚 訳 手代木 公助 平凡社

中国書籍

  • 世界的関聖帝君 主編 楊松年 謝正一 唐山出版社

※ライター:パワーグリーン

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