【シュリーマンの生涯②】時代背景と情熱の原点

ハインリヒ・シュリーマン

古代ギリシア文明の発掘において多大な功績を残しながら、その没後になって自伝にたくさんの「誇張」「疑惑」が見つかり、すっかり実像が見えなくなってしまった上に、いまだに激しい悪評や批判にもさらされている人物、ハインリヒ・シュリーマン。

その実像に迫ろうとするこの連作記事ですが、第二回の今回は、そもそもシュリーマンが生きた時代の背景と、彼が「子供時代に読んで感化された」といっている本がどのようなものだったのかを紹介していきたいと思います。

まずは年表式に!シュリーマンの生涯まとめ

シュリーマンの生涯を、彼の自伝『古代への情熱』の記載をベースに年表式に整理すると、以下のようになります。

  • 1822年:メクレンブルク・シヴェーリン大公国に生まれる
  • 1830年頃?:古典に通じていた父親の影響で「トロイア戦争」の本を読み、強烈な印象を受ける
  • 1836年:雑貨商で丁稚として働き始める
  • 1844年:海運事故の影響でアムステルダムに移住する。商人としての下積み修業が続く
  • 1856年:独立して自身の会社を経営するようになり、クリミア戦争の特需で一大財産を築く
  • 1863年:ビジネスマンとしてのキャリアから引退する
  • 1865年:世界各地を旅行。この時、実は幕末の日本にも滞在している
  • 1868年:ギリシアのイタカ島で初めての遺跡発掘にチャレンジ
  • 1870年:トルコのヒサルルックに「トロイアの遺跡があるはず」と推理し、発掘作業を開始
  • 1873年:ヒサルルックでついに「トロイアの城壁」および財宝を発見。考古学界に衝撃を与える
  • 1876年:ミケーネ発掘事業に乗り出す。有名な「アガメムノンのマスク」を発見する
  • 1884年:ティリンスの遺跡発掘に着手する
  • 1890年:滞在先のナポリにて急死

注目すべきところは、有名な「トロイアの遺跡」だけでなく、他の発掘業績も多々あること。

一人の考古学者が生涯に一回でも「大発見」をするのはよほど幸運のはずなのに、シュリーマンの場合は発見の連続です。

やはり非凡な経歴といえるのではないでしょうか。

ハインリヒ・シュリーマンの生きた十九世紀:その時代背景

ハインリヒ・シュリーマン

彼の生没年は1822年から1890年であり、まさに「十九世紀を駆け抜けた人」といえそうです。

その時代の雰囲気は、どのようなものだったのか?

そもそも彼の生年の1822年といえば、まだ「ドイツ」という国家も誕生していなかった時代です。

ナポレオン・ボナパルトは流刑先で1821年に亡くなったばかり。

つまりヨーロッパはナポレオン戦争が終わった後の戦後処理にまだまだ追われている状況。

日本では江戸幕府が健在であり、アメリカは独立宣言からやっと半世紀が経ったばかりの新興国家であり、イタリアはまだ統一国家になっていませんでした。

後にシュリーマンが深くかかわることになるギリシアは、その前年の1821年にようやくオスマントルコ帝国からの独立を勝ち取ったばかりの新興国でしたし、そのオスマントルコ帝国も、衰えたとはいえ、まだまだヨーロッパを警戒させるだけの「大帝国」として君臨していました。

つまり、列強同士が醜くしのぎを削り合う中でも、西欧各国の優位性が決定的となっており、ヨーロッパがとことん自信を深めつつあった時代でした。

この時代にあっては古代ギリシアや古代ローマの文化も「ヨーロッパの優等生」を示す「すばらしい教養」として機能していました。

学校で古代ギリシアや古代ローマの古典を教わることがお坊ちゃん教育の必須事項となっており、大学の考古学者たちはそこに「正しい古代理解」を提供するという役割を担っていました。

その一方で、考古学界にとって古代ギリシアや古代ローマの知識は「独占物」でもあり、高名な大学の先生が述べた理論が権威として強力に機能していました。

つまり、シロウトやアマチュアの学者が割り込んできて考古学の世界を荒らすなんてことは、そもそも許される状況ではありませんでした。

シュリーマン家の父子の物語

シュリーマンが生まれ育った小さな村にも、そのような十九世紀の「教養」重視の影響はおおいかぶさっていました。

特にハインリヒ・シュリーマンの父親には、その傾向が濃厚でした。

ラテン語に通じ、古代ギリシアの神話や、古代ローマのポンペイの物語を、息子に熱っぽく語り続ける父親。

しかし幼いハインリヒ・シュリーマンはそれに反発したり逆らったりしたような気配はありません。

むしろ、いつも目を輝かせて、父の語る古代世界の神話に聞き入っていたようです。

そんな幼いハインリヒ・シュリーマンに決定的な影響を与えたのは、八歳の時のクリスマスプレゼントとして父から贈られたイェッラー著の『子どものための世界歴史』という本でした。

そしてその挿絵には、火災に包まれて落城するトロイアの姿が早大に描かれていました。

トロイア戦争の物語にすっかり夢中になった息子に対して、シュリーマンの父は「この挿絵はただのつくりごとなのだよ」と言ったのですが、幼いハインリヒ・シュリーマン少年は「これほど勇壮な城塞都市だったのなら、土の中に埋もれた状態で世界のどこかにまだ眠っているはずじゃないか!」と主張したと言われています。

それに対してシュリーマンの父は、決して頭から否定せず、「そうかもしれない」というような曖昧な返答をしたようです。

この父親の曖昧な返答が、ハインリヒ・シュリーマンの後の大成のきっかけとなったのでした。

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