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Contents
混乱から統一へ
「旧約聖書」という書物は、イスラエルの民の神話的な歴史書とでもいうべき存在です。
天地創造という(信者以外にとっては)はっきりとした神話から始まり、ノアやモーセといった実在したのかどうか確認できない伝説上の人物の話が続き、その後少なくとも原型は実在したのではないかと思われるヨシュアの話へと至ります。
ヨシュアはモーセが神との契約により与えられたカナンの地を軍事力で征服し、契約を現実のものとしました。
ただヨシュアの後、イスラエルの民の間には強力な指導者が現れず、周囲の異民族の攻勢にさらされることになります。
「士師」と呼ばれる指導者が次々と現れ、一時的に異民族の支配をはねのけるのですが、士師によってもたらされた平和は長続きせず、その士師が死んでしまうと破られる、という状況が続きます。
この結果、イスラエルの民は士師よりももっと強力で、死んだ後でもしっかりとした後継者にその権力を受け継がせることのできる統治者--すなわち「王」を求めるようになってきました。
今回のお話は、イスラエルの民が待望していた「王」による統一と、偉大な王によってもたらされた民族の最盛期に至るまでを記した部分の解説ということになります。
ルツ記
「ルツ記」は旧約聖書中最も短い文書です。
成立時期は「士師記」とほぼ同じ頃であり、記されている事件も「士師記」の年代と大差ありません。
このため聖書学者の多くは、この書を「士師記」と同じカテゴリに分類しています。
ただ内容的には、「士師記」とはかなり違っています。
むしろその後の「サムエル記」「列王記」とのつながりが強いので、ここではこちらと同じグループに属するものと仮定して話を続けます。
「ルツ記」の主人公は書名にもなっている「ルツ」という人物です。
主人公を書名にしているのは「旧約聖書」では珍しくありません。
ただし、ルツの場合2つの点において、他の主人公たちとは異なっています。
まず1つめは、ルツが女性であるという点です。
女性の名前が書名となっているのは、他には「エステル記」しかありません。
もう1つの方はより特異的です。
「旧約聖書」の書名になったエステルはイスラエルの民でした。
同様に他の書名になった男性主人公たちも、そのすべてがイスラエルの民です。
しかし、ルツは「モアブ人」であり、イスラエルの民ではなかったのです。
モアブ人は、「ヨシュア記」にも登場します。
イスラエルの民と長年に渡って抗争した仇敵のように描かれていますが、その祖先はイスラエルの民と共通です。
モアブ人の祖先は、アブラハムの甥であるロトです。
ロトはソドムの町に住んでいましたが、神がソドムを滅ぼそうとしたので妻とふたりの娘とともにソドムを脱出します。
この逃避行の際、ロトの妻は「振り返って見てはいけない」と言われたソドムの町を見てしまったので、塩の柱になってしまいました。
妻を失った後ロトはふたりの娘と洞窟に逃れ、そこで暮らすようになりました。
娘たちは「こんなところに住んでいたのではお婿さんが貰えない」と相談し、ロトを酔い潰すとこれと性交して子を設けます。
姉との子がモアブ人の祖先となり、妹との子がアンモン人の祖になったといいます。
「モアブ」というのは元々「父親から」という意味の語で、この一族が近親相姦によって生じた、ということを指しているのだそうです。
もっとも、イスラエルの民は自分たちと対立する人や神の名前に、あまり好ましくない言葉を混ぜて訛らせるのが得意でしたから、「モアブ」も元は発音がちょっと違っていた別の意味を持つ言葉であった可能性があるのかも知れません。
イスラエルの民のユダ支族にナオミという女性がいました。
イスラエルの民は全部で12部族いたのですが、後に10部族が消え失せてしまい、最後に残った2部族のうちベニヤミン族はユダ族に同化してしまいます。
なのでこの部族が現在まで残る「ユダヤ人」の祖ということになります。
このユダ部族の始まりについて、ユニークな話が残されています。
少々お下品ですが、「オナニー」という語の元になったエピソードです。
ユダ部族の始祖であったユダ(アブラハムの孫ヤコブの子)には息子がいましたが、早くに死んでしまいました。
そこで未亡人となった息子の嫁・タマルのところに、次男・オナンを遣わそうとします。
ところがオナンは「タマルとの間に子が生まれてもそれは自分の子ではなく死んだ兄の子とされてしまう」と思って、タマルの寝室で「地に流した」のだそうです。
この結果オナンはヤハウェの怒りを受けて死んでしまいます。
最終的にタマルは娼婦に扮してユダと関係を持ち、ユダの正式な妻となってふたりの子をもうけます。
この子たちがユダ支族の先祖となったというのです。
この話を読んだ現代の日本人は、イスラエルの民がわれわれのものとはかなり違った結婚のルールを持っていたことに気がつくと思います。
イスラエルの民は、夫が死んだ後寡婦はその兄弟と再婚するもの、と考えられていました。
これをレビラト婚と言います。
兄弟が一人の女性を共通の妻としてしまう例は、他の文化圏にも見られます。
有名なところでは、「マハーバーラタ」に登場するパーンドゥ5兄弟がそうです。
弓の名人である三男アルジュナが、とある弓術大会で優勝し、美女ドラウパディーを得て帰宅してきました。
家に戻ったアルジュナは、母クンティーに「すばらしいものを得ました」と報告します。
それがまさか嫁だとは思わなかったクンティーは「なんであれ兄弟で仲良く分けるのですよ」と言ってしまいました。
このため、兄弟はひとりの女性を共有の妻としたというのです。
ただ、イスラエルの民のレビラト婚は、マハーバーラタのケースとは微妙に異なります。
イスラエルの民の場合、兄弟が生きている間は、他の兄弟がその妻と交わることは厳格に禁止しています。
その禁を破った場合、オナンのようにヤハウェによって殺される、と考えられていました。
ですが兄弟が死んだ後は、他の兄弟に嫁ぐべきこと、とされていたのです。
イスラエルにおけるレビラト婚の場合、「土地の相続」という条件が追加されます。
ヨシュアはカナンを征服した後、その土地を各部族に分け与えました。
各部族では、さらに細分化された支族ごとに土地を分け与えたのです。
このため、土地は処分が自由な完全な私有財産と考えられたわけではなく、イスラエルの民が神から受けた土地の一部の管理権のみを委ねられたようなものだと考えられたのです。
とある家族が土地を失った場合、その家族に最も近い血筋のものが、その土地を「請戻す(うけもどす)」権利を与えられました。
かなり前置きが長くなりましたが、「ルツ記」の内容を理解するために必要なことですので、あえて書きました。
「ルツ記」の話に戻ります。
ユダ族のナオミはユダ族の夫と結婚して、2人の子をさずかりました。
ところが住んでいる土地で飢饉が発生したので、モアブの地に移住したのです。
イスラエルの民は神と契約してカナンの地を授かったはずなのですが、何かあるとすぐにカナンを去ってしまう印象があります。
遊牧民だから、という種明かしをしてしまえばそれまでなのですが、ひと所に根を降ろしきらないあたりに、この民族が長期に渡って繁栄する国家を作れなかった原因があるように思われます。
それはともかく、モアブの地に移ったナオミたちは息子に嫁を迎えてたくましく生活し始めたのですが、しばらくすると流行病でナオミの夫と息子たちが死んでしまいます。
もうこれではモアブの地で生活していくことはできない、と思ったナオミはカナンに帰ることにし、息子の嫁たちにも実家に戻るようにと言いました。
しかし、嫁のひとりであるルツはナオミについていく、と言い張ったのです。
ルツはナオミに対し、「あなたの神はもう私の神だから」と言いました。
つまり異邦人の生まれではあるが心はもうイスラエルの民となったのだ、と宣言したのです。
ルツがわざわざ聖書に記載されるほどの偉人だと評価されたのは、このことによります。
「旧約聖書」の他の書物には、イスラエルの民がバアルやアスタルテの宗教に改宗してしまった例が数多く記載されているのですが、その逆はこのルツの例ぐらいしか見当たりません。
どうやら当時わざわざヤハウェに帰依するのは珍しいことであったようです。
それはともかく、あなたのそばを離れないと言われたので、ナオミはルツを連れて自分の故郷に戻ります。
しかし財産のようなものはすべて失ってしまっていたので、ルツは他人の畑の落ち穂拾いに出かけます。
この当時のイスラエルの民の慣習では、穀物収穫時に地に落ちた穂は、施しとして貧民が自由に取ってよい、ということになっていたようです。
ただ、原則は原則であって畑の持ち主によっては落ち穂拾いを認めず、追い払ったりいじめたりすることもあったようです。
ちなみに、この時の落ち穂を拾うルツの様子を描いたのが、ミレーの「落ち穂拾い」であるといいます。
幸いなことにルツは畑でいじめられることもなく、無事にしゅうとめの所に戻りました。
ナオミはここで、ルツが出かけていった畑が遠縁のボアズという人物であったことに気づきます。
また、ボアズが自分に対して「請戻し」の権利を持つことも思い出しました。
「請戻し」については先に説明しましたが、このケースの場合土地の権利を持っていたものの子孫がその未亡人によって得られる可能性があるため、権利の獲得は未亡人との結婚とセットになっていました。
ナオミは自分ではなくルツをボアズの「請戻し」の対象者とし、ボアズの寝室に差し向けます。
ボアズはルツに好意を持っていたのですが、自分以外により強い請戻しの権利を持つ人物がいることを思い出し、ルツに触れずに帰します。
その後ボアズはきちんとした手順を踏んでルツの請戻しの権利を譲ってもらい、ルツを妻として迎えました。
ルツはまもなくボアズの子を産み、その子がダビデの祖父となったのです。
「ルツ記」は「旧約聖書」にしては血生臭くもなく読後感が爽やかな「いい話」なのですが、どうしてそうなるのかと考えてみたら、主人公が女性であることだけでなく、ヤハウェが全く登場していなかったからだろう、ということに思い至りました。
ちなみにボアズの母は、ヨシュアがエリコを攻略した際の生き残りである娼婦ラハブであり、イスラエルの民出身ではありません。
イスラエル王国を栄えさせたダビデの血筋には、二代にわたって母を通じ異邦人の血が入っていることになります。
なお、初代ユダの息子の妻から本人の妻になったタマルも、異邦人出身です。
キリスト教の開祖となったイエスは、ダビデの子孫ということなので、こちらにも異邦人の血が混じっていることになります。
原則的にユダヤ教では多民族との結婚を認めませんから、これは教義からすればちょっと困った事態なわけです。
最後の士師サムエル
ルツが生きた時代、イスラエルの民は「士師」と呼ばれる人たちに統治されていました。
いえ、「統治されていた」というと語弊があるかも知れません。
当時のイスラエルの民は、家族-支族-部族という感じに緩やかに結合した集団でした。
士師というのはイスラエルの民の全部族ではなく、その下の単位(どれぐらいかの規模かは士師それぞれによって異なります)の、どちらかというと世俗的な権力をふるった人に過ぎませんでした。
その権力の土台として、既存の部族からはみ出したならず者を利用していたこともあるので、イメージとしては「ヤクザの親分さん」に近いものだったようです。
「旧約聖書」の公式設定上では、士師は「さばきのつかさ」とも呼ばれ、どうやら部族内での民事訴訟のようなものを裁いたかのようにされています。
しかし「旧約聖書」内の「士師記」に登場する士師たちは、部族間の抗争や内紛に血道を上げたり、対立組織の長を単身暗殺しに行ったり、今でいう市民ホールのようなものを破壊して敵対民族を大量虐殺したりといった行為ばかりしていて、民の間の財産の争いを裁くような描写は一切ない、というのも事実だったりします。
ところが「最後の士師」と呼ばれるサムエルの場合、それまでの士師とはかなり毛色が違っています。
まず、サムエルの事績は「士師記」には記されていません。
独立した「サムエル記」という文書に記録されています。
次に、「士師記」の士師たちはほとんど神の言葉を聞くことができなかったのですが、サムエルにはそれが可能だった、ということです。
つまり、実力だけにものを言わせたヤクザの親分さんではなく、宗教的権威を持っていたのです。
彼に欠けていたのは、大規模な軍隊を直接指揮する能力ぐらいであったように見受けられます。
軍隊の直接指揮能力が加われば、それはイスラエルの民の周辺の民族が戴く「王」とほぼ変わらない存在となるのです。
サムエルは「士師」に分類されてはいますが、その実態は士師から王への過渡的な存在であったということが言えるでしょう。
「サムエル記」は上下に分かれており、上が31章、下が24章と、かなりボリュームのあるテキストとなっていますが、サムエルが活躍するのは上の前半部分に過ぎません。
「サムエル記上」の第25章でサムエルは死んでしまうのです。
その前の数章にはサムエルの名は見えず、だいぶ影が薄くなっています。
では「サムエル記上」の後半部と、「サムエル記下」で主役となっているのは何者でしょうか?
それは「王」たちです。
「サムエル記上」の中盤ではイスラエル王国初代王であるサウルが、後半から「サムエル記下」にかけては二代目の王であるダビデが主役となっています。
サムエルは、これらの王への道筋を付けた人物、という役回りを担っていました。
サムエルの生い立ち
サムエルの父はエルカナと言いました。
エルカナにはハンナとペニンナというふたりの妻がいました。
エルカナはハンナの方をより愛していたようでしたが、ハンナには子供が生まれずペニンナにのみ生まれました。
この一連の文章を読んできた方はなんとなく想像がついたと思いますが、このハンナがサムエルの母になります。
「旧約聖書」で重要な役回りを演じる人は、かなりの年齢になるまで「うまずめ(子を産めない女性)」だった母親の子であることが多いのですね。
イスラエルの民は「初子」とか「処女」とかに異様にこだわります。
ある意味現代世界のここかしこで「常識」になっている貞操観念は、このイスラエルの民の「常識」をベースにしていると言っていいぐらいです。
ところがこの「常識」と縁の薄い文化圏においては、「処女性」はあまり重要視されず、それどころか「受胎可能な年齢に達しても性行為をしない」というのは異常であり忌むべきこととしていた地域の方がずっと多いのです。
長い間子を産むことがなかった女性から最初に生まれた子が聖人扱いされるケースは、他の文化圏ではほとんど見られません。
「長期間母の胎内にいた」というのは珍しくありませんが。
さてそういうわけで「聖人の母」になることが半ば約束されていたハンナですが、エルカナのもうひとりの妻であるペニンナには憎まれ、意地悪をされました。
エルカナが神に犠牲を捧げた後、ペニンナには本人とその産んだ子の人数分のおすそ分けを貰えたのですが、ハンナにはひとり分しかおすそ分けがなかったのです(それで平等だから意地悪でも何でもないんじゃなかろうか、とも思えますが)。
しかしハンナはこれを根に持ち「絶対に男の子を産んでやるんだから!」と決意し、ヤハウェに祈りを捧げます。
この甲斐あって、ハンナは見事男の子を分娩し、その子をサムエルと名付けたのです。
ハンナは男の子を得たらその子を神に捧げる、と誓っていたので、サムエルが3歳になると彼を司祭のエリに預けました。
エリ本人は高潔な人物だったようですが、エリのふたりの息子はろくでなしでした。
民が持ってくる犠牲の肉をピンハネしていたというのです。
その結果エリは実の息子たちに失望し、血の繋がっていないサムエルをより愛するようになりました。
やがてサムエルは、「神の声」を聞くことができるようになります。
そのことはやがてイスラエルの民すべてに知られるようになり、サムエルが民の指導者と仰がれるようになったというのです。
無名の子供が「神の声を聞けるようになった」と言っても、それがすぐに人々の間に知られるなどということはあり得ません。
当然、祭司として高名であった(士師のひとりにも数えられることがあったということです)エリの力によるところが大だったでしょう。
宗教的指導者を得て結束が進んだのでしょうか、イスラエルの民はペリシテ人と戦うことになりました。
ペリシテ人は、士師の時代の後半期において、イスラエルの民のライバルとなった民族です。
士師のひとりであった怪力のサムソンは、「ペリシテ人絶対殺すマン」になり、死ぬまでにひとりで数千人のペリシテ人の命を奪ったと言われます。
ところがこの時は、イスラエルの民の軍隊はペリシテ人に敗れてしまいました。
そこでイスラエル軍の将士は、「契約の箱を戦場に持って来よう」と言い出します。
「契約の箱」というのは、モーセが神から授かった十戒を入れた箱のことで、「聖櫃(アーク)」とも言います。
映画「レイダース」で、ハリソン・フォード演じるインディアナ・ジョーンズ博士がナチスと奪い合いを演じたあのアイテムです。
これが、エリとサムエルが住む「シロ」の街にあったというのです。
ペリシテ人たちは、イスラエルの民の陣営に聖櫃が到着したという情報をキャッチして戦慄します。
聖櫃には「レイダース」のクライマックスで示されたようなスーパーパワーがあると考えられていた(というか、そういう力がこの少し後に発動します)からです。
しかしこの時ペリシテ人たちは、聖櫃の力を認めつつも「聖櫃がなんぼのもんじゃー!」と開き直り、イスラエル軍を撃破して聖櫃を奪ってしまいました。
聖櫃を運んできたエリの強欲息子ふたりも、この時戦死してしまいます。
息子たちが死んだという知らせを聞いたエリは、壇上から転落して首の骨を折って死んでしまいました。
齢98歳であり、足腰が弱っていたから、と説明されています。
さてペリシテ人たちは奪ってきた聖櫃をダゴンの神殿に運び込んでダゴンの神像の隣に安置しました。
ダゴンはクトゥルフ神話に登場する同名の神の元ネタになった神です。
ダゴンはこの地域で古くから信仰されており、ヤハウェのライバルとなった豊穣神バアルとは別系統の神ですが、時にはバアルの父とされ、深く信仰されていたようです。
聖櫃を安置した翌日の朝、人々はダゴンの神像が倒れているのを見つけ、元に戻しました。
しかしそのさらに翌日、ダゴンの神像はまたも倒され、さらに首と両手を切り離されていたのです。
ペリシテ人たちは「これは不吉だ」と思い、聖櫃を別の場所に移しました。
するとヤハウェがやってきて、新たに聖櫃を安置した街の人々を撃ちまくりました。
撃たれた場所には、腫れ物ができたということです。
ペリシテ人たちは「この迷惑ボックスは私たちに災厄をもたらすために、イスラエルの民がわざと奪わせたものだ!」と言い出すようになりました。
これまでの行状から言うと、災厄の源なのは箱の方ではなく神の方だと思われるのですが…。
結局、ペリシテ人たちは多数の供物を添え、聖櫃をイスラエルの民に返したと言います。
王政へ
聖櫃強奪事件をきっかけとしてヤハウェがあちこちで祟りをなした結果、イスラエルの民もペリシテ人も「ヤハウェ恐るべし」と思うようになりました。
それに伴い、ヤハウェの祭司の権威も高まっていきます。
エリが転げ落ちて首の骨を折って死んでしまい、その息子たちもエリの死の直前に死んでいたので、祭司と士師としての地位はサムエルに継承されます。
「サムエル記」ではあっと言う間に20年が経過したことにされていますが、その間サムエルはその師匠であるエリ以上の権力を握るようになったのでしょう。
その権力を背景に、サムエルはイスラエルの民に向かい、「他の神とアスタルテの信仰を捨てろ、そうすればヤハウェはイスラエルの民をペリシテ人に勝利させるであろう」と宣言します。
詳細については例によって省略しているのですが、この時までイスラエルの民の間にはかなりバアルやアスタルテ(バアルの妻)の信仰が入り込んでいたのでしょう。
サムエルはこれらを一掃し、ヤハウェの信仰とヤハウェ祭司の権威をさらに高めようとしたと考えられます。
「イスラエルの民がまた調子に乗ってきたようだ」と考えたペリシテ人は、イスラエルの民に攻撃を仕掛けてきました。
しかしサムエルの祈りに応えたヤハウェが雷を放って大量のペリシテ人を殺したため、ペリシテ人は引き上げ、二度とイスラエルの民を攻撃しなくなった言います。
ここまでの内容は、「サムエル記上」第7章までに書かれています。
「サムエル記上」第8章はいきなり「サムエルは年老いて」という文句で始まっています。
「サムエル記上」だけでもまだ23章あるのに、です。
年老いたサムエルは自分の息子たちに後を継がせようとしたのですが、彼らは悪党で民衆から多額の賄賂を取ったため、人望を失いました。
そこでイスラエルの民の長老たちがサムエルに言います。
「他の民族みたいに王を戴いたらどうかね?」と。
サムエルは彼らに対して、王政のデメリットについて説明します。
だいたい屁理屈なのですが、その核心は「王政にしたら国家からの支配が強まり、税その他の負担が高くなるぞ」といったあたりのようです。
どうやら士師をトップとした体制は、王政よりもだいぶユルいシステムであったように思われます。
しかしそれでも、長老たちは「王政がいい」と主張します。
ユルい体制だと税その他の負担は軽くなりますが、軍隊が弱くなって他民族の侵略を受け放題になってしまうという致命的な弱点を持ってしまいます。
長老たちはそのことを言いたかったようでした。
それでもサムエルはあまり乗り気ではありません。
立てた王がカリスマ性を持っていたら(持っていないと戦争で勝てないのでほぼ必須条件なのですが)、人々は彼を神として崇拝し、ヤハウェへの信仰が衰える(つまり、ヤハウェ祭司の権威も低下する)のではないかと思ったからです。
さすがにこの本音を素直に言うわけにはいきませんから、サムエルは「んじゃあとりあえず主に聞いてみるわ」と言い、ヤハウェにお伺いを立てます。
意外にもヤハウェは「王を立てたらいいんじゃない?」と言ったので、サムエルは王を擁立することに決め、適任者の選抜に入ることにしました。
美青年サウル
イスラエルの民のベニヤミン支族にキシという人がいました。
キシの息子はサウルといい、長身のイケメンとして知られていました。
ある日キシの家では家畜のろばが一匹いなくなり、キシはサウルにしもべをひとり連れてろばを探してくるように命じます。
サウルは後のイスラエル王国の南部(さらに後のユダ王国の範囲)をくまなく探し回ったようですがろばは見つかりません。
諦めて帰ろうとする時、自分たちが有名な祭司サムエルの居住地に近いところにいる、ということに気が付きました。
ついでだからサムエルに会っていこう、とサウルは思いましたが、手土産がありません。
しもべが「実は1/4シケルの銀を隠し持っていました。これを手土産にしましょう」と言ってくれたので、それを手土産にすることにしました。
「シケル」という重量の単位は、計測する秤(王の秤・普通の秤・聖所の秤の3種が知られています)によって微妙に差があるのですが、おおむね10~13グラムです。
その1/4ですから、小指の先ぐらいの塊であったようです。
さてサムエルの側ですが、あらかじめヤハウェから美青年が来ることを知らされていました。
サウルを出迎えたサムエルは、すでに例のろばは見つかっていることを告げ、「食べないか」と言いました。
サムエルのところでは毎日のようにヤハウェに犠牲を捧げていたのですが、そのお流れのいいところをサウルのために残しておいたのです。
思いがけず歓待を受けたサウルは感激します。
翌日サムエルはサウルを見送りに行き、こっそりとその頭に香油を注いで耳打ちします。
「王を、やらないか」と。
サウルは驚きます。
目の前のこのじいさんにそんな大層なことを決める権利があるのか、と。
その様子を察したサムエルは、これから家に帰る途中でサウルが出会うであろういくつかのことを予言します。
果たしてその通りになったので、サウルはサムエルが神の言葉を伝える者であることを信じるようになり、サムエルに香油を注がれ王となるよう勧められた自分は、ヤハウェによって選ばれた者なのだと思うようになりました。
これで仕込みは十分、と思ったのか、サムエルはすべてのイスラエルの民に対して「王を決めよう」と言い出します。
選抜方法は支族→家族→個人の順番に引くくじです。
予想どおりサウルが当たりました。
サムエルとヤハウェによる出来レースと言えばそれまでです。
サムエルはサウルを抽選会場に呼んでいましたが、直接くじは引かせず、荷物の間に隠していました。
抽選終了後、人々が「サウルって誰?」と口々に言い始めた頃合いを見計らい、サウルにその姿を見せるように言います。
立ち上がったサウルを見て人々は驚き「イケメンだ!」「長身だ!」と騒いでサウルが王となるべき人だということを認めました。
どうもサムエルはヤハウェ祭司団の総力をあげて、サウルを王として持ち上げようとしていたようです。
しかしそれでも、一部の人々(聖書では「よこしまな人々」と表現されています)はサウルが王であることを認めませんでした。
それはそうでしょう。王の選抜はイケメンコンテストではありませんから。
真の王としてその権威を人々に認めさせるためには、軍事的な成功が不可欠となります。
サウルがその軍人としての能力を示すターンがやってきたのです。
サウルのデビュー戦
サウルがサムエルによって王として立てられた頃、アンモン人がイスラエルの民の土地に侵入してきました。
アンモン人に包囲された街の代表は、なんとかアンモン人と和議を結ぼうとします。
和議の提案に対するアンモン人の返答は、「イスラエルの民の右目をすべてえぐらせろ。屈服の印をすべての住民につけることができれば、兵を引いてやる」というものでした。
街の長老はこれを即位したばかりのサウルに伝えます。
話を聞いたサウルは激怒しました。
「サムエル記」は、そのサウルに「神の霊が激しく臨んだ」と描写しています。
サウルは近くにいた牛を素手で引き裂き、全イスラエルの民に「集結しろ。王の言うことを聞かないものはこの牛のごとく切り裂く」と命令します。
命令とともに引き裂かれた牛の肉片を送られたイスラエルの支族の長老たちは震え上がり、サウルのもとに馳せ参じます。
その結果、中核となるユダ支族だけで3万、他の支族で30万もの大軍が集結しました。
サウルはこの軍を率い、文字通り「数の暴力」でアンモン人を押しつぶします。
勝利の後、イスラエルの民は「サウルを王として認めないと言ってたヤツは誰だ。ぶっ殺してやる」と叫んだのですが、サウルは「めでたい戦勝の日に同胞の血を流すことはできない」と彼らをなだめます。
そうすることによって自分の株がさらに上がると計算していた可能性が濃厚です。
サムエルはというとこの勝利にすっかり気を大きくし、集まった民衆に向かってドヤ顔で演説を始めます。
「お前たちをエジプトから脱出させこの地に導いたのは誰だー!」
「ヤハウェでーす!」
「お前たちがバアルとアスタルテの邪教に惑わされた後、悔い改めて救いを求めたお方は誰だー!」
「ヤハウェでーす!」
「その後アンモン人が攻めて来た時お前たちは王を求めた。その王はここにいるぞー!」
「サウルばんざーい! ヤハウェばんざーい!」
……まあ、こんな調子でした。
サムエルはさらにヤハウェを呼ばわり、ヤハウェは答えて雷雨をもたらしたので、民衆は非常にヤハウェとサムエルを恐れるようになったとも言います。
サウル即位からここまで、過剰演出にもほどがあるといった感じですね。
サムエルは王を擁立した際、その王の権威がヤハウェよりも強大になり、「生ける神」として崇拝されるようになることを何よりも恐れていました。
それは自分たちヤハウェ祭司団の権威失墜を意味するからです。
なので何かにつけ、「サウルの成功はヤハウェの加護あってのこと」というイメージを植え付けようとしていたようです。
サウルはあくまでもヤハウェの依代であり、人々がサウルの元に集まったのは、サウル個人を慕ってのことではなく、サウルに宿るヤハウェを恐れてのことなのである…という筋書きを、サムエルは書いていたようでした。
しかし、軍隊を独立して運営するようになると、指揮官である王の命令を伝達するための実務的な組織が生まれてきます。
平時はそれは王直属の官僚ともなるのです。
王が軍事的成功を収めるとこれらの組織は強化され、祭司団の権威を脅かすようになります。
サムエルはそうならないように慎重にことを運んだつもりでしたが、しばらくするとやはりサウルとヤハウェ(とその代理人であるサムエル)の間には亀裂が入ってしまったのでした。
サウルとサムエルの対立
さてサウルは宿敵ペリシテ人の軍隊を今度こそ粉砕してやろうと決戦の準備を始めます。
これに呼応するようにペリシテ人も大軍を集結させ、その勢いに恐れをなしたイスラエル軍は分散してあちこちに隠れるようになります。
このまま対峙を続けると、残った兵も逃げ散ってしまう恐れがでてきました。
サウルはサムエルから、自分が到着するまでは軍を動かしてはいけない、と言いつけられていたのですが、言いつけを守っていて全滅したのでは元も子もありません。
そこで「7日だけ待つ」ことにしました。
軍勢を預かる現場指揮官としてはぎりぎりの譲歩だったことでしょう。
しかし7日待ってもサムエルは姿を見せません。
やむなくサウルは独断で兵を動かそうとし、出陣前の犠牲式を始めます。
ちなみにこの祭礼は「ホロコースト」と呼ばれます。
本来モーセが定めた律法に従った、神に犠牲を捧げる式典なのですが、ずっと後にユダヤ人に対する虐殺行為を意味する言葉になり、現在ではこちらの意味の方が有名になっています。
サムエルがやってきたのは、まさにこのホロコーストを執り行っていた時です。
サムエルは血相を変えて「なんでわしがいないのに式を行うのじゃ」とサウルをなじります。
「これは神に対する裏切りで、この罪のゆえに神はあなたの王朝を長続きさせないだろう」とまで言いました。
サムエルらヤハウェ祭司団からすれば、王は祭司団の完全な傀儡でなければなりません。
だから祭司団の許可なしに勝手なことはできないはずなのです。
このためサムエルは、サウルのこの行為を「神に対する大罪である」と糾弾したのです。
サムエルは言いたいことを言うと、前線から去ってしまいました。
サウルは自分も逃げるわけにはいかないので、自分に直属する少数の部隊を使い、ペリシテ人と戦うことにしました。
どうみてもイスラエル軍の方が不利だったのですが、結果的にサウルはこの戦いに勝利しました。
その原因はふたつあります。
ひとつは、人数は少なかったけれど、サウルの直属部隊は鉄製の武器を装備していた、ということです。
士師の時代のちょっと前まで、鉄器は北方の民族・ヒッタイトの独占物でした。
このヒッタイト帝国が崩壊し、鉄器の拡散が始まります。
ただこの時代、中東にいたすべての民族がもれなく鉄器を持っていたわけではありません。
イスラエルの民は自分で鉄器を生産することはできず、平時にペリシテ人から買い付けていたといいます。
サウルの直属部隊は、この貴重な鉄製の武器をある程度揃えていたというのです。
もうひとつは、サウルの直属部隊には優秀な軍人が揃っていた、ということです。
その代表はサウルの長男・ヨナタンでした。
これまでのイスラエル軍の戦い方は、ヤハウェ祭司団がイスラエルの民すべてに激を発して、大軍を集めてその数の力で勝つ、というものでした。
単純ですが確実に勝てる戦略です。
軍事音痴の祭司団(というかサムエル)には、この方法しか取れなかった、というのもまた事実でしょう。
それはともかく、この戦い方では、個々の軍人の力量というのは目立ちません。
ですが少数の精鋭部隊をもって大軍に当たっていく場合にはものを言うようになるのです。
ヨナタンが率いた部隊はペリシテ軍に対して勝利しましたが、それは極めて限定された小さな戦場での勝利でした。
ですがヨナタンたちは鉄製の武器を使い、周囲にいた敵を徹底的に殲滅したのです。
その結果が他のペリシテ軍の部隊に知らされると、彼らは恐怖して逃げ腰になりました。
ここでサウルは、たまたま従軍していたと思われるアヒヤという祭司を呼んできます。
そして「エポデを身に着けよ」と命じたのです。
エポデというのは、イスラエルの民の祭司が身につけるチョッキのような衣装です。
つまり、それを着ていれば「あいつはヤハウェの祭司だ」と他民族にもわかるようになっていたのです。
それを見たペリシテ人たちは、「ああ、ヤツのところには優秀な武器を持った勇者だけでなく、敵味方問わず見境なしにバチを当てまくる恐怖の祟り神ヤハウェの祭司までついているのか、もうダメだ」と思います。
サウルはそれを計算し、実行したのです。
ただしこれはサムエル率いる祭司団とは別に「王の祭司団」を形成するということに繋がります。
かくして、「王を神の権威の執行者」として縛っておきたい祭司団と、自らが神として崇められようとする王との対立がさらに深まることになりました。
ここでさらにサウルはちょっとした芝居を打ちます。
戦闘後、サウルは初めて壇を築き、ヤハウェを祀ったのですが、ヤハウェは現れませんでした。
サウルはそれを軍内で神の心に背いたものがいたからだ、とし、誰が罪を犯したのかを突き止めるべく全軍にくじを引かせます。
最終的にサウルの長男ヨナタンがくじに当たり、ヨナタンはささいな軍令違反を犯したことを告白します。
そこでサウルはヨナタンを神の名のもとに処刑しようとしますが、その場にいた民のすべてがヨナタンを許せ、と言ったので、処刑を取りやめました。
民衆の支持を理由に、「神の定めた掟」を曲げさせたのです。
それはつまり、「やがてサウルは生ける神となりヤハウェに取って代わる」という方向に大きく舵を切った、ということを意味します。
こうまで危険な存在となったサウルを、サムエルはもはや支持することはできません。
かくてサムエルは、サウルに代わる新しい王候補を探すことになりました。
美少年ダビデ
サウルとの間に決定的な溝ができてしまいましたが、サムエル個人はサウルに対してまだいくばくかの情を感じていたようです。
サウルをこれ以上王として戴くことはできない、とは思いましたが、サムエルはそのことを悲しんでいました。
そこにヤハウェが現れ、「さっさと新しい王を決めろよ」と言います。
サムエルは驚いて「そんなことをするとサウルはわたしを殺すでしょう」と答えましたが、ヤハウェは「いいから言う通りにしろ」と取り合いません。
ヤハウェはサムエルに、犠牲として自分に捧げる子牛を連れて街に行け、自分はそこにベツレヘムのエッサイという人の息子たちを呼んでくるから、その中から新しい王を選べと言いました。
仕方がないのでサムエルはヤハウェの言う通りにします。
最初にサムエルはエッサイの子エリアブを見て「この子かな?」と思いました。
サウル同様非常なイケメンであったからです。
しかしヤハウェは「外見だけではダメだよねー。中身もちゃんとしてないと」とサムエルに言い、サムエルはエッサイに「チェンジ」と告げます。
エッサイは次々と7人の息子たちをサムエルの前に連れてきますが、こちらはさほどのイケメンでもなかったようで、サムエル&ヤハウェによる一次面接の段階で不合格とされてしまいました。
「もうお子さんはいないんですか?」とサムエルはエッサイに言います。
エッサイは「実はもうひとりだけいるのですが、ここには連れてきませんでした」と答えました。
「出し惜しみしやがったなこのヤロー」と思ったかどうかはさだかではありませんが、サムエルは「連れてきなさい!」とエッサイに命じます。
そこでエッサイは、野で羊を飼っていた末子を連れてこさせます。
サムエルはひと目見た瞬間に「この子だ!」と思いました。
ヤハウェも「さっさと香油をこの子の頭に注ぐのだ!」とノリノリでサムエルをけしかけます。
それぐらいこの子……つまりダビデは桁外れの美少年だったようなのです。
ついさっきまで中身がどうとか言ってたのに、最終的には外見だけで決めているような気がしないでもありません。
ともかくこの日から後、「主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ」のだそうです。
他方、飽きて捨てられたサウルのところには、ヤハウェのところから悪霊が送り込まれるようになりました。
サウルは悪霊に悩まされた結果、今でいう「うつ病」のような心の病を発症したようです。
サウルが「これどうしようか?」と家臣に聞くと、家臣は「竪琴の上手なものを呼んでその人の演奏を聴けばよくなるんじゃないでしょうか」と答えます。
サウルはその意見を採用し、ダビデが竪琴の名手だということを聞きつけ、呼び寄せます。
噂通り竪琴は上手でしたし美形でしたし武器を持たせればそこそこ使いこなすしと非の打ち所がなかったので、サウルはダビデを近衛兵士に取り立て、非常に可愛がるようになりました。
なお、ダビデがヤハウェとサムエルによって「サウルの次の王」とされ、香油を注がれていることは、この時のサウルはまだ知りません。
ゴリアテとの戦い
イスラエルの民、というかサウルとペリシテ人の戦いはまだ続いています。
ペリシテ軍の中に、ガテのゴリアテという人がいて、これが戦いで猛威を奮うようになってきました。
身長はだいたい3メートル前後あったといいますから、同じ人類であるかを疑われるレベルの巨人です。
それが60キロ超の青銅の鎧を着、8キロ弱の重さの青銅の穂をつけた槍を振り回していた、と言います。
武器も防具もすべて青銅製ですが、これは先に述べた「ヒッタイト帝国崩壊により鉄器の流出が始まっていたが、中東すべての地にまんべんなく普及していたわけではなかった」という史実を背景とした記述でしょう。
この巨人が、イスラエル軍に対して「一騎打ちするから勇者を選りすぐって出せ」と要求します。
なんとなくケルト神話のクー・フーリンを連想させます。
時代的にはクー・フーリンの方がずっと後ですが。
ゴリアテが挑戦を繰り返していた時、サウルの陣中には、エッサイの8人の子のうち長男から三男までの3人が従軍していました。
末子ダビデは従軍せず、羊飼いをしていたのですが、兄たちに食料を差し入れるために陣中にやってきたのだそうです。
先の話と設定がちょっとずれていますが、これは別々のダビデ伝説を一つにまとめたために発生したものでしょう。気にしてはいけません。
ともかくサウルの陣中にやってきたダビデは、「勇者を出せ」と呼ばわるゴリアテの声を聞きます。
そして陣中にいた人たちに「これはどういうことだ」と尋ねました。
人々は、「ゴリアテを殺すものには、莫大な褒美と王の娘が与えられ、その家はずっと税が免ぜられるだろう」と言いました。
ダビデは最初の問いを繰り返し、人々は同じ文句で答えます。
どうやら、勇者が名乗り出るように、ダビデが兵たちを扇動したようです。
末っ子のこの行動に、長兄エリアブ(サムエルとヤハウェの一次面接にパスしたイケメン)は「無責任に兵士を煽るんじゃない」と叱りつけます。
しかしダビデはなおも煽動をやめません。
ついにそれがサウル王の知るところとなり、ダビデはサウル王の前に呼ばれます。
ダビデの本心はどうやら自分自身をゴリアテを倒す勇者として売り込むことにあったようです。
サウルに会うとダビデは、「自分がゴリアテを倒してきましょう」と大見得を切りました。
サウルはダビデに自分のかぶとや鎧を与えて送り出します。
しかしサイズが合わなかったので、ダビデはそれらを脱ぎ捨てました。
剣も与えられていましたが、こちらも長過ぎたし扱いに慣れていなかったので、サウルに返してしまいました。
そして使い慣れた投石機を持ち、途中で石を5つばかり拾って、羊飼いの杖をつきながらゴリアテのところへと向かいます。
投石機というのは、ばねで石を撃ち出す機械のことではありません。
細長い布などで作られた単純な武器です。
この中央部分に石を挟み、両端を持って頭上でぐるぐると回し、頃合いを見計らって一端を外し、敵に向かって石を放つという仕組みになっています。
原始時代から世界中で使われていましたが、多くの地域では弓矢の登場とともに廃れてしまっていました。
ミケランジェロの有名な彫刻「ダビデ像」は、この時の情景を描写したものです。
単なる全裸の青年像だと思っている方も多いでしょうが、よく見ると肩から後ろに投石機を垂らしており、右手はいくつかの石を握っています。
鎧をつけない軽装なのも、「サイズが合わないから脱いじゃった」という「サムエル記」の記述に合致します。
少々脱ぎすぎの感もありますが、それはミケランジェロが「(男の)裸体大好きマン」であったせいでしょう。
なお「ダビデ像」の局部には割礼が施されていません。
「サムエル記」の中でダビデはゴリアテのことを「割礼を受けていないペリシテ人」とはっきりと言っていますから、自分自身が未割礼だとは考えにくいのですが、ミケランジェロがそっちの方が好きだったからそうなったのでしょう。
脱線しますが、ミケランジェロがどれぐらい「裸体大好きマン」だったかという例をもうひとつ紹介しておきましょう。
「ダビデ像」と並ぶ彼の代表作に、ヴァティカン・システィーナ礼拝堂の天井画「最後の審判」があります。
彼ははじめ、ここに登場する聖書上の人物(男性)を大部分全裸で描いていたのです。
礼拝堂の天井に400対(それぐらいの人物が描かれていました)の怪しげなモノがぶらぶらぶら下がっているのに耐えかねたヴァティカンの儀典長が「服を着せろ!」とミケランジェロに要求した、という話が伝わっています。
これに腹を立てたミケランジェロは直接の発注者である教皇パウルス3世にチクり、着衣要求を撤回させたといいます。
現在、「最後の審判」の登場人物の前の部分は謎の布で覆われていますが、これはミケランジェロ死後にその弟子によって追加されたものです。
この布が代表作となってしまった弟子は、後世の人から「ふんどし画家」と呼ばれています。
話を戻しましょう。
ダビデが自分に向かってくるのを見たゴリアテは、「俺を犬扱いするか」と怒ります。
ダビデの格好が羊飼いそのものだったからでしょう。
羊飼いの仕事は、羊の群れに襲いかかってくる野犬を追い払うことですから。
ゴリアテはダビデを舐めていましたが、かといって自分の敵にはならないから逃してやろうとも思わなかったようです。
殺す気満々でダビデに向かっていきます。
そのゴリアテに対しダビデは、「お前は剣と投げ槍と槍でわたしに向かってくるが、自分は神の名をもってお前に立ち向かう」と言いました。
そして投石機に石を挟んで投げます。
石はゴリアテの眉間にめり込み、ゴリアテはあっさりと倒れてしまいました。
ダビデはゴリアテの剣を奪って、ゴリアテの首を切り落とします。
これによりペリシテ軍は総崩れとなり、戦いはイスラエル軍の大勝利に終わりました。
再びサウルの前に現れたダビデは、ここで初めて「自分はエッサイの子ダビデだ」と名乗ります。
ダビデとサウルの確執
ダビデはゴリアテを討った後、数々の戦場に臨み、多くの手柄を立てました。
サウルの長男ヨナタンはこれですっかりダビデに心酔してしまい、ダビデと永遠の友情を誓うようになります。
ダビデはまだ少年といっていい年齢ですから、ヨナタンとしてはダビデの心をがっちりと握っておき、無二の忠臣として自分の代まで働いてもらおうと考えたのかも知れません。
そうではなく純粋な愛情からだった、という感じの記述が「サムエル記」ではなされています。
なにせダビデは美少年ですから。
しかし後継者がのめり込むのとは裏腹に、サウル王はダビデを警戒するようになります。
ダビデが戦功を重ねていくと、民衆はダビデを讃えて「サウルは千を殺し、ダビデは万を殺す」と歌うようになりました。
これにサウルがカチンときたのです。
「万を殺す、という王以上の手柄を立てるものをどう処遇すればいいのか。国以外に与えるべきものがなくなってしまうではないか」とサウルは言いました。
さらに、ヤハウェから送られた悪霊が、サウルに祟りをなします。
サウルは頭が痛くて叫び声をあげます。
ダビデは慌ててサウルのそばにやってきて竪琴をかき鳴らしたのですが、サウルは手元にあった槍を引っ掴むとそれをダビデに向かって投げつけました。
自分でも「これはいかん」と思ったサウルは、ダビデを遠ざけ千人長としました。
つまり前線送りにしたのです。
あわよくば戦死してくれれば……と思ったのですが、ダビデの部隊は連戦連勝で、軍人としてのダビデの評価はさらに上がってしまいました。
サウルは今度はダビデを懐柔するために、自分の長女メラブをダビデの妻に与えようとします。
ダビデは「そんな身分ではない」と辞退し、サウルも土壇場になって婚礼を取りやめ、メラブを別の男の妻としてしまいました。
ダビデへの憎悪と愛情とが渦巻いて、一貫した行動が取れなくなっているようです。
次にサウルは「長女ではなく次女をダビデに与えよう」と言い出します。
「ただしペリシテ人の陽の皮百を得てきたなら」という条件をつけて。
これはさらなる激戦地にダビデを追い込んで、戦死させようという企みでした。
ちなみここで「陽の皮」なる謎ワードが出てきますが、検索をかけると「陰茎包皮」という答えが出てきます。
とんでもないものを結納として要求する花嫁の父もあったものです。
まあ、「同胞」の証として割礼という風習を持っている民族です。
未割礼の「皮」を異民族の証とし、それを収集することはより多くの異民族を殺した勇者だ、となりますから、納得できないというわけでもないのですが。
ダビデは戦地に赴き、約束の倍になる2百の「陽の皮」を得てサウルに送りました。
サウルとしてはダビデに死んで欲しかっただけで、「こんなもの貰っても困る」状態だったと思います。
受け取った結納品をサウルがどう処分したかは、「サムエル記」には書いてありません。
ただきちんとダビデが約束を果たしたので、サウルは次女ミカルをダビデに嫁がせました。
ミカルを娶ってからしばらくの間、ダビデはサウルの近くにいたようです。
この結果サウルの胸中にはダビデへの嫉妬の心がめらめらと燃え盛り、「ダビデ殺すべし慈悲はない」と思うようになります。
憎悪が完全に愛情を圧倒した状態です。
長男ヨナタンはそういう父を必死に諌めようとしましたが、サウルは聞きません。
ヨナタンは危険をダビデに告げ、妹ミカルに手引させてダビデを逃亡させます。
前にダビデがサウルの元を離れた時は、千人長という職に任じられていました。
だからサウルから兵士を預かっていたわけですが、今度はたった一人で反逆者として逃亡したことになります。
ダビデはノブという街に行き、祭司アヒメレクに会います。
そこでアヒメレクに助力を乞い、食料と武器(ゴリアテの剣)を得ます。
ダビデはアヒメレクに、「街の外に若者たちを待たせている」と告げました。
ダビデはノブの街を離れ、洞窟にこもって一族を呼び集めます。
さらに「虐げられている人々、負債のある人々、心に不満のある人々」も集まってきました。
ダビデはこれらを組織してサウルに対するレジスタンスというか、反王権派の山賊の集団のようなものを結成し、その頭目となったのです。
「虐げられている人々」はまだいいですが、そこから後の連中にはあまりまともな人がいたとは思われません。
端的に言って、この時点のダビデは、サムエル以前の士師と同じようなやくざの親分的存在になっていたものと考えられます。
ダビデはモアブ人の王を訪ね、自分の家族を預かってもらっています。
モアブ人はこのお話の最初に出てきたルツの出身民族です。
近所ですからイスラエルの民とはよく戦っていますが、交流もそれなりにあったようです。
サウルとは戦っていたので、「自分の先祖にあたる女性の出身地」&「敵の敵は味方」の論理で一時的に手を結んだのかも知れません。
いずれにしろサウルの敵と結んだ形になるので、これでダビデは完全にサウルの敵ということになりました。
こうなるとノブの街の立場は微妙になります。
運悪くアヒメレクとダビデの会話を、ドエグという男が聞いてしまっていました。
ドエグはこのことをサウルに通報し、サウルは事情を聞くためにノブにやって来ます。
アヒメレクは「自分はダビデが謀反を企んだことを知らなかった。あくまでサウル王の忠臣だと思っていたので彼を支援したのだ」とサウルに言いましたが、サウルはその言い分を認めずノブの街を攻撃して滅ぼしてしまいます。
この時主にドエグによって殺されたノブの街の祭司は85人にのぼったと言います。
サムエルと近かったダビデが最初に頼った、ということは、アヒメレクもまたサムエルと近い立場の人間だった、と想像されます。
その祭司団を大量虐殺したのですから、サウルはこの時点でサムエルの派閥とも決定的に対立した、ということになるでしょう。
ダビデは自分の手勢を率いて、ペリシテ人との戦いを始めます。
ダビデの部隊が戦闘行動を開始したというので、サウルはダビデ軍を打倒するためにやってきました。
父と親友が決定的に衝突しそうなので、ヨナタンはまずダビデに会って話をします。
その際ヨナタンは、「父の次の王は君だ。わたしはその下に付けばそれでよい」とまで言いました。
これはヨナタンなりに考えた、内乱を終結するためのプランだったと思えます。
ダビデはヨナタンのこの提案に乗ったように見えます。
この後ダビデはサウルを討ち取るチャンスを複数回掴んだのですが、その服の一部を切り取っただけで済ませました。
「殺せたけど殺さなかった」ということを証拠付きでサウルに示したのです。
しかしサウルはそれでも「ダビデを絶対殺す」という立場を崩しませんでした。
勢力を拡大するダビデ
サウルとダビデが完全に交戦状態(「サムエル記」はサウル側が一方的に攻撃してきただけだ、と書いていますが)になった頃、サムエルが死にます。
サムエルはダビデを、コントロールできなくなったサウルに代わる祭司団の傀儡にしようと考えていました。
ですが政治家としてのダビデがサウルよりも一枚上手でした。
このため比較的早い時期にダビデはサムエルのコントロール下から逃れてしまったようです。
ダビデとサウルが争い始めると途端にサムエルの出番が減りますが、それはこうした事情を暗示しているのでしょう。
ダビデはサウル同様、自分に忠実な祭司団を新たに作ろうとしていたようです。
それと並行して、ダビデは土地と人民の方も確保しようと努力します。
これは具体的に言えば、近隣の小領主に対する征服活動です。
マオンという土地にナバルという財産家がいました。
すでに述べたようにこの頃のこの地域の人々は半農半遊牧民ですから、財産が多いということは家畜が多いということで、それはすなわち後の人がイメージする小領主であった、ということになります。
このナバル、財産は多かったけれど性格が悪かった、と「サムエル記」は説明しています。
この性格の悪い財産家には、若く美しく賢い妻がいました。
名をアビガイルと言います。
アビガイルは英語風に発音するとアビゲイルになります。
かつては漫画「バスタード!!」の主人公ダーク・シュナイダーの配下の男性の名として知られていましたが、今では「Fate/Grand Order」に登場するサーヴァント(女性)の名としての方が有名でしょう。
「FGO」のアビゲイルは、「セイラム魔女裁判」と呼ばれる事件に関連した実在の人物に基づいています。
サウルの息子ヨナタン(英語読みジョナサン)は、その後の世界中のジョナサンの名前の元になりましたが、このアビガイルはその後の世界中のアビゲイルの名前の元になっています。
それはともかく、ダビデはナバルの元に若いもんを送り、こんな感じのことを言わせました。
「俺たちはあんたの家畜に手を出さなかった。これからも手を出すことはない、というか守ってやるから俺たちに贈り物を寄越せ」。
より簡単に噛み砕いて言うと「用心棒してやるからみかじめ料くれ」ということです。
ナバルは「ダビデがなんぼのもんじゃー」と激昂し、要求を拒否します。
ダビデは「上等じゃねえか」と手下たちを武装させ、ナバル襲撃に向かいます。
ここで「賢い」アビガイルは急いでダビデへの贈り物を整え、ダビデに捧げます。
ダビデは贈り物を受け取ると引き上げて行きました。
アビガイルがその家に戻った翌朝、ナバルは謎の死を遂げます。
「サムエル記」は、アビガイルがダビデと「ナシ」付けて来たことを告げると、ナバルの身体は石のように固くなって死んだ、と書かれていますが、この書き方では「毒殺したんじゃないか?」と勘ぐられても仕方がないと思います。
このような感じで、ダビデ親分はアビガイルの姐さんがやり手であるのを認め、彼女を自分の妻のひとりとして迎えます。
さらに「サムエル記」は、エズレルのアヒノアムという女性も妻とした、とさらっと書いていますが、これも同じような手を使った結果でしょう。
一方、サウルはダビデ脱出後自分の手元にいたと思われる次女ミカルを、他人の妻に与えてしまっていました。
ここまでのお話でも分かる通り、ダビデはその生涯に数多くの妻を娶っています。
サウルと戦う実力を蓄えていた時代の妻は、恐らくはその土地々々の有力者の関係者ではないかと推測されます。
場合によってはアビガイルのケースのように、有力者を殺して妻を奪ったり、また別のケースでは平和裏に「ナシ」を付けて娘を娶ったり、ということを繰り返していたのだろうと思われます。
多くの妻を娶ったということは、その妻たちに多くの子を産ませたということです。
これが後で悲劇を招くこととなるのですが、それについてはまた改めて語ります。
ペリシテとの同盟とサウルの死
ここまで語ったような形でダビデはその勢力を拡大したのですが、まだサウルの勢力には及びません。
そこでダビデは、サウルの宿敵であるペリシテ人と同盟しようと思い立ちました。
とはいえペリシテ人の勢力も強大ですから、対等の関係になることはできません。
ダビデはペリシテ人であるガテの王アキシに身を寄せます。
身を寄せた、というより、サウルに追われてアキシの所に逃げ込んだと言った方がより正確かも知れません。
アキシに保護されるようになったので、サウルはダビデを追うのを諦めました。
ダビデはアキシの傭兵隊長のような地位につき、アキシの命ずるままあちこちを襲撃し、分捕品をアキシに捧げていたようです。
襲撃の際ダビデは、ひとりも残さず皆殺しにしています。
それは「襲撃の時ダビデはこうしていた」ということが他に漏れないようにするためだと「サムエル記」は説明しています。
こうして黙々と親分のために働くダビデを、アキシはさらに重用するようになります。
アキシはダビデに、チクラグという街を根拠地として与えました。
その上でアキシは、「ペリシテの他の王たちと連合してサウルと戦うから、お前も来い」と命じます。
親分の言うことですから嫌も応もありません。
ダビデは素直にアキシについていきます。
ところがサウル軍との決戦前夜になると、ペリシテ人の他の王たちは「こいつイスラエルの民じゃないか。こんなのと一緒には戦えんわ」と言い出します。
アキシは困ってダビデに「帰れ」と命じました。
ダビデはまた素直に根拠地チクラグに戻って行きましたが、ちょうどその時、チクラグはアマレク人の襲撃を受けていたのです。
「サムエル記」には偶然そうなったかのように書かれていますが、サウルが手強いダビデとその部隊をペリシテ連合から引き離すため、アマレク人をそそのかしてダビデの根拠地を襲わせた、ということも考えられなくはありません。
アマレク人はチクラグ襲撃の時にダビデの妻たちを奪って行きました。
ダビデはチクラグに戻った後、速やかに部隊を再編成し、アマレク人を背後から襲って妻たちを取り戻します。
ダビデが去ったペリシテ陣営は、そのままサウル率いるイスラエル軍と決戦を行います。
結果はペリシテ軍の大勝利で、まずサウルの子ヨナタン、アビナダブ、マルキシュアを討ち取ることに成功します。
続いて総大将のサウルに迫り、弓兵の一斉射撃でサウルに重傷を負わせました。
サウルはもはやこれまでと観念し、剣に伏して自決します。
ダビデの最大の脅威であったサウルは、その最有力後継者とともにこの世から消えてしまいました。
ダビデにとっては「棚からぼたもち」のような展開です。
「サムエル記上」は、サウルの戦死で終わっているのですが、サウルが死んだからといって、そのまますぐにダビデに覇権が移ったわけではありません。
ダビデの戦いはまだ続くのです。
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