【シュリーマンの生涯④】トロイアの遺跡発見までの流れ

ハインリヒ・シュリーマン

シュリーマンはどうやって、現在の世界遺産「トロイアの遺跡」がある場所、すなわちオスマントルコ帝国領内のヒサルルックにたどり着いたのでしょうか?

実はシュリーマンがどのようなルートを辿って「トロイアの遺跡」に辿りついたのかの経路は、本人の自伝のみならず後年の研究によって、かなり詳細に再現できるようになっています。

第四回となる今回の記事では、その「発見」までのプロセスを詳細に紹介することにしましょう!

遅咲きアマチュア考古学者としての修業時代

クリミア戦争による戦争特需で大儲けをしたシュリーマンは、ビジネスマンとしてのキャリアから引退し、築き上げた財産を元手にいよいよアマチュア考古学者としての道を歩むことを決断します。

1860年代をその準備期間にあてた彼は、この時期、フランスの大学へ行って聴講生として考古学の基礎を勉強したり、イタリアへ行ってポンペイ等の有名な遺跡を見学したりしています。

『ポンペイ最後の日』
『ポンペイ最後の日』(カール・ブリューロフ作、原典

特にポンペイは、ラテン語に通じていたかの父親が、いつも熱っぽく語っていた遺跡。

大人になってついにその場所を訪れたシュリーマンの脳裏には、故郷で過ごした少年時代のことや、父親に買ってもらったあのクリスマスプレゼントの本の、トロイア落城の挿絵のことなどが、懐かしくこみあげてきたのではないでしょうか。

考古学デビューはこれまた神話の舞台:ギリシアのイタカ島!

フランスやイタリアで考古学者としての準備を整えたシュリーマンは、次にギリシアのイタカ島に向かいます。

イタカ島というのは、これもまた、ギリシア神話の中では有名な土地。

かの英雄オデッセウスが、トロイア戦争後の放浪を経て、最後に帰還した島となります。

もっともこの島は既に西欧各国の考古学者たちによって何度も調査をされており、遺跡や遺構もあらかた発掘されているとされていた状況でした。

おそらくはあくまで練習のつもりだったのか。

シュリーマンはこの島で、初めての発掘を行います。

そして、いきなり、幸先のよい成功を掴んでしまいます。

まったく偶然に、古代ギリシア時代のものらしき、小さな骨壺を発見するのです。

シロウトがいきなり、先人が掘り起こした後の土地でやみくも発掘作業をやってみたところ、小さいながらも古代文明の遺品をちゃんと掘り当ててしまったのだから、たいへんな運の強さです。

シュリーマン本人も、これでおおいに自信を深めたことでしょう。

もっとも、ここで見つけた小さな骨壺を、「オデッセウスとその家族の遺骨が入ったものだ!」と本人は思い込み、特に根拠もないのに終生完全に信じ込んでいたらしきあたり、シュリーマンの悪い癖もさっそく出てきてしまっているきらいはありますが。

ヒサルルックの発掘事業:いよいよトロイアの発見へ

イタカ島の発掘でいきなりの「ビギナーズ・ラック」に当たり、かなり自信を深めたシュリーマンは、ついに生涯の目標であるトロイア発掘に向かって突き進んでいきます。

目ざした先は、オスマントルコ帝国領内であり、現在もトルコ共和国の領土になっているアナトリア半島でした。

そもそも『イリアス』の作者ホメロスがアナトリアの出身者。

そのホメロスがアナトリアに伝承として伝わっていたトロイア戦争の昔話を結集して『イリアス』を作ったのだとすれば、やはりトロイアも、アナトリアのどこかにあった都市国家に違いないと推測されるからです。

さらに「ギリシアの連合軍が艦隊を率いて上陸し、海から攻めあがった」のだとすると、それはアナトリア半島の西海岸、ギリシア寄りの沿岸部のどこかに違いありません。

ちなみに、シュリーマンの伝記などではしばしば、「シュリーマンの他にはトロイアが実在しているなどと思っていた考古学者は当時一人もいなかった」かのような印象を与える記述が出てきますが、それは事実ではありません。

シュリーマンの他にも「幻のトロイア発見」を悲願とする考古学チームは当時いくつか存在していて、彼らもまたアナトリア半島に目を付け、積極的な発掘活動を展開しておりました。

そのうちのひとつで、特に期待が高まっていたのが、プナルパシュの遺跡発掘作業でした。

シュリーマンは自らの発掘の事前調査の中で、そのプナルパシュの発掘現場も見学しています。

ところがそこでシュリーマンは、プロの考古学者たちの意見を聞きながらも、「ここを掘っても絶対にトロイアは出てこない!トロイアは別の場所にあるはずだ!」と確信してしまったようなのです。

その理由は、プロの考古学者からすると信じられないような大胆な推理方法によるものでした。

「私が子供の頃に読んだトロイア戦争の神話のイメージと、このプナルパシュという土地のイメージが、あまりに違うから」という、いかにもアマチュアっぽいといえばアマチュアっぽい理由だけでの推理だったのです。

つまりプロの考古学者たちの慎重な仮説よりも、「自分の中に生きていたイメージとのギャップ」のほうを大事にしたわけです。

シュリーマンによると、プナルパシュがトロイアでは「ありえない」理由は大きく二つありました。

  • 神話によると、ギリシア軍がトロイの木馬の策略でトロイアを騙すことに成功した際、その主力部隊は一日で海辺からトロイアに舞い戻り奇襲をかけたことになっている。だがプナルパシュは、海から遠すぎる。神話どおりの戦争の展開になるためには、トロイアの遺跡はもう少し、海から近い距離にないとおかしい。
  • トロイアが難攻不落の城塞都市だったという神話とも、プナルパシュは合わない。プナルパシュは平野だらけであり、ここに築かれた都市は「難攻不落」というわけにはいかない。おそらく考古学者たちはここでなんらかの遺跡を発見できるだろうが、それはきっと、神話に出てくる「難攻不落のトロイア」とは別の古代都市の遺跡に違いない。

上記の理由から、シュリーマンはプナルパシュとは別の場所を発掘しようと決断しました。

更にトルコ領内のさまざまな情報を収集して、いよいよ彼が向かった先が、ヒサルルックという土地でした。

理由としては、

  • そこはプナルパシュよりも海に近く、神話に描かれていたような「海辺の駐屯地から取って返しての奇襲」も可能そうな地理である。
  • 小高い丘陵地帯となっており、そこに城塞都市を築けば、地の利もあって十年くらいは持ちこたえる難攻不落の都市になっていたことだろう。

というところです。

あくまで自分の中の「イメージ」にこだわり続けるその大胆さには頭が下がります。

もっともここで、シュリーマンはオスマントルコ帝国からの発掘許可もしっかりと取らず、成功した場合の発掘品の権利についても曖昧なままにしてしまいました(このことが後々、大変な困難をシュリーマンにもたらします)。

そのうえ冬にはマイナス気温になるという過酷な土地なのに、その冬の期間も発掘計画の中に入れてしまったまま作業員を雇うなど、「シロウト感むきだしで」発掘に取り掛かってしまいました。

普通に考えれば大失敗に終わりそうな話ですが、シュリーマンの強運がここでも発揮されます。

掘り進めたヒサルルックの丘から、「火災のあとが残っている古代の城壁」が姿を現したのです!

神話に描かれている地形と酷似した地形で、火災で滅んだ痕跡が見られる巨大な城壁発見、その周囲からは青銅器や古代の装飾品も続々と見つかりました。

「間違いない!ここがトロイアである!」とシュリーマンは確信します。

トロイアの城壁発見のニュースは、西欧社会に多大な驚きを引き起こしました。

ですが、この「空前の強運」が、むしろシュリーマンの後半生には暗い影を落とすことになるのです。

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