【シュリーマンの生涯③】トロイア戦争とイリアスの影響

ハインリヒ・シュリーマン

そもそも、少年時代のシュリーマンを虜にした「トロイア戦争」とは何でしょう?

ハインリヒ・シュリーマンの実像を追うこの連載記事ですが、第三回の今回は、トロイア戦争の整理と、それが西欧の歴史でどのような意味をもっていたのかを追ってみることにしましょう。

そもそもの大整理:トロイア戦争とは何か?

トロイ戦争の場面を描いた石
トロイ戦争の場面を描いた石(RISD美術館 原典

トロイア戦争とは、以下のような経過を辿って行われた戦争とされています。

  • オリンポスの神々の饗宴にて、アフロディテ、ヘラ、アテナの三人のうち、誰がいちばん「美しいか」の論争になった
  • その裁定をするため、三人の女神はトロイアの王子であるパリスのところを訪れた
  • アフロディテが「私を選んでくれたら世界一の美女を奥さんにしてあげましょう」と約束してくれたので、パリスはその口車に乗り、アフロディテを選んだ
  • アフロディテが連れてきてくれた「世界一の美女」というのは、スパルタの王妃ヘレネだった
  • つまりアフロディテはヘレネを拉致してパリスに与えてくれたことになる。しかもその後の責任はとらない態度を見せオリンポスに帰ってしまった。ひどい話だ
  • ヘレネを貰ったパリスも、そこから慌ててスパルタに謝りに行けばまだなんとかなったかもしれないのに、そのままヘレネをトロイアに連れ帰ってしまった。これもひどい話だ
  • スパルタを中心にギリシアの諸王国が結集し、対トロイアの一大同盟ができた
  • ギリシア諸王国連合軍がトロイアに攻め込み、十年以上にもわたる大戦争になった
『パリスの審判』
トロイア戦争の原因になった『パリスの審判』 ルーベンス画 (1636年、国立美術館所蔵)

現代人の視点からするといろいろとツッコミどころのある「戦争の原因」ですが、あくまでもこれは神話が伝えている話。

史実のトロイア戦争というものがどのような原因から発生したのかは、それはもはや歴史の中の謎となってしまっています。

シュリーマンと同時代の西欧社会では、「トロイア戦争とはあくまで神話の中の物語であり、実際に起きた事件ではない」という考え方が主流であったのも、仕方のない話と思います。

勇壮なる英雄叙事詩『イリアス』の影響

『アキレスの勝利』フランツ・マッチ(1892)作
『アキレスの勝利』(フランツ・マッチ(1892)作 原典

この戦争において、ギリシア軍にはオデッセウスやアキレウスといった超有名な英雄も参戦しており、迎え撃つトロイア側にもヘクトルという勇者が控えていました。

戦争後半の展開は、以下のようになっています。

  • ついにはアキレウスがヘクトルを討ち取ることに成功
  • そのアキレウスもまた、弱点である「かかと」を弓矢で射抜かれて戦死(「アキレス腱」の語源となった逸話です)
  • 双方とも主将を失い、疲れが見え始めたところで、ギリシアは策略を巡らせる
  • 撤退するフリをして、兵士たちを中に忍び込ませた巨大な木馬を置いていった
  • ギリシアが諦めて撤退したと思い込んだトロイア側は、戦勝品としてその木馬を城壁の中に持ち込んだ
  • 夜、木馬の中から、忍び込んでいた兵士たちがはい出してきて、難攻不落の城壁の門を内側から開けた
  • そのタイミングでギリシア軍が舞い戻り、総攻撃を開始、トロイアは炎に包まれてついに落城した
  • ただし、ギリシア側で生き残った英雄であるオデッセウスは神の怒りを買い、戦争が終わった後も長らく故郷に帰れず、放浪の旅をすることになってしまった(『オデッセウスの冒険』という別の神話のスタート時点となります)

特に「トロイアの木馬」というのはコンピュータ用語にもなっているほど人口に膾炙していますね。

そのトロイア戦争の物語を西欧社会における決定的な「重要古典」の地位に押し上げたのが、詩人ホメロスといえるでしょう。

ホメロスの歌い上げた一大叙事詩『イリアス』は、トロイア戦争のすべての局面を扱っているわけではなく、トロイア落城前の50日間、つまり戦争のクライマックスの局面のみを描いたものです。

この格調高いホメロスの叙事詩がヨーロッパの歴史で担った役割は、決定的なものでした。

古代ギリシア文明が衰退した後も、古代ローマ帝国の文人たちに「模範的な文学作品」として影響を与え、その後に登場したビザンチン帝国においては、「イリアスを暗唱できること」が知識人のステータスとみなされたほどでした。

近世になっても、『イリアス』は西欧の教養層に常に影響を与えてきた素材であり続けました。

たくさんの絵画や文学作品が、この『イリアス』の世界観を原案に成立している上に、古代ギリシアの偉大な精神を伝える重要な詩として、十九世紀になっても「教養の柱」として機能していたのです。

ハインリヒ・シュリーマンもまた、『イリアス』の世界観に親しみながら育ったことは、前回の記事で紹介した通り。

ですが、ここからがシュリーマンの驚嘆すべきところです。

十九世紀の常識では「トロイア戦争は偉大な文学作品であって、歴史上の事実ではない」とされていましたが、シュリーマン本人は、「いや、これほどの勇壮な叙事詩ならば、実際に起きた事件を参考にしているに違いない」と確信していたようなのです。

少年時代のそんな思いを、彼は生涯持ち続け、ついには現在のトルコ領であるアナトリア半島のヒサルルックという土地にトロイアの遺跡があるはずと推理し、見事に「それらしい」古代都市の遺跡を掘り当ててしまうのでした。

次回はいよいよ、シュリーマンがヒサルルックで遺跡の発掘に成功するプロセスを紹介しましょう。

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