首都圏に位置するさいたま市には、見沼(みぬま)たんぼに関わる伝説があります。
この地はかつて武蔵国の一部であり、河川を使った水運業で江戸との交易が盛んでした。
それだけ水との関係が深く、伝説も水にまつわるものです。
ここではさいたま市に伝わる見沼たんぼの伝説にスポットを当て、独自の観点から解説していきます。
伝説の場所は見沼たんぼ
見沼たんぼは、埼玉県さいたま市の南東部に位置し、見沼区の一部でもあります。
JR武蔵野線の東浦和駅から数分程度のところに位置し、現在でも田畑の広がる地域です。
近くには見沼代用水と芝川があり、見沼たんぼの水源と共に江戸からの運搬を行う大事な交易路でもありました。
しかし見沼代用水と芝川の間には水位差があり、スムーズに荷物を運ぶことができませんでした。
そこで江戸時代に見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)が開削されました。
一説によれば世界初の運河であり、世界的に有名なパナマ運河よりも早く作られたそうです。
閘門(こうもん)式運河であり、二箇所に関を設けることで、水位を調節し船で荷物の運搬ができるようになりました。
現在では国指定史跡となり、記念公園等もあり、観光地にもなっています。
また見沼たんぼは氷川神社とも大きな関係があるとされています。
全国でも名の知られている大宮の氷川神社、緑区にある氷川女体神社、見沼区の中山神社の三社が深く関わりがあり、いずれも見沼たんぼを見下ろせる高台に位置しています。
しかも上記の三社は一体の神社ではないかという言われもあり、見沼たんぼにまつわる伝説も神社との関係が大きく影響しているのかもしれません。
竜神にまつわる2つの話
見沼たんぼの伝説には竜神にまつわるものが2つあります。
一つ目が見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)の開削を指示した井沢弥惣兵衛為永(いざわ やそべえ ためなが)に関わるものです。
ある夜、為永の元へ美女が訪れました。
実は竜神が化けた女性で、為永に沼を残してほしいと懇願しました。
見沼通船堀のために竜神の住処がなくなってしまうため、非常に困っていたようです。
為永は哀れに感じ、万年寺(まんねんじ)というところに神灯(しんとう)を作り、竜神灯と名付け、住処をなくした竜神の弔いをすることにしました。
以降竜神灯は、火を絶やすことがなく、竜神が自ら灯していると言われています。
竜神にまつわるもう一つの伝説にも、美女が関係します。
ある時、一人の馬子(まご)が美女に会いました。
馬に人や荷物を乗せて運ぶことを仕事としている人たちのこと
美女は足を痛め動けないでいたので、送ってあげることにしました。
目的地に到着すると、美女から小箱をお礼に手渡され、決して開けてはいけないとも言われました。
以来、馬子には運が巡って来て、非常に大喜びしました。
けれども結局、好奇心を抑えられなかったのか、馬子は小箱を開けてしまいました。
それからというもの、馬子の家からは運が逃げていきました。
小箱の中には一枚のウロコしかなく、美女が竜神であったことの証となりました。
馬子と家族は祠を作って、ウロコを祀ることにしました。
以上、見沼たんぼに関わる2つの竜神伝説ですが、どちらも竜神の化身が美女という共通点が特筆できるでしょう。
名前の通り、見沼たんぼは元々沼地でもあったので、どこかしら女性の面影を感じさせたのかもしれません。
彫刻職人と日本神話のカミ

見沼たんぼの伝説には、彫刻職人と日本神話のカミに関わるものがあります。
彫刻職人とは左甚五郎(ひだり じんごろう)という人物で、日本神話のカミはクシナダヒメになります。
まず左甚五郎に関わる伝説ですが、国昌寺(こくしょうじ)というお寺が出てきます。
門の欄間(らんま)に竜の彫り物があり、左甚五郎が手掛けたと言われています。
ある時見沼たんぼで竜が暴れ、竜を封じるために彫ったようです。
竜は暴れなくなりましたが、欄間の下を葬列が通った際、棺の中から遺体が消えてしまったそうです。
竜が遺体を食べたとの噂が広まり、国昌寺では二度と門を開けないようにしました。
現在でも特別な時以外、門を使わないようです。
ちなみに左甚五郎こそ伝説的な人物であり、全国の所々の寺院に彼が手掛けた彫刻があると言われています。
歴史上では存在しないとも言われていますが、実在したと記録されている文献はあるようです。
次にクシナダヒメに関する伝説ですが、見沼たんぼでは蓮を作ることが禁じられているようです。
これはクシナダヒメが戦いの中で、蓮の茎によって目を怪我したからだと言われています。
クシナダヒメは見沼たんぼを見下ろす氷川女体神社の祭神であり、地域の守り神のような存在でもあるのでしょう。
氷川信仰と出雲との関係
見沼たんぼと氷川神社については、すでに述べています。
大宮の氷川神社、緑区にある氷川女体神社、見沼区の中山神社が見沼たんぼを見下ろす高台にあり、一体となって守っているような感じがあります。
氷川神社は氷川信仰と関わりがあり、源は出雲ではないかとも指摘されています。
出雲には斐伊川(ひいかわ)という川があり、日本神話とも関連があります。
出雲には龍蛇伝説というものもあり、どこかしら竜との関わりもあるのでしょう。
竜は中国から輸入された伝説の生き物でしょうが、蛇については日本でも古くから伝説があります。
出雲に関するものであれば、多くの人がご存知のヤマタノオロチでしょう。
スサノオノミコトが退治したと言われ、蛇のような生き物のイメージがあります。

竜が中国から輸入された際、ヤマタノオロチが連想され、蛇と同様な感じで受け取られてもおかしくはないでしょう。
ヤマタノオロチ退治は斐伊川流域で起こったとされ、斐伊川が転じて氷川となったとも言われています。
氷川神社の祭神は、出雲系の神々が中心です。
多くのところで、スサノオノミコト等が祀られています。
もしかすると、首都近郊に位置する氷川神社周辺には、遠く出雲から訪れた人々が移住して来たのかもしれません。
見沼たんぼの伝説も、出雲系の人々が元々信じていた神話等と融合し、土着化して行くにつれ、現在のような形になったと考えられます。
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