耳なし芳一と言えば、ご存知の方も多いでしょう。
映画やドラマ等にもなり、広く知られた怪談話の一つです。
平家滅亡と深い関わりのある伝説でもあるため、単なる創作話ではありません。
ここではそんな耳なし芳一の伝説を取り上げ、独自の視点から解説していきます。
安徳天皇を祀る神社が発祥地
耳なし芳一伝説は、山口県下関市にある赤間神宮が舞台となっています。
約1200年前に建てられた、非常に歴史のある神社です。
有名な壇ノ浦の戦いが赤間神宮の近くで行われ、幼少で亡くなった安徳天皇が祀られています。
いわば平家滅亡を目の当たりにした神社であり、平家との関わりも深くなっています。
敷地内には平家一門を祀る七盛塚もあり、現在でもお参りに訪れる人がいます。
平家との関わりが深いからでしょうが、平家物語も所蔵し重要文化財に指定されています。
また耳なし芳一を祀る芳一堂もあり、こちらにも多くの人がやって来ます。
源平の戦いは日本史の中でも転換点といえるものですので、中世に興味のある人は一見する価値があるかもしれません。
なお安徳天皇を祀る安徳天皇御影堂(みかげどう)は、江戸時代まで仏式で祀られていました。
明治維新までの長い間、神仏習合であったことの表れでもあるでしょう。
琵琶法師の悲劇

耳なし芳一伝説とは、具体的にはどういうものでしょうか?
以下、一般的に伝わっている話をまとめてみました。
赤間ヶ関の阿弥陀寺(現在の赤間神宮)に芳一という盲目の琵琶法師がいました。
年は若かったのですが、琵琶弾きの名手として知られ、中でも「平家物語」は評判を呼んでいました。
ある夏の日、芳一は阿弥陀寺の檀家で留守をしていました。
その夜、武士のような男が訪れ、芳一に言いました。
「ある高貴な方が、お前が琵琶の名手であるとお聞きした。わたしと一緒に来て、是非弾いてもらいたい」
芳一は男の声に圧倒され、断ることができませんでした。
琵琶を片手に男について行きましたが、道中どこへ向かっているのか分かりませんでした。
やがて大きな館に着き、大広間へ案内されました。
中には身分の高い男女が大勢待っていました。
「平家物語」の壇ノ浦の下りを聞きたいと言われ、芳一は琵琶を弾き始めました。
しんと静まり返った中に、芳一の声が響きます。
語りが進みます。
山場とも言える、幼い安徳天皇の最期が語られた時でした。
方々からすすり泣きの声が上がりました。
次の夜もそのまた次の夜も、芳一は館へ赴きました。
阿弥陀寺の住職は不審に思いました。
芳一の後をつけると、平家七基の前に座り、琵琶を弾く姿を目にしました。
平家七基とは、粗末な石の墓で、滅亡した平家七武将らが眠っていました。
住職は厄除けのまじないをすることにし、芳一の体に経文を書きました。
このため命を失うことはありませんでしたが、両耳だけ書き忘れてしまい、亡霊によってもぎ取られました。
この後、芳一は亡霊に取り憑かれることはなく、医師の治療を受け、傷が治りました。
噂を聞きつけた人々が阿弥陀寺に訪れ、芳一の琵琶に耳を傾けました。
瞬く間に芳一の名が広まり、琵琶の腕もますます上達させ、ついには高名な琵琶法師となりました。
小泉八雲や柳田国男も取り上げた
耳なし芳一伝説は、二人の著名人も取り上げています。
まず一人目は小泉八雲です。
本名をラフカディオ・ハーンといい、アイルランドの出身です。
日本の昔話や伝説等に興味を持ち、来日後は日本人女性と結婚し、終生日本暮らしました。
耳なし芳一伝説は有名な「怪談」という書物の中に収められています。
元は英文で書かれているため、日本語で読める書籍は翻訳されたものです。
興味があれば英文と日本語を比べてみても面白いでしょう。
ストーリー全体は、先の章で述べたものと同じようですが、芳一はもちろん平家の亡霊や住職の心根などが八雲独自の見方によって表現されています。
少々キリスト教的な言葉も散見されますが、ケルトの血を引く八雲にとっては、怨霊というものも妖精に通じる何かを感じていたのかもしれません。
もう1人は柳田国男です。
日本民俗学の草分け的な存在であり、耳なし芳一伝説は「一つ目小僧その他」の中で取り上げられています。
柳田によると、耳なし芳一のような伝説は各地にあり、その呼び名も種々あるとのことです。
「一つ目小僧その他」の中では章題に「耳切団一(みみきりだんいち)」と付けられています。
芳一は平家の亡霊に耳を引きちぎられますが、耳を取られる他の伝説との比較もなされています。
柳田が提示している一つの解釈は、耳を取られる伝説は戦の中で生き延びた人が産み出したものであり、「損して得取れ」の教訓があるかもしれないとのことです。
「損して得取れ」は今損をしても後々には得になるということです。
たとえば芳一も耳を引きちぎられただけで命は助かり、しかも最終的には高名な琵琶法師となることができています。
伝説にも昔話と同様、教訓めいたものがあり、だからこそ地域で語り継がれているとも言えるのではないでしょうか。
現在でも弔いが行われている
耳なし芳一に関わる弔いは、今現在も行われています。
「耳なし芳一まつり」と題され、毎年7月に赤間神宮で開催されています。
神事や琵琶演奏等も実施され、多くの人が訪れているようです。
赤間神宮内には芳一堂もあり、耳なし芳一伝説の由来などが立て看板に書かれています。
源平合戦は栄華を誇った平家の滅びの顛末でもあり、数々の伝説が全国各地に残っています。
赤間神宮は平家滅亡の最前線にいたともいえ、21世紀の現在でもその影響があるとも言えるでしょう。
もっとも観光客目当ての部分があるとしても完全否定はできません。
ともあれ、耳なし芳一伝説に興味を持ち、より深く感じたいのであれば、耳なし芳一まつりに参加しても決して無駄にはならないでしょう。
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