【神話事典|ドゥムジ】シュメール神話最大のヒロイン、イナンナの夫

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ドゥムジの基本情報

  • 名:シュメール語名「ドゥムジ」、「ドゥムジッド」、アッカド語名「タンムーズ」
  • 出典:シュメール神話(メソポタミア神話)
  • 主な信仰地「バドディビラ」
  • 特徴:ナツメヤシ、羊
  • 関連:イナンナ(配偶神)、ゲシュティンアンナ(姉)、ウトゥ(義兄 イナンナの兄で太陽神)、ニンギシュジダ(義兄 ゲシュティンアンナの配偶神 天と冥界での対偶神)エンキムドゥ(農耕神 親友)

ドゥムジの概要

数多くの愛人を持つイナンナ女神の配偶神ドゥムジは、優しく年若い青年の牧畜神として語られる。

神像や彫刻などが全く残っていないため、その姿は確認できない。

シュメール文明初期のシュルッパク文書では、アマウシュムガルアンナ(一説に“主人は天の竜”の意)の名で呼ばれたナツメヤシの木の神だった。

ナツメヤシはイナンナ女神の豊穣神としての象徴でもある。

ドゥムジとは「真の子」を意味するありふれた名前であり、シュメール神話初期には特定の独立した神の名ではなかったらしい。

ドゥムジとアマウシュムガルアンナの名前は、古バビロニア時代及びそれ以降の文書の中で入れ替わっていく。

アッカド名のタンムーズは、ドゥムジ(Dumuzid)の読みのアッカド訛りである。

イナンナ女神の配偶神となったことで豊穣の神に昇格したドゥムジは、死と再生の象徴ともなった。

メソポタミアの夏は暑く乾燥した死の季節。

家畜は乳を出さず、植物は枯れ果てる。

植物霊としてのドゥムジの復活を願って、毎年盛大な祭儀が行われていた。

ドゥムジの説話

ドゥムジ神とイナンナ女神

イナンナ女神はシュメール神話最大のヒロイン、他の女神の追随を許さない信仰と崇拝を集める地母神である。

恋多き彼女の配偶神となり必然的に豊穣神となったドゥムジには、イナンナ女神との絡み以外の神話はほどんどない。

彼に先行して習合された神は豊穣神、植物神が多いが、イナンナを娶る時は牧羊神なのはなぜか。

しかも、婚礼後は豊穣神としての運命で(後で語るが)、殺害されて冥界へ連れ去られねばならなくなる。

積極的なのはイナンナ女神との婚礼を巡ってライバルと争う時だけ。

美麗に着飾り、美女を好み、武勇伝もない気弱な優男の印象が拭えないドゥムジ神だが、豊穣をもたらす美青年とあっては女性たちの人気は絶大であった。

家畜の多産も司る神が性愛と豊穣と王権(と戦闘)の地母神と結びついた訳だから、古代人にとってはこの世の繁栄そのものをもたらすロイヤルカップルとして篤く崇拝したのは無理からぬ道理。

イナンナ女神の意図不明な冥界行き(冥界征服の意志があったと言われる)の結果、ドゥムジはイナンナが地上に還るための身代わりに選ばれてしまう。

しかし叙事詩ではドゥムジの自業自得のように記されている。

身内が皆イナンナ女神の死を嘆き悲しんでいたのに、一人ドゥムジだけが妻の死を嘆くどころか、美しく着飾り玉座に座って女性たちに囲まれていたからだと。

この叙事詩は大変人気があったらしく、サイドストーリーが多く付け加えられ長く複雑な物語となった。

粘土板に刻まれた叙事詩は、人々の前で語られ歌われ演じられるものであったので、これは人気の演目のようなものだった。

『イナンナ女神の冥界下り』を軸として、『ドゥムジの夢』、『ドゥムジ神とゲシュティンアンナ女神』、『ドゥムジの帰還』等の叙事詩が物語を盛り上げた。

夢で不吉な死を予感していたドゥムジは、姉のゲシュティンアンナに夢解きを依頼する。

“天のぶどうの木(の女主人)”を意味する名前のゲシュティンアンナは植物神にして豊穣神であると同時に、知恵と夢占いの神でもあった。

弟が冥界のガッラ霊に追われるのをなんとか助けようと匿うが、あえなく見つけられてしまう。

ドゥムジに好意的な義兄の太陽神ウトゥも三度ドゥムジを変身させるが、助けられない。

弟の死後、ゲシュティンアンナは激しく嘆き悲しみ続ける。

多産と豊穣の神が死んだことで地上では生命が育たなくなり、人々もドゥムジの死を嘆き復活を望む。

流石にイナンナも後ろめたさからか、ドゥムジの復活のためゲシュティンアンナを冥界に下らせ、半年交代で地上に戻らせる。

補足:これは冬から春に仔羊が生まれる間はぶどうの木は育たず、搾乳が止まる夏から秋にかけての暑い時期にぶどうが実をつける毎年の季節の入れ替わりを説明する神話だとされている。

イナンナ女神が冥界にいるとすべての生命の枯渇だけでなく、王権そのものも揺らぐことになるので、ドゥムジの身代わりは必然だった。

しかし彼の死の時期になるとその死を悼みひたすら再生を願う泣哭の祭儀が国をあげて毎年大掛かりに執り行われていた。

ドゥムジ神の人気は本物だったと言える。

植物神から牧羊神となり、また植物霊でもある豊穣神とされたドゥムジには複雑な系譜が見受けられる。[1]

死んで再生する神

シュメール文明初期、冥界は主に山や外国も意味する「クル」と呼ばれていた。

メソポタミア南部の沖積平野に住んでいたシュメール人にとって、冥界は大河の上流の彼方の遠い山岳地帯に想定されていたようだ。(アッカド時代は西方、古バビロニア時代に地底の広大な場所〜巨大な都市と想定されるようになった。)

人間は冥界から顕界(現世)に戻ることはできないが、神々にとっては必ずしも不可能ではなかった。

冥界との往来には原則お互いの領域には踏み込まないとする禁忌があり、エンリル神やイナンナ女神のように冥界から復活するには身代わりを差し出す必要があった。

ドゥムジのように死んで冥界に置かれた神はもれなく冥界神となる。

エンリル神が復活のための身代わりにニンリル女神に産ませた神々ネルガル・メスラムタエア、ニンアズ、エンビルルらは生まれ落ちた時から冥界神である。

『ギルガメシュ叙事詩』のギルガメシュやエンキドゥも死してのちは冥界神に名を連ねた。

その中でも豊穣神すなわち植物神、殊に穀物神[注1]は冥界にとどまらない。一年の半分は地上に戻るのである。

ドゥムジが地上に戻る間はドゥムジの姉ゲシュティンアンナが冥界に下る。

彼女も植物霊の神なので、ドゥムジと入れ替わりに地上に戻るのである。

死と再生の神話は世界中どの文化にも存在する普遍的なテーマの一つであった。[注2]

ドゥムジはイエスまでに至る数多の死と再生の神の系譜の最初の神と言える。

実際には、新石器時代に宗教が誕生して以来、農耕の始まりと共に現れたと思われるメソポタミア文明以前からの復活する植物神を統合して生まれたのがドゥムジなのである。

季節の移ろいと共に死と再生を繰り返し、毎年の豊穣をもたらす神は人間にとっての生命線と言える。

毎年必ず復活してくれなければ絶滅の危機が訪れる。

ドゥムジの死ー暑く乾燥した第四月か第五月(現行太陽霊六月か七月)に、イナンナとドゥムジ神の神像を浄め、泣き女たちが再生を願って激しく哀願する泣哭儀礼が永らく続けられた。

それはユダヤ教からキリスト教、紀元後10世紀になり西アジア世界がイスラーム教を信奉するようになった中でも続けられていたのである。

ドゥムジがタンムーズと呼ばれ、セム語の呼格形アドーナイ“我が主よ”が訛ってアドニスとなり、イエス・キリストの物語に影響を与え、世界の神話に痕跡を残し続ける長い旅の間にも、西アジアの市井で、女たちはターウズ(タンムズ)の死を嘆き続けたのだった。

その信仰の強さと永続性は三千年の間信仰を持続した太陽神ウトゥ(シャマシェ)をも凌いだのだ。[2]

農耕か牧畜か

シュメール文学の一分野「アダミン・ドゥッガ(討論文学、対論文学、論争詩とも)」の作品の一つに『ドゥムジとエンキムドゥ』がある。

イナンナ女神の夫の座を巡って牧畜神ドゥムジと農耕神エンキムドゥが言い争うというものだが、一方的にドゥムジが牧畜の優越性をまくし立てるのに対し、エンキムドゥは全く反論しないばかりか友情をもってなだめている。

この話の前半部は年頃のイナンナ女神と兄ウトゥのやりとりで、乳製品愛好家の太陽神ウトゥはひたすらドゥムジを婿に勧める。

すでに農夫エンキムドゥを少なからず想っていたらしいイナンナは牧畜より農耕の良さをあげて拒むので、ドゥムジ神は気が気でなかったようだ。

諍いを始める牧人の神に、灌漑渠と水路の王、農夫エンキムドゥは友情を申し出る。

これでは全く論争でも口論でもない。

農耕神「エンキムドゥ」の言葉(以下、出典書籍より引用)

私が君と、ねえ牧人よ、君と、牧人よ、私が君と、

なんだって張り合ったりするだろうか。

神の羊たちは土手の草を食みますように!

私の穀物の中を君の羊たちは(自由に)歩き回りますように!

ウルクの輝ける畑の中で、穀物を食みますように!

君の羊や仔羊は私のイトゥルンガル川で水を飲みますように!

その申し出にドゥムジはこう答える。

私、牧人は、私の結婚式に、

農夫(の君を)是非とも私の友人として迎え入れよう。

農夫のエンキムドゥを私の友人として、農夫を私の友人として

私は是非とも迎え入れよう。

エンキムドゥが身を引くことで、イナンナ女神とドゥムジの婚姻は決定事項となる。

このことはシュメール人の生産基盤であった灌漑農耕に加えて、本来は周辺地帯の遊牧民の主産業であった牧畜(牧羊)もまた都市文化を支える経済体制に組み込まれた証左と見られる。

本来シュメール人にとっての文明人(都市に住む人間)の定義は「パンを食べ、ビールを飲む」ことであった。

シュメール地方では大麦がよく実ったからである。

シュメール語の対論文学の代表的な創成神話の一つ『家畜と穀物〜ラハルとアシュナン』では、天空神アンが聖なる丘でアヌンナの神々を生成した折に、対の神として誕生した母羊の神ラハルと五穀と芽吹きの女神アシュナンの対立が語られる。

エンキとエンリルの意思により地上に降りた二神は、それぞれ牧羊と定住農耕を司る。

業績を上げ、ぶどう酒に酔った勢いで二人は各々の優越を巡って口論を始める。

ここでは対論文学の定義通り、自分の業を自慢し、相手の方を貶める内容になっている。

最後には、エンキとエンリルが介入し、アシュナンを勝者とする。

穀物栽培する農夫エンキムドゥに対する牧羊するドゥムジの優越意識は、歴史の主役がシュメール人主体からセム系民族の台頭の過程を示すものかもしれない。

新しい時代の波を取り込んでさらに古い勢力とも深く結んでいたドゥムジは絶えず篤い崇拝の対象として職能だけでなく、時間も地域も越えて人々の心を掴み続けていたのだ。[3]

ドゥムジ神とニンギシュジダ神

シュメール古来の医術の神・冥界神にしてラガシュ市の守護神ニンアズを父とするニンギシュジダ神は、ラガシュのグデア王の個人神であった。

個人神とは、神々がすべての人間を裁き運命を宣告する場において、人間の側に立って間を取り持つ「執り成し役」であり、人間のために大神に祈ってくれる神である。

『グデア王の円筒印章印影図』には、個人神ニンギシュジダがグデア王の手を引いて格上のラガシュ市の都市神ニンギルスに紹介している様子が刻まれている。

“真の木の主人”を意味するニンギシュジダ神は緑樹の神、生命の神である。

これは必然的に豊穣と復活の神であることをも意味する。

冥界神の子であるからには彼も冥界の住人であり、冥界に下りたゲシュティンアンナと結ばれた。

ドゥムジにとっては義兄である。

冥界にあっては蛇身を成し、占卜(占いのこと)と魔除を行い、「冥界の椅子運び」の役職にもついている。

冥界ではゲシュティンアンナ女神も「冥界の書記長」を務めた。

死から再生する神としてのニンギシュジダは、聖婚の行われる神殿にだけ立つナツメヤシの樹とされた。

しかし時代が下りメソポタミア北部に権力が移るに連れ、南部では生育不可能だったぶどうの樹とぶどう酒の神とされるようになった。

神殿の入り口で聖なる樹を守護する警護の役目を負う対の神々を「タリメ」と呼ぶ。

ニンギシュジダ神とドゥムジ神は義兄弟であり、同じ死と再生の神であったからか、対偶神としてこの役にも付いていた。

他のタリメには、ルガルイルラ神とメスラムタエア神、ギルガメシュ神とエンキドゥ神が知られている。[4]

脚注

 注釈

  • [1]:穀物の中でも特に麦は粒そのままではなく、砕いてから粉に挽いて食べることが多い。それが穀物神の殺害を象徴する儀式につながったとする説がある。
  • [2]:現在の宗教学会では、死から戻る神は真に死んだわけではないとして、学術的に死と再生の神という概念自体否定されつつある。つまり死を克服し、完全に復活を成し遂げ天に帰った神は、ただ一人だと主張したいのである。

出典

  • [1][2][3]杉 勇、尾崎亨『シュメール神話集成』ちくま学芸文庫

参考文献、URL

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