戦国武将の佐々成政にまつわる逸話、「黒百合伝説」とは

佐々成政(さっさなりまさ)は織田信長に仕えた戦国武将であり、富山城を居城にしていました。

本能寺の変を起こした明智光秀を討つことができず、豊臣秀吉に先を越された形となり、最期は切腹します。

本記事のタイトルにある「黒百合伝説」は、この佐々成政の人生に深く関わっています。

以下では独自の視点から黒百合伝説を解説していきます。

佐々成政とはどんな戦国武将だったのか?

黒百合伝説の話に入る前に、佐々成政とはどのような武将だったのかを説明しましょう。

佐々成政(さっさなりまさ)は尾張国(愛知県)に生まれ、織田信長に仕えていました。

有名な長篠の戦いでは、当然信長軍に加勢し、前田利家等と鉄砲隊を組んでいます。

元々佐々氏は尾張国の豪族でしたが、成政は後年富山城の城主となり、そこを居城とします。

大規模改修等も行い、猛将としてその名を知られていたようです。

しかし本能寺の変が遭った時、別の戦に手間取り、本能寺へ駆けつけることができませんでした。

結局羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が明智光秀を討ち、先を越された形となります。

信長がいなくなった後、羽柴秀吉と信長の家臣であった柴田勝家との対立が激しさを増し、とうとう合戦になりました。

成政は勝家側についていましたが、秀吉軍の勢力が強く、富山城を10万の大軍で囲まれてしまい、降伏しました。

以後秀吉に仕えることになり、九州征伐の功績によって肥後国を与えられます。

けれども早急な改革を続けたことで秀吉から反感を買い、最期は切腹を命じられ自害しました。

逸話では本能寺の変を企てたのは、佐々成政とのことですが、真偽の程は定かではありません。

黒百合伝説は成政が富山城城主の頃から始まっています。

成政は戦国時代のヒーローとも言える信長と秀吉の間に立ちながら、歴史の大河に巻き込まれた戦国武将の一人であったと見なせるでしょう。

側室の怨念が込められた黒百合伝説

黒百合伝説とは、どのようなものでしょうか?

時は戦国時代、成政が富山城城主の頃でした。

成政の側室に地元生まれの早百合がいました。

成政から寵愛を受け、他の側室たちは彼女に嫉妬心を持っていました。

そんなある日のこと、妬みを持っていたある側室が、早百合が不義を働いていると成政に告げ口をします。

相手は成政に仕えていた田島金一郎という侍でした。

成政は猛将として知られ、短気な性格でもありました。

金一郎をすぐに手打ちにし、早百合に対しては縄で体を縛り、神通川(じんつうがわ)近くの一本榎にくくりつけます。

早百合は必死になって無実を訴え続けます。

しかし成政は一切耳を貸そうとしませんでした。

一本榎に括り付けられた早百合は、徐々に弱っていき、とうとう最期の力を振り絞るように叫びます。

「今に見よ。 立山中の百合が黒百合に変じた時、己の身も滅びる時ぞ」

早百合はそのまま息絶えました。

同じ頃、成政が仕えていた織田信長が、明智光秀の起こした本能寺の変に遭い、自害しました。

羽柴秀吉が光秀を打ち取り、成政は秀吉に従うことになります。

秀吉によって肥後国(熊本県)を与えられましたが、以前から地侍一揆の激しい地域であり、秀吉も手を焼いていました。

そこで猛将として知られる成政を赴任させることで、「毒には毒で制す」を実践させようとしたのです。

成政も秀吉の策謀を読んでいたのでしょうか?

織田家で育った正室の北の政所と通じることにし、身の安全を謀ろうとしました。

そんな時です。

かつての所領地にある千ガ蛇池(せんがへびいけ)の辺りに、珍しい黒百合が咲いていると耳にしました。

早速家来に取りに行かせ、北の政所へ送り届けます。

しかし秀吉の側室であった淀の君は、嫉妬心が働いたのか、黒百合を手にした北の政所に対し反感を持つようになり、対立がさらに激しくなりました。

肥後国に赴任した成政は、すぐに一揆の問題にぶち当たりました。

一揆の報を受けた秀吉は怒りを上げ、速やかに鎮めることを成政に命じました。

さすがに猛将と言われた成政であり、一揆を見事に鎮め、秀吉の元へ駆けつけました。

けれども秀吉から意外な命令を受けます。

摂津国(大阪府・兵庫県)の法園寺での軟禁でした。

成政は北の政所へ連絡をしましたが、黒百合の件でいさこざが起きて以来、成政に対し憎しみを抱いていたため、取りなすことをしませんでした。

結局、成政は軟禁状態を解かれることになりますが、切腹の命令でした。

死に様は壮烈を究め、享年53歳でした。

脚色があるとの指摘

一説によれば、北の政所のエピソードは後年に付け足されたのでは、とのことです。

戦国ドラマに脚色があるように、黒百合伝説が受け継がれていく内に尾ひれがついたとしても、決して不思議ではありません。

むしろ、尾ひれが付いた方が人々の耳目を集め、より心に訴え掛けるものが生まれるのではないでしょうか。

黒百合伝説もそのようにして生まれたものの一つなのかもしれません。

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1件のコメント

南海まぼろし船、北冥まぼろし城、戦国まぼろし城の題材になったものでしょうか?。
黒百合城とは別のものでしょうか?。

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