今回は「Fate/Grand Order(FGO)」の登場人物から、古代エジプトの最後のファラオ「クレオパトラ」についてのお話です。
クレオパトラといえば世界三大美女の一人にも数えられるなど、世界史に出てくる女性の中でも高名な人物の一人です。
その美貌や魅力で人を虜にしたというイメージはよく知られていますが、実際に彼女がどのような人生を送ったか知る人は少ないのではないでしょうか。
そんな彼女が送った波乱の生涯について、お話していきたいと思います。
最後のファラオ・クレオパトラ

「クレオパトラ」という名前の女性は古代エジプトの王朝に何人か存在しますが、単にクレオパトラと呼ぶ場合は一般的に「クレオパトラ7世」という人物を表します。
彼女は紀元前1世紀頃にあったエジプト王朝、プトレマイオス朝の女王であり、また古代エジプトの最後の女王でもありました。
古い言い回しで「クレオパトラの鼻がもう少し低ければ歴史は変わっていた」という言葉があるなど、他国の統治者を魅了してしまう程の美貌で知られており、実際彼女の肖像として残されている彫像は鼻筋の通った美しい容貌をしています。
しかし彼女の魅力は外見だけではありません。
多数の国の言葉を操り、また幅広い知識を持ち合わせてウイットに富んだ会話をこなすなど、知性あふれる人物でもありました。
古くからイメージされるクレオパトラの姿のイメージは褐色の肌にボブカットの黒髪という容姿ですが、当時のエジプト王家はギリシャ系の血を引いており、実際は肌の色は白かったのではないかという説も近年は強くなってきています。
FGOにおいてもその辺りを反映してか、黒髪・白肌の姿で描かれています。
即位と最初の結婚
クレオパトラがエジプトの王となったのは18歳のころ。
亡くなった父・プトレマイオス12世の後を継いでの即位でした。
彼女は自分の弟であるプトレマイオス13世と結婚し、二人共同でエジプトの王を務めることになります。
兄弟間の結婚というと今の私達の感覚では考え難い事かもしれませんが、当時のエジプト王家ではこれが慣例でした。
というのも王位継承権を持つ者は「王の長女の夫」であるという古いしきたりがあったため、王の実子に王位を継がせるには、長女と長男が結婚する事が必要だったのです。
当時のエジプト王朝内では、先代であった父とその姉が権力争いをしていた事を始め、政治的な諍いが激化していました。
そのため国内の情勢は非常に不安定であったようです。
ただでさえ周囲をローマ帝国などの強敵に囲まれたエジプトにおいて国内の混乱は脅威そのもの。
一刻も早い国の統率と国力回復が求められる状況下で、苦難に満ちたエジプト女王としてのクレオパトラの人生は始まりました。
カエサルとの出会い――安定の時代
クレオパトラと弟プトレマイオス12世、二人の共同統治は早期につまづいてしまいました。
彼女らはローマ帝国との関係性について、夫は反ローマ(独立)派、妻は親ローマ派と真っ向から別れてしてしまいます。
エジプトの民衆の間でも反ローマ・親ローマの二つの勢力の対立は次第に深まっていき、ついに夫は反ローマ派の民衆が起こした反乱に乗じてクレオパトラへのクーデターを決行。
彼女は僻地に追いやられ窮地におちいります。
そんな折、二人のエジプト王の仲裁を計ろうとしたのが当時のローマ皇帝、ガイウス・ユリウス・カエサルでした。
この時クレオパトラはカエサルの元に訪れるにあたって、彼の心を射止めて味方につけるため、自分の身体を絨毯にくるませて届けさせる(当時、高級な贈り物を絨毯でくるむという習慣があり、これは彼女自身をカエサルへの贈り物とする意味があります)など大胆な演出をしたという逸話があります。

この魅惑的な出会い方ももちろんのこと、理知的であったカエサルはクレオパトラの豊富な知識と聡明さにも魅了され、またクレオパトラ自身もカエサルに強く惹かれ、二人はエジプト王・ローマ皇帝といった立場を超えて愛人関係を結びます。
当然ながら夫プトレマイオス13世はこうした妻の行動に激怒するのですが、もともと親ローマ派であったクレオパトラは既に反ローマ派の夫と縁を切り、ローマ皇帝であるカエサルとの共同統治という未来図を描いていたのでしょう。
紀元前47年、「ナイルの戦い」という戦争においてカエサルの率いるローマ軍勢がプトレマイオス13世の勢力を制圧し、彼は死亡します。
残ったクレオパトラは、王家のしきたりに従ってもう一人の弟プトレマイオス14世と形式上の結婚をする傍ら、カエサルとの愛人関係を続けました。
カエサルとの息子カエサリオンもこの頃に授かっています。
前夫の時と同じく夫婦共同の政権という形になってはいましたが、実態としてはクレオパトラの愛人であったカエサルを後ろ盾に、クレオパトラ個人が政権を握っている状態でした。
カエサルが統治するローマ帝国の力は強大であり、その支援を受ける事で情勢が不安定だったエジプトも、先代の時期に比べれば安定を取り戻しました。
この時期が、女王としての彼女の絶頂期と言えます。
しかしこれは、突然訪れたカエサルの死によって崩れてしまいました。
アントニウスとの出会い――破滅への道
クレオパトラの支援者であったカエサルは、紀元前44年にローマ帝国内部の人物により暗殺され、この世を去ってしまいました。
カエサルの実子はクレオパトラの産んだカエサリオンのみでしたが、婚外子であり異国の女王の子でもあるこの子供に継承権はなく、実際にカエサルの後継ぎとなったのは親戚かつ養子であったローマ国内の人物でした。
それに相次ぐように、クレオパトラの二人目の夫、プトレマイオス14世も亡くなってしまいました。
孤立してしまった彼女は息子カエサリオンを夫に代わる共同統治者に取り立てつつ、カエサルに代わるエジプトの支援者を探しました。
そんな中で出会ったのはマルクス・アントニウスというローマ帝国の人物です。
当時ローマ帝国内では二つの勢力間の争いがあり、アントニウスが率いていた勢力とエジプトが支持していた勢力はそれぞれ異なるものでした。
紀元前42年、「フィリッピの戦い」という戦争においてこの対立はアントニウスの属する側が勝利して終わり、敗者側を支援していたクレオパトラはアントニウスによって出頭を命じられます。
彼女は逆にこれを好機と考えたのです。
カエサルに出会った時と同様、彼女は美しい衣装や香で自らを魅力的に演出し、アントニウスを誘惑します。
アントニウスの側からしてもクレオパトラ自身が女性として魅力的なだけでなく、自分の領土がエジプト付近であったためエジプトと手を組めると都合が良かったなどの実利もあり、彼女を受け入れました。

アントニウスはクレオパトラを愛人とし、政治上でもエジプトを厚く支援しました。
しかし、アントニウスとの関係は、クレオパトラにとって良い結果とはなりませんでした。
彼はクレオパトラに入れ込むあまりか、式典をローマでなくエジプトで行う、自分の埋葬地にエジプトを希望するなど、エジプトに肩入れしすぎた言動が目立ち、ローマの人々には彼が祖国を見捨てたように見えてしまいました。
それをきっかけにローマとエジプトの対立構図が生まれ、クレオパトラは逆に追い詰められてしまいます。
そして紀元前31年。「アクティウムの海戦」というローマ軍とエジプトの軍の戦いにエジプト側が敗北した事が、決定打となりました。
手痛い損害を受けた上、誤報によりクレオパトラが死んだと勘違いしたアントニウスは自害してこの世を去ります。
クレオパトラはローマ軍の捕虜となっていましたが、アントニウスの死により望みが残されていない事を悟ったのか、彼女自身も毒によって自害しました。

後に残ったのはカエサルとクレオパトラの子カエサリオンでしたが、クレオパトラの手で国外に逃がされていた彼も、カエサルの血を引く子供を脅威とみなしたローマの権力者によって後に殺害されました。
こうしてエジプト最後の王朝の血は途絶え、エジプトの地はローマの属州となり、古代エジプトの歴史は静かに終わりを迎えました。
息子カエサリオンにかける思い
クレオパトラという女王は、男性を魅了し次々と愛人を作った魔性の女性のように語られることもあります。
実際お話してきた通り彼女がそうした行動をしていた事は事実ですが、彼女が夫以外の男性を誘惑するのは政治上の支援者として頼りたい相手に限る事でした。
当時混迷していたエジプトを立て直すための、彼女なりの必死の策略でもあったのでしょう。
クレオパトラが最後まで一番大切にしていたのは、カエサルとの子カエサリオンでした。
それだけ彼女の波乱の人生の中でカエサルと共にエジプトを統治していた時代、そしてカエサルという人の存在が大きかった事のあらわれともとれます。
FGOにおいて、クレオパトラは「カエサリオンをカエサルの正式な息子として認めてもらいたい」という願いを持っていると語られますが、彼女の生涯を知った上で見るとその言葉の重さも一層増して感じられるかと思います。
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