アテネ近郊の森の中で、妖精の王オーベロン夫妻と3組の男女が展開する幻想喜劇――シェイクスピアの「夏の夜の夢」。物語は、結婚式を数日後に控えたアテネの公爵シーシアスとアマゾーンの女王ヒポリタのこんな会話から始まります。
シーシアス「さあ、美しいヒポリタ。私たちの婚礼の時も近づいた。…ああ、古い月が欠けるのがなんと遅く思えることか!」
ヒポリタ「…新月が、天空で引き絞った銀の弓のように、私たちの婚礼の夜を見守ってくれます。」
シーシアス「…ヒポリタ、私は剣をかざしてあなたを口説き 害を加えて愛をかち取った。だが、結婚式はがらりと調子を変えて華やかに、壮麗に、愉快にやろう」
(シェイクスピア全集4 松岡和子訳)
シーシアスとは、ギリシャ神話に登場するアテナイの英雄テーセウス。ヒポリタは、アマゾーンの女王ヒッポリュテです。ヒッポリュテとは「馬を解放する者」の意味。その名の通り、熟練した勇敢な女騎兵でした。
最強の女戦士集団アマゾネスは、男性がとにかく大っ嫌い。子孫を残すために1年に1度だけ男性を選抜、役目が終わると殺害していました。身ごもって男子が生まれた場合には、殺してしまうか奴隷として仕えさせるか、どちらか。
とはいえ、男性と恋をして結婚の道を選ぶアマゾネスもいたのですね。女王ヒッポリュテがそうでした。最初に引用した彼女の台詞を読むと、結構ロマンティック。でも、月を見て弓を連想するところはさすが戦士です!
「夏の夜の夢」から、ヒポリタの言葉をもう一つ紹介しましょう。夜の森の中で彼女は過去をこう振り返ります。
「私も昔ヘラクレスやカドモス(フェニキア王の息子でテーバイ創建者)とともに クレタ島の森でスパルタの猟犬を解き放ち 熊狩りをしたことがあります。あれほど勇ましい吠え声は聴いたことがない。森だけでなく、空も泉も、ありとあらゆる場所が声をひとつにしているようでした。」
それにしても、なぜアテナイ王で英雄と呼ばれたテーセウスと、戦いを恐れないアマゾーンの女王が出会い、結婚することになったのでしょう?
Contents
テーセウスの誕生
まずは、テーセウスのお話から。
テーセウスの父はアテナイ王のアイゲウス。あるとき、ペロポネソス半島北東部、トロイゼーン王の美貌の娘アイトラーに恋をします。
とある島に連れ去って楽しんだものの、蜜月の期間は短く、あっさり関係を解消してしまいます。そして、「もしも男の子を身ごもり、私の息子としてふさわしい人物に育ったら、岩の下に隠したサンダルと剣を持たせて私の元に送り出しなさい」と命じました。
まあ、なんて身勝手なのでしょう!
月満ちてアイトラーは男の子を産みました。その名が、テーセウス。
母の故郷トロイゼーンでたくましく育てられたテーセウスは、16歳になった時、アイトラーから王の息子であると教えられ、王からのメッセージを託されました。
テーセウスはなかなかの力持ち。岩をひょいと持ち上げてサンダルと剣を容易に手に入れ、アテナイの父王の元へと向かいました。このとき、あえて危険の多い陸路を選び、それまで旅人を脅かしてきた怪物や山賊を次々に退治して「英雄」として名を揚げます。
たとえば、エレウシスの丘にアジトを持つ山賊プロクルステス。通りがかりの旅人に休息を促し、家に連れて行くと鉄の寝台に寝かせました。もしも旅人の体が寝台からはみ出したら手足などを切断、逆に寝台の長さに足りなかったら、手足を無理やり引き伸ばす拷問にかけたのです。
実は、寝台の長さは調節が可能で、プロクルステスは旅人の背丈を目測して寝台を整えていました。このからくりを知っていたテーセウスは寝台をあらかじめ縮めて、プロクルステスの頭と足を切断、殺してしまいます。この逸話から、「プロクルステスのベッド(Procrustean bed)」は「無理矢理基準に合わせる」の意味を表すようになりました。
アテナイで父王アイゲウスに会う
ところが、アテナイでは、さらなる難題が待っていました。父王アイゲウスは、魔女キルケ―の姪っ子でコルキス(現在のジョージア)の女王メディアと結婚していたのです。
メディアの運命も複雑でした。コルキスの金羊毛を求めてアルゴー船で航海したイアソーンと結ばれてギリシャに渡ったものの、帰還後コリントス王に気に入られたイアソーンは、メディアを捨ててしまうのです。
アイゲウスに拾われたメディアは、突然現れた世継ぎの存在が疎ましく、毒殺を試みます。テーセウスは、アルゴー船の乗組員でしたから、メディアとは知らない仲ではなかったはずです。
毒を飲まされそうになった瞬間、父王はテーセウスのサンダルと剣に初めて気づき、実の息子と悟ります。そこで悪い企みをしたメディアを追い出し、テーセウスに王位を譲る準備に取り掛かるのでした。
テーセウスのミノタウロス退治

その頃、テーセウスはクレタのミノス王のウワサを耳にします。ミノス王は、アテナイから9年ごとに少年少女を7人ずつ生贄として連れ去っているというのです。生贄は、王妃パーシパエーがポセイドンの呪いをかけられて産んだ牛頭人身のミノタウロスに捧げられていました。
テーセウスは父の制止を振り切って、自ら生贄の一人となってクレタ島に向かいます。これが、有名なミノタウロス退治の冒険譚の始まりです。
勇壮なテーセウスは、クレタ島で、ミノス王の娘アリアドネに見初められます。アリアドネは異父兄弟にあたるミノタウロスを裏切ってテーセウスの手助けをすることに。交換条件として、無事戻って来たら「遠くへ連れて行って結婚して」と迫ります。
テーセウスは喜んで承諾。アリアドネは、ミノタウロスが棲む迷宮(ラビリンス)を設計したダイダロスに脱出方法を聞き出し、カギとなる赤い糸玉をテーセウスに手渡しました。迷宮の入り口に糸を結んで糸玉を繰りつつ迷宮に入り、それをたどれば戻れるというわけです。
テーセウスはミノタウロスを倒し、迷宮を無事脱出。アリアドネと共にナクソス島へと向かいました。

ところが、何ということでしょう! 島にアリアドネを置き去りにして、一人でアテナイに出発してしまいます。身勝手な行動は、父王譲りなのでしょうか。
嘆き悲しむアリアドネは、このあとディオニュソスに見い出され、結婚します。よかった、よかった!!
アテナイに向かったテーセウスですが、クレタへ出航する前に父王と交わした約束をすっかり忘れていました。「もしも無事であれば船に白い帆を張って戻るように」というのが王の指示でしたが、アテナイ出航の際に張った黒い帆のまま帰還したのです。
それを見た父王は息子が死んだものと勘違い。岩から身を投げて命を絶ちました。アイゲウス王の名は「エーゲ海」の語源になっています。
ヒッポリュテとヘラクレス

さて、いよいよアマゾーンの女王ヒッポリュテとの出会いの話です。
父王の死後アテナイ王になったテーセウスは、ヘラクレスと共にアマゾーンの地に向かいます。ヘラクレスの難行を手助けするためでした。
ヘラクレスに12の難行を課したのは、ミュケーナイとティリンスの王エウリュステウスでした。12の難行のうち9番目が、黒海のほとりに住むアマゾーンの女王ヒッポリュテの帯を奪い取ることだったのです。
これは、ヒッポリュテが父の軍神アレスから贈られた大切なもの。なかなか奪い取るのは難しいと思われたのですが、ヒッポリュテはヘラクレスに恋をして、自分を愛してくれるならばと、あっさり帯を譲る約束をします。
けれども、ゼウスの妻ヘラは黙っていません。ヘラはヘラクレスが大嫌いで、数々の嫌がらせを仕掛けてきます。
今回は、アマゾネスの一人に変装し、ヘラクレスがヒッポリュテの暗殺を計画していると言いふらします。女王を守るためにアマゾネスは武装して結集、ヘラクレスとの戦いが始まりました。ヒッポリュテはヘラクレスをかばい、槍に刺されて戦死。死に際にヘラクレスに帯を託したと言われます。
テーセウス、ヒッポリュテを略奪
ええっ! ヒッポリュテが死んでしまったら、テーセウスに会う前に話が終わってしまうではありませんか!
でも、大丈夫。ギリシャ神話にはいくつもの逸話があって、テーセウスとヒッポリュテがつながる話もちゃんと用意されています。
それによると、テーセウスはヒッポリュテを略奪してアテナイに帰還します。シェイクスピアの「夏の夜の夢」でも、「私は剣をかざしてあなたを口説き、害を加えて愛をかち取った」と述べていますから、かなり強引な手を使ったことは間違いありません。
ヒッポリュテはテーセウスと結婚してアテナイ王妃になり、一人息子のヒッポリュトスを産むと亡くなってしまいます。一説には、ヒッポリュテを取り返そうと、スキタイ族と同盟した妹のペンテシレイアが誤って殺害したとも言われます。
テーセウスはその仇を討つために立ち上がり、アマゾネスと戦います。アテナイのアクロポリスを臨むアレオパゴスの小高い丘のあたりで、アマゾネスは敗北。テーセウスは彼女たちを手厚く弔いました。妻がアマゾネスだったのですから、当然ですね。
ところで、アレオパゴスは、ヒッポリュテにとって縁のある場所でした。父の軍神アレスが殺人の罪で裁かれたところだったのですから。ここは、古代アテナイに民主制が確立するまで、貴族の長老が集まって会議を開く場所でもありました。
一人息子ヒッポリュトスは恋愛嫌い
時が過ぎ、ヒッポリュテの残した息子ヒッポリュトスは年頃の青年になりました。
彼が崇拝するのは、純潔にこだわる冷酷な処女神アルテミス。

ヒッポリュトスは恋愛を嫌い、森の中でアルテミスと共に狩猟をしながら静かに暮らしていたのです。愛と美の女神アフロディーテはその態度が気に入らず、厳しい罰を与えることにしました。
一方、ヒッポリュテを亡くしたテーセウスは、節操ないことに、ナクソス島に置き去りにしたアリアドネの妹パイドラーと再婚していました。そして、アフロディーテはパイドラーに、義理の息子への狂おしい愛情を植えつけたのです。
義母の振る舞いに嫌悪感を抱いたヒッポリュトスは端から拒み続け、突き放します。パイドラーは腹を立てこらしめの意味で、ヒッポリュトスに乱暴されそうになったと嘘の報告をしました。
これを聞いてテーセウスは激怒し、ヒッポリュトスを追放。海神ポセイドンに亡き者とするように頼みました。ポセイドンは海の怪物を集めて海辺を駆ける戦車を暴走させて、ヒッポリュトスは命を落とします。その知らせを聞いたパイドラーは、後悔のあまり首をつって自害します。アルテミスが真実を告げると、テーセウスの落胆はとてつもなく大きかったようです。
なおアルテミスの願いで、ヒッポリュトスは、医神アスクレピオスにより名誉回復を果たします。しかし今度はアスクレピオスが、死すべき人間を復活させたとゼウスの怒りを買い、雷で撃ち殺されました。
神々の復讐心は、何とも私たち人間の理解を超える凄まじさですね。
テーセウスの目は美しいヘレネーに
さて、妻と息子をほぼ同時に失って一時悲しみに暮れていたテーセウスですが、全然めげていません。再び精力的に女性を求め始めます。
数々の苦難を共にした盟友のラピテス族の王ペイリトオスと、新たな妻を迎える計画を練りました。野望の的はゼウスの美しい娘でスパルタ王女として育てられたヘレネー。二人はスパルタに侵入し、まだ幼いヘレネーをさらったものの、結婚には至りませんでした。ちなみに、成長したヘレネーは美貌ゆえにトロイア王子パリスにさらわれ、それをきっかけにトロイア戦争が起こったと言われています。
テーセウスの大胆な行動はとどまることを知りません。ペイリトオスに妻を迎えるためにと今度は冥府に赴いて女王ペルセポネーを奪おうとしましたが、失敗に終わります。
テーセウス、アテナイから追放
かくして、アテナイは、長期に渡って統治者であるテーセウス王が不在の状態が続きました。久しぶりにテーセウスがアテナイに戻ってみると民衆の心は離れ、また、誘拐されたヘレネーを奪還しようとスパルタ軍が攻め込んでくるなど大混乱に。
混乱に乗じてヘレネーの兄弟の目論見で、婚約者候補に上がっていたメネステウスが新しいアテナイ王に就きます。テーセウスはアテナイから追放されてしまいます。
テーセウスはエーゲ海のスポラデス諸島の一つ、スキュロス島に住む親族のリュコメデス王のもとに身を寄せましたが、最期は崖から落ちて亡くなります。一説には、テーセウスに王位を奪われると警戒したリュコメデスが突き落としたともいわれています。
まとめ
若い頃は怪物や山賊を、クレタ島ではミノタウロスまで次々に退治。アテナイ王になってからは、マラトンの戦いで先頭に立って果敢にペルシア軍に突っ込み、またある時は、老いたオイディプスがコロノスの深い森に飲み込まれていく姿を哀れみの目で静かに見守る……。
テーセウスは「アテナイの偉大な英雄」というイメージが強かったのですが、やんちゃが過ぎて女性を追いかけまわし、ついには王の座を失ってしまうのでした。晩年は、「英雄」とは思えない何とも寂しいものになりました。
パルテノン神殿の麓にある古代アゴラに、炎と鍛冶の神ヘファイストスを祀った神殿があります。保存状態がとてもよく、美しい神殿です。のちに将軍キモンがテーセウスの遺骨をスキュロス島からアテナイに持ち帰り、この神殿に納めたそうで、「テセイオン(テーセウスの神殿)」とも呼ばれています。神殿のメトープ(彫刻装飾が施された部分)にはテーセウスの英雄伝が彫られており、活躍した時代が偲ばれます。
また、トロイゼーンでは、結婚する前の娘たちが一房の髪をヒッポリュテの息子、ヒッポリュトスに捧げて純潔を誓う慣習があったと伝えられています。
ところで、シェイクスピアの「夏の夜の夢」の最後では、すべてのカップルが仲直り。途中で魔法の媚薬を使っていたずらした妖精のパックが「それでめでたし万々歳」と締めます。シーシアス(テーセウス)とヒポリタ(ヒッポリュタ)の結婚披露宴も華やかで楽しいものになりました。
いつも閲覧させて頂いております。
分かりやすく面白い記事、ありがとうございます。
ありがとうございます^^
ロマンある面白い記事をこれからも公開していければと思います!