日本神話の中に、「因幡の白ウサギ」という物語がありますよね。
白ウサギが「ワニ」たちをだまして並ばせて、その背中を跳んで海を渡ることに成功するのですが、だまされたと知ったワニたちにひどい仕返しをされてしまう。
それで海辺で泣いていたところを、大国主命(おおくにのぬしのみこと)に助けられる、というお話です。
比較的シンプルな物語である上に、主人公が「白ウサギ」ということでビジュアルも映えやすいのか、この話はよく絵本のモチーフにもなっているようです。
私自身も幼少の時、家にあった絵本のおかげで、この物語に親しみました。
ですがこの物語を絵本やマンガで読んだ人は、必ずといっていいほど、以下の問題につきまとわれるのではないでしょうか?
「この物語に出てくるワニたちというのは、いわゆるあの鰐(ワニ)のことでいいの? それとも鮫(サメ)のことなの?!」
Contents
「ワニ」と呼ばれているのにビジュアルは明らかに「サメ」とはいかに?!

ちなみに私自身が幼少の折に家で読んだ「因幡の白ウサギ」の絵本ではどうなっていたかというと、ハイ、これもまた見事に「ワニ=鮫」の形状として描かれていました。
ホオジロザメなのかイタチザメなのかといった細かい点はともかく、生物学的には間違いなく魚としての「サメ」が、白ウサギと交渉したり、白ウサギに仕返しをしたりしている絵となっていました。
これは子供心にもいささか不思議なことだったので、一度、母親に質問をぶつけてみたことがあります。
「どうしてこのオハナシに出てくる動物は、サメなのにワニと呼ばれているの?」
それに対して母親は自信たっぷりにこう答えてくれました。
「ああ、それはね、昔の日本には鰐はいなかったの。昔の日本では、いまでいうサメのことを、ワニって呼んでいたのよ」
そんなものか、と私もそれなりに納得し、その場は飲み込んだのですが。
この問題、大人になってからわかったのですが、実は歴史的経緯はめちゃくちゃ複雑で、かつ面白い話なのです!
かつての日本では「因幡の白ウサギ」の「ワニ」はやっぱり「鰐」のことだった!?

まず、「古代の日本には(というかその後の日本にも野生のレベルでは)鰐という動物は生息していなかった」、これは認識のズレの起こりようのないところですね(たぶん)。
ですから因幡の白ウサギに出てくる「ワニ」というのは、あの「鰐」のことではなく、別の動物をそう呼んでいるのだろう、と推測するのは、なるほど合理的なことです。
ところが及川智早さんの『日本神話はいかに描かれてきたか』(新潮社)という本の研究によると、江戸時代以前の日本神話のビジュアルを調べると、やはりあの「ワニ」は、四本足の爬虫類であるあの「鰐」のことと解釈されている例がたくさんあるとのことです。
特に江戸時代に日本の古事記をリバイバルさせた大学者、本居宣長先生が、どう考えてもあの「鰐」のつもりで古事記の「因幡の白ウサギ」の解読を行っているそうです。
当時の大権威が、「これはあの四本足の鰐のことだ」と自然に考えていたのだとしたら?
我々現代人にとっては別の謎が出てきますよね。
「となると、いったいいつから、あのワニは鰐ではなくて鮫のことだ、という話が出てきたの?」
おもいきった仮説:GHQの影響で「ワニ=鰐」説は圧倒的に下火になった?
このあとは、上掲書である『日本神話はいかに描かれてきたか』の研究をもとに、ライターである私自身の推測を交えた仮説となります。
上掲書によると、「ワニ=鰐」として描く風潮は明治維新後も続いておりました。
ただし、ちょうど幕末明治の頃から、「古代の日本には鰐はいなかったのだから、あれは鰐ではなくて鮫ではないか?」という異説も出てくるようになります(ちなみに、日本史上の意外な人物がこの説の推進者の一人なのですが、この話は最後にもう一度触れます)。
それでも、しばらくは「ワニ=鰐」説と「ワニ=鮫」説が平行で拮抗するような状態が続いたそうです。
これが一気に「ワニ=鮫」説が有利になる転換点が、太平洋戦争の敗戦の頃から、となります。
なかなか興味深い話ではないでしょうか?
以下はあくまで仮説であり、明確な証拠があるわけではありませんが、「ありそう」な話として、述べさせていただきます。
整理してみましょう。
太平洋戦争後、GHQによる教育改革があって、日本史や日本神話はいろいろと修正や改編を迫られますよね。
楠木正成や足利尊氏の評価ががらりと変わったり、日清日露戦争の記述が少なめにされたりと、いろんな指導が入りました。
もしかすると、ワニ問題もこの教育改革の影響を受けているのではないでしょうか。
というのも、鰐というのは日本にはいない動物ですが、まさに第二次世界大戦で日本軍が攻め込んでいったオーストラリアやインドには生息している動物ですよね。
「日本神話には、オセアニアや南アジアの生き物であるはずの鰐も登場するのだ=アジア太平洋圏にも普遍的に受け入れられる余地のある神話なのだ」という主張は、太平洋戦争のイデオロギーを思い出させるものとして、意図的にか無意図的にかはわかりませんが、「子供に教える本で教えるのは望ましくない、ワニ=鮫説のほうでなら、子供用の本に描いてもいい」という風潮に切り替えられていったのではないでしょうか。
戦後教育の中では、「ワニ=鮫」説の解釈のほうが都合がよかった、という仮説ですね。
ともあれ、いっぽうでこうも思います。
最近の研究で明らかになってきているように、世界各国の神話というものは、互いに類似していたり、古代において交換しあったりしていた形跡が見られるもの。
因幡の白ウサギも、どこか大陸のほうから伝わった昔話が変形したものと考えれば、別に四本足の鰐が登場しても不思議ではないのです。
というわけで、戦前のイデオロギーとか、大東亜戦争の記憶とか、そういった厄介なものとは関係のない、ダイナミックな「古代神話どうしのつながり」の話の中で、「ワニ=鰐」説がふたたび大々的に復活してきてもよい時期なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
歴史好きにはたまらない小ネタ:「ワニ=鮫」説をイチオシした幕末史上の意外な人物!
ところで以下は完全に小ネタですが、上掲の『日本神話はいかに描かれてきたか』(及川智早|新潮社)の研究によると、因幡の白ウサギに出てくるワニを鮫と解釈した人物の中には、意外な名前も入っています。
ワニのことを「shark」と英訳した人物として、薩摩藩や長州藩の要人たちの間でイギリス側通訳として活躍した、あのアーネスト・サトウがいるのです。
残念ながら、アーネスト・サトウが因幡の白ウサギの「ワニ」をSharkと解釈して翻訳したテキストが実際に残っているわけではないそうですが、後世の学者の本に「サトウ氏がそのような解釈をとっていた」というコメントがあるとのこと。
地味な話ではありますが、これは幕末明治の歴史が好きな人には、意外でかつなかなか嬉しい豆知識になるのではないでしょうか。
コメントを残す