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神話の舞台を現代ギリシャに訪ねる:ギリシャを代表する観光名所「アクロポリス」!そもそもどんな場所なのか再確認しましょう!

アテナイのアクロポリス
アテナイのアクロポリス(原典

ギリシャ観光と言えば、皆さん、どのような風景を思い浮かべますでしょうか?

都市のど真ん中に、小高い山があって、その上に町全体を見下ろすようにパルテノン神殿がそびえたっている。

そんなイメージではないでしょうか?

ギリシャといえば必ずと言っていいほど出てくるのか、上述の風景。

写真やカレンダーやイラストにも、とにかくこの構図がよく出てきますよね。

この定番の風景は、ギリシャの首都アテネの真ん中にある「アクロポリス」のものとなります。

団体ツアーであれ個人旅行であれ、現代ギリシャを訪れた際に最初に向かう観光名所が、このアクロポリスになるのではないでしょうか。

ところがこのアクロポリス、有名な割に「そもそも何に使われていた場所なの?」となると、意外に知らない方も多いのではないでしょうか?

エジプトのピラミッドなら「王様の墓」、イタリアのコロッセオなら「闘技場」とわかりやすいのですが、アクロポリスは「アテネの中心として古くからいろんな用途に使われて来ました」というような説明になってしまうのが、わかりにくさの原因かと思います。

現代ギリシャに残る、神話ゆかりの名所をご紹介していくこのシリーズですが、今回は原点(?)に回帰し、ギリシャ観光の入り口にあたる「アクロポリス」はどんな場所なのかを整理していきましょう!

「アクロポリスは何なのか?」その1:最初は軍事拠点でした

アテナイのアクロポリス
アテナイのアクロポリス(原典

まずはその出自から。

アクロポリスというのは「高いところの町」「都市国家(ポリス)のエッジ」というような意味です。

実は古代ギリシャの都市国家はみんな、それぞれ「アクロポリス」を持っておりました。

だから今日アテネ観光で見学できる「あの」アクロポリスは、実際には「アテネのアクロポリス」と呼ばれるべきものなのですね。

他の都市国家にもそれぞれの「アクロポリス」があるわけです。

「アクロポリス」だけだと、たとえて言えば、外国から日本に来た観光客が皇居だろうが大阪城だろうがすべて「ジャパニーズキャッスル!」と呼んでしまっているような、ちょっと変なことになってしまう。

このような拠点を都市の真ん中に設けたのは、敵が攻めてきたときにそこに逃げ込んで籠城する軍事的な目的の為でした。

アテネのアクロポリスも、ペルシア帝国が侵攻してきた際には、市民たちがここに立て籠ったとされています。

その際にペルシア軍にさんざん城壁も建物も破壊されつくしてしまったようですが。

「アクロポリスは何なのか?」その2:アテネの全盛時代に今のような「神殿や劇場を集めた広場」になりました

ペルシア帝国との戦争に勝利した後、古代ギリシャには黄金時代が訪れます。

特にアテネはギリシャの中心的な都市国家として、おおいに繁栄しました。

戦争で破壊されたアクロポリスの再建も進みますが、ペルシア帝国という最大の敵を撃破した後は比較的平和な時代となった為、アテネのアクロポリスは軍事拠点としての意味よりも、神殿や劇場を建設し、「みんなが集まる都市の中心」としての役割を担うようになっていきました。

有名なパルテノン神殿もこの黄金時代に建設されたもの。

アテナのアクロポリスにあるパルテノン神殿
アテナイのアクロポリスにあるパルテノン神殿(原典

女神アテナを祀る重要な神殿として、壮大である上に芸術的な装飾も豊かで、まさにアテネを象徴する建造物となったのでした。

ギリシャ黄金時代のみならず、ローマ帝国の支配下に置かれていた時代にあっても、アクロポリスにはとかく神殿や重要な政務所が建てられ、アテネの中心として長らくこの町の成長を見守り続けてきたのです。

「アクロポリスは何なのか?」その3:その後はキリスト教の神殿に改造されたり、トルコ軍の基地になったり

ローマ帝国の東西分裂後は、アテネのアクロポリスは受難の時代をたどります。

ビザンチン帝国の支配下にあったときは、パルテノン神殿は「キリスト教の教会」ということにされて、東方正教会の管轄に入り、オスマントルコ帝国の支配下にあったときは、アテネを占領するトルコ軍の駐屯所ないし指揮官の宿泊所となりました。

パルテノン神殿に祀られている女神アテナの立場になると、「入れ替わり立ち代わり異教徒ばかりがやってきて、なんなの?!」というところです。

まぁ見方によっては、どんな異教徒が入ってきても、ここを重要拠点に改造しているということで、ある意味「ずっと町の中心として活用され続けてきた」という解釈もできるのですが。

決定的なのは17世紀、ヴェネチアによるアテネ包囲戦。

このときパルテノン神殿は、トルコ軍の火薬庫として使われていたそうですが、ヴェネチアの放った大砲がここを直撃し、火薬に引火して、パルテノン神殿は深刻な大破を被ったのでした。

パルテノン神殿南側。爆破で損傷を受けたと推測される箇所
パルテノン神殿南側。爆破で損傷を受けたと推測される箇所(原典

私がギリシャにいたとき、よく現地のギリシャ人の方が、パルテノン神殿が大破したときのことを話しているのを聞きましたが、「大砲をぶっぱなしたヴェネチアも悪いが、トルコのほうがもっと悪い。パルテノン神殿を火薬庫に使ってんじゃねーよ!」という意見が多かったと記憶しています(国境紛争のせいで、現代ギリシャの人はトルコ人に対しては、かなり難しい感情をもっているようでした)。

「アクロポリスは何なのか?」その4:現代では間違いなく、アテネの象徴そのもの!

このような歴史をたどってきたアクロポリス、現代ではすっかり観光名所としての整備も進み、「アクロポリスのある風景」は、冒頭に述べたようにアテネを代表する風景として全世界に認知されています。

実際、アテネにはそれほど高いビルというものがないので、空港から町にバスで入っていくと、かなり遠くから、山の上にそびえるパルテノン神殿が「ボン」と迫ってくるのが見えるのです。

まさに「ギリシャに着いたんだなー!」と感動する瞬間ではないでしょうか。

ともあれ、私の経験から、一点だけアクロポリス観光については注意を。

私が知っているかぎり、猛暑日とか、役所のストライキとかの理由で、「なにかとすぐに閉園」されるのも、このアクロポリスの特徴。

補足:ここにかぎらずギリシャではストライキというものが日常的によく発生します。

ある日アクロポリスを訪ねてみたら、「今日は入れないよ」と追い返されるなんて可能性も高いのです。

アテネ滞在はできるだけ日数の予定をたっぷり取り、アクロポリスに入れない日があったとしても、その翌日に予定を繰り越せるような時間の余裕を持つのがオススメです!

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