宝石には数々の逸話や伝説が存在しますが、特にダイヤモンドにまつわる伝説は多く、その中でも「ホープダイヤ」は有名です。
しかし、「ホープダイヤ」以外にも、呪いのダイヤモンドと呼ばれたものがあります。
それは、権力者たちを魅了した「コ・イ・ヌール」です。
本稿では、「コ・イ・ヌール」とそれに翻弄された人々の歴史を紐解いていきます!
※上記画像(ミュンヘンの鉱物博物館にあるコー・イ・ヌールのガラス製イミテーション)はWikipedia/Wikipedia Commonsから取得しています。
(This Wikipedia and Wikimedia Commons image is from the user Chris 73 and is freely available at //commons.wikimedia.org/wiki/File:Koh-i-Noor_new_version_copy.jpg under the creative commons cc-by-sa 3.0 license.)
どんなダイヤモンド?
「コ・イ・ヌール」は、古代インドの叙事詩である「マハーバーラタ」の中に登場する英雄の一人が持っていたとされ、このことから、世界最古のダイヤモンドだと言われています。
なぜ「コ・イ・ヌール」という名前なの?
時は1739年。
日本では徳川幕府8代将軍・徳川吉宗の時代です。
それまではムガル帝国(かつてインドにあった王朝)の創始者バーブルが所有していたため、「バーブルのダイヤモンド」と呼ばれていたこのダイヤモンドを、欲しがる男がいました。
当時のペルシャ皇帝ナーディルです。
彼は綿密な計画のもと、58日もかけてムガル帝国の全財産を奪いましたが、ダイヤモンドをターバンに隠していたムガル帝国皇帝ムハンマドの方が一枚上手でした。
そこで、ナーディルは宴席を設け、ムハンマドを招待します。
そして、友愛の証として半ば強引に互いのターバンを交換してしまいます。
宴の後、ターバンを広げてダイヤモンドを見たナーディルは、「コ・イ・ヌール(光の山)だ!」と叫びました。
このことから、このダイヤモンドは「コ・イ・ヌール」と呼ばれるようになりました。
権力者の目を奪う「コ・イ・ヌール」
ナーディルの死後、ダイヤモンドは後継者のアディルが手にしましたが、骨肉の争いにより両目を潰され、王位とダイヤモンドはナーディルの孫であるルクの手に渡りました。
しかし、ルクも私利私欲の争いに巻き込まれ、両目をくりぬかれてしまいます。
幸いにも、ナーディルに仕えていたアフマドに救われ、彼はそのお礼に「コ・イ・ヌール」を贈りました。
その後、ルクは別の権力者に捕まり、激しい拷問の末に死んでしまいます。
新たな所有者となったアフマドですが、彼が創設したアフガニスタンのドゥラニ王朝でも争いが相次ぎました。
彼の死後、王位とダイヤモンドを受け継いだ息子のティムールを、ティムールの長男であるザマンが追い落とします。
数年後には、弟のマームドがザマンの目を潰し、牢獄に入れて王位を奪いますが、最終的に別の弟のシュジャが王位とダイヤモンドを手にしました。
このようにして、「コ・イ・ヌール」は人々を魅了し、多くの権力者たちの運命を狂わせてきました。
「コ・イ・ヌール」のいま
18世紀初頭、ドゥラニ王朝分裂の際にインドに亡命したシュジャは、パンジャブで「コ・イ・ヌール」を手放すことになります。
その後、1847年にパンジャブは英国によって併合され、「コ・イ・ヌール」は没収。やがてヴィクトリア女王に献上されます。
そして、女王が所有してからは悲劇が起こることはなく、現在はイギリス王室のもと、ロンドン塔に展示されています。
現在もロンドン塔のジュエルハウスで展示されており、見学が可能です。
写真撮影や立ち止まって見ることが禁止されていますが、ガラスケースごしにその姿を目にすることができます。
「コ・イ・ヌール」によって翻弄された人々の逸話を思い出しながら見れば、その輝きを一層感じられることでしょう。
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