【三国志】諸葛亮孔明のザンバラ頭にみる古代中国の霊魂観

三顧の礼で諸葛亮と劉備が出会った場面
三顧の礼で諸葛亮と劉備が出会った場面

日本でも人気の高い、『三国志』。

その中でも人気の高い場面が、赤壁の戦い。

その戦いに関係する登場人物たちの中でも、特に人気の高いキャラクターが、諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)。

諸葛亮孔明は、三国志の中でも最高の軍師として登場し、作戦を立案したり軍を指揮したりで大活躍。

それだけでなく、時折、一種の呪術や仙術のようなものを使うことすらあります。

もちろん、史実をベースにしている物語ですので、呪術や仙術といってもリアリティを破壊しないよう、仲間の裏切りや仲間の死を星占いから予知したりする程度ではありますが。

そんな諸葛亮孔明、物語前半のクライマックスといえる赤壁の戦いでは、山上に儀式用の壇を設けさせ、その前で「髪を振り乱し、素足になって」天に祈り、風向きを味方に有利なように変える、というすさまじいオオワザを演出しています。

ところでこの諸葛亮孔明に限らず、『三国志』の登場人物たちが呪術や仙術を使うときに、髷(まげ)をといて「髪を振り乱す」ザンバラ頭になることには、古代中国の信仰に基づいたちゃんとした理由があることを、ご存知でしたか?

古代中国の人たちが髪の毛を複雑に結わえていた訳

古代中国の人たちは、基本的には髪を切りません。

髪を長く伸ばし放題にしているわけです。

そしてその髪をたんねんに結わえて、髷(まげ)にしています。

日本のお侍さんも髷を結いますが、古代中国の人々の髷の、編み込みの複雑さにはとてもかなわない。

どうしてそういうことをするのかというと、古代中国の人たちは魂が人間の頭部(現代でいう「脳」のところ)にあると信じていたからだといわれています。

ここからは大形徹さんの『魂のありか』(角川選書)という本を参照させていただきますが、古代中国の人たちは、「死」とは頭蓋骨の中にある魂が抜け出していってしまうこと、と解釈していたのです。

人間の赤ちゃんの頭蓋骨には、スキマのような、小さい穴が残っていますよね?

あの穴を通じて魂が入ってきたのが、子供、と考えられていました。

それゆえ、大人は逆に、魂が頭から抜け出ていくのを予防しなければいけない。

そこで髪を長く伸ばし、複雑に編み込むことで頭を守るのと同時に、毛先がザンバラに露出するのを防いだ、というわけです(髪の毛先もまた、魂が通れる「出入口」と信仰されていたのですね)。

髷をゆわえず、髪の毛を振り乱している者がいるとすれば、それは現世の住民ではない、つまり鬼や幽霊や仙人の類ということになります。

いっぽうで生身の人間があえて髪をといてザンバラ頭になることで、頭部から霊力を発揮することができ、一時的に鬼や仙人に近づける、すなわち呪術や仙術を使える、という考え方にもなりました。

諸葛亮孔明が山上でわざわざ髪の毛を振り乱して風を呼ぶ背景には、このような、古代中国の信仰があったのですね。

赤壁の戦いの背景おさらい

諸葛亮孔明の「術」が炸裂した、「赤壁の戦い」の場面のあらすじを、ざっとご説明します。

「三国」のひとつ魏の曹操が百万人という圧倒的な兵力で攻めてきたのを、火攻めで見事に撃退するのがこの場面です。

諸葛亮孔明は反曹操軍側の軍師なのですが、敵軍の中にスパイを送ったり、送り込まれてきた敵側のスパイを逆利用したりと、さまざまな謀略をめぐらして、火攻めとそれと同時の一斉攻撃の予定日を待ちます。

敵に油断を作り、すべての準備は整い、あとは当日、敵軍に火を放つだけ!

……という肝心なところで、連日の風向きが悪く、これでは火を放っても自分たちのほうに火が燃え広がってしまうという最悪の気象条件に。

せっかく準備をしてきた大作戦がこのままでは瓦解する!

そこで孔明は、兵士たちに山上に壇を築かせ、髪をふりみだした格好でその壇の前に立ち、風を変える祈祷を行います。

その結果、火をつければたちまち敵軍全体を飲み込むような絶好の風向きに変わり、赤壁の戦いは、当初圧倒的に不利だった反曹操軍の大勝利に終わりました。

敵味方の策略が複雑に入り乱れるストーリー展開で、少しずつ盛り上げていって、最後の最後で「どうしても風向きだけがコントロールできない」という焦りを、けっきょく諸葛亮孔明が超人的な能力でなんとかしてしまう、というスリリングで面白い展開!

ところで、この「風向きを変えた」話ですが、基本的にはリアリティ重視のはずの三国志の物語中で、さすがに座りの悪い場面と思われているようです。

近年のドラマやアニメでは、「諸葛亮孔明は気象学を学んでいたことがあったので、風向きが変わる季節を暦の上で知っていた。そのうえで、人心を安心させるために、祈祷をあえて行って風向きを変えたように見せたが、実際には科学的な判断で、風向きが変わる日を待っていたのだ」という説明がつけられることが多いようです。

なるほど、そうかもしれません。

ただ、私個人としては、やはり三国志くらいに古い時代の物語となると、多少の呪術や仙術が入っていても、そのほうが面白いのではないか、と思います。

諸葛亮孔明は気象予報ができるほどの科学的知識をもっていた合理主義者だったのか?

それとも髷をといて髪の毛をふりみだすことで仙人にも変身できるスーパーマンだったのか?

あなたは、どちらの解釈を選びますか?

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