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【アーサー王伝説】アーサー王の起源や史実に関して徹底研究

アーサー王

アーサー王に関する史実

まず最初に断っておくが、アーサーと名乗る実在の王が、イギリスに君臨したことはない。

補足

薔薇戦争終結後の王・ヘンリ7世はその長子に「アーサー」と名づけた。

本来ならばこの人物がイギリス史上最初の「アーサー王」になるはずであったが、彼は王になる前に病死してしまった。

なお、それより以前のリチャード1世も、甥であるブルターニュ公アーサーを後継者に指名しようとしていたが、公式に立太子させることはなく、遺言でも「ジョン(リチャードの弟)を王位に」といい残している。

いわゆる「アーサー王」の直接のモデルとなった人物は、紀元550年頃にギルダスという人物が著わした「ブリテンの滅亡について」という文書に登場する。

この人物は、500年頃侵入してきたサクソン人の軍勢をベイドン山というところで迎え撃ち、敗走させたとされるが、王の地位にあったとは言及されていない。

どちらかというと、傭兵隊長のような存在であったように読み取ることができる。

ちなみに、この傭兵隊長らしき人物の名は伝わっていない。

つまり「アーサーである」とはギルダスは明言していないのである。

この、来歴不詳の人物の名が「アーサーだ」と明記されるようになったのは、9世紀になってからネンニウスという人物が著わした「ブリトン人の歴史」という書物が最初である。

補足

これ以前にもいくつかの文書で、伝説的英雄王としての「アーサー」の名が記録されることはあったが、ベイドン山の勝利者の名を「アーサー」としたのはネンニウスが最初である。

10世紀になってから成立した「カンブリア年代記」には、ベイドン山の戦いだけでなく、その20年ほど後に発生した「カムランの戦い」に関する記事がある。

この戦いにおいて、「アーサー」と「メドラウト」が戦死したとされる。

「モードレッド」の項目で述べているが、アーサーと供に戦死したとされる「メドラウト」が、後の物語ではアーサーを裏切った不義の子モードレッドであると描写されるようになる。

【円卓の騎士】モードレッド

ただし、「カンブリア年代記」の記事からは、アーサーとメドラウトの関係がいかなるものだったのか、2人は戦って相打ちになったのか、それとも同じ軍隊に属しており、負け戦で2人ともに戦死したのかはっきりしていない。

いずれにしろ、アーサーのモデルとなった実在の人物については、「6世紀前半の人物で、ベイドン山の戦いを指揮して勝ち、カムランの戦いで敗れて死んだらしい」ということ以上についてはまるでわからないのである。

アーサー王サルマティア人説

今の英国は、紀元前1世紀にローマの植民地になり、「ブリタニア」と呼ばれるようになる。

それまでブリテン島とアイルランド島には、ケルト系の民族が住んでいたが、彼らはローマ人の支配を受け入れ、混血して「ブリテン人」という民族を形成していった。

これはちょうど同じ頃、縄文系の人々が渡来人を受け入れ、大和民族を形成していった日本のパターンとよく似ている。

ローマは世界帝国であり、その版図は非常に広大であった。

ローマの支配圏は、西はブリテン島やイスパニア、東はエジプト・シリアからコーカサスに及んでいたのである。

コーカサス地方は、かつてはスキタイ人の勢力範囲であった。

しかし紀元前5世紀頃、さらに東の方から移動してきたサルマティア人がスキタイ人を滅ぼした。

その後ローマが拡大し、サルマティア人の勢力範囲と接触するようになる。

初期においては、サルマティア人はローマと激しく戦った。

しかし、そのうち一部はローマに服属してその傭兵となる。

ローマは伝統的に国境の守りには辺境の「蛮族」を雇って当てることが多かったため、サルマティア人傭兵も、ブリテン島に派遣される可能性はあったと考えられる。

ナルト叙事詩とアーサー王伝説

ここでどうして「サルマティア人がブリテン島に来た可能性」が問題になるのかについて説明しよう。

実は、サルマティア人の伝説の中に「アーサー王伝説」と同根であると考えられる話が登場するのである。

サルマティア人自身は、民族大移動の後に滅んでしまったが、その末裔だとされる人々が「オセット人」と呼ばれて残存している。

彼らが「ナルト神話」と呼ばれるサルマティア系だと考えられる神話伝承を保存しているのである。

「ナルト」というのは「勇士」あるいは「巨人」を意味する言葉である。

このナルトたちの首領がバトラズという人物で、彼は最後の戦いで瀕死の重傷を負った後、伴の者たちによって海辺(黒海である可能性が高い。)に運ばれるというのである。

最後にバトラズは、従者たちに、彼が持っていた魔法の剣を水中に投げ入れるように命令する。

従者たちは2度まで剣を隠し、バトラズを欺こうとする。

しかしバトラズに見破られ、3度めに本当に水中に投ずる。

すると、水の色が赤く変じて、激しく沸騰したというのだ。

ナルト叙事詩には、これ以外にもバトラズの剣が女予言者の手助けによって与えられた魔法の剣であったことや、ナルトの勇士達が「ナルティヤモンガ(ナルトの杯)」と呼ばれる魔法の杯についての記事が収録されている。

これらの伝説に登場する各種の用語の一部は、言語学的に共通の母体から生じたものであるということも、現在では証明されている。

つまり、これらの点が確認されたために、「ブリテン島にサルマティア人が来た可能性はあるのか?」という論議が高まり、その後「その可能性は否定できない」ということになり、さらに発展して「アーサー(のモデルの人物)はサルマティア人だったに違いない」という話に繋がっていったのだ。

キング・アーサー

先に説明した「アーサー王サルマティア人説」を大胆に取り入れ、それを元にアーサー王伝説を解釈し直したのが、2004年の映画「キング・アーサー」である。

この話は、最新の学術研究の成果を取り入れ、なおかつ舞台をベイドン山の戦い当時までさかのぼらせたことにより、「これが史実であったのではないか」と思わせる程のリアルな描写を行うことに成功している。

ただし、中世伝説以降に登場する人物をそのまま6世紀の人物としており、その意味ではやはりエンターティメントの域を超えるものではない。

アーサーその人のモデルがサルマティア人であったとしても、アーサー王伝説そのものがすべてコーカサスで生み出され、その後にブリテンに輸出されたものであったとすることはできない。

アーサー王伝説は、魔法の剣と聖杯を所持する英雄王の物語をベースに、ケルト系の諸神話や、中世ロマンス等を組み合わせて作り上げられていったものだというのが、ほぼ定説である。

アーサーがサルマティア起源であったからといって、ランスロットやガウェイン、さらにはマーリンやヴィヴィアンまでもサルマティア起源だと断ずることはできないのである。

伝承の系譜

ベイドン山の戦いは、海を渡って侵略してきたサクソン人とブリトン人やブリトン人に荷担するローマ残党の戦いであった。

補足:サクソン人とは

正確にいえば、アングル族・サクソン族・ジュート族の3部族である。

しかしこれらをまとめて慣例的に「サクソン人」と呼ぶことが多い。

この戦いそのものはブリトン人側の勝利に終わるのだが、後にブリテン島はサクソン人に征服されてしまい、ブリトン人はブリテン島から追い出される。

彼らのあるものはコーンウォールやウェールズ、スコットランドなどに押し込められ、またあるものはブリテン島を脱出してフランスのブルターニュ半島に移住した(サクソン人侵入以前からブルターニュ半島への移民は行われていたが、サクソンの侵入によって加速することになった。)

補足:コーンウォールとは

ブリテン島の西南端の半島部。ウェールズはコーンウォールの北にある。

アーサー王伝説はブリトン人の説話として語り継がれたため、後に成立した書物にも「コーンウォール」は重要な場所(アーサーの母イグレーヌはコーンウォール公妃であった)として登場する。

その後サクソン人は「ヘプターキー」と呼ばれる国家群を形成したが、11世紀になると今度はノルマン人(※7)の侵入を受け、滅びてしまう。

補足:ノルマン人とは

本拠地ノルウェーの王と、その植民地であったフランスのノルマンディー公の連合軍であった。

最終的にノルマンディー公ギョームが、イングランド王ウィリアム1世(征服王)として即位する。

このノルマン王朝は、やがてフランスのアンジュー伯であったアンリに受け継がれる。

アンリはヘンリ2世として即位し、プランタジネット朝を創始する。

ヘンリ2世は母からイングランド、父からアンジュー伯領とノルマンディー公領、妻経由でアキテーヌ公領を相続する。

さらには息子の政略結婚によってブルターニュ公領も手に入れ、イングランドとフランス西半分を支配する大王国の支配者となったのだ。

このことは、フランス全土の一括支配を望むフランス王との衝突を引き起こす。

最終的にはこの争いは100年戦争の終結時まで続くのであるが、その間イングランドとフランス西部は「同じ国」にな
ったため、人や物の交流が比較的自由になった。

この結果、ブルターニュに伝えられたアーサー王伝説が、ブルターニュ以外のフランスにも伝播し、そこで新たな要素をつけ加えられることになる。

この時に追加された説話の代表が、ランスロット関連のものであり、また聖杯探索伝説である。

補足

聖杯そのものの祖形であろうと思われるものは、ナルト叙事詩にも登場するが、パーシヴァルを主人公とし、聖杯探索を主題とした騎士物語は中世になってから別途作られたものである。

これらの諸説話が、最終的にイギリスに「逆輸入」され、現在残るアーサー王伝説関連の書籍が書き上げられるのである。

トマス・マロリー

各地に雑多な形で伝わっていたアーサー王伝説をまとめ、1冊の本にしたのが15世紀に生きたトマス・マロリーという人物である。

イングランドの15世紀は、100年戦争が終盤にさしかかり、その終結直後に薔薇戦争が勃発した時期だ。

補足:薔薇戦争とは

イングランド王位を巡って、ヨーク・ランカスターの2家が争った戦い。

イングランド国内の貴族がこのどちらかの家に荷担して戦ったため、最終的に大貴族がほとんど滅んでしまい、戦後成立したテューダー朝において王権が強化されるきっかけを作った。

マロリーは自分のことを、エドワード4世の配下の騎士であると述べている。

補足:エドワード4世とは

ランカスター家に対して、王位を要求して挙兵したヨーク公リチャードの子。

リチャード敗死後ヨーク家の勢力を盛り返し、ランカスター家のヘンリ6世を追ってイングランド王に即位した。

彼はイングランドの議会議員に選出されているが、その傍らで強盗や強姦、要人暗殺未遂などの犯罪行為を働いたとされており、アーサー王伝説をまとめたのも、恐らくは獄中であったのではないかと考えられている。

マロリーが「エドワード4世の治世の9年目」(1470年)に書いたとされる本のタイトルは、「アーサー王と高貴な円卓の騎士の本」であったが、マロリーの死後に印刷業者ウィリアム・キャクストンによって編集・出版された時に「アーサー王の死」と改題されている。

一説によれば、マロリーが書いた本は最初からまとまった1つの物語ではなく、「アーサー王」という伝説上の王を主題とした複数の物語であった、という。

複数あるアーサー王系の説話の中で、最初にまとめられたのが、アーサーがローマ帝国を征服するという話で、最後にまとめられたのが、アーサー王の死のくだりであるといわれる。

現在最も流布している「アーサー王の本」は、マロリーが書き、キャクストンが編集した「アーサー王の死」であるが、20世紀になってから、マロリー自身が書いたと思われる原稿(ウィンチェスター写本)が発見された。

このウィンチェスター写本とキャクストン版には、かなりの相違が見られ、刊行時にキャクストンがかなり原稿に手を加えたらしいということが明らかになっている。

時代背景から「アーサー王の死」を読む

過去の伝説に託して、執筆している当時の時代風刺を織り込むというのは、いにしえの文化人がよくやった手段である。

マロリーおよびキャクストンの著作についても、よく読めばそれらしく解釈できないことはない部分が見えてくる。

たとえば、アーサー王とランスロットの戦いを描く場面だが、イングランドの王であるアーサー、フランスの王であるランスロットの双方ともに、戦闘そのものに積極的ではない。

決戦を煽っているのはその取り巻きたちであり、2人の王は家臣たちに引きずられるようにして、いやいや戦いの場に赴くのである。

これが、薔薇戦争当時の状況に非常によく似ている。

薔薇戦争までのイングランドにおいては、王権は非常に不安定であり、実際の権力は王を擁立した大貴族に握られることが多かった。

マロリーの主君であったエドワード4世にしたところで、従兄弟のウォリック伯の助力がなければ王位を保てなかったのだ。

補足

エドワード4世即位後、王とウォリック伯は仲違いをする。

その結果ウォリックは一時的にヘンリ6世と手を組み、ヘンリ6世を復位させてエドワードをイングランドから追い出した。

このように、王の意思に大きな影響を与え、なおかつ自分の都合で擁立者を簡単に変えてしまう態度は、マロリーの物語のガウェインを彷彿とさせる。

また、エドワード4世は父が不在の時に早産で生まれたため、周囲から「ヨーク公の実子ではないのではないか」という疑惑を持たれていた。

モンマス以前のアーサー王物語では、アーサーの父ユーサーとティンタンジェル公妃イグレーヌは、ティンタジェル公生前に結ばれている。

これは当時の常識からいえば不倫であり、生まれた子アーサーはユーサーの嫡出子ではなくなる。

そして当時のイングランド王家においては、庶子の王位継承権というのは認められなかったのだ。

こうした背景があるためか、モンマスとマロリーの物語においては、ティンタジェル公はユーサーとイグレーヌが関係を持つ3時間前に死んだとされ、その13日後にイグレーヌがユーサーの正妃となっているためアーサーは嫡出子だ、と強弁するくだりが挿入されている。

この時、モンマスが主君ヘンリ2世、マロリーがエドワード4世のことを念頭においていた、ということは容易に想像できることだろう。

エドワード4世の「仇役」であったランカスター家のヘンリ6世(一時フランス王位も兼任)だが、彼は精神疾患にかかっていたとの記録が残っている。

この点も、アーサー王と後に対立することになるランスロットが、王妃のせいで狂気に陥り、長い間諸国を放浪したという記述と符合する。

ただし、ランスロットの狂気の原因を作った「王妃」のモデルは、エドワード4世の王妃ではなく、この場合のランスロットのモデルとなったヘンリ6世自身の妻マーガレット・オブ・アンジューだろうと考えられる。

なお、エドワード4世の子エドワード5世についても「私生児疑惑事件」が発生する。

この際は議会がエドワード4世とその妻エリザベス・ウッドヴィルの結婚が無効、エドワード5世は私生児で、王位継承も無効とされてしまった。

その結果、エドワード4世の弟で摂政であったリチャード3世が即位することになる。

そのリチャードは、後にフランス(ブルターニュ)から進軍してきたリッチモンド伯ヘンリと戦い、最終的に味方貴族の裏切りにあってボズワースの戦いで敗死する。

この事件が起こったのは、キャクストンが「アーサー王の死」を刊行した1485年のことである。

マロリーが漠然とアーサー王にエドワード4世の姿を重ねていたように、キャクストンはアーサーの中にリチャード3世の姿を見ていたのかも知れない。

ちなみに、即位後ヘンリ7世を名乗ったリッチモンド伯ヘンリの子で、プリンス・オブ・ウェールズにまで叙せられた長子に「アーサー」の名がつけられたのは大いなる歴史の皮肉というものであろうか。

ケルト的要素

かつてブリタニアと呼ばれたイギリスに住んでいた人々は、ケルト系の人である。

現在ケルト系の人々はウェールズやアイルランド、スコットランドに居住しているので、彼らの間にアーサー王伝説が
受け継がれている、と考えてしまいがちだが、実はそうともいえない
のだ。

紀元前5世紀ぐらいからブリテン島やアイルランド島に渡ってきた当時、ケルト人は1枚岩であった。

しかし、ローマ人がやってくると状況がかなり変わってくる。

ローマ人が、城塞都市ロンディニウム(後のロンドン)を中心として、ブリタニア植民地を経営し始めた頃、ケルト人は概ねこれに対して反感を抱き、武装して襲撃することも珍しくなかった。

しかし、次第にロンドンを中心とした地方のケルト人はローマ人に同化し、先に述べた「ブリトン人」に変化していくのである。

ただし、ブリトン人にならなかったアイルランドやウェールズ、スコットランドのケルト人は、ローマ人に対して反感を抱き続けるとともに、ローマ人に同化したかつての同胞に対しても敵対意識を持つようになった。

ブリテン島北部に、「ハドリアヌスの長城」などが建設されるようになって以後、その対立はさらに先鋭化するようになる。

補足:ハドリアヌスの長城とは

122年にローマ皇帝ハドリアヌスの勅令によって建設された長城。ケルト人の侵入を阻止する目的で作られた。

これがその後、ブリタニアとケルト人の勢力範囲をほぼ決定するものとなる。

現在のイングランドとスコットランドの境界も、この長城にほぼ沿った形になっている。

このように、民族的に同一であっても、社会的な断絶期が長く続いたため、文化的にも断絶が見られるようになる。

現在一般的に「ケルト神話」と呼ばれるものは、ほとんどがアイルランドの神話である。

アーサー王の物語は、主としてブリトン人の居住地域で発達したと考えられるため、アイルランド神話の中にそのままの形でアーサー王伝説が取り込まれているなどということはない。

「恐らくアーサー王伝説のこの部分と同根であろう」と思われる要素がいくつか見つかる程度である。

ただし、これが同じグレート・ブリテン島に属するウェールズに残されたケルト神話になると、話が大分変わってくる。

ウェールズにおいては、アーサー王そのものが登場する説話が、現在に伝えられているのである。

この説話は「マビノギ」と呼ばれる。

ただし、マビノギがまとめられたのは12世紀であり、ヨーロッパ全体に流布しているアーサー王伝説の中では決して「古株」ではない。

マーリンとケイ

特定の記録に残っている訳ではないが、ケルト起源であろう、と考えられるのがマーリンとケイのふたりの人物である。

マーリンは一般には「魔法使い」と説明されているが、元を辿ればケルトの宗教者で、王族に助言を与えることもあったドルイドであっただろうと思われる。

このマーリンだが、自分の分身を数多く作り、各種の説話の中に潜り込ませているようなのだ。

たとえば、湖の貴婦人であるヴィヴィアンであるが、彼女はアーサー王物語の中では、マーリンを幽閉した後にそれまでマーリンが担っていたような役割を演じるようになる。

これも元はマーリンのものであったろうと思われる。

時にはアーサーに害をなすような不吉な部分は、モルガン・ル・フェイとして独立させられた。

さらに、「王の側に持して助言を行う」という機能に関しては、ケイという人物に受け継がれたように考えられる。

ケイにアーサー王宮廷の国務長官のような立ち位置が与えられるようになったのはかなり後の話で、初期においては「魔法使い」だったというのである。

結局のところ、マーリンはアーサー王物語の中途で複数の人格に分裂し、善の魔力をヴィヴィアン、悪の魔力をモルガン、さらに王の助言者としての役割をケイに譲り渡して、物語の第一線から消えていくことになるのだ。

伝説の最古層は?

アーサー王伝説の中には、多数のエピソードが収録されている。

それらが作られた年代は、エピソードごとに異なっており、かなり多岐に及ぶ。

全体的にいうと、ランスロットが登場する説話はかなり起源が新しい。

ランスロットは最初からヒーローになることを宿命づけられた人物であり、すでに登場しているキャラクターから、その「見せ場」を奪って自分のものにしてしまうという特技を持っているからだ。

しかし、ランスロット説話に取り込まれた他のキャラクターの説話の起源が古いと、自動的にランスロット説話も、古い要素を帯びるようになる。

次に新しいのは聖杯関係のようだが、聖杯というアイテムそのものの起源は、アーサー王伝説の中の最古のものに属するらしい。

これがケルト神話のダグダの大釜に由来するのか、ナルト叙事詩の聖なる杯に由来するのか、はっきりはわからない。

恐らく、両方に関連する説話が、互いに影響し合って発展したのではなかろうか。

その中で多くの命を育むことができる魔法の杯(または釜)というのは、女性の子宮のメタファーであり、そういう意味では世界中にありふれたものとなっている。

聖杯伝説のうちで最も新しいのは、キリスト教の影響を受けた部分である。

特に聖杯をキリストの血を受けた聖遺物であるとする解釈の場合、その起源は1世紀よりも前に設定することができ
ない。

キリストそのものが史実的に存在したとされている人物であるためだ。

とはいうものの、「槍」と「杯」のペアが新しい種類の人間を誕生させる(あるいは、古い人間を再生させる)アイテムとして使用される説話は世界中に存在する。

こちらの方は、キリスト云々は関係なしに、さらに古い時代に起源を追うことが可能なのだ。

そのようなありふれた話を除いた場合、アーサー王の伝説の最古層をなすのは、「湖の貴婦人から送られた不思議な剣」「その剣を貴婦人に返した後に訪れる英雄の死」というモチーフであろう。

これはかなり緻密に組み立てられた、オリジナリティの高いパーツを組み上げて作った話である。

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