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【神話事典】女神ナンム ティアマトの原型にあたるグレートマザー

ミスペディア

ナンムの基本情報

  • 名:シュメール語名「ナンム」、「ナンマ」とも。アッカド語名無し
  • 出典:シュメール神話
  • 特徴:蛇頭竜身(とするテキストもあるが、実際の姿は現在確認できない)
  • 関連:アン神(長男で夫 天神) キ女神(長女 地の女神) エンキ神(息子 アブズの統治者)

ナンムの概要

シュメール古来のすべての神々の母なる祖先とされる女神。

天地を生み、すべての神々を生み出した原初の海(淡水)の神格化。

シュメール人にとって始原の存在である彼女は、永遠の昔から存在していたものとされた。

世界には先ずはじめに原初の海であるナンム女神が存在していた。

女神は天と地が結合している「天地の山」の双子を産んだ。

天はアン神、地はキ女神であり、この二人から大気の神エンリルをはじめとする神々が生まれた。

ナンム女神とアン神の間には知恵と水の神エンキも生まれた。

始原の海はエンリル神による天地分離と母なる大地の女神簒奪の折、地の下層に移され深淵アブズとなったと見られる。

その際にエンキ神とその眷属は地下の甘い水、淡水の海アブズに住むものとされた。

ナンム女神は神々の嘆願を受け、エンキにアドバイスを与えて人類創造を助けたとされる。

その地母神としての神格は時とともにイナンナとその反身であるエレシュキガルに移行したと見られる。

後年、バビロニアの創世神話『エヌマ・エリシュ』に登場する原初の女神ティアマトのモデルとなった。

ナンム女神の説話

シュメール神話の宇宙観とグレートマザー

シュメール人の宇宙観は二項対立であり、天(an)と地(ki)、神々の世界と人間の世界、生と死のように明確に二分された認識で成り立っていた。

天と地で宇宙が表現された。

シュメール語ギルガメッシュ叙事詩の一つ『ビルガメッシュ、エンキドゥ、冥界』の冒頭にある創成神話では

アンが天を持ち去りしとき、エンリルが地を持ち去りしとき

と語られる。

天は天空神アンの領域、地は大気と嵐を司る最高神エンリルの領分であった。

その天地はどうやってできたかといえば…原初の大洋、始原の海であるナンム女神にたどり着く。

宇宙以前の無を想定していないシュメール神話において、この世の始まりにはすでに淡水の海洋である海、ナンム女神だけが在った。

やがて彼女は結合した天地を産む。

この時の創始の宇宙モデルは、無限の広がりを持つ淡水海に浮かぶ天地の山という二項対立となる。

すべての神々の母と呼ばれるナンムは配偶神を必要としないグレートマザー(太母、原初の地母神)であった。

彼女の信仰は数千年に渡り、その遠い始まりは文明の黎明、旧石器時代に端を発する。

宇宙と生命、すべてを生み出す最初の母、グレートマザー信仰は人類最初の信仰である。

人がまだ部族単位で自然の洞窟で身を寄せ合っていた時代。

洞窟は母なる大女神の子宮であった。[注1]

シュメール人がどこからかメソポタミア南部の地に現れた頃、その土地にはすでにウバイド文明が存在していた。

旧石器時代から連綿と長い夜を生きた複数の地母神(グレートマザー)はナンム女神に習合されたと見られている。

メソポタミア南部の先人たちはそうしてシュメール文化に同化、吸収されたようだ。

ナンム女神は当時のシュメール人にとって、永遠の昔から存在し続ける唯一の母神であった。

楔形文字発明以前の時代のことである。

やがて平穏な農耕文化と女性原理の時代が王権と男性原理の台頭によって幕を引き、太母の威光は孫であるエンリル神に地の底の深淵に引き落とされ、はるかに縮小する。

新しい身分は、地下の深淵アブズの統治者エンキ神の母。

シュメールでは自然を擬人化した多神教信仰が主体である。

エジプト神話と違ってシュメールの神々はみな人型だった。

徹底して神人同形論者だったのである。

時代が降りセム系の神々が立ち混ざるまで…アッカド時代の魚頭のダゴン神などがあらわれるまでは、最初の女神だけが蛇頭で巨大な体を持っていた。[注2]

その姿形はシュメール人なき後、セム系アモリ人のバビロニア王朝で成立した創世神話『エヌマ・エリシュ』の原初の母、混沌の女神ティアマトに受け継がれた。

ティアマトは世界創造の素材として使われるために作られた仮のグレートマザーと考えられている。

神殿などで信仰された形跡が見られないのだ。

そもそも最初から配偶神アプスー(アッカド語のアブズ)が存在する。

真に原初の宇宙を生む神は単身で、性に拠らないものなのだ。

つまり彼女は神話を説明するための偶像であった。

『エヌマ・エリシュ』自体、アモリ人の主神マルドゥクを最高神としてシュメール・アッカド神話のパンテオンに組み入れるために作られたに過ぎない。[注3]

ともあれメソポタミアでの「原初の大母神信仰」はティアマトの死をもって数万年にわたる信仰の歴史を閉ざすこととなった。[1]

ナンム女神とエンキ神の人類創造

メソポタミア文明には複数の人類創造神話が存在する。

代表的なもので『鶴嘴(ツルハシ)の創造』『エンキ神とニンマハ(ニンマフとも)女神』『エヌマ・エリシュ』『アトラ・ハシース叙事詩』などがある。

後半二つはアッカド語テキストである。[注3]

エンリル神による『鶴嘴の創造』に見る人類創造神話が最もシュメール人の思想を反映していると考えられている。

いわゆる自生型というもので、地面に掘った穴から人間が生え出てくるという発想はセム系民族には見られない。

おそらくメソポタミアの人類創造神話として最古の形態だろう。

シュメール語のもう一つの人類創造神話が『エンキ神とニンマハ女神』である。

この神話では自生型はなく、実際の成立は前1500年頃のバビロン第一王朝時代であるが、ここにナンム女神が登場する。エンキ神の母として。

政治家にして権力者のエンリル神に対し、エンキ神は知性と技術者としての側面が強い。

この神話では正に、問題解決に対するエンキの技術的解決を示している。

原初の母ナンム女神から生まれた神々は天と地に増殖した。

神々は自分たちの食い扶持を得るために働かねばならなかった。

運河の開鑿、浚渫など辛い重労働は低位の神々に任され、高位の神々はくつろいで過ごしていた。

下級神たちの不満が募るのも知らず、頼りになるはずの知恵と創造の神エンキ神は熟睡していた。

原初の母ナンム女神は神々の嘆きを息子エンキに伝え、彼らの身代わりを作るよう助言した。

熟考を重ねたエンキは新しい存在を思いつき、粘土で型を作った。

エンキはこの型の使い方をナンム女神に教え、エンキの妻ニンマフ(ニンフルサグのこと)と7柱の女神たちに手伝わせて人間を作らせた。

さながら、技術研究最高責任者エンキの指導のもと、地母神として生命誕生に関わるエキスパート女性集団による人類創造プロジェクト始動!といった感じの展開だ。

破損部分を挟む物語の後半は、すでに人類創造成功を受けてエンキ神とそのチームを讃える大宴会の席。

その場での酔っぱらったエンキとニンマフの技術合戦である。

その詳細はエンキ神の項を参照のこと。

エンキ

【神話事典】エンキ

後代の作であり、推敲を重ねられた人気の物語であった本作では、ナンム女神は宇宙創成から存在した天地と全ての神々の母としての神格も名ばかり。

息子エンキ神の指図で手作りで人類創造に励む技術者といった存在として描かれている。

知的で有能な妙齢の白衣の女性…そんな想像が似合いそうである。[2]

脚注

注釈

  • [1]:60万年前人類が火を手に入れてから…10万年前のネアンデルタール人の頃にはすでに埋葬儀礼が、6万年前には死と再生の観念が存在した。現在母なる女神像として最古のものとされる女性の彫刻は、紀元前2万2000年頃のマンモスの牙製。頭部のみがフランスのランド地方ラップサーイで出土した。旧石器時代の彫刻家たちは豊穣への祈りと出産の神秘による死と再生を「母なる女神」として形作り続けた。1万年後の新石器時代、さらに5000年後の青銅器・鉄器時代に至るまで、生命の創造起源としての母なる女神信仰は地球最初の信仰として在り続けたのである。その面影は今でも「処女マリア」信仰に存在している。
  • [2]:太古の地母神は必ずしも人型ではなかった。宇宙卵を産む鳥、死と再生を象徴する月などの文様、多産・安産を象徴するバイソンや牝牛などの動物、魂と霊性の蛇…ナンム女神の像は現存しないが、一部のテキストでは蛇頭である。蛇は青銅器時代に入ると男性原理の象徴に変わり、女神に豊穣をもたらす力とされるようになった。それはナンム女神が天から失墜する時代に当たっている。
  • [3]:前1200年頃、バビロンの地方神だったマルドゥク神を最高神として創作されたのが創世叙事詩『エヌマ・エリシュ』である。シュメール神話ではアン、エンリル、エンキを権威の頂点として三体神(トゥリアド)を成す。その元に神々が議会に召集され、全ての問題が討論され、世界の運命が決定する。その神学的構造は、事実上メソポタミア史を通して存続した。バビロニア時代、台頭したマルドゥク神に王位を譲り渡す形でエンリル神はアヌ(アン)神の傍らに隠居した。後になって北方王国のアッシリアの人々もこれに習って国神アッシュールをシュメール以来のパンテオンの頂点に据えた。『エヌマ・エリシュ』のテキストの中のマルドゥクの名をアッシュールに書き換えただけだった。シュメール人を継いだセム系の人々は、主役交代の後も文化の形を別のものに変えることなく、古い物の上に新しいものを乗せる方を選んだのである。その数千年に渡る積み増しが、各文化の分別を困難にしているのだ。
  • [4]:シュメール文化圏のシュメール語テキストに限ってみても、セム系民族が文明早期から接触と融合を繰り返しており、アッカド語による文化的改変が拭えないらしい。セム系民族が支配するようになる前2000年期以降もシュメール語は書記法上の主要言語として維持された。セム系アッカド人に至ってはシュメール文化圏に完全に同化していた。完全に純粋なシュメール文化の証拠となる粘土板はいまだに発掘されていない。あるいは、楔形文字誕生以前に遡らねばならないのかもしれない。初期シュメール都市国家分立時代、アッカド王朝、ウル第三王朝(最後のシュメール人王朝)、イシン・ラルサ時代、バビロニア帝国、アッシリア帝国…と続いた結果、シュメール語で書かれた粘土板であっても、その内容が純粋なシュメール人の文化遺産かどうかの判別は現在では不可能に等しいようだ。過去50年間というもの、イラクの内戦や戦争のためにウルを含むイラク南部の大半は立ち入りがほぼ禁じられ、発掘は中断していた。近年イラクに残る世界遺産のいくつかが爆破され、遺物は略奪や破壊の憂き目を見た。2015年イラクとアメリカの考古学者チームがウルの発掘を再開した。日本でも発掘再開を目指す動きは活発化している。度重なる戦火とISISの略奪と破壊を免れた地下深くからの成果を期待したい。2019年7月に世界遺産登録が決定したバビロン遺跡でさえ、未だ18%しか発掘されていない。最古のシュメール文明の謎が明かされるのは未だこれからなのだ。

出典

  • アン・ベアリング、ジュールズ・キャシュフォード『図説世界女神大全Ⅰ原初の女神からギリシャ神話まで』原書房[1]
  • 岡田明子、小林登志子『シュメル神話の世界 粘土板に刻まれた最古のロマン』中公新書[2]

参考文献、URL

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