オカルト好きな人やタロット占いをする人で「アレイスター・クロウリー」の名を知らない人はいないでしょう。
彼は黒魔術師として有名で、その生涯に魔術に関するあらゆることを探究し、試行し、極めたと言われています。
人間として踏み込んではいけない領域まで冒し、「世界一邪悪な男」と言われたクロウリーとはどんな人物だったのでしょうか。
クロウリーはどうして魔術にのめりこんでいったのか
クロウリーはイギリスの厳格なキリスト教徒の家に生まれ、キリスト教の寄宿学校に入学しました。
しかし、その教義に反発して退学、以降、オカルトにのめり込んでいきました。
彼は若いうちに親の遺産を相続することになり、その後の人生は遺産で生活したと言われています。
自分のやりたいことを好きにできる環境があった、ということでしょうか。
その後、クロウリーは大学卒業前に魔法結社ゴールデンドーン(黄金の夜明け団)の人物と出会い、以降本格的に魔術の世界に入っていくことになります。
ゴールデンドーンとは、19世紀にイギリスで設立された秘密結社として有名ですね。
ちなみに、ゴールデンドーンには今でもポピュラーに使われている不朽の名作タロット「ウェイト版(ライダー版)」を作ったアーサー・エドワード・ウェイトも在籍していました。
魔法結社や魔術師たちとの出会い
クロウリーはゴールデンドーンで魔術の教義を学びました。
しかし、団の内紛に巻き込まれ脱退します。
一説では、クロウリーが団の教義に反することをして破門されたとも言われています。
クロウリーは団を脱退後、ヨガなどを学びながら世界中を旅しました。
エジプトでは霊的な存在に出会い、その声を聞いて「法の書」を書きました。
それは、キリスト教とは正反対とも言える「神の命令や道徳に縛られずに真の意思を実現する」というもので、クロウリーの聖書とも言うべき著書です。
独自の魔術を築いていったクロウリーは、性魔術を奥義に持つ結社、東方聖堂騎士団などと関わりを持ち、麻薬や性の儀式を行う魔法寺院を建てたりしました。
これが「邪悪な男」と言われるようになった理由でしょう。
名作「トート・タロット」が生まれた経緯
オカルト色の強い「トート・タロット」は、クロウリーがフリーダ・ハリスという女性の画家に描かせたものです。
しかし、最初からタロットカードとして作られたものではなく、クロウリー著の「トートの書」の中の挿絵として使われたものでした。
何と、タロットカードとして発行されたのはクロウリーの死後だったというのですから驚きです。
死後もクロウリーは魔術師として活躍していたのではないかと思わせるエピソードです。
まとめ
クロウリーは魔術師として一生涯魔術を探求したのですが、登山家としてヒマラヤのK2やカンチェンジュンガの登山隊に参加しています。
まったく別の顔も持っていたのです。
どんなことにも挑戦する「真の意思を実現」という、己の教義を貫いているようですね。
小説や漫画の登場人物のモデルになったり、音楽の中に登場したりと、今でも彼の魂は生きているのかもしれません。
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