18世紀のフランス、革命の前後の時代に「女装のスパイ・騎士」として名を残した人物がいました。
「シュヴァリエ・デオン」。
人生の前半を男性、後半を女性として生きたといわれる彼の数奇な人生について、今回は紹介していきたいと思います。
デオンの出生

彼の正式な名前は「シャルル・ジュヌヴィエーヴ・ルイ・オーギュスト・アンドレ・ティモテ・デオン・ド・ボーモン」。
本名が長いため「シュヴァリエ(騎士)・デオン」という通称の方でよく知られています。
彼はフランスのブルゴーニュ地方で、弁護士の父と貴族の母との間に生まれました。
貴族の社交場に女性のドレスを着て出席したら「美しい娘」と噂になったという話があるなど、若い頃から中性的な容姿であったようです。
また経済論文を発表したり、フェンシングで高い実力を発揮していたりと文武両道の多才な人物でもありました。

その能力を認められ、やがて当時のフランス国王ルイ15世が抱える機密機関の一員に迎えられます。
そして受けた密命が、彼のスパイとしての活動の幕開けでした。
スパイ時代の功績と「騎士」の称号
彼の最初の潜入先はロシア。
当時国交が断絶していたフランスとロシアの関係を改善するため、ロシア女帝エリザヴェータのもとに潜入し親書を取り交わす、というのが任務です。
彼は身分を偽るため「リア」という架空の女性になりすます事を命じられました。

「美しい女性リア」は副宰相ヴォロンツォーフに気に入られ、彼はすんなりと女帝の部屋に立ち入る権利を獲得します。
そして、当初の目的であった親書の受け渡しを達成し、国交回復を成し遂げたのです。
この成功を足掛かりに、以降も彼はロシアやイギリスにおいて、多くの潜入任務で活躍します。
その仕事は先のような秘密の外交だけでなく、軍事機密を盗み出すといった危険なスパイ活動も多数含まれていました。
彼は優秀な頭脳とスパイ技術、そして美しい容姿を活用し、さまざまな任務をこなしました。
彼の外見に惑わされたのは潜入先の人物だけでなく祖国フランスの人物にまで及び、ボーマルシェという人物は彼を女性だと吹き込まれてそれを信じ、求婚にまで及んだそうです。
その仕事を評価され彼には「騎士」の称号が与えられました。
もちろん名ばかりの称号ではなく、スパイ活動の合間に軍人として働いていた時期には「竜騎兵」と呼ばれる部隊の隊長を務めたりもしています。
スパイとしての役目を終えてフランスに帰国した彼ですが、この頃から彼は女性として生活し始めます。
当時の社会では「デオンは女性では?」といった噂が絶えず、この話を聞いて「やはり」と思った人々も多かったことでしょう。
またこの頃は王妃マリー・アントワネットがフランスに来た頃でもありますが、彼女は軍服姿(男装)だったデオンを見ても女性と信じ、「男装ではかわいそう」とドレスを贈ったという逸話も残っています。
このように晩年まで彼は世間に取沙汰されるほど性別不詳で、死後に司法解剖による断定まで行われました。
華やかな活躍の裏事情

デオンについて簡単に説明してきましたが、ここまでを読んで「彼は女性の心を持つ男性だったのでは?」と思った方もいるのではないでしょうか。
筆者も詳しく知らない頃はそんな疑問を持っていました。
しかし実際の事情はもっと複雑なようです。
デオンは元スパイ。
当時多くの機密情報が彼の手にありました。
これを危険視したフランスが彼の暗殺を企てるも失敗し、代わりに世間の噂を利用して強引に「女」に仕立て上げ、彼が認めなければフランスに帰国できない状況に追い込んだ、というのが真相だそうです。
当時は女性差別の激しい時代。
女だという事になれば彼の立場は大きく下がります。
女性騎士であった頃、ある戦争への出兵を志願しても女では戦えないとして却下されるなど、晩年の彼は不遇な扱いを受けていました。
彼が後世に残したもの

複雑な人生をたどった彼ですが、やはり女装騎士としての特異な活躍は後世に残り、様々な作品などで題材にされています。
デオンそのものを題材にしたものも多くありますが、有名なのは「ベルサイユのばら」の男装の麗人オスカル。
彼女はデオンをモデルに性別を反転させて作られた人物です。
このように、デオンの歩んだ人生は、今も形を変えながら多くの人に愛され続けているのです。
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