【ショートノベル】裏切りの騎士|アーサー王とモードレッド

キャメロットの聖王

キャメロット(ギュスターヴ・ドレ画、illustration of Camelot from "Idylls of the King")
キャメロット(ギュスターヴ・ドレ画、illustration of Camelot from “Idylls of the King”)

ローマ皇帝ルーシャスをアーサーが倒してからというもの、ブリテン、いやヨーロッパ全土は平和になった。

四海の王たちはすべてアーサーの威に服し、アーサーある限り絶対の忠誠を誓ったのであった。

また、各国の森に出没する盗賊どもも、アーサー配下の騎士たちが眼を光らせた結果、危険な稼業から足を洗って正業に立ち返ったようだった。

栄光ある勝利からすでに長い時が過ぎ、アーサーの君臨する王国においては、人々は罪というものの存在を忘れ、平和を謳歌するのであった。

アーサーは日々キャメロットの塔から顔を出し、民に向かって手を振ることを日課としていた。

実にそれ以上何もする必要はなかったのだ。

アーサーが健在である姿を見れば、民は一斉に「王に祝福あれ」と叫び、これ以上楽しいことがあろうかという顔で、畑や作業場へと消えていくのであった。

そして母親たちは、その子供たちがちょっとでも悪さをしようものならこう諭すのであった。

「誰も見ていないと思っていても、キャメロットの王様がすべてご覧になっているんだよ」と。

子供たちはその言葉を聞くと、心から悔悟の涙を流し、もう悪いことはしませんと口々に母親たちに告げるのであ
った。

すべてがうまく行っていたのである。

しかし、その平和の中心にいるアーサーの心は、なぜか晴れなかった。

いや、自分の心が憂鬱に沈んでいる、ということを、最初のうちアーサーは気づかなかった。

だが、彼の側近くに仕えるある騎士が、ある時ぽつりと「国王陛下におかれましては、何かお悩みがあるのではないでしょうか」と呟いたのだ。

いわれて、アーサーはひとり自分の部屋に戻り、胸に手を当てて考えてみた。

わずかではあるが、心に薄い、しかし暗い雲が拡がっているかのように思われた。

「これは一体どうしたことだろう」

アーサーには、理由がわからなかった。

わからないが故に気になって、アーサーは毎夜自分自身にこう問うようになった。

「わしの気鬱の原因は何か」

王は自分が気鬱に沈んでいるかも知れない、と考えた時から、夜には城の者を自室に近づけないようになった。

キリスト教世界最高の美女にして、貞淑な王妃グィネヴィアとて、例外ではない。

それはただただ、自分の気鬱が、自分に仕える騎士たちや民人たちにうつるのではないか、と気遣った結果であった。

今宵もまた、アーサーはひとりキャメロットの塔の一室で人知れず苦悩する。

だが、誰もいないはずのその塔に、こっそりと忍び寄る人影があった。

その影は誰あろう、王に対して最初に「王は気鬱ではございませんか」と尋ねた騎士であった。

名をモードレッドという。王の甥である。

アーサーの最後の敵モードレッド
アーサーの最後の敵モードレッド(ヘンリー・フォードによるアンドリュー・ラング『アーサー王と円卓の物語』(1902年)の挿絵)

王の姉、モルゴースによって産み落とされた彼は、その体内に騎士として最上の血液を伝えていたが、訳あって幼い時
から父母から引き離されて育てられていたのだ。

そしてモードレッドは、どうして自分が最愛の母と離れて育てられなければならなかったか、ということをつい先頃知ったのであった。

それは聞くだに恐ろしい秘密である。

モードレッドの父は、母の夫ロト王ではなく、あのアーサーだったというのだ。

この世界において誰よりも人々の尊敬を集めるあの偉大なる王が父であったと知って、歓喜しないものはいないはずであった。

モードレッドも、歓喜すべきだったのである。

だが、彼は喜ぶことができなかった。

なぜなら、母がモルゴースであるから。

そのモルゴースは、父こそ違うものの、同じ母から生まれた姉弟であった。

偉大なる王の、数少ない実子であるというのに、それを誇ることができない。

どうしてなのか。モードレッドは考えた。

そして、ひとつの結論に至ったのであった。

「和、というやつが悪いのさ」

そうであろう。

和が保たれているからこそ、妻はその操を正しく守りやすく、だからこそ周囲から「操を守れ」と要求されるのだ。

だが、これが血を浴びた兵士たちが荒れ狂う戦場の真ん中であればどうか?

そんな中に美しい女がいれば、彼女自身が操を守ろうと考えているか否かに関わらず、狂乱した兵たちにその身はずたずたにされてしまうだろう。

「だから、戦のある時には、婦人の貞節は問題視とされぬのだ」

命だけあれば儲けものなのである。

何をその上に貞節などを望もうか。

いや、望めるものがわずかではあるがいる。

それは強いものだ。強い夫を持つ妻だ。

力あるものを恋人として持つ貴婦人だ。

モードレッドは、さらに考える。

「この世で最も力強いもの、といえば、アーサー王、いや我が父上に他ならない」

アーサー王の力があれば、怪物のように迫り来るいかような困難もねじ伏せることができるであろう。

「力あるが故に、己の思うように振る舞うことができるのだ」

それは何と素晴らしいことであろうか。

空虚な人形ではなく、魂ある人として生まれた以上は、どんな困難にも打ち勝って、己の思う道を進んでいきたいと思うものだ。

「騎士として第2の生を受けたからには、一層強くそう思うようになった」

突き進む道が善の道であるか、悪の道であるかは関係がない。

いや、困難をねじ伏せて突き進む道が悪であろうはずがない。

類希なる力と意思とを持って生まれた人間にしかできない英雄的な行為は、それを見ている人々から拍手喝采を浴びるに違いない。

いや、浴びなければならないのだ。

「父王は、それが可能な方だ」

しかるに見よ。その偉大なるアーサーが今、何をしているのか。

何もしていないではないか。

ローマ皇帝ルーシャスさえ屈服させることのできる力を、どうして父は使わないのか。

それとも、自分がそういう偉大なる力を行使することのできる、数少ない人間であるということを忘れてしまったのか。

「であるとしたら不幸なことだ」

息子であると名乗り出ることはできないが、父がアーサーであったことを何よりも誇らしく感じるようになっていたモードレッドは、アーサーの周囲に分厚く脂肪のようにまとわりつく「和」を断ち切ってみようと思い立った。

「父を憎んでそうするのではない」

むしろその逆だ。

「老い朽ちていく前に、いま一度父に偉大なる力の振るい場所を与えるのだ」

そのためにはまず、父の心を覆っている「和」に、小さな穴を穿ってやらねばならぬ。

正体を隠してアーサーに「気鬱ではないか」と問いかけたのは、このように考えた結果であった。

「そして父は今まで忘れていた自分の気鬱に気が付いた」

それはつまり、アーサーも自分の力の振るい場所を求めている、ということを意味する。

「力あるものはその力を振るわずにはいられないのだ」

塔の中で悩む老いた王を見つめつつ、モードレッドはそう呟いた。

ランスロット

さて父アーサーが怠惰なる平和の中から抜け出そうともがき始めたことを知ったモードレッドは、どのような試練を与えれば父が光り輝くかを考え始めた。

「父以上に強大なる力を持つ君主は、すでに地上にはいない」

だから、海の彼方にある大帝国を征服する、ということはできないだろう。

それはすでに成し遂げられたことなのだから。

「かつてはめいめいに我欲を突っ張らせて争っていた王たちも、今ではすべて父に臣従を誓ってしまった」

しかし現実問題として、父の「敵」はその中から見つけてやるしかないだろう。

「ランスロットしかおらぬか」

モードレッドはそういって、唇をかみしめた。

「ランスロットでは、食い足りぬことおびただしい」

ランスロットはアーサーの宮廷においては最高の騎士であると讃えられている。

王としてはアーサーに及ばぬながら、ひとりの騎士としてならアーサーさえ凌ぐであろう、ともっぱらの評判であった。

「だがそれが何だというのだ」

騎士の戦いとはいっても、定められた約束に従って踊る踊りのようなものでしかない。

それがいかに上手であったとて、何か意味があるのか。

「やつめ、自分の手が届く限りのことしか求めようとせん。眼で見える限りのものしか見ようとせん」

何があっても騎士の掟を守り抜こうとするのは、モードレッドにいわせれば臆病の印に他ならない。

「騎士の掟などといったせせこましい約束では測りきれない現実が怒濤のように押し寄せたら、やつは何ができるというのだろう」

何もできないだろう。

彼にはローマを征服するなどといった、器の大きな振るまいはできないのだ。

「できるのはせいぜい、『今日も騎士道を守りましたよ』といって、尻尾を振るぐらいか……待てよ?」

モードレッドはそういうと、そのまま腕を組んでしばらく考え込んでいた。

「なるほどそうか。そういう使い道があったか。目の前しか見えないものは、卑俗な玩具を与えればよい……そして、偉大な王者にとっては、時に最も卑俗なことが、最も大いなる困難に感じられることがあるというわけなのだな」

モードレッドはふむふむと頷きながら、城の大手橋を渡り外に出た。

小さきもの

「わが妻が、不貞を働いていると?」

ひとりの騎士から報告を受けたアーサー王は、表情を変えずにそういった。

「確証はありませんが、もっぱらの噂になっております」

王の身の回りのことをすべて取り仕切る式部官のケイがそういった。

謹厳実直なケイのいうことだ。ほぼ間違いはない。

ただ、王に対するいたわりの心が、「もっぱらの噂だ」という柔らかい表現を取らせているに過ぎない。

そしてケイの「いたわりの心」というのは、アーサー王以外に対してはまずまったく働かないから、ケイのアー
サーを思う心は本物であると理解できる。

「証拠がない以上、無罪。これは知っておるな」

「もちろん。王ご自身がお定めになった掟ですから」

「無罪であるものを、疑ってはならぬよな」

「御意。しかしながら世の中には王の慈悲深い心を理解することができぬ輩もおりますので……」

「言葉が過ぎよう。卿がわしに『疑ってみろ』といっているのは、わが妻であるぞ」

「申し訳もございません」

「まあよかろう。卿がわしを思う気持ちもわからぬではない。だがな、確かな裏付けがない限り、人を疑ってはならぬ。それは相手がわしの妻であろうが名もない民草であろうが同じことじゃ」

「御意。王の御心は海のごとく広大であらせられる」

「わかったのなら、下がるがよい」

アーサーは手を振って、ケイを目前から下がらせた。

が、すぐにテーブルの上にあった鈴を振ると、侍女を呼び出した。

「ご用は何でございましょうか、王様」

「おお、奥のものを呼んでもらいたいと」

「王妃様でございますか? 生憎と今はお城の外においでになられております」

「なんじゃと。わしは聞いておらぬぞ」

「ええ、王様はご存じではないと。……王妃様おん自らが、『王様にはわたしから伝えるから別に話さなくてもよい』と仰せでしたので、黙っておりましたが……王妃様からもお話はございませんでしたのでしょうか」

「……なかった」

「王様がお忘れになったということは?」

「あり得ぬ」

「いえば王様がお許しにならなかったということはございませんでしょうか」

「それもない。なぜわしが奥のものが外に出るのを止めなければならぬ。そんな理由はない」

「では一体どうしてでしょう?」

「わしにもわからぬ」

「……こうして考えていても、壁の中から王妃様がすっと出てくるわけでもありません。よろしゅうございます。これからはわたしが王妃様を見張り、何かありましたら王様にご注進申し上げましょう」

「うむ……わしは奥のものを信じたいのじゃが、あれがわしの心を信じてくれないのならば、致し方のないことじゃな……そんなことを命じてしまうわし自身が、何だか哀れになってきたが」

「どうして哀れなどと」

「哀れであろう。かくも長き平和を、わしはわしのこの力で保っておるのだが、あまりに平和になると、ずっと連れ添って欲しいと思う妻が、浮かれて城の外に歩き出すのだ……わしを置いてな」

「それは王様、お嘆きになることではありません」

「嘆いては、いかぬのか?」

「お優しい心をお持ちの王様は、ただご自身の不幸をお嘆きになるだけなのかも知れませんが……下々のものは、自分の不幸や不徳を嘆くのではなく、もっと単純に相手を憎むのでございますよ」

「憎む? 憎むのう……憎んで、どうなるというのじゃ」

「憎めば、気が晴れましょう」

「わしはそんなことを感じたことはないぞ」

「それは王様の心が広く、器が大きい故」

「いや違うな。わしは知っておるのじゃ。わしが憎み、怒れば他のものの怒りの感情など、大風の前の燭台も同様に一瞬で消えてしまうということを。だからわしは憎まず、怒らず生きようと誓ったのじゃ。それはわしが人の憎しむ感情をはかないと思い、そうであるが故に愛おしいと感じるがため」

「人の憎しみを愛おしいとお感じになるのですか?」

「左様じゃ」

「わたくしには理解できませぬ」

「そうかの? わしには、わしの言葉がわからぬと悩むそちも愛おしく感じられるのじゃが」

「ますますもってわたくしには理解ができなくなった。申し訳ございませんが、御前を下がらせていただきます」

「うむ。妙なことをいって済まなかったな」

「いえいえ。本来ならばもっと激しいお叱りを受けて当然なことを申してしまいました。ついつい王様のお優しい心に甘えてしまうことに」

「うむうむ。甘えたいのならもっと甘えるがよいぞ」

「いえいえ。それはできませぬ。正直に申しますと、わたしくは怖くなったのです。王様のあまりの心の広さ、器の大きさが」

「怖い、とな?」

「ええ」

「わしはできるだけそちが深いな思いをせずに仕事を続けられるように、と考えて動いておるのじゃが」

「わたくしのようなものに対して、なぜ。それがわかりませぬ。不始末をしたといってお責めになり、時にはお打ちになった方がまだまだはっきりとわかりまする。叱りとばしていただけるのなら、まだしばらくお側にいることができるでしょう」

「叱ることはできぬではないが、叱ったらそちの命が消し飛んでしまうだろう」

「取るに足らぬ命であれば、そういう形で消し飛ぶのもまた天命でございます。それを不自然に長らえることこそ、わたくしにとっては恐ろしい」

「ああ、もうよいもうよい。下がるがよい。いかに求められてもわしにそちを怒ることはできぬ。側にいて欲しいとは思うがやむを得ぬ。どうやら下がっている方がどちらにとってもましなようだ。下がれ下がれ」

「お言葉に甘えまして下がらせていただきます」

「ああよい。早くドアを閉めよ」

「はい。ただし王様、王妃様に何か妙なそぶりがありましたら、すぐに王様の元に走ってきて、その旨報告させていただきます」

「それでそちの気分が晴れるのなら、そうすればよかろう」

「ありがとうございます。ではご機嫌よう」

下女は去り、厚い樫の木で作った扉がぎいと音を立てて閉じられた。

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