中世から近世にかけてヨーロッパのキリスト教社会をパニックに陥れた「魔女狩り」。
残酷な拷問と理不尽な裁判という印象が強く、仏教と神道の国である日本ではあまり馴染みのない歴史です。
しかし、この魔女狩りはヨーロッパだけのものではありません。
1692年のアメリカでも行われていました。
当時、日本だと江戸時代の元禄時代に当たります。
忠臣蔵で有名な赤穂浪士の討ち入り事件が起きた裏側で、多くの芸術が花開きました。
「曽根崎心中」の初演があったのもこの頃ですが、太平洋を挟んだアメリカ大陸では世にも恐ろしい魔女裁判が繰り広げられていました。
アメリカを戦慄させた魔女裁判、セイラムの魔女裁判がどんなものだったのか、ご紹介していきましょう。
Contents
セイラムの魔女裁判、その始まりは?
セイラムの魔女裁判は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州セイラム村で起こった大規模な裁判です。
1692年3月から裁判が始まり、終息までに200名近い村人が魔女と告発され、19名が処刑されました。
小さな村を不幸のどん底におとしいれた魔女裁判はアメリカ最後にして、最悪の事件となりました。
事件の始まりは1692年冬、町の有力者のパリス牧師の娘エリザベスと従姉妹のアビゲイルが村の少女たちと共に、降霊会遊びや『将来の結婚相手はどんな人?』という、占い遊びをしていました。
当時女の子は外で自由に遊ぶことを良しとされていなかったので、家の中でできるちょっとスリリングな遊びに高じていたのでしょう。
しかし、そんなスリリングな遊びをしてからしばらくして、少女たちの中で最も幼い9歳のエリザベスを筆頭に、彼女たちは異常な行動を取り始めます。
ぼーっと空中を見つめていたかと思うと急に奇声を発したり、ひきつけを起こして痙攣を起こしたり、体が異常にねじれたり、少女とは思えない驚異的な腕力を発揮したり…これまでにない奇妙な行動を取り始めました。
彼女らの奇行を見てみると、映画『エクソシスト』の少女のようなものだったのだろうかと想像できます。
自分の娘や姪っ子がおかしくなった!とパリス牧師は村の医者に診せますが、医者も原因が分からずじまいでした。
そして「悪魔がとりついたとしか思えない」とさじを投げてしまったのです。
セイラムの魔女裁判は、こんな少女たちの異常行動から始まりました。
魔女裁判の経緯
パリス牧師が根気よく少女たちから話を聞くと、占いや妖術を黒人女性の使用人ティチューバに教えてもらったということが分かりました。
ティチューバはのちにキリスト教徒になっていますが、元々はブードゥー教を信仰しており、占いなどには他のアメリカ人よりも詳しかったようです。
パリス牧師は執拗にティチューバを問い詰め、時に拷問し「私が魔女です」と『自白』させました。
少女たちはティチューバ以外にも二人の女性が関与していると言いました。
その二人は浮浪者(ふろうしゃ)と、教会に長いこと姿を見せていなかったりと、黒人使用人のティチューバと同じく村での立場が弱い女性たちでした。
1692年3月、三人の女性たちは裁判にかけられました。
ティチューバ以外の二人は容疑を否認しましたが、裁判中に少女たちに発作が起きます。
「この二人が霊を使役(しえき)している!」そう少女たちが証言し、たちまち彼女たちは有罪になってしまいました。
その後も少女たちは次々と村人を名指して告発し続けます。
中には信心深い女性や老夫婦、少女たちに疑念を抱いた男性やたった4歳の幼女もいました。
裁判の最中にたびたび異常行動を見せて「使い魔の鳥が見える!」「あそこの壁に生霊が見える!」と指を差して訴え、そのたびに裁判にかけられた村人は成すすべも無く有罪にされたといいます。
このようにして少女たちの告発により魔女と判断された人々は膨れ上がり、6月までの間に100名もの人々が牢獄に繋がれました。牢獄はパンク状態になり、6月10日から順次絞首刑に処され、文字通り村はパニック状態になっていました。
裁判の終息
さすがにここまで事態が悪化すると「これはおかしいのでは?」と疑問に思う大人たちも出てきました。
しかし、疑問を口に出せば少女たちに告発され処刑されるという恐怖が村全体を包んでいました。
少女たちはついに州知事の妻や判事の妻までも名指しで告発するようになり、村の中だけでは暴走を止められない状態にまでなってきました。
この事態を危険視したボストンの聖職者が、カナダで戦争に参加していた州知事に裁判のことを報告しました。
遠い土地で戦争をしていた州知事にとって、この裁判の話はまさに寝耳に水です。
州知事はすぐさま、判事たちの一方的で理不尽なお裁きを非難し「即刻裁判を中止しなさい」と命令を出しました。
1693年5月、牢獄に繋がれていた人々は釈放され、告発されて逃げていた亡命者にも安全を保障するとお触れを出し、狂気の魔女裁判はあっけなく幕を下ろしました。
少女たちは魔女ではないのか?
さて、当時の魔女の基準ですが、ざっくりと言うと「占いや妖術、魔術を使う」ということです。
厳格な清教徒にとって、このような行為は悪魔に通じる行為という扱いでしたので禁止されていました。
特にセイラム村は熱心な清教徒が多い村でしたから、取り締まりは厳しかったでしょう。
しかし、ここに矛盾が生まれます。
『降霊会遊びや占いをして遊んでいた少女たちはなぜとがめられないのか』という矛盾です。
自分の娘たちが悪魔の儀式をおこなったということで、パリス牧師はさぞショックだったことでしょう。
ですが、「少女たちは占い遊びをして悪魔にとりつかれて苦しんでいる、それは演技とは思えないものだ。何より清らかな少女にそんなものを教えた魔女が悪い。少女たちは悪魔の儀式をおこなったが被害者だ!」ということで、少女たちがとがめられることはありませんでした。
セイラムの魔女裁判の原因は何だったのか?
短期間で多くの被害者を出した魔女裁判ですが、なぜこのような事が起きてしまったのでしょうか?
行き過ぎたイタズラ説
面白半分で少女たちが告発ごっこをし、それがどんどん過激になっていったという説。
実はこれを裏付けるものがあります。
村の男性が告発少女たちの一人から「楽しみのためにやったのよ」という暴露を聞いています。
裁判でこのことを証言しましたが、残念なことに裁判では無視されてしまったようです。
他にも、少女たちのうちの一人が尊敬する男性が裁判にかけられた際に、不利な証言は一切せずに「嘘をついていました。告発は嘘です」と彼をかばいました。
すると他の少女たちに「この子も魔女だ!」と告発されてしまいます。
告発された少女は「悪魔の使いであるあの男性に無理やり言わされた」と自分の発言を撤回します。
この流れを見ると、思春期の女の子グループにありがちな仲間割れですね。
後年、少女たちのうちの一人が「あの時は多大な迷惑をかけた」と謝罪文を残しています。
しかし嘘をついていたなどの発言はありません。
最初はちょっとした告発ごっこのつもりが、事態が大きくなって引っ込みがつかなくなりどんどん村人を魔女にでっち上げて行った・・といったところでしょうか。
麦角菌による中毒説

麦角菌(ばっかくきん)とはライ麦や小麦などイネ科の植物に含まれる菌です。
体内に入ると幻覚や体の末端部分が痺れたり、ひどい時は壊疽したりします。
記憶が欠如したり、精神錯乱を起こすなどの中毒症状を引き起こすという怖いものです。
少女たちの身に起きた異常行動はこの麦角菌中毒の症状に当てはまるものが多く、また当時セイラム村ではライ麦で作られたパンをよく使っていたという話もあります。
少女たちがこのライ麦パンを食べて、薬物中毒のような状態で証言をしたという説です。
しかし、当時セイラム村でよく使われていたパンなら少女たちばかり中毒になっているのもおかしな話ですね。
村人の中に「少女たちの異常行動はたたけば治る」と言った人物もいて、しかも実際にそれで異常行動を取らなくなった少女もいます。
近年でもハーブなどのドラッグで異常行動を取り逮捕される人が後を絶ちませんが、更生施設などが多く存在していることを考えると「たたけば治る」といった病気でもない気がします。
集団ヒステリー説
清教徒の厳しい生活でのストレスや思春期の少女特有の精神不安定さが、集団パニック(集団ヒステリー)を巻き起こし、それがどんどん村人たちを巻き込んでいったのではないかとする説です。
そんなに簡単にパニックなんて起こすのだろうかと思いますが、日本だけでなく世界中で集団パニックが起きたという報告はいくつか挙がっています。
集団パニックは男性よりも女性、特に多感な10代の少女に多く見られます。
まとめ
アメリカ最悪の魔女裁判についてご紹介して来ましたが、いかがでしたか?
宗教に対して寛容すぎる日本人にはあまりピンとはきませんが、これが異様なものであることは一目瞭然です。
この裁判の原因に3つの説を挙げましたが、筆者が考える説はこの中にはありません。
思うに、上記の3つの説すべてを合わせたものが原因だったのではないかと思います。
つまり…
ライ麦パンでいい気分になって異常な行動をした少女たちが徒党を組んで告発ごっこを始めた。
面白がっていたけど事態が大きくなってしまい、引っ込みがつかなくなって少女たちの中でパニックが起きて集団ヒステリーが起きる。
それに触発されて大人たちまでヒステリー状態になってしまった・・・という感じです。
今となっては原因は不明のままですが、200名近くの村人が魔女と告発され、19名もの人々が処刑されたというのは事実です。
日本ではけんらんな文化が花開いていた時代。
アメリカではこんな恐ろしいことが起きていたのですね。
コメントを残す