以前、六回に渡る連載記事で細かく紹介した、ハインリヒ・シュリーマン。
- 八歳の頃に読んだ本の中の「トロイア落城」の挿絵にいたく感化され、
- (十九世紀当時は未発見だった)トロイアの遺跡を自分の手で発掘したいと夢見て、
- 人生の前半ではビジネスマンとして成功して資産家になり、
- 人生の後半ではその資産を投入して発掘事業に乗り出し、
- 本当にトロイアの遺跡を掘り当ててしまったという人物です。
先の連載では、ハインリヒ・シュリーマンが伝説に包まれすぎていて、もはや本当の彼がナニモノであったのかわからないほどに謎だらけになってしまった経緯を紹介しました。
そのうえで、彼が発掘して現在でも「トロイアの遺跡」として世界遺産登録されているヒサルルックの遺跡も、実は「トロイアだという証拠が出たわけではない」という状況もお伝えしました。
今回の記事は、それとは少し視線を変えた、番外編となります。
晩年になるに従って孤独を深めていったハインリヒ・シュリーマンを、常に傍から支え続けていた人物として、奥様のソフィア・シュリーマンのことをご紹介しましょう。
夫が発掘した「プリアモスの財宝」で身を固めたギリシア美女
彼女の肖像写真は、ある意味、とても有名なものとなっています。
ハインリヒ・シュリーマンがヒサルルックの遺跡から発見した、首飾りやかんざし、髪留めなどといった、古代の数々の装飾品。
シュリーマンはこれらに「プリアモスの財宝」という名をつけ、発掘の協力者であったソフィアに身につけさせ、肖像写真を撮らせました。
よって「シュリーマンの奥様ソフィア」といえば、この「遺跡から出土した古代のアクセサリーをジャラジャラと身に着けたギリシア美女」という印象がとても強いものとなっています。
のみならず、この肖像写真自体がまた、ハインリヒ・シュリーマンの「嘘や虚飾の疑い」に関する論争の的のひとつにもなってしまったのです。
というのも、例によってうかつな話ながら、シュリーマンはこの「プリアモスの財宝」を発掘した際に、詳細な記録を採りきっていなかった為、どのアクセサリーがどの層から出てきたものなのか後世の学者にはさっぱりわからなくなり、せっかくの発掘の価値が半減してしまったのです。
「それを奥さんに身につけさせて写真を撮らせているとか、そんな場合じゃないでしょう。そんなことよりも大事なことがあるでしょう!」というところですね。
そのうえ、詳細な発掘の記録が採られていないことから不信感は広まり、「そもそもシュリーマンが発掘したというプリアモスの財宝そのものが、別の遺跡から出てきたものをごまかした捏造品ではないか」という疑いすら出てきてしまいました。
※これについては最近の調査で「さすがに捏造品ではなさそう」と、シュリーマン側に有利な結果が続いているそうですが。
日本考古学の父とされる人物が、大正時代にわざわざソフィアさんに会いに行っていた!
このソフィア・シュリーマンさんは、旦那さんの死後、ギリシアのアテネの邸宅で暮らしておりました。
そんなソフィアさんのところへ、大正時代に、日本からはるばるギリシアのアテネへ会いに行った日本人がいます。
日本の考古学の父と呼ばれる濱田耕作氏が、大正四年にシュリーマン未亡人邸を訪問し、なごやかな面会を行っているのです。
彼が遺した『シュリーマン夫人を憶ふ』というエッセイに、その時の様子が詳細につづられており、ハインリヒ・シュリーマンのファンとしてはたまらない貴重な本となっています。
日本人が日本語で書いた「シュリーマン関係のドキュメンタリー」としても価値が高いのではないでしょうか。
その記載を拾うと、
- 知人のつてで紹介され、午後四時半頃にシュリーマン邸を訪問する
- 応対に出てきたソフィアさんを見て、濱田耕作は「ああ、すでに六十歳を超えた年齢ながら、まぎれもなくシュリーマンの本で、プリアモスの財宝を身に着けて肖像に収まっているあの女性だ!」と感動した模様
- 話はシュリーマンのことから、ホメロスの詩をめぐる会話まで和やかに進んだ
- 日本に帰国後、ソフィアさんからの手紙を受け取った。丁寧な手紙の最後に、見たこともない不思議な形の文字で何かが書かれていた。これは何かの古代文字を使った暗号かなと、さまざまな古代ギリシア語のフォントを調べてみたが、どうしてもわからない。だが、あるとき、突然わかった。これはソフィアさんが、どういう方法でかはわからないが日本語のカタカナを手習いし、慣れない手で、「ソフィア・シュリーマン」とカタカナでサインをしてくれたものだった
インターネットもテレビもない時代に、わざわざカタカナを誰かから聞いてそれでサインをしてくれたソフィアさんの人柄がにじみ出ている、あたたかいエピソードではないでしょうか。
そのソフィアさんの死後から、さらにまた八十五年近くが経過しています。
いまではシュリーマンの家はアテネの観光スポットになっています(「貨幣博物館」として再利用されていますのでご注意ください!)し、彼が発掘したさまざまな財宝も各国の博物館に寄贈されています。
まして、問題の「トロイアの遺跡」は世界遺産に登録され、観光として訪問することも可能です。
「偉人だったのか、それとも嘘に固められた人物だったのか」などという難しい話は抜きに、古代遺跡の発掘という大変な夢に取りつかれて十九世紀を駆け抜けた、光と影の多い不思議な人物として、シュリーマンのなごりの地を訪問してみる旅などというのも、面白いのではないでしょうか。
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